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国権を剥奪するTPP

2012年7月2日   田中 宇

 6月18日、米国政府が、アジア太平洋の9カ国と行っているTPP(環太平洋の自由貿易協定)の交渉に、メキシコを招き入れると発表した。翌日、これまでTPPのオブザーバーだったカナダの政府が、カナダもTPPの交渉に参加すると発表した。カナダとメキシコの交渉参加により、TPPは、米国とアジア太平洋地域の小国群による自由貿易圏という従来のイメージでなく、1993年に米国・カナダ・メキシコが締結したNAFTA(北米自由貿易圏)を拡大するものという色彩が強くなった。 (TPP: Now the hard part

 これに先立つ6月11日には、オバマ政権が、議会にも諮らず、TPPの交渉時に提出した協定案の中に、国権を制限する内容を含む条項を入れていたことが、市民運動にリークされた文書によって発覚した。文書では、TPP加盟国で投資・操業する外国企業が、その国の法律や規制に不満があり、裁判所に訴えて判決を得たが、さらにその判決に不服がある場合、国際裁定委員会に訴えることができるとしている。国家の裁判所が出した判決を、超国家的な国際法廷が覆せるわけで、これは国権の侵害に相当する。これと似た条項はNAFTAにも存在し、TPPがNAFTAの延長であることがうかがえる。 (Uncovering the hidden IP secrets

 リーク文書で発覚したもう一つの問題点は、国産品に対する優遇を禁止したことだ。米国や他の多くの国で、多分野の商品に関し、役所や企業などの機関が、ナショナリズムの精神に基づき、外国産品よりも国産品を好む政策や方針を打ち出すことが多いが、リークされたオバマ政権のTPP草案は、国産品という理由で国産品を選択することを禁止している。国産品重視の否定は、ナショナリズムの否定であり、多くの国の人々にとって受け入れがたい。 (リークされた文書

 オバマ政権は、これらの国権を超越する事項を含む草案を、議会に何も相談せず、TPP交渉の場に提出していた。TPPの交渉は、これまでに12回行われたが、進捗状況をほとんど発表しないまま秘密裏に続いている。リークによってこの事態が暴露され、米議会では、多くの議員が怒り、政府にTPP交渉の全容を議会に開示させる法律を策定する動きになっている。 (Obama Trade Document Leaked, Revealing New Corporate Powers And Broken Campaign Promises

 今回の話の源流は、クリントン政権がカナダ、メキシコとNAFTAの協定を締結したころにさかのぼる。NAFTAは、北米3カ国間の貿易関税をゼロにしていくほか、すべての非関税障壁を3カ国間で取り除くことを決めている。その結果、製造業が米国から、より賃金の安いメキシコに移転し、米国の雇用に悪影響を与えたり、生産性が高く安価な米国のトウモロコシなど農産物がメキシコ市場に流入してメキシコの小作農民が大量失業し、米国に出稼ぎに行かざるを得なくなるなど、多くの影響が出た。 (How Can Labor Combat Obama's Secret 'NAFTA of the Pacific'?

 NAFTAは超国家的な裁定委員会の制度も持つため、労組以外の多様な団体が、NAFTAに反対してきた(半面、国権を超越できるので、3カ国の財界や大企業はNAFTAを強く支持した。彼らは今回TPPも支持している)。NAFTAは中南米を参加させて対象地域を拡大していく方針だったが、米民主党を支持する各種の団体からの強い反対があり、オバマ大統領は08年の当選時の選挙戦で、NAFTAを拡大しない方針を打ち出し、当選した。しかし今、オバマはTPPの草案に、NAFTAとそっくりの超国権的な条項を盛り込み、カナダとメキシコもTPPの交渉に参加させ、TPPを拡大版NAFTAにする試みを露呈した。「オバマは選挙公約を破った」と批判されている。 (Trans-Pacific Partnership: Larger than NAFTA?

