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QEするほどデフレと不況になる

2015年2月4日   田中 宇

 1月25日にEUの欧州中央銀行(ECB)が、ユーロを増刷して国債を買うQE(量的緩和策)を拡大した。これにより、米国がQEをこれ以上やれなくなって中断する代わりに日本とEUにQEをやらせる新体制への移行が完成した(以前書いたように、ドイツが反対したのでEUのQEは不完全なものだが)。この新体制になったとたん、QEによって金利が下がる日米欧への投資を避けた資金が、それ以外の諸国の債券などに流入する動きが強まり、日米欧以外の諸通貨に大きな圧力がかかった。 (◆ユーロもQEで自滅への道?

 為替の上昇を防ぐため、デンマークやシンガポール、インド、トルコ、カナダ、オーストラリアなどの中央銀行が相次いで自国の通貨の魅力を減じようと金利を引き下げた。スイスなど、ユーロ圏のQE開始前に利下げした国を含めると、今年に入って世界の14カ国が利下げを行った。ユーロ圏を一つの国でなく19カ国と数えれば、今年に入っての1カ月間に利下げした国は32カ国になる(逆に今年利上げした国は5カ国)。 (2015 Currency Wars Year-To-Date Summary: 13 Rate Cuts, 5 Rate Hikes) (Australia cuts rates to record low

 EUのQE拡大決定の直前、スイスは通貨フランの大幅上昇を予測して為替介入を放棄し、同時に利下げ(マイナス金利の拡大)をして資金流入による為替高騰を防ごうとしたが不十分で、フランは1日に3割も上昇した。EUのQE開始後、スイスと似て欧州圏で独自通貨を持つデンマークに資金が流入して通貨クローネが急騰することが予測された。デンマーク中銀は、クローネの為替をユーロにペッグ(固定相場状態)しており、急騰をふせぐため巨額の市場介入が必要になる。スイスはそれがいやでペッグを廃止して為替急騰にみまわれた。スイスの先例を見ているデンマーク政府は、利下げだけでは不十分と考え、国債発行を無期限に中止する策を発表した。 (Denmark Launches "Back-Door QE", Halts Treasury Issuance: Why DKKEUR Could Be The "Trade Of 2015"

 デンマークやスイスに資金が流入するのは、EUのQEによってユーロ圏諸国の国債が買い支えられて国債金利が下がり(つまり国債の価値が上昇し)その分だけデンマークなどの国債に対する魅力(安値感)が増すからだ。デンマーク政府は国債発行を止め、国債の需給を逼迫させて国債金利の急低下(価格高騰)を招き、自国の国債の安値感を打ち消して投機資金の流入を防ぎ、為替相場を維持した。デンマークは財政が黒字なので国債発行を止めても問題が少ない。こうした奇策が採られるのはまれだ。 (◆スイスフランの転換

 米連銀が昨秋まで6年間QEを続けたのは、08年のリーマン危機以来、凍結状態が続き、部分的にしか蘇生していない米国中心の国際的な債券金融システムを、資金供給による利回り低下によって延命させるためだった。QEは当初2年以内に終わるはずだったが、QEは米金融界に救済的な大儲けをもたらし、金あまり現象によって株価も上昇し、あたかも景気が回復しているかのような状態を演出できるため、米当局は「QE中毒」となり、連銀が持続不能な財務悪化状態になるまで続けられた。米連銀は、自己の勘定が肥大化してQEをやめざるを得なくなった後、日欧にQEをやらせ、その他の国々も利下げをせざるを得ない状態にもっていった。世界的に金利が下がる状態を作り、米国の債券金融システムが金利高騰によって破綻するのを防ぐのが目的だ。 ("We Can't Do This Forever," Fed Admits "Market Will Overwhelm Us"

 長期国債の金利は日欧がほぼゼロなのに対し、米国は1%台半ば(10年もの)だ。安値感がある米国債が買われ、ドル高の傾向になっている。日欧がQEをしなかったら、昨秋に米連銀がQEをやめた後、10年もの米国債金利は危険水域の3%を大きく超え、ジャンク債の利回りもつられて高騰し、金融危機が再燃していたかもしれない。米国は世界の金利を引き下げて、自国の覇権を守っている。日欧は、米国覇権を守ってやるためにQEをやっている。 (The perils of a strong US dollar

 QEは、悪い副作用をいくつももたらしている。日米欧の当局は、QEが「デフレ対策」「景気対策」の効果があると発表してきた。だが実態は逆で、QEをやるほどデフレがひどくなり、景気も悪くなる。 (Who Doubts Yellen's Policies? Summers for One

