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陰謀論者になったグリーンスパン

2014年11月1日   田中 宇

 アラン・グリーンスパンは、債券金融システムの膨張による金融覇権体制の開始であるプラザ合意(85年)の後の1987年から、その体制の崩壊が始まったリーマンショック(08年)の前の2006年まで、約30年にわたって米連銀の議長だった。金融界のマエストロ(監督・巨匠・大作家)と呼ばれる彼は、米国(米英)が金融膨張によって金融主導で覇権を維持した30年間、米国の金融政策の総本山である連銀のトップをずっとつとめ、米国経済の黄金時代を演出した。 (Alan Greenspan From Wikipedia

 その彼が、連銀がQE3(ドル大量発行によるバブル膨張で米経済を延命する策)の終了を決めた10月29日に、米国の外交戦略を論じる奥の院であるニューヨークの外交問題評議会(CFR)で講話し、QE3は失敗だったと宣言した。グリーンスパンはQE3について、長期金利を引き下げ、株や債券の相場を引き上げ、金融で儲けで資産を増やした人ばかりである大金持ちをさらに富ます(貧富格差を拡げる)策として大成功だったが、実体経済の需要増という(最重要な)目標に関して失敗し、後始末はひどい事態になると述べた。 (Former Fed Chief Greenspan Worried About Future of Monetary Policy) (Alan Greenspan: QE Failed To Help The Economy, The Unwind Will Be Painful, "Buy Gold"

 その上で彼は、米連銀の資産はQEの結果、バブル崩壊が起きた場合に価値が急落(金利が急騰)して超インフレの引き金を引きかねない債券が急増し、いずれ連銀が超インフレを引き起こす結果になりかねないという趣旨の警告を発した。そしてグリーンスパンは、昨今買うといい資産はインフレに強いとされる金地金であり、金地金は5年以内に値上がりすると述べた。 (Fed Ends QE? Greenspan Says Gold "Measurably" "Higher" In 5 Years

 金融の「専門家」のほとんどは「QEは実体経済(米国の景気)を良くしている」「株高は米景気回復の自然な帰結だ(QEが株高を引き起こしているのではない)」「超インフレが起こるなどと言っている奴は素人だ」「金地金は下がる。良くない投資先だ」と言っている。そのように言うのが「立派な専門家」だ。QEが株高を粉飾的に引き起こしているとか、米国の実体経済は改善していないとか、いずれ超インフレが起きるとか、債券バブルが崩壊して金地金が高騰するとか言っている人は、私自身を含めて「頭のおかしな陰謀論者」のレッテルを貼られる。しかし今回、専門家のさらに上位に立つシステム創造者のグリーンスパン自らが、頭のおかしな陰謀論者と同じことを言い出した。これは非常に興味深い。

 グリーンスパンは今回、これまでで最も明確なかたちで「陰謀論者」の側に立ったが、彼は以前から折に触れて、今回ほど明確でないが、そちら側に立つ発言をするときがあった。2000年のIT株バブルの前の96年には、株価が高すぎることを示唆する発言をしている。2010年には、金融システムが崩壊する際に長期国債の金利が高騰するので、米国債金利は「炭鉱のカナリア」であり、自分は10年もの米国債の金利を毎日気にしていると述べ、いずれ米金融システムの崩壊があり得ることを示唆した。 (Irrational exuberance From Wikipedia) (Greenspan Calls Treasury Yields ‘Canary in the Mine') (危うくなる米国債

 米国にとって1985年のプラザ合意は、71年のニクソンショック(金ドル交換停止)やベトナム戦争の敗北によって弱体化した米国の覇権を立て直し、日独を含めたG7によるドルの買い支え(市場介入)や債券金融システムの拡大によって経済主導の覇権体制に転換する始まりだった。米国の経済覇権体制は、08年のリーマン危機で債券金融システムの崩壊が始まるまで続いていた。現在を含む、その後の期間は、米国の経済覇権体制が崩壊して今後の多極型の覇権に転換していく時期である。

(私はリーマン危機の直後に「世界がドルを棄てた日」という本を書いたが、あの本の題名は「世界がドルを棄てるプロセスに入った日」にすべきだった。私は、覇権転換のプロセスが長期化することを予測していなかった。リーマン危機が覇権の歴史的転換点だったことについては、今もその歴史認識で良いと思っている)

 プラザ合意からリーマン倒産までの33年間のうちの29年間、連銀議長だったグリーンスパンは、米国の金融覇権のシステム(33年のバブル膨張システム)を作って動かした人だ。作曲家やオーケストラの指揮者に与えられる、システムを創造・運営する人の称号である「マエストロ」が彼に贈られているのはそのためだ。その点が、彼と、ふつうの金融専門家の違いだ。「裸の王様」の物語にたとえると、グリスパは、王様がすばらしい洋服を着ていると皆が絶賛せねばならない(バブルな)システムを作って運営した人であるのに対し、ふつうの専門家は、裸の王様の洋服を絶賛する(給料や世間体のために付和雷同する)人々である。そして頭のおかしい陰謀論者は、王様は裸だと叫んでしまう周縁的な人だ。王様が裸であることをマエストロが示唆し始める時は、裸の王様のウソのシステムが不可逆的に崩れ始めている時であり、示唆は、崩壊に対してマエストロ自身が警告を発しているととらえるべきだろう。