 米国では、金融界や財界が大きな政治力を持っている。彼らは利益拡大のため、自国を含む各国の国益を削いでも良いからNAFTAやTPPを拡大発展させたい。半面、議会や市民運動、労組などは、ナショナリズムの視点に立ち、国益を重視して、NAFTAやTPPが持つ国益を削ぐ面に反対している。これは多国籍資本と国家との対立ともいえる。(欧州の多国間FTAであるEUも、参加各国の国益を削いで超国家機関であるEUに権限を集中する動きであり、EUのあり方をめぐって多国籍資本と国家の対立が起きている) (TPP -- America Going (Gone?) 100% Fascist

 ここ20年ほど、歴代の米政府は、金融界や財界の肩を持つ傾向がある。クリントン時代にNAFTAが締結された後、ブッシュ政権の8年間は、韓国や中米諸国との2国間FTAが検討されただけだったが、ブッシュ政権任期末に近い08年8月、シンガポール、ニュージーランド、チリの3カ国が協議していたTPPの交渉に参加し、09年にオバマ政権になってからTPPの交渉が本格化した。オバマ政権は、環太平洋のFTAであるTPPの枠組みを使うことで、議会や労組に評判の悪いNAFTAと全く別物であるとしてTPPの交渉を推進し、ほとんど非公開で進めた交渉がまとまる今の段階になって、カナダとメキシコを招き入れた。議会や労組が今になって「TPPは拡大NAFTAだったのだ」と気づいても、すでにTPPの交渉が進み、反対しにくい状況になっている。TPPの13回目の交渉は、7月2日から米国のサンディエゴで行われる。 (Trans-Pacific Strategic Economic Partnership From Wikipedia

▼米国と欧州の権力構造の違い

 EUの場合、EUという新たな超国家の国家的機関を作り、権力をそこに統合していく動きで、EUは統合された大統領や行政府、軍、立法府を置くことを構想している。EUは、国家型の組織にこだわっている。対照的に米国では、ニューヨークの民間銀行団が連銀を作り、それが事実上の米国の中央銀行になってドルを発行し、連邦議会よりNY銀行界の方が米大統領に大きな影響力を持っていることに象徴されるように、権力構造が明示的でなく、裏表がある。大統領や議会や二大政党といった表向きの国家機構の背後に、金融界や財界が政界をしたがえる構図がある。欧州は、古くから王侯貴族の階級を頂点とする政治構造があるが、米国は王侯貴族がいないので金融界や財界が頂点に立っている。 (Backdoor Talks on Trans-Pacific Trade Deal Aim to Globalize Corporatocracy

 だから、EUは経済統合(FTA強化)によって超国家機関を作っているが、米国がNAFTAやTPPを通じて作る国際体制は、米国の金融界や財界が支配する構図になる。米大統領府は、金融界や財界に頼まれてTPPの交渉をやっているので、議会にTPPの議論の中身を教えなかった。NAFTAやTPP、米韓FTAなどは、参加各国が自国の行政システムを放棄して、米国の金融界や財界が米政府を通じて決める米国式の行政システムを受け入れねばならない側面がある。 (NAFTA on Steroids

 NAFTAやTPPは、米国の多国籍企業による国際支配であるが、これは以前に米国がやっていたWTOを通じた世界貿易体制の管理に比べると、規模が小さい。WTOが支配的だった時代は、米国が国連機関のWTOを通じて世界の貿易を支配していたが、今のNAFTAやTPPは、アジア太平洋地域に限定されている。欧州はWTO以前にEUだし、中国は日中韓FTAやASEAN+3によって、東アジア諸国との間で自由貿易圏を作ろうとしている。ロシアや南米、中東、アフリカにも、地域ごとの貿易圏作りの動きがある。米国がWTOからNAFTAやTPPに軸足を移したことは、米国が全世界を支配する世界覇権の体制を放棄し、アジア太平洋地域のみの地域覇権国に自らを縮小させる動きとも言える。世界には、米国が関与しない貿易圏がいくつも作られ、多極化している。

 このように書くと「それは戦前のブロック化と同じだ」と言う人がいるが、今の多極化と戦前のブロック化は全く異なる。今の世界では、米国と中国が政治的に対立しても、米中間の貿易は減るどころか増え続けている。米中は政治面で対立しても、経済面で協調している。米中は、双方の企業が儲けるために、協調せざるを得ない。対照的に、昔のブロック化は、英仏独日の各ブロック間の貿易を阻害する動きだった。

▼TPP不参加は対米従属の終わり?

