中央銀行の独立を奪う米英2016年11月15日 田中 宇来年1月から米大統領になるドナルド・トランプが、中央銀行である米連銀(FRB)の独立性を剥奪するという予測が出回っている。米国はこの数年間、景気回復の主力を、財政赤字を増やしつつ政府の資金で公共事業など景気テコ入れ策をやる財政政策に置かず、米連銀がドルを増刷して景気回復に結びつく投融資を増やそうとする通貨政策に置いていた(実際は景気対策のふりをした金融界救済だったが)。トランプは、これまで禁じ手とされてきた財政赤字の増加を容認し、米国内のインフラ整備やメキシコ国境の壁の建設など、公共事業を急増することで、景気テコ入れや雇用増をやろうとしている。トランプ政権下では、財政政策と通貨政策の両方が行われることになる。 (Trump is 'the end' of central banking as we know it: Fund manager) (Why QE is putting central bank independence on the line) 財政政策は大統領府や議会といった政府が主導するが、通貨政策は連銀が主導する。財政政策だけが中心なら、景気対策は連銀に任せ、連銀が政府から独立したままで良いが、財政政策と通貨政策をバランスさせるとなると、連銀の政策に米政府(大統領)の意志を反映する必要がある。そのような理屈で、トランプは選挙期間中から、連銀イエレン議長の低金利策を批判し、大統領になったら連銀の独立を剥奪すると示唆してきた。 (The end of the era of central bank independence) 中央銀行が政府からの自立を必要とするのは、政府や議会が有権者の人気取りのためにインフレ懸念を無視して財政政策を拡大しがちで、中央銀行が政府の言いなりになっていると通貨にとって最も害悪であるインフレを引き起こしてしまうからだ、とされている。中央銀行は政府の圧力を無視して、純粋な経済理論に基づき、インフレを防止し続けるのが良いとされている。これに対し、中央銀行の独立など必要ないという人は「米国など先進諸国にとってインフレが問題だったのは1980年代までで、その後はインフレに悩まされていないのだから、中銀の独立を説くのは時代遅れだ」と言っている。中銀の独立は、EUで憲法(条約)に明記されているが、米英では不文律なので、背後の理屈や力関係が変化すれば、比較的簡単に剥奪されうる。 (Preserving central bank independence) 欧州や日英の中銀は、政府から独立している一方で、米連銀から隠然と支配されている。85年のプラザ合意以来、米連銀が欧英日(G7諸国)の中銀群を主導して協調介入などを行う体制が確立し、リーマン危機後のQEやマイナス金利といった超緩和策(景気テコ入れ策のふりをした金融救済策・ドル米国債の延命策)も、米連銀の指示で日欧が超緩和策を加速するなど、米連銀を頂点とする中銀ネットワーク(米金融覇権体制)が確立している。トランプが米連銀の独立を破壊して自分の権力傘下に入れても、米連銀の覇権的な中銀ネットワークは残る(欧州は離脱するかもしれないが、日本は対米従属を続ける)だろうから、トランプが日銀の政策をも支配するようになる。 (崩れ出す中央銀行ネットワーク) 最近、米英やドイツの政治家が、中銀の独立を剥奪せよという主張をするようになっている。その理由は、米欧日の中銀群が続けている超緩和策に実体経済をテコ入れする効果がないことが明らかになり、しかもQEもマスナス金利もこれ以上やる余力が欧州でも日本でもなくなっているからだ。実のところ金融救済と金融相場テコ入れの効果しかない超緩和策は、株式など金融投資をしている金持ちをますます富ませる半面、年金生活者など一般市民を苦しめ、貧富格差を増大させている。独立した中銀の専門家に任せた結果、こんなひどいことになったのだから、もう中銀の独立など剥奪すべきだと、米欧の政治家が言い出している。 (Era of Low Interest Rates Hammers Millions of Pensions Around World) (腐敗した中央銀行) 日本でもEUでも中央銀行は、インフレ率が2%以下だと不健全(デフレ)だという理論に基づき、インフレ率を2%に引き上げる目標を作って超緩和策を加速し、目標に近づかないので超緩和策を延々とやっている。