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崩れ出す中央銀行ネットワーク

2013年2月27日   田中 宇

 2月22日、債券格付け機関のムーディーズが、3大格付け機関の中で初めて、英国(英国債)をこれまでの最優良格(トリプルA)から1段階格下げした。ムーディーズは昨年初めから、英国の財政赤字拡大と不況の長期化に懸念を表明しており、事態の悪化が今後も続く可能性が増したため格下げに踏み切った。 (Talking about a sterling revolution

 英国は1970年代末に最優良格を失った後、80−90年代の金融自由化による米英同時の債券金融システム拡大によって最優良格に戻った。米英が最優良格を持つことが、リーマンショックまでの米英金融覇権の重要な特徴だった。英経済は今後も悪化し続けると予測されているので、最優良格の再獲得は無理だろう。今回の格下げは、冷戦後の世界を率いてきた米英金融覇権の崩壊を示すものだ。英国債はリーマン危機後の09年から売れ行きが悪化し、米英メディアは当時から英国が格下げされる可能性を指摘していた。英国は、その後3年以上も最優良格を維持したわけで、前覇権国ならではの粘り腰(金融面のイメージ操作力)の強さは、他国に真似できないものでもある。滅びゆく英国に敬意の念を表したい。 (Pimco Executive: 80% Risk of U.K. Downgrade) (G-8's first bankruptcy

 英国の中央銀行(イングランド銀行)はこれまで、米連銀の量的緩和策(QE)に静かに追随してきた。しかし、英国の財政赤字はすでにGDPの100%に近づいている(来年100%を超える見通し)。財政赤字が多い中で、ポンドと英国債の増刷を続けたため、英国債に対する信頼が揺らぎ、インフレが目標値の2%を超え、今年は3%を超える見通しだ。そのため、英中銀の上層部で米連銀に追随する量的緩和の続行への反対論が強まり、米国との政策協調が(英米覇権体制にとって)重要だと力説するキング中銀総裁の主張が通らなくなった。英中銀内の齟齬が顕在化するのと同時にムーディーズが英国を格下げし、ポンドが急落した。英国は、金融政策面で米国についていけなくなった結果、格下げされた。 (Fed and Bank of England head in different directions

 かつて英国の世界運営は非公式ネットワークに頼っており、英国から覇権を継承した米国も同様だ。世界各国の中央銀行が、自国政府から独立した状態で、米英主導の体制下で非公式なネットワークを組み、隠微な国際協調体制で、ドルを基軸とする国際通貨体制を維持するのが、1944年のブレトンウッズ会議以来の世界システムだ。ブレトンウッズ会議はドルを基軸通貨にするために米国で開かれた会議だったが、会議を仕切ったのはケインズら英国勢だった(当時、米国は新興国であり、英国の方が経済覇権運営のノウハウがはるかに上手だった)。

 中央銀行は、為替や通貨供給を使って長期的な弊害を無視して短期的に経済を上向かせて人気取りをしたがる政治家の介入を排除するため、政府からの自立が必要だというのが教科書の理屈だ。だが、その裏にあるもう一つの事情は、国際通貨体制の維持のため、各国中銀が自国政府の意向と関係なく、覇権国の主導で動ける体制が必要ということだ。

 ドルは基軸通貨だがポンドは違うので、同じ無茶をすると米より英にとって危険だ。英中銀が、米連銀の危険な緩和策についていけなくなり、米英中銀が別々の道を進みだしたことは自然な流れだが、それはブレトンウッズ以来の米英経済覇権体制の中枢が崩れ出したことを意味している。

 第二次大戦後の覇権体制の中枢に存在していたのは、経済面がブレトンウッズ体制で、軍事外交面がNATOだった。NATOは、米英同盟が西欧を傘下に入れつつソ連と対立する構図だ。だが今や、NATOはアフガニスタン撤退後に事実上解体していきそうだ。同時にEUは、軍事外交の統合を進めて米国の安保の傘下から出て独自の国際勢力になろうとしている。経済面では米英中央銀行の協調体制の終わりと英国の格下げ、安全保障の面ではNATOのアフガン撤退後の事実上の解体が、米英覇権体制の終焉として進んでいる。英国は今後、EUからの離脱、スコットランドの分離独立を経験しそうだが、これらも英国の国力の低下に拍車をかける。 (Only one in three wants UK to stay in EU

 世界的に見て、カナダや日本の中央銀行は、米国に忠実な姿勢を守っているが、EUの欧州中央銀行(ECB)はドイツ流の財政緊縮策や通貨の強さを堅持し、量的緩和に否定的だ。景気が悪化しているフランスがユーロ安や緩和策をしたがっても、ドイツは了承しない。フランスは、ドイツの経済的な強さにあやかるためにEU統合を支持しており、最終的にドイツの堅実策に同意せざるを得ない。

