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中央銀行の仲間割れ

2018年8月28日   田中 宇

8月23-25日、米国ロッキー山脈の避暑地であるワイオミング州ジャクソンホールに米欧日などの中央銀行の当局者や経済学者らが集まり、今年も米連銀(カンザスシティ連銀)主催の「経済政策シンポジウム」が開かれた。この会議は近年、米連銀(FRB)と欧州中銀(ECB)、日銀、英中銀など、先進諸国の中央銀行の総裁たちが集まって仲良く団結している様子を世界に示すとともに、先進諸国の中央銀行が米国主導で政策協調する場だった。だが今年は異様なことに、ECBのドラギ総裁も、日銀の黒田総裁も、英中銀のカーニー総裁も、この会議を欠席した。日銀からは、若田部副総裁が出席したが、ECBは総裁・副総裁だけでなく、役員会の他の4人の役員も全員欠席した。 (Here Comes Powell But Draghi And Kuroda Strangely Absent From Jackson Hole

ECBは「役員らの欠席に、特に理由はない」と発表している。だが昨年まで、ジャクソンホールは、先進諸国の中銀総裁たちが米国主導で団結している様子を示す会合だった。その意味づけからすると、欧英日の総裁が全員欠席し、ECBからは役員すら誰も来なかったことは「米国主導の中央銀行群の団結が、何らかの理由で損なわれている」ことを意味する。金融市場は、中央銀行のわずかな言動に大騒ぎすることがよくある。中銀側はそれを自覚している。特に理由なくECBの総裁ら役員全員がジャクソンホールを欠席することなど、ありえない。これはECBが意図してやったことだ。日英の総裁欠席も同様だ。すべて米国に警告を発するための意図的な欠席、集団的なボイコットだろう。 (3 of the world's most important central bankers are skipping this year's 'summer camp for economists' in Jackson Hole

米欧日英の中銀群はこれまで、米国中心の国際金融システムの延命のためにQE(造幣による債券買い支え)など超緩和策を協力して続けてきた。その協力体制が壊れ、米国と、欧日英の中央銀行の間に、非公開の仲間割れが発生している観がある。QEをやっていないカナダ中銀のポロズ総裁は今年のジャクソンホール会議に出席しており、仲間割れに関係なさそうだ。仲間割れは、QEをめぐって起きているように見える。英中銀も09年から16年までQEをやっていた。英国はもともと米国覇権の黒幕・お目付け役でもある。米国覇権の維持のためにQEをやった日欧英が、トランプの覇権放棄策に対して集団で抗議の意を表明した感じだ。 (Federal Reserve Bank of Kansas City - Wikipedia

1978年から毎年開かれているジャクソンホール会議は、かつて農業経済を議論する地味で学術的な会議だった。08年のリーマン危機後、この会議は表向きの学術色の裏で政治色が増し、米連銀(FRB)の議長が、など、対米従属的な先進諸国の中央銀行の総裁たちを説得したり圧力をかけて、米国中心の国際金融システムを延命させるためのQEやマイナス金利などの緩和策をやらせるための場となった。 (The Key Part Of Mario Draghi's Jackson Hole Speech - Business Insider

14年のジャクソンホール会議では、米連銀がQEをやめて、代わりにECBと日銀がQEを開始する「ドル延命のためのQEの肩代わり」が決定・計画された。ドイツなどEUの上層部には、ユーロを過剰発行して米国のバブル膨張を支える不健全なQEへの強い反対があったが、ECBのドラギ総裁は、14年8月のジャクソンホールでの記者会見で突然の即興で、QEをやらねばならないと予定外の表明をした。ドイツなどはQEに反対し続けたが、結局ECBは15年1月にQEの開始(急拡大)を決めた。ECBは現在までQEを続けているが、不健全な資産の膨張が限界に達したため、今年いっぱいでQEをやめると決めている。 (欧州中央銀行の反乱) (ユーロもQEで自滅への道