インフレ率の低さは、輸入品の価格低下による「価格破壊」や在庫増の影響であり、不健全と言い切れないという主張が以前から専門家の間にもあり、超緩和策の開始直後はそうした反論もマスコミに出たが、中銀の権威がまかり通り、その後は全く無視された。だが結局、超緩和策が行き詰まり、失敗が明らかになった今ごろになって、インフレ率2%の目標なと必要なかったのでないかという議論が蒸し返されている。中銀の権威は静かに失墜している。 (米国と心中したい日本のQE拡大) (QEするほどデフレと不況になる) (Central Bank Independence is No Cover for Central Bank Incompetence) ▼トランプ化を目指してきた英国メイ政権 各国指導者の中で、最初に中央銀行の超緩和策を明確に批判したのは、10月5日の英国メイ首相だった。メイはこの日、保守党大会で新たな基本政策を発表したが、それはこれまでの大企業やエリートが主導する保守党と全く異なる、驚きの連続の内容だった。保守党は中産階級や貧困層のための党だと宣言し、貧富格差を拡大させた英中銀の超緩和策を批判し、大企業の利権あさりなども批判する一方、国内のインフラ整備を進める経済政策を掲げた。あとづけ的に考えるなら、これはメイの「トランプ化」宣言だった。メイ政権は、米大統領選挙でトランプが勝つことを予測していたのでないか。対露協調派のトランプに合わせるかのように、メイは英国の伝統だったロシア敵視をやめて対露和解も行なっている。メイはトランプが勝つとすぐに、トランプ政権と密接に協調したいと表明した。 (多極派に転換する英国) (ロシアと和解する英国) (May's message: `A change is going to come') (May: UK to keep strong ties with US under Trump) こうしたメイのトランプ化政策の中に、英中銀に対する批判やQEへの反対表明などの政治介入が含まれていた。その後、英保守党内では、メイと気脈を通じているEU離脱派が、英中銀のカーニー総裁に対して辞任を求める動きを強めた。そは結局、首相のメイがカーニーを擁護することで鎮められた。カーニーは辞めずにすんだが、メイに頭が上がらなくなった。このマッチポンプ的な一連の動きを通じて、英中銀は、これまでの独立性を静かに失い、英政府の言うことを聞くようになりつつある。メイや英議会はその後、英中銀の政策に介入する内容のことを言い続けている。 (Bank of England's Mark Carney under pressure) (Theresa May risks new row with Mark Carney as she says Government must 'recognise impact' of Bank of England economic policies) (Theresa May backs Mark Carney as Bank of England governor) 1980年代以来、中央銀行の政府からの独立を不文律として守り、世界的な規範として育ててきたのは米英だ。米国は、世界各国の政府に中央銀行への介入を許さない一方で、米連銀が世界各国の中央銀行を主導(支配)する中銀ネットワークを強化し、これを債券金融システムの世界化と並ぶ金融覇権体制の土台としてきた。中銀の独立は、プラザ合意以降の金融主導になった米英覇権の一角を担う体制だった。今回、米英が自国の中銀の独立を剥奪し始めたことは、覇権システムの改定を意味しそうだ。その本質が何なのか、今はまだよくわからない(わかったらまた書く)。 (The Truly Scary Clowns Are Central Bankers) 米国で連銀の独立を政府が剥奪しそうなことは、トランプ個人の特性としてみなされがちだが、たとえ大統領選挙でクリントンが勝っていたとしても、連銀の独立の剥奪が進められていた可能性がある。というのは、ビル・クリントン政権の財務長官で、ヒラリーとも親しいローレンス・サマーズが、大統領選挙の投票日直前の11月3日、連銀の独立を決めた不文律が時代遅れなので廃止すべきだと主張していたからだ。サマーズは、クリントンの勝利を前提に、クリントン政権の経済担当高官として自分が何らかの役割を果たすことを期待しつつ、連銀の独立廃止を提唱したと考えられる。クリントンが勝っていたとしても、連銀の独立廃止が取り沙汰されていただろう。これは超党派な、覇権運営的なテーマである感じがする。 (Fed independence should be scrapped given economic challenges, Summers says) 米日欧の中銀群が手がけたQEやマイナス金利は、すでに行き詰まっている。QEの買い支えの対象にできる債券が日本でも欧州でも払底し、規模の縮小が間近だ。マイナス金利は利幅で食っている金融界を経営難に陥れている。今後、中銀の主導権が米政府に移ったとしても、この行き詰まりから逃れて政策を立て直すことはまず無理だ。下手に権限を奪って別のことをやろうとすると、微妙な国際バランスの上に立っていた中銀網による延命策が崩れ、金利の急上昇(テーパータントラム)など、金融危機の再来を引き起こしかねない。崩壊寸前の中銀網の権限を政府が奪うのは、馬鹿げたこととも考えられる。 (米国の緩和圧力を退けた日本財務省) ▼トランプの大規模財政出動でインフレがひどくなる トランプ政権は、連銀の権限を抑制しつつ経済政策を進めるだろうが、それが長期的な成功をおさめる可能性は高くない。トランプは、レーガン政権の経済政策を踏襲し、財政出動(公共事業)の増加(1兆ドルの景気対策)と大規模な減税(法人税率を35%から15%に)を同時にやろうとしている。財政出動によって経済が活性化されるので、税率を大きく下げても税収が増えるはずだという理論だ。これを実施すると、短期的には景気が回復したように見えるだろう。だが最終的には、思ったように税収が増えず、支出増と収入減が重なって財政赤字が急増する可能性が高い。 (Trump sticks to $1tn stimulus and tax cuts pledge) トランプの政策をやったら、現在20兆ドル弱の米国の財政赤字総額が、10年後に30兆ドルになるとの予測も出ている。財政赤字の急増は、インフレを引き起こしやすい。従来の米国の、QEや低金利策と言った通貨政策の場合、資金の注入がほとんど金融システム内に限定され、実体経済に回る部分が少なかったので、どんなにドルを過剰発行してもインフレにならなかった。だが、トランプが目論む公共事業の急拡大の場合、実体経済に巨額資金が注入される。物資の大量購入や、無数の作業員への給料支払いによって、実体経済に資金がどんどん注入され、インフレを誘発しやすい。 (Prepare for a reversal of monetary rule under President Trump) インフレが低い範囲で少しずつ上がるなら、それはQEの目標だったインフレ率2%の達成であり(建前的な)政策の成功になるが、財政赤字を急増させつつ実体経済に巨額資金を注入すると、それは抑止できないインフレの急上昇を招く懸念がある。インフレがひどくなると、連動し(インフレ分がかさ上げされ)て長期国債の利回りが上昇し、政府の国債利払い額が急増し、財政が破綻に瀕するなど、全体的に非常に危険な事態に陥る。 トランプは選挙戦中に「国債金利が払えなくなったらデフォルト(債務不履行)するのもありだ」と発言して物議をかもした。トランプ陣営は当選後「選挙戦での発言と実際の政策は違う」と言っているが、民間企業の経営のノリで、いざとなったらデフォルトしてしまうことが、あり得なくもないと思われるだけに恐ろしい。トランプの当選で財政赤字を急増が予測されたため、米国債の長期金利が、投票日の前から後にかけて上昇している。10年もの米国債の利回りは、今年7月の英離脱投票直後の1・4%弱という史上最低水準から、トランプ当選後に2・2%までじりじり上がっている。 トランプ当選の直後、グリーンスパン元連銀議長が、これからしだいにインフレの傾向が強まり、10年もの米国債の金利が5%まで上がるかもしれないと述べた。金利が5%になったら、利払いの急増で米国は財政難になる。グリーンスパンは以前から、中銀群のQEが金融バブルを膨張させ、最終的にバブル崩壊が国債金利の急騰に結びつくと警告してきた。オバマの8年間、金融システムは不健全さを増しつつ延命してきたが、トランプの時代になってそれが崩れる可能性は十分にある。 (Greenspan Sees Bond Yields Climbing as High as 5 Percent Again) (Greenspan Predicts Bond Yields Rising As High As 5%)
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