 中露などBRICSや発展途上諸国は、短期的な視点として自国通貨の切り上げと輸出競争力の低下になるドル安を嫌うものの、長期的な視点では、米欧が新興諸国を支配する覇権体制の根幹にあるドル基軸制が崩れることについて抵抗感が少なく、自国通貨を自滅させてまで米連銀の量的緩和につき合う気がない。BRICSの経済台頭に象徴される多極化の進展も、米英主導の中央銀行ネットワークを崩している。

 90年代以降の、債券金融システムを使った米英金融覇権の蘇生に際し、債券格付けのシステムは重要な仕掛けだった。その格付けシステムも、今回の英国格下げによって崩れ出している。米英の国債が最優良格であることが、金融覇権システムの土台となる基準点として必要だったのに、11年のS&Pによる米国債格下げと、今回のムーディーズによる英国債格下げで、システムに風穴が開いてしまった。

 国家(国債)に対する格付けが政治色を帯びないはずがないが、それを政治色のない「純粋経済的」な公正な格付けであるかのように人々に思わせることが、格付け機関の振る舞いとして重要だった(経済マスコミも同様の騙しを昔から続けている)。米英当局が国債や通貨を過剰発行し続けても3大格付け機関が最優良格を変えないと、格付けの詐欺性が露呈し、格付け機関に対する信頼が落ちる。 (Honest Rating Agency Is Punished for Telling the Truth

 格付け業界ではすでに、3大機関と、それ以外のイーガンジョーンズや大公(中国政府系)との評価の差が目立っている。3大機関以外の方がまっとうだと思う人が増えている。EUは、格付けに頼らない評価方法を模索しつつ、3大格付け機関に厳しい態度を採り始めている。3大格付け機関は難しい動きを迫られ、1社だけが格下げに踏み切って意図的に歩調を乱すなどの演出が必要になっている。米英に対する格下げは、米英覇権体制の一機能である債券格付けシステム自体の危機でもある。 (MEPs agree credit rating agency crackdown

 米国政府は3月1日、一律の財政支出削減(財政の崖)を開始する。どの分野でどの程度の削減になるか、まだ不明だ。リーマンショック後の米経済の立ち直りの最大要因は政府支出の増加だったことを考えると、米政府の支出削減が米経済を減速する可能性が高い。米経済の悪化は、すでに米国債を格下げしたS&P以外の格付け機関による格下げを招きかねない。ひょっとすると、英国債の格下げは、米国債格下げの前座になるかもしれない。 (US cuts poised to hit long-term unemployed

 米英主導の中央銀行の国際ネットワークが崩れていることと、日本で政府が日銀に介入し、日銀総裁の首をすげ替えて、米連銀に追随する量的緩和策を無理矢理に強化しようとしていることは、たぶん関係がある。米連銀の無茶な量的緩和の継続に、自滅を許容できない英中銀がついていけなくなったのと同様に、本来なら日銀も、米連銀の量的緩和に追随しないのが、通貨と国民の生活を守るための常識的な判断だ。だが、日本の官僚機構とそのみこしに乗る安倍政権は、通貨と国民生活の危機回避よりも、対米従属の国是を重要と考えているようだ。

 中央銀行の国際ネットワークが崩れるなら、もはや日銀が政府から独立している必要もない。だから、日銀の独立を定めた法律を改定し、政府財務省の官僚黒田を日銀総裁に据え、日銀を財務省の傘下に入れる動きが進んでいる。

 日本は官僚が国を支配しているが、米国は金融界が国を支配している。米金融界の代理人である米連銀は、金融界がリーマン危機後ずっと直面している債券金融システムの崩壊を防ぐため、ドルを過剰発行して債券相場をつり上げておかねばならない。日本の官僚機構は米国の傀儡なので、日銀の自立性を壊して量的緩和を加速し、円の脆弱化もいとわず、米金融界の延命に協力している。

 英国と米国の国債は、全体の4−5割を外国勢が保有しており、外国人は危険を察知すると国債を売り払う。対照的に、日本国債の外国人保有率は10%以下で、国債のほとんどを国内金融機関が政府の命を受けて保有している。国内勢は国債を売り払えない。だから日本は国債残高がGDPの2倍になっても相場が崩れないが、英国はGDPの8−9割の現水準でも相場が崩れそうで、それが英国のインフレ上昇につながっている。また米国債は従来、世界的に外貨準備のための債券とみなされてきたので、英国債より売り払われる懸念が低い。

 とはいえ、日米が今後も量的緩和を続けると、いずれかの時点で国債の下落と悪性のインフレが起こる。日本が「デフレ解消」の策を強くやることは危険だ。米国では、連銀の量的緩和で金融界の資金総額が増えているが、対照的に、米大手銀行の総融資残高は5年間で最低になっている。いくら金あまり状態を作っても、銀行は企業に資金を貸さず、企業も経済の先行きが不透明なので資金を借りて設備投資することに消極的だ。米国の民間経済は上向かず、政府支出増が最大の景気対策である状態から脱せない。米経済はかなり脆弱だ。 (The Fed Is Blowing A Dangerous Bank Deposit Bubble