14年のジャクソンホール会議では、日銀の黒田総裁にもQEを急拡大せよと圧力がかかり、日銀は14年11月、米連銀がQEを終了した2日後からQEを急拡大した。日銀には、それ以前からQEなど緩和策をやれと米連銀から圧力をかけられており、10年8月のジャクソンホール会議で圧力をかけられた当時の日銀の白川総裁は、予定を早めて帰国して日銀の政策決定会合を臨時で開き、緩和策の拡大を決めている(白川は、嫌々ながらの緩和拡大だったので13年に米国の差し金でクビにされた)。日欧の中銀総裁にとってジャクソンホールは、不合理でも絶対服従の裁判所「閻魔様のお白州」だった。 (米国と心中したい日本のQE拡大

各国の中央銀行は、自国の政府から独立して政策決定している(ことになっている)。これが「中央銀行の独立」だ。だが実のところ、各国の中央銀行は、自国の政府から独立する一方で、米連銀に対して従属している。米国はブレトンウッズ合意に基づく戦後の覇権国であり、同盟諸国の中銀群に対して必要に応じて覇権を行使する。中央銀行の独立が必要なのは、自国政府でなく米連銀への従属が必要だからだ。 (崩れ出す中央銀行ネットワーク) (中央銀行の独立を奪う米英

QEは、債券を買い支える中央銀行の(不良)資産を急速に肥大化させるので、数年しか続けられない。08年のリーマン危機後、14年まで米連銀がQEをやり、その後、今年まで日欧中銀がQEをやっている。日欧中銀が、米国の金融政策の失敗の尻ぬぐいで不健全なQEを米連銀から肩代わりしたのは、そうしないと延命策が尽き、米国中心の世界の債券金融システムが再崩壊し、リーマンよりはるかにひどいドル崩壊的な「最期の危機」が起きてしまうからだ。だがその一方で、日欧中銀がQEを肩代わりしても数年しかもたず、いずれ延命策が尽きて大崩壊になる。日欧中銀の上層部で、米国のバブル延命に協力するのを辞退して、自分たちの中央銀行としての余力を温存した方が良いという意見が強いのは当然だった。 (日銀QE破綻への道) (万策尽き始めた中央銀行

日欧中銀が14年にQEの肩代わりを断っていたら、世界の金融システムはすでに延命策が尽きて大きな危機が再燃していただろう。それは、戦後世界の根幹にあるドルの基軸通貨体制(米金融覇権)の喪失になる。覇権国である米国の理屈としては「円やユーロより、基軸通貨であるドルの方が大事だ。日欧に全力で圧力をかけてQEを肩代わりさせ、米連銀自身は余力を拡大するためにQE停止や利上げ、資産縮小をするのが良い」という理屈になる。この理屈に沿って、14年のジャクソンホール会議で(もしくはその前から)日銀とECBに圧力をかける「覇権の行使」が行われ、日欧に無理やりQEを肩代わりさせた。 (Merkel unhappy with Draghi's apparent new fiscal focus) (ECB: Draghi’s eurozone deal

その後、15、16、17年のジャクソンホール会議には、日欧中銀の総裁や幹部たちが積極参加し、米国中心の国際金融を守るため、米国が引き締め策、日欧が緩和策を続ける体制がうまく機能していることが演じられた。日欧の中銀幹部たちは毎年ジャクソンホールの「お白州」に出廷し、閻魔様=米連銀の幹部と一緒に作り笑いしながら歓談してみせていた。ところが、今年は一転して、全員が一致団結したかのように「出廷拒否」である。 (Euro surges as ECB's Draghi does not mention currency strength

▼QEでドルを延命させたのにトランプに覇権放棄され馬鹿を見る日欧、今さら抗議してもねえ・・・

今年の欧日英の「出廷拒否」の理由は何か。マスコミは今回も、何も解説していない。欧日英の集団欠席の事実すら、ほとんど流れていない。ブルームバーグは、集団欠席を報じた数少ないマスコミで、それを報じた記事は当初、題名に集団欠席のことが入っていたが、あとで題名から集団欠席の部分が削除され、本文の後半で指摘されるだけになった。上層部が、この件を報じたくない感じだ。この件は独自の分析が必要だ。まずは、中央銀行をめぐる状況で、昨年と今年の違いは何かを考えてみる。 (Powell Takes Stage as Draghi, Kuroda Sit It Out: Jackson Hole) (Fed's Mester Sees ‘Compelling’ Case for Rate Hikes: Jackson Hole

