中国包囲網の虚実(3)2012年6月5日 田中 宇この記事は「中国包囲網の虚実(2)」などの続きです 英国政府系の国際戦略研究所が主催し、シンガポールのシャングリラホテルにアジア太平洋の28カ国の安保責任者らが集まって毎年開催される「アジア安全保障会議」(シャングリラ・ダイアローグ)が、6月1-3日に開かれた。米国から参加したパネッタ国防長官は、オバマ政権の「アジア重視策」の一環として、米海軍の世界的な配分比率を、従来の太平洋50%・大西洋50%から、2020年までに太平洋60%・大西洋40%に変えると表明した。 (US to move the majority of its naval fleet to Asia) 米軍は同時に、ベトナムやフィリピンとの軍事関係を強化する予定で、パネッタはシャングリラ会議に出た後、ベトナムに飛び、南シナ海に面した港として最も優れているといわれるベトナム南部のカムラン湾を訪れた。同湾は、ベトナム戦争で米軍が使い、米軍撤退後はソ連(ロシア)が02年まで軍港として使っていた。ベトナム戦争後、初の米国防長官の訪問としてカムラン湾を訪れたパネッタは、米軍艦が再びカムラン湾に寄港することを許可するよう、越政府に求めた。 (Cam Ranh Bay Lures Panetta Seeking U.S. Return to Vietnam Port) ベトナムはフィリピンなどと並び、中国との間で南シナ海の南沙群島をめぐる領海紛争を抱えている。米国は一昨年から、ベトナムをけしかけ、南沙群島をめくる中国との対立を激化する「中国包囲網」の戦略を採ってきた。ベトナムは中国と緊密な経済関係を持っており、ベトナム政府は、いったん米国の扇動に乗って中国との敵対を強めたものの、その後は対立を緩和する方向に動いている。今回のパネッタの訪問は、米国がベトナムを再びけしかけて中国との対立を再燃させる動きに見える。米軍は、カムラン湾に固定した基地を持つのでなく、米軍艦が同湾に頻繁に寄港する状況を作り、中国を威嚇しようとしている。 (US plans to boost Pacific naval forces) (中国とASEAN諸国は02年、南沙問題の対立を棚上げするとともに、交渉は多国間でなく2国間で行うという、中国に有利な原則で合意している。棚上げする期間が長いほど、中国は台頭が進んで優位が増す構図になっており、今の時点で中国の方から南沙問題の対立を蒸し返す利点がない。対立の蒸し返しは、米国が企図したものと考えられる) (南シナ海で中国敵視を煽る米国) ASEAN諸国の中では、シンガポールが来年から4隻の米軍艦の寄港・駐留を受け入れることを決めている。シンガポール政府は、中国との関係を悪化させたくないので、米軍艦を受け入れるものの乗務員の米兵が宿泊する施設は作らず、軍艦の乗員は寄港時も艦内で寝泊まりすることになっている。フィリピンも、米軍の寄港や一時駐留を受け入れる態勢を新たに作っている。南沙群島問題でベトナムを扇動して中国と対立させたが長続きさせられなかった米当局は、次にフィリピンをけしかけ、南沙での中国との対峙状況を実現している。南沙の紛争海域では、中国とフィリピンの軍艦や漁船などが、すでに1カ月以上にらみ合いを続けている。 (China Criticized as Too `Assertive,' as US Expands Military in Asia-Pacific) (Philippines says US to protect it in South China Sea) 米政府は、ASEAN諸国をけしかけて南沙問題に介入する理由について、南沙群島の公海上が東アジアの重要な航路になっており、太平洋地域の大国として航路を守る必要があるためと説明しており、シャングリラ会議も、公海の自由航行の確保が主題の一つになっている。アジア太平洋諸国の軍事担当者どうしでこの話を議論すると、米国が率いるASEANや日韓豪が中国を批判する構図になる。そのため中国は、今回の会議に閣僚級以上の高官を一人も派遣しなかった。昨年の会議には、中国から梁光烈国防相が参加した。今年も、当初は梁国防相が参加するはずだったが、来なかった。 (Shangri-La Dialogue - Second Plenary Session - Protecting Maritime Freedoms) 米国の右派新聞ウォールストリート・ジャーナルは「中国は軍事台頭し、周辺諸国に脅威を抱かせているのだから、シャングリラ会議に積極参加し、周辺諸国の不信感をぬぐい去る必要があるのに、そうした信頼醸成の努力を怠っている」と批判する記事を出した。米国が、南沙問題に介入したり「アジア重視」を宣言して中国「包囲網」を強化する構図が続いている。 (Beijing Shrugs at Shangri-La) ▼金をかけず喧伝される包囲網 とはいえ、米国が本気で中国を包囲し続けるつもりなのかどうかについては、多くの疑問がある。米政府は、財政再建策として来年から10年間で約5千億ドルの支出を削減する必要があり、防衛費も削減傾向だ。対照的に、中国は過去13年間で防衛費が6倍になっている。パネッタとともにシャングリラ会議に出席し、演説した米国共和党のマケイン上院議員は、オバマ政権のアジア重視策を評価しつつも、重視策に必要な資金がどこから出るのか疑問で、逆に米国のアジアへの関与低下が起こりかねないと警告した。 (US plans to boost Pacific naval forces) 米軍が計画しているアジア重視策は、できるだけお金をかけない方法になっている。ベトナムやフィリピン、シンガポールなどへの米軍の寄港や駐留は、相手国にすでにある軍事施設を寸借して行うもので、新たな施設を作らず、お金を大して払わずに行える。米軍は、オーストラリア軍の基地に2500人の海兵隊を駐留させる計画だが、これは沖縄からの移動であり、米軍は日本政府から「グアム移転費」などの名目で巨額資金をもらい続けているので、それを流用できる。マケインら米上院議員は、米政府がグアム移転費の米国負担分を予算計上するのを阻止する決議をしている。日本だけが資金を出すことになりかねない。 (Senate committee again blocks funding for Marines' move off Okinawa) 米軍は、金をかけず、米国主導の中国包囲網が強化されている状況を喧伝している。米国と中国は経済的に密接な関係にあるので、米国が本気で軍事面の中国包囲網を強化するなら、包囲網の強化を喧伝せず、できるだけ隠れてASEAN諸国などと秘密協議を重ね、包囲網を強化すべきだが、実際にパネッタ国防長官やクリントン国務長官らがやってきたことは逆に、概念的な中国包囲網の強化をあえて明確に表明し続けて喧伝する、宣言先行の手法を採っている。実際の包囲網強化よりも、米国主導の中国包囲網が強化されているというイメージを、米中やアジアの人々が持つことの方が重視されている。AP通信は「パネッタは目立たないようにやっている」と報じたが、視点の歪曲が入っている感じがする。 (Pentagon tries not to make waves with 'Pacific Pivot' to Asia) 南沙群島問題は、国連の海洋法条約に基づく陸地から200海里の排他的経済水域や、12海里の領海をめぐる紛争だ。この紛争に首を突っ込むには、海洋法条約に加盟していることが前提になる。中国やASEAN諸国は海洋法条約に加盟している。ところが米国だけは、議会が批准を拒否し、同条約に加盟していない。南沙問題に関与している以上、米国は早く海洋法条約を批准する必要がある。パネッタ長官や、超党派の元国務長官らが、米議会に早期批准を求めているが、過激なタカ派傾向に流れやすい米上院は了承していない。 (Time to Join The Law of the Sea Treaty) 米国は、海洋法条約を批准しない一方で、中国沖の200海里内の海域に米軍艦を航行させ、中国が抗議しても無視している。もし中国が米西海岸沖の200海里内の水域に軍艦を入れたら、米国は激怒して撃破を試みるかもしれないが、米軍自身は平気で中国の200海里内に入る。米国は、南沙問題など他国どうしの対立に介入する大国としての公正な態度を欠いている。しかも米国は歴史的に、分が悪くなると地元の親米勢力を見捨てて尻をまくる傾向がある(南ベトナムやクルド人が見捨てられた)。ASEANの諸政府は、このような危うい姿勢の米国が、ASEANの味方をすると言って南沙問題に介入してくるのを見て、内心、ありがた迷惑だと思っているだろう。 (Philippines-China Standoff Could Lead to Open Conflict) 米国は、金をかけず、恒久基地を作らずいつでも撤退できる間借り方式で、大きく宣伝をしつつも、論争の前提となる海洋法条約を批准しないまま、東南アジアに対中「包囲網」を作っている。やり方がまっとうでなく、奇妙である。 ▼経済面で中国との協調が不可欠な米国 中国に対する、米国やアジアの親米諸国の言動を見ていると、本気で中国包囲網を形成するつもりがあるとは考えられない。たとえば、5月31日から6月3日まで、米国バージニア州で年次の「ビルダーバーグ会議」が開かれたが、そこには昨年と同様に中国から、傅瑩・外務次官と、北京大学の中国経済研究所の黄益平教授の2人が出席している。この件は、中国に対する米国の基本戦略が、敵対でなく協調であることを示唆している。 (Bilderberg 2012 Official Participant List) ビルダーバーグは、毎年欧米のどこかのホテルを借り切り、米国と欧州の著名な政治家、財界人、学者などを集め、今後の世界の運営について話し合う完全非公式の会議だ。50年以上の歴史があり、米欧の覇権運営の黒幕会議といわれ、米国のロックフェラー家やキッシンジャー、ネオコンの人々が会議を仕切っている。中国は昨年、初めて招待され、今年と同じ2人が出席した。今年も2人が出席したことは、ビルダーバーグの人々が世界の覇権運営に中国も参加させたいと考えていることを示している。この視点に立つと、中国包囲網は、米国が意図的に作っている幻影である。 (中国を招いたビルダーバーグ) また米政府の財務省は5月下旬、中国(人民銀行)に対し、米国債を直接に売る新制度を開始した。米財務省は従来、米国債を、米国の主要銀行に対してのみ売り、日銀など外国の中央銀行は、米国債を米国の銀行から買っていた。米財務省は今回、米国外で最大の米国債保有者である中国人民銀行に対し、例外的な特別扱いとして、米国債の直接販売を開始した。これは、米政府が、今後も米国債を中国に買ってほしいと考えている証拠だ。