 経済成長の度合い(GDP成長率)を超えて通貨を大量発行するとインフレ率(物価)が上昇するのが、従来の経済の常識だった。それは、中央銀行が増刷した通貨が銀行に回り、銀行が融資によって企業や個人に資金を供給し、企業や個人の消費が増え、商品の供給量が変わらない中で需要量が増すので価格が上がるからだ。しかしQEは、金融機関が運用のために買った債券類の赤字を補填して救済することが目的なので、中央銀行が増刷した資金は銀行で止まり、そこから企業や個人に融資が回っていかない。中小企業に対する貸し渋りは、米国でも日本でもひどいままだ。QEは中小企業や個人の消費増につながらないので、中央銀行が通貨を過剰発行してもインフレにならない。 (What the coexistence of QE and deflation reveals about the Western financial system

 QEは表向き「デフレ対策」として行われ、米国でも日本でも、インフレを2%にするのが目標だ。もし米連銀や日銀が、中小企業に対する銀行の貸し渋りを是正するよう強く行政指導したり、当局が国民に直接ゼロ金利で大盤振る舞いで融資する新制度を作ったりしたら、必ず消費が増加してインフレになる。しかし、デフレ対策という目標は表向きの看板だけだ。デフレ対策と称してQEをやりつつ、銀行から中小企業や個人に資金が回らないようにして、銀行で資金が止まるように仕向けているのがQEの実態だ。この方法なら、QEをいくらやっても永久にインフレにならないので、目標未達成ということでずっとQEを続けられ、米国の債券金融システムの崩壊をずっと防ぐことができる。 (Singapore Dollar Is Weakest Since 2010

 昨年来、世界の大半の国々がQEや金融緩和を加速し、各国通貨が引き下げられている。輸出国の通貨が引き下げられるほど、輸出された商品の価格が実質的に下がる。これが世界的な商品の値下がりにつながり、世界的なデフレ傾向になっている。QEはデフレを助長している。原油だけでなく、金属類や農産物、食肉など、商品(コモディティ)の全般的な国際価格が下がる傾向になっている。原油安はサウジアラビアの謀略としての政治要素が強いが、それ以外のコモディティの価格下落は、QEによる為替安や金利安の影響が大きい。QEをするほどデフレが増す構図だ。 (Goldman cuts outlook for whole commodity sector) (原油安で勃発した金融世界大戦

 QEによって銀行の調達金利が低下しても、同時にリスクを金利として表すリスクプレミアム(高リスクの融資と、低リスクの融資の間の金利差)も縮小する。銀行は、高リスクな取引先に融資するほど実質的に利得が減り、いずれリスクプレミアムの率が変動した場合の損失が大きくなる。融資のリスクが比較的高い中小企業や低所得の個人に融資したがらない「貸し渋り」の傾向が増す。QEは、銀行の貸し渋りを助長し、中央銀行から民間銀行に流れる資金をいくら増やしても、銀行から中小企業や個人に資金が行き届かず、実体経済が改善されない。 (Rates Don't Matter - Liquidity Matters

 この状態で、中央銀行が金利を引き上げると、それがリスクプレミアムの拡大の引き金を引き、高リスクな先への融資やジャンク債の金利が高騰し、リーマン危機と同じ構図の金融危機が再発する(すでに米国の石油ガス産業では原油安でリスクプレミアムが拡大している)。米連銀は、今年後半に利上げを開始すると示唆し続けているが、実際に利上げすることはたぶん不可能だ。米連銀は、利上げすると言い続けることで、投資家が利上げするなら米国の債券を買おうと考えるように仕向け、債券の目先の魅力をつり上げる効果を狙っているだけだろう。 (High-Yield Credit Crash Accelerates

 QEで作られた巨額資金は金融界に行き渡り、投資家や銀行家の資産を増加させたが、一般市民の家計には金が行かない。QEは貧富格差を拡大している。加えて、90年代後半から始まったIT化による産業の効率化(人員削減)の効果が近年になってしだいに出てきて、構造的に雇用が拡大しにくくなっている。1月のダボス会議では、出席した世界の大企業経営者の多くが、コンピューターやネットワーク、ロボットなどITによる効率化で、今後さらに雇用が増えにくくなると考えていることが明らかになった。中産階級や貧困層はどんどん貧しくなっている。米国民の47%は、給料の全額を生活費と借金返済に回さざるを得ず、貯金がゼロだ。 (The changing face of employment Gillian Tett) (47 Percent Of Americans Spend All Of Their Salary On Expenses

 国民の大多数を占める中産階級以下の所得が増えないので、米国でも日本でも消費が伸び悩んでいる。経済「専門家」たちは昨年末、原油安で景気回復間違いなしと豪語していた。確かにガソリンは安くなったが、人々はその分の節約を貯金に回し、消費を増やしていない。日米とも、GDPの3分の2が国民の消費なので、消費が増えないと景気は回復しない。 (US consumer spending weakest since 2009) (Factory orders fall more than expected in December