(1)トランプの貿易戦争。トランプは今春以来、先進諸国や新興諸国など全世界からの鉄鋼アルミ、自動車などの輸入に関して高い関税をかけ、世界から米国への輸出を減らす策を展開している。これは「米国が世界から旺盛に輸入して世界にドルを注入し、世界はそのドルで米国債を買って米国の金融安定に貢献する」という戦後の米国の経済覇権体制を放棄する策だ。米国の経済覇権体制は、日欧にとっても繁栄の源泉だった。日欧中銀は、米国の経済覇権を維持するためにQEを肩代わりしたのに、そのQEが限界に達して終わる今になって、米国は経済覇権を放棄する策を展開している。これは日欧にとって受け入れられない。日欧英などG7諸国は、すでに6月のG7サミットで、トランプの貿易戦争に集団で抗議している。今回のジャクソンホール集団欠席は、このG7での抗議の延長にあると考えられる。 (貿易戦争で世界を非米・多極化に押しやるトランプ

(2)貿易戦争に絡んだ、新興市場から米国にドル資金を還流させて米国の金融を延命する動き。中国など新興市場諸国は、対米輸出を増やすことでしかドルを獲得できない。トランプの貿易戦争は最近、トルコなど新興市場をドル不足の経済危機に陥らせ、それが新興市場から米国への資金還流となり、米金融の新たな延命策になっている。これがトランプと米連銀にとって、終わりゆく日欧QEに代わる米金融の延命策だ。今後、ドル資金の米国への逃避が、新興市場だけでなく欧州に波及すると、欧州の銀行はドル建ての米国の債券をしこたま買ってしまっているので、欧州の金融危機には発展する。また、先進諸国が成熟化する中、新興市場は今後の世界経済の牽引役だ。覇権国のくせに世界経済の発展を考えず、自国の金融延命しか重視しないトランプと米連銀に対する抗議の意味が、集団欠席の裏にありそうだ。 (Turkey's Crisis And The Dollar's Future) (ドル覇権を壊すトランプの経済制裁と貿易戦争

(3)イランやロシアに対する濡れ衣に基づく経済制裁の道具としてドルを使いすぎるトランプや米連銀に対する警告。トランプは、イランやロシアの企業にドル建て決済を禁じるだけでなく、イランやロシアと取引する欧米などの企業をもドル建て決済から締め出す制裁を科そうとしている。これは、イランやロシアと取引する企業が多いEUを怒らせている。ECBがジャクソンホールに誰も派遣しなかったのは、トランプ政権が11月からイランと取引する欧州などの企業にドル決済を禁じると決めたことへの抗議だろう。EUは、イランが核兵器開発しているという無根拠な濡れ衣に基づくイラン制裁に、もう協力できない。ドイツの財務相は先日、米国を迂回する国際資金決済の仕組み(ドル送金のSWIFTの代替システム。ユーロ建て?)が必要だと宣言した。ECB(に日銀)がドル延命のためにQEを肩代わりしたのは馬鹿だった。 (Is Europe Making Plans For A New World Order?) (Europe, Japan, China, Russia Increasingly Cutting US Out of Economic and Trade Deals

(4)QEの終わりで用済みにされる日欧。日欧中銀は今年、QEを終わりにすることを顕在化した。昨年は、日欧中銀のQEの終わりがまだ見えていなかった。今年、米連銀にとって日欧中銀が「用済み」となった。だから日欧英が米国に忠告しても、米国は無視している。それに対する抗議としての集団欠席。 (The 2008 financial crisis never really ended

全体として、トランプの米国が、覇権国としての責務を放棄し、自国の短期的な延命だけを重視する身勝手な策をとっていることに、米国の覇権維持に協力してQEを肩代わりした日欧中銀が抗議している感じを受ける。新興市場諸国の諸中銀は、米連銀に、ドル資金を吸い上げる利上げと連銀資産の圧縮(勘定縮小)をやめてくれと相次いで懇願しているが、全て無視されている。米連銀は、9月に予定通り利上げする流れだ。 (Big Questions on Global Economy Hang Over Jackson Hole Gathering