米国が中国を敵と考えているなら、中国が米国債を一気に売り放って暴落させる「金融兵器」の発動をおそれ、むしろ米国債を売らないはずだ。この件からも、米国が中国を敵視していないことが感じられる。 (U.S. lets China bypass Wall Street for Treasury orders) 日韓など東アジアの米国の同盟国も、米国の対中「包囲網」を歓迎する素振りを見せつつ、裏で静かに中国との協調関係を強めている。日韓と中国は、今年初めから日中韓FTAの交渉を進めている。日本のマスコミでは、日本が米国と組み、中国を外してFTAを作るTPPの方が喧伝されているが、米国のマスコミでは、日本が米国とのTPPよりも中韓とのFTAの方を重視していると報じている。 (Japan's Leader Turns Trade Focus to China, South Korea) WSJ紙は、野田政権が米国の言うとおりに市場開放せず、TPPに対してやる気がないので失望した、と日本叩きを展開している。日本にとって最大の貿易相手国は、すでに米国から中国に交代している。日本が中国を軽視して米国との自由貿易を重視しているイメージをいまだに堅持しているのは、世界の中でも、日本語のマスコミのみを見ている日本人自身だけかもしれない。 (Japan's Third Opening, Closed) (TPPより日中韓FTA) 今秋の大統領選まで、オバマは選挙戦略として中国を敵視する姿勢をとるだろうが、秋に再選を果たしたら、オバマは中国にもTPPに参加してもらう戦略に転換するかもしれない。 (Mitt Romney: The Foreign Policy of Know-Nothingism) オバマは「製造業の復活(金融業から製造業への戻り)」を米経済の構造改革の目標にしているが、いま米国で復活している製造業の多くは、中国が組み立てている製品の部品など下請け製造や、組み立て作業の一部を中国から米国に移管するものだ。米中間の経済関係が悪化したら、オバマは製造業復活という目標を達成できなくなる。 (China slowdown threatens US factory revival) 日本では5月に、石原東京都知事らが、尖閣諸島を公金で買い上げて公有地にする構想を発表するなど、尖閣問題で日中の対立が続いている。だがその裏で、日中は5月中旬、中国の杭州に外務、防衛、海洋の担当者たちが集まり、尖閣紛争など海洋をめぐる諸問題について話し合っている。 (China and Japan discuss disputed island chain) 石原の尖閣公有地化構想については、本来中国を敵視して日本の味方をすべき右派の新聞であるWSJが、尖閣に対する日本の主張が間違っているとする台湾の中国人学者の論文を掲載する対日敵対行動をとっている。WSJは、米国の右派の「人権重視」の姿勢を口実に、日本の「従軍慰安婦問題」に関して韓国の肩を持ったりもして、WSJと親しいネオコンと同様、隠れ多極主義的なので要注意だ。 (Japan's Dubious Claim to the Diaoyus) 日本と中国は今年に入り、米ドルを仲介させず円と元を直接取引する為替制度を新設し、日中間の国債の持ち合いを拡大するなど、金融財政面でも接近している。中国だけでなく日本も、きたるべきドルの基軸性喪失に静かに備えている感じがする。 (China-Japan currency deal ushers in a new era) 5月上旬には、韓国の防衛相が訪日し、北朝鮮という共通の脅威に対する諜報の共有や、有事の際の施設利用などに関し、史上初めての日韓軍事協定を締結することを決めた。日本と韓国は従来、米国との安保関係を最重視するため、日韓の防衛協定を意図的に作らず、日米、米韓という米国との2国間関係だけが存在する米国中心の「ハブ&スポーク体制」を維持してきた。それが今回、小規模ながら日韓が直接に軍事協定を結んだことは、米国の覇権衰退とその後のアジア独自安保体制への移行を準備する動きとして画期的だ。これは中国と敵対する動きでなく、その逆だ。米国の後ろ盾が減じたら、日韓は中国と協調せざるを得ない。 (S.Korea, Japan to Sign Military Agreement) 米海軍の太平洋と大西洋の比率を5:5から6:4にする話も、今後EUがユーロ危機を乗り越え、欧州防衛統合を進めてEUがNATOと別の安保組織に発展していくのなら、米国の新戦略というより、自然な流れでしかない。今後、大西洋の防衛を、欧州軍と米軍で分け、従来のように米軍が圧倒的に大きな力であり続ける必要がなくなれば、米国は全体としての防衛費を削減しつつ、大西洋の兵力を大きく減らし、太平洋の方は少し減らすことで、太平洋と大西洋の比率は自然に6:4になる。 米国や日韓、ASEANなどの動きを全体として見ると、中国包囲網を強化する方向でない。むしろ中国が、世界の運営に参加する大国の一つになることを容認する流れだ。そういった全体の流れの中で、今回のパネッタ国防長官の言動など、中国敵視策を強化するためと報じられる米政府の動きは、芝居がかった動きに見える。長くなったので、この続きは次回に回すことにする。 【続く】 ●これまでの関連記事 田中宇の国際ニュース解説・メインページへ |