 英国政府は最近、中国政府と掛け合って、ロンドンを中国人民元のオフショア取引市場として開発し、中国の経済台頭にあやかろうとしている。米国では議会を中心に、中国を経済制裁せよという主張が強いが、その一方で英国は、経済的に中国に接近している。ここでも米英の世界戦略の齟齬が拡大している。

 そして日本は、これまで中国との経済関係で恩恵を受ける度合いが大きかったのを振り切って、日米で中国と敵対する対米従属を重視し、尖閣諸島問題で中国との対立を増やす策を採っている。日本が国有化などで宣戦布告的な挑発をしなければ、中国は攻撃的にならなかっただろう。日本はこの点でも、経済的な国益より、対米従属(日米同盟)維持という政治目的を優先している。英国は、国益のために多極化に迎合しているが、日本は対米従属維持のため国益を無視して多極化にあらがっている。米国の覇権が蘇生しそうもないことを考えると、今の日本は、日本の強さと豊かさを取り戻すという安倍政権の標語と裏腹に、貧乏で弱い国になる道を選んでいる。

▼TPPの意味

 連銀の量的緩和は、金融面で、世界がついていけない政策だ(日本は無理矢理ついていっている)が、これと同様に、通商面で、米政府が最近やっている、世界がついていきにくい政策が、TPPである。米政府は、太平洋の自由貿易協定であるTPPと、最近欧米間で交渉が始まった大西洋の自由貿易協定(TAP)を一緒に実施することで、世界を網羅する米国流の自由貿易圏を作ろうとしている。 (Obama Opens Door Wider For A New World Government

 欧米間の貿易は、すでにほとんどの分野の関税が非常に低く、あらためてTAPの貿易協定を結ぶ必要が少ないと言われている。私が見るところ、TAPとTPPの意図は、関税引き下げよりも、米国流の、大企業が政府と対等、もしくは政府より上に立つ体制を、欧州やアジア諸国に導入させようとするところにある。すでに始まっているTPPの協議は、米政府が議会にも知らせず大手企業と密談して決めた貿易体制を、交渉相手のアジア太平洋諸国に受け入れさせようとする流れだ。 (国権を剥奪するTPP

 EUや上海協力機構、イスラム諸国会議、国連など、超国家的あるいは国家以外の組織が、国家に負けない力を持つのが、今進んでいる「多極化」の特徴であるとしたら、大企業が国家に負けない力を持つことになるTPPやTAPも、多極化の一種といえる。

 これまで世界の自由貿易体制は、WTOの多国間協議で進められてきた。WTOは国家間の交渉だ。対照的にTPPやTAPは事実上、多国籍企業と各国政府、もしくは大企業間の交渉だ。TPPとTAP、加えてNAFTAが立ち上がると、米国はますますWTOに関心を示さなくなる。 (世界貿易体制の失効

 米国以外の多くの国々は、大企業が政府をしのぐ、もしくは両者が対等になることを許せない。米国は自由市場原理(政府軽視)を好むが、中露などBRICSは対照的に、政府が経済の主導役であり続ける体制を希求している。この分裂状態の中で、米国が政府主役のWTOを無視して、企業主役のTPPやTAPを進めると、BRICSや途上国の多くが、WTOの再生を望むようになる。WTOの主導役は、米国から中露などBRICSに移るだろう(すでに移り始めている)。 (プーチンを敵視して強化してやる米国

 実はEUも、超国家組織であるEU当局が大きな力を持つ、政府主導型の組織だから、TAPよりWTOを好むはずだ。今のところEUはTAPの交渉を歓迎しているが、TAPは実現しても大したものにならないだろう。米国は、中国などBRICSの台頭に対抗するため、TPPやTAPを作って囲い込みを画策しているようだが、米国は中産階級の没落が急速に進んで消費力(他国から見た米国市場の魅力)が落ちていることもあり、囲い込みは成功しないだろう。

 安倍政権がTPPに参加したがっている日本はどうかというと、官僚が企業よりはるかに強い。日本人は「親方日の丸」が大好きだ。それがいちばん安心できる。大半の日本人にとって、官僚より企業の権限が強い社会など全く許せない。つまり日本は、体質的にTPPでなくWTOなのだ。その点で日本は、米国と異質で、中国と似ている。

 今の日本政府は、対米従属を何よりも大事にするので、TPPが自国の体質に合っているかどうかなど考えず、とにかくTPPに入るんだと頑張っている。しかし長期的に、米国の消費力が落ち、中国の消費力が拡大するだろうから、日本はいずれTPPや米国よりも、WTOや中国を重視せざるを得なくなる。自国の政府を敵視する必要はないが、少なくとも日本人は、自国の政府がやっている外交政策の非常識に気づいた方がよい。



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