 リーマン危機後、金融バブルの源泉である「影の銀行システム(債券金融システム)」を縮小すべきだという意見が米政府内などで強まった。しかし、バブル膨張策であるQEのせいで、影の銀行システムの総規模は昨年1年間で5兆ドル増えて75兆ドル(世界のGDP総額より2割大きい)になったと報じられている。グリスパが指摘したとおり、今後のバブル崩壊の悪影響はリーマン危機をしのぐものになる。 (Shadow Banking Assets Increase By $5 Trillion To Record $75 Trillion, 120% Of Global GDP) (世界の運命を握る「影の銀行システム」

 グリスパは06年に連銀議長を辞めた時点で、金融覇権崩壊の時期が近づいていると感じ、金融覇権の運営という自分の任務の終わりを察して辞めたのだろう。彼にしてみれば、リーマン危機以降の事態はつけたしのようなものだ。自分が作った金融覇権が、いったん不可逆的に崩壊したものの、QEなどで延命している。この延命が今後何年続くか、グリスパが自信ある予測を持っているかどうかわからない。今回彼は、金地金の相場が今後の5年でそこそこ(measurably)上がるだろうと述べた。米国債金利が上がり出すまで、あと1−3年というところか。

 金融家のグリスパより一つ前の時代に米国覇権のマエストロをしていたのは、外交官のキッシンジャーだ。彼は72年のニクソン訪中を演出し、冷戦終結や多極化の先鞭をつけた。グリスパとキッシンジャーに共通しているのは、米国覇権がいずれ衰退していくことを時々、他人事のように示唆する(うそぶく)ことだ。2人とも覇権システムの作者として、かなりのことを知っているはずだ。うそぶきは、策略として発せられるのでなく、人間性の発露(守秘義務を踏まえた上での世の中に対する親切心)なのかもしれない。

 王様の新しい衣装をめぐるウソのシステムが崩壊し始める時、システムを構築したマエストロは、王様が裸であることを示唆する。しかし周囲の人々は、突然気まぐれに何を言い出すんだ、と内心驚きつつ平然と無視する。グリスパが、QEの失敗、ウソの景気回復、インフレ懸念、いずれ起きる金地金高騰について語った時、その直後に起きたことは、株と債券の急落や金相場の上昇でなく、その正反対の、株の最高値更新と金相場の下落だった。マエストロの発言は、陰謀論者の発言と同様に無視され、相変わらずの粉飾相場が続いている。 (QE Ends in the US… And Won't Begin in the EU… The Markets Continue To Operate Based On Complete Delusions

 QEが始まる前、金融の投資は、株や債券、金地金や石油などコモディティ、不動産などの分野に分散して行うのがリスク回避として有効だった。しかしQEは、その中の多くの分野の相場を引き上げた。株も債券も不動産も高騰した。その反動として、QEが終わった後、株も債券も不動産も下がりそうだという予測になっている、分散投資がリスク回避として有効でない新事態が生まれている。今のところどの相場も維持されているが、いずれ急落する場合、全分野が急落する全崩壊が起きると予測されている(グリスパによると金だけは上がる)。 (Fed Exit Could Spark Slump in All Markets, ATP CEO Says

 全崩壊しそうだが、まだしていない不安定な現状を、精神を病みかけている人にたとえて「QEちゃん」にふられた「市場君」からの手紙の形式で書いてある示唆的な記事も出ている。 (QE's break-up with markets: no regrets?

 グリーンスパンも示唆するとおり、QEの副作用の一つは、投資やストックオプションなどで儲けている大金持ちをますます富ませ、給与所得者である中産階級や貧困層はさらに貧しくなって貧富格差が拡大することだ。リーマン危機以来、世界の億万長者(ビリオネラ)の総数が倍増して1646人になった。世界で最も裕福な85人の資産合計は、人類の貧しい方の半分の人々の資産総額と同じである。QEは人類に何も良いことをもたらしていない。 (Number of global billionaires has doubled since the financial crisis

 金持ちをますます富ませる一因は、米企業の「自社株買い」だ。銀行から借り入れたり社債を発行して作った資金を本業に投資せず自社株を買うことが、株高を演出する一つの方法だ。自社株買いは本来、自社株が下がって安値感が出ているときにやるべき策だが、近年の自社株買いのほとんどは株価が急騰している時に行われている。その理由は、株価が急騰している時に、企業の幹部がストックオプションを行使して自社株を売って現金に替えて大儲けしており、この会社幹部の自社株売りによる株価の下落を防止するために、自社株買いが行われているからだ。自社株買いは、企業の幹部自身が大金持ちになるための自社株売りの後始末として行われている。幹部は自分が儲けるために、自社に自社株を高値買いさせている。これは背任行為であるが、自社株買いで株価が上がるので株主も怒らない。 (Get Ready for the Buyback Hangover) (4 reasons to worry about share buybacks

 グリーンスパンがQE終了後の金融崩壊の懸念を表明し、放っておけば、その余波で株や債券が下落したかもしれない。しかし、裸の王様の周りにいた家臣が黙っていなかった。マエストロが王様が裸であることを暴露すると、一瞬、周りの家臣や人々は沈黙、動揺し、王様自身も当惑して急に手で前を隠したりした。しかし、その場に動揺が広がりそうになった次の瞬間、家臣のひとりが大きな声で王様の新しい服装の素晴らしさを絶賛する言葉を発する。すると、皆がはっと我に返り、これまでの絶賛モードに戻り、口々に王様の装束を賞賛した。声を挙げた家臣の名は「クロダ」である。彼の言動については、改めて書く。



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