 銀行からの融資しか資金調達の手段がない中小企業にも資金が行かない。対照的に大企業は、銀行に頼らず債券を発行して資金調達できる。債券の利回りがQEによって大きく下がったので、大企業の資金調達コストは下がっている。しかし、その資金を本業の事業で使い切る企業は少ない。資金の大きな使途は自社株買いだ。それが株価を押し上げている。自社株を報酬としてもらっている経営陣はお手盛りで大儲けしている。 (Stock Buybacks Account For About 20% Of Yesterday's Buying: Goldman

 景気が好転し雇用拡大(賃金上昇)するとインフレになる。当局が本気で景気好転やインフレを容認すると、債券の金利がインフレ分だけ上昇し、金利高が債券金融バブル再崩壊の引き金を引きかねない。だから、当局は表向きの発表と裏腹に、インフレや景気好転を起こしたくない。米政府は税制を改訂し、企業が正社員でなくパートタイム従業員を雇うように仕向けている。米国では失業が減ったことになっているが、これは正社員を解雇して、それより多い人数のパートを雇ったからだ。長期の失業者が増えているが、米政府の統計では長期の失業者を「失業者」の枠から外して統計をとっている。米国は雇用が拡大しているかのように見せているが、実のところ雇用はむしろ縮小し、前代未聞の就職難が続いている。最近では、世論調査会社ギャロップの会長(Jim Clifton)ですら、米政府が発表している5・6%という失業率は大きなウソだと指摘している。 (Gallup CEO: "America's 5.6% Unempoyment Is One Big Lie"

 QEは実体経済を改善せず、中産階級以下の人々を貧しくする半面、株価を上昇させ、株を持っているお金持ちをいっそう豊かにしている。こうした構図は、最近までほとんど知られていなかった。今後、貧困に突き落とされた人々がこの構図に気づく傾向が続くと、いずれ米国などで暴動が起きるかもしれない。ギリシャでは人々の不満が政権交代として具現化し、スペインにも政権交代が飛び火しそうだ。米国の大金持ちの投機筋の中には、米国で暴動が起きたらニュージーランドなどに逃げる計画を立て、米国で逃亡用の滑走路を買うとともにNZなどの屋敷を購入する動きがあるという。 (GLOBAL ELITE IN PANIC MODE) (Protest vote pushes Podemos to top of poll

 QEの策略の中では銀行も安泰でない。ユーロ圏のQE拡大によって欧州の銀行は経営が楽になると思いきや、米国の格付け機関S&Pが、クレディスイス、バークレイズ、HSBCなど欧州の銀行群の格付けを引き下げた。EUは、これまで銀行が破綻に瀕したら政府が預金者を保護しつつ公的資金で銀行を救済する「ベイルアウト」の仕組みだったが、公金を使わず、預金を(大口)預金者に返済せずに銀行を清算する「ベイルイン」の仕組みに移行しつつあるので、銀行のリスクが増し、格下げしたという。 (S&P Downgrades Numerous European Banks, Warns Deutsche Bank May Be Next) (Big banks face $500bn "bail in" bonds bill - S&P

 ベイルインへの世界的な転換は、すでに昨年のG20で決まっていた。今のタイミングでS&Pが欧州の銀行を格下げしたのは、欧州の銀行界を「QE漬け」にして、欧州をQEから逃れられないようにする「ドル延命策」の一つと感じられる。格下げされると調達金利が高くなる。格下げされる中で調達金利を低めにしておくには、EU当局にQEを続けてもらうしかない。金融界からEUの政界に対し、QEをやめないでくれという圧力が強まり、EUがQE中毒から脱せなくなる可能性が増す。日欧がQE中毒に陥っている限り、米国債やドルは安泰というわけだ。

 基軸通貨としてのドルと米国債(債券全般)にとって、最大の敵は金地金だ。一般に、インフレがひどくなるほど金地金や不動産が資産として優勢になる半面、デフレがひどくなるほど債券や現金が優勢になる。デフレ対策のふりをしつつデフレをひどくするQEが強化されるほど、ドルや債券の敵である金地金に対する価格抑止効果が強まる。米連銀のグリーンスパン元議長は昨年末、金地金の高騰を予測し、その後金相場が上がったが、EUのQE拡大と同時にもみ合う状態に戻っている。 (16% Of Global Government Bonds Now Have A Negative Yield: Here Is Who's Buying It) (陰謀論者になったグリーンスパン

 日欧がQEを拡大しなかったら、金相場はもっと高騰していた可能性がある。QEは、金地金高騰からドルと債券が崩壊していく流れをも抑止している。とはいえ、中露など新興諸国の政府は金地金をどんどん買い増しており、金地金と紙の資産(債券やドル)との戦いは今後も続くと予想される。 (Russia increases Gold purchases by 123%



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