トランプは7月以来、連銀の利上げに反対を表明している。8月20日にも表明した。だが、連銀のパウエル議長は、トランプ自らが選んで就任させた子飼いの勢力だ。トランプが本当に利上げに反対なら「中央銀行の独立」に抵触する反対表明などせず、非公式にパウエルと会って圧力をかければ良い。トランプが声高に利上げ反対を繰り返し表明しているのは、大統領として景気浮揚を重視して低金利を好んでいるというイメージを世間に定着させるための演技だけだ。実質的に、トランプは連銀の利上げに賛成していると考えられる。利上げは、世界から米国へのドルの還流を生み、世界経済を犠牲にして米国の金融を延命させる。 (Trump demands Fed help on economy, complains about interest rate rises

米国は覇権国として、世界経済を成長させる責務がある。トランプは大統領就任以来、自国の成長を優先するあまり(それも演技で、実のところは軍産支配を壊して覇権構造を多極型に転換するために)覇権国の責務を次々と放棄している。(1)米国市場を世界に対して閉ざす世界との貿易戦争(輸入関税の引き上げ)。(2)世界からドルを還流させる米連銀の利上げと資産圧縮、財政赤字の拡大。(3)イラン制裁を口実とした、ドル建て貿易決済の制限。いずれも覇権国の責務の放棄、覇権放棄の策だ。これらが続くと、いずれドルは基軸通貨の地位が低下する。米国覇権の喪失になる。 (米国の破綻は不可避

欧日英の同盟諸国は、こうした米国の覇権放棄に反対している。米国は覇権国として、世界から米国への輸入を旺盛に受け入れ、世界経済の成長を米国の消費が牽引し続けてほしい。世界に低利のドル資金をばらまき続けてほしい。ドルの国際決済を制限しないでほしい。昔のようにかっぷくの良い覇権国に戻ってほしい。同盟諸国はそう考えているが、トランプに拒否されている。今回、同盟諸国の中銀群は、米国の覇権放棄に抗議してジャクソンホール会議をボイコットしたと考えられる。 (中央銀行がふくらませた巨大バブル

同盟諸国の抗議活動は、米国の姿勢に影響を与えそうもない。日欧はQEでドル基軸の延命に協力したのに、今や米国自身がドル基軸を粗末にしている。QEをやめると、日欧の株や債券が下落する。日銀のQE資金が今の日本の株高の唯一の支えだ。米国は、世界からのドル還流誘発など次の延命策に移っているので下がりにくく、日欧だけが新興市場と並んで下落する。日銀は、以前のように株価が少し下がっただけでETFを買って株価を買い支えることを最近やらなくなっている。 (BOJ Issues "Red Hot" Warning: Stocks May Drop And We Won't Be There

新興市場と並んで日欧の金融市場が悪化すると、世界から米国への資金還流に拍車がかかり、米国だけが延命する。米国はひどいバブル膨張だが、まだ最期の暴落にならない。先に日欧が暴落する。中国政府は何年も前から株の大幅下落を容認しているが、日本も似たような姿勢になる。 (金融バブルと闘う習近平

同盟諸国は長期的に、米国に頼るのをやめていくしかない。この点において、欧州と日本、英国で、置かれている状況に違いがある。欧州はEUとしてすでに国家統合を進め、地域覇権国となる体制を持っているので対米自立しやすいが、日本と英国は、米国の覇権が低下すると国力が大幅に落ちる。 (Macron: EU's security must no longer depend on US

今後は米国も日欧も、金融システムの健全性を全く無視して、金融危機の再発を防ぐための近視眼的な延命策を続ける。バブルを収縮して軟着陸させるという健全な政策は行われず、逆に、バブルを膨張させて延命をはかる傾向が増す。米国では、利上げと減税によって銀行の収益を急増させ、その儲けで銀行が危険な投資を拡大するよう仕向けている(日本ではこれが行われず、代わりに日銀自身がETFを買って株価を高止まりさせている)。 (トランプのバブル膨張策) (QEやめたらバブル大崩壊

金融システムで何が起きているか、マスコミや権威筋に全く報じさせない、解説させない政策が、今よりさらに徹底される。権威ある筋からは「危険なことなど何も起きていない」という説明しか出てこない状態が続く。そして、バブル膨張によるすべての延命策が限界に達した後、誰も止められない巨大な金融崩壊が起きる。 (最期までQEを続ける日本



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