 昨今の世界の多極化の流れと、米国がTPPを形成している動きを重ねると、米国が、世界的な覇権国から、アジア太平洋、南北米州の地域覇権国に縮小していることがうかがえる。これはオバマの安保面での「アジア重視」宣言からも言える。

 この場合、地理的な不確定が3点ある。BRICSにブラジルが含まれていることに象徴されるように、ブラジルを中心とする中南米が北米と異なる地域的まとまりになるのではなく、米国が南米も支配し続けるのかどうかということが一点。それから、ベトナムやシンガポールなどがTPPに入っているが、東南アジアは中国の影響圏でなく米国の影響圏に入るのかどうか、という点。三つ目が、日本はどこに入るのか、TPPで対米従属を続けるのか、TPPに入れず日中韓FTAやASEAN+3など中国主導の東アジアに入るのか、という点だ。 (China, TPP and Japan's Future in Asia

 中南米が独自の地域になるかどうかは、中南米自身が今後まとまりを強められるかどうかにかかっている。これまでに何度か中南米諸国の統合構想があったが、あまり成功していない。だが、中南米の人々のほとんどは米国の支配が嫌いだから、時間はかかるだろうが、いずれ独自の地域統合をしていくのでないか。 (◆中南米の自立

 東南アジアについては、米国が南シナ海の南沙群島問題に政治軍事介入しているのと同様、中国を怒らせるために、ベトナムなどをTPPに入れているのでないかと私は分析している。中国は、華人が多いASEANを自国の影響圏として見ている。そこに米国が入ってくるほど、中国は対抗し、東南アジアを中国の影響下に入れようとする動きを強めるだろう。米国は、資本の論理に基づいて世界の多極化を促進したいがゆえに、東南アジア諸国をTPPに入れているのだと思われる。そうではなく、東南アジアが今後も長期にわたって中国と米国の影響力がせめぎ合う地域になるかもしれないが、南沙群島問題に対する2年ほど前からの米政府の乱暴かつ突然の介入のしかたを見ると、過激にやって失敗させる「イラク式」に通じるものがあり、裏があると感じられる。 (◆中国包囲網の虚実

 日本については、官僚主導の日本政府が対米従属の国策維持のためにTPPに入ることを熱望しているが、米国は農業国のニュージーランドも動員し、日本の農業分野の開放が足りないので入れてやらないという態度だ。日本がTPPの交渉に参加するには、以前WTOドーハラウンドから言われて断った時よりも、さらに大きな度合いの農業分野の開放をしなければならない。米国は事実上、日本がTPPに入ることを拒否している。 (Japan to announce TPP intentions, conference told

 しかも日本の官僚機構内部にも、TPPへの参加に反対している勢力が多い。TPPに入ると、いくつもの分野で、日本の中央官庁がやってきた日本流の行政システムを放棄して、米国の大企業が米政府を通じて決めた米国式の行政システムを導入しなければならない。これは、官僚が日本国内に対して持っている権力を失い、日本が米国の直轄領になることを意味している。米国は戦後、日米貿易摩擦などで日本に「米国製品を買え」と圧力をかけてきたことはあるが、日本の官僚を失権させて米国の直接支配下に入れようとしたことはない。日本は、外交軍事や通貨金融の面で対米従属だが、その他の部門は官僚機構による自治が認められていた。TPPは、その自治を減らすものだ。外務省などは対米従属の維持のためにTPPに入るべきだと言うが、官僚機構の全体としてはTPPに賛成できず、だから野田首相もTPPに入りたいと口で言うだけで、それ以上の動きをしていない。 (Using the Trans-Pacific Partnership to Expand NAFTA and Strip National Sovereignty

 日本は、TPPに入らないと、日中韓FTAの方が主力になる。とはいえ中国は、東南アジアや韓国・北朝鮮について自国の影響圏内であると考えているが、日本は中国から見て歴史的に影響圏内でない。中国は、日本が対米従属を続けたいと言い、米国も日本を影響圏内に置き続ける姿勢を見せれば、それを容認するだろう。しかし、日本は対米従属を続けたいが、米国は日本をTPPに入れず、日本を中国の方に押しやっている。

 太平洋地域における支配的な勢力が今後、東の米国と西の中国の「G2」になっていく動きは確定しつつある。しかし、米国と中国の影響圏の境目がどこになるのか、日本がどちら側に入るのかは、まだ曖昧だ。日本と韓国も、一時は史上初の安全保障協定を結ぶはずだったが、韓国側の翻心で棚上げすることになった。流動的な事態がまだ続きそうだ。 (South Korea shelves disputed military pact with Japan



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