上海ビジネスの世界をかいま見る2005年2月1日 田中 宇東京の拙宅の近くの武蔵小山には、かつて「東洋一」といわれた長いアーケード商店街がある。有名な場所らしく、週末には大混雑なのだが、商店の多くは昔の名声にあぐらをかいているのか経営努力が感じられず、面白くない。そのためか、武蔵小山にはコーヒーチェーン店のスターバックスがない(ドトールはある)。 武蔵小山から東急目黒線で2駅乗るとJR山手線の目黒駅だが、そこも地味なさびれた感じの町で、隣駅の恵比寿が流行の先端を行く印象を持たれる町なのと対照的である。目黒駅は、しばらく前に再開発が一段落しておしゃれになり、スターバックスができた。 スターバックスは1996年に日本に上陸し、銀座に店をオープンしたときから、おしゃれな町にしか店を開かず、ブランドイメージに合わない街区には、要望があっても出店しない方針を採っていると聞いている。「スターバックスがある街角はおしゃれ」という感覚を定着させることで、宣伝をしなくても、客も入り、企業イメージも高められるという戦略である。 ▼物議をかもして投資を集める スターバックスは、隣国の中国では、この路線をもっと突き進んでいる。1999年に北京で1号店を開き、今では北京と上海に40数店舗ずつ、香港を含む中国全体で約150店を持っているが、その中には北京の天安門近くの紫禁城内(故宮店)も入っている。(関連記事) 故宮店が2000年にオープンしたとき、北京の新聞など世論の場では「中国のアイデンティティとも言うべき重要な歴史資産の中に、欧米文明の象徴のようなカフェを作らせて良いのか」といった反発が多く出された。だが、物議をかもした結果、スターバックスは中国の人々の間で知名度が高まった。上海の歴史的な地区である豫園の真ん中にも出店している。(関連記事) カフェ業界に詳しい中国人によると、紫禁城や豫園といった場所は、テナントの賃料が非常に高い。故宮博物館は5時で閉まってしまうため営業時間も普通の商店街のテナントよりも短く、店の収入は多くない。それでも紫禁城や豫園にオープンする理由の一つは、外国からの投資資金が集めやすくなるからだという。 スターバックスに限らず、中国で展開する小売業には、欧米のほか、台湾や香港からの資本が多く入っている。台湾や香港では、小金を貯めた中小企業の社長などが、中国での投資先を探し続けている。紫禁城や豫園の目立つ場所に店を出すことで、そうした社長さんたちに存在を印象づけ「投資しよか」という気にさせることができるのだという。 中国でのチェーン展開は急ピッチなので、資本が大量に必要だ。日々の売り上げは少なくても、目立つ場所に出店したりして、投資家を一目で納得させられることが必要になっている。(故宮店は座席のほとんどない非常に小さな店で、儲けより出店すること自体に意味があったという説明は納得できる)(関連記事) 日本でいうと、少し前に野球チームを買う買わないで大騒動になったライブドアと楽天のやり方に似ている。物議をかもしても有名になれば、株式投資家や金貸しの銀行から、職探しの大学生にまで注目され、資金も人材も質の良いのが集まるようになる。日本でも従来型の企業はリスクを恐れて敬遠するが、中国の企業や日本の若者企業は、広告を打つのに比べて安いし効果もある物議をかもす戦略に魅力を感じるのだろう。 最近、中国のパソコンメーカーである聯想集団がIBMのパソコン部門を買収してニュースになったが、これも世界からの資金集めには絶大な効果がありそうだ。 ▼スターバックスの隣に出店する「2番手作戦」 スターバックスが上海で展開している41店舗の中に、浦東の黄浦江の川べりの遊歩道に面した店(浜江店)がある。 上海は、揚子江の支流である黄浦江の河畔にある町で、これまでの市街地は川の西側にあり、川縁が戦前の租界時代のモダンなビルが立ち並ぶ「外灘」(バンド)だ。スターバックスの浜江店がある川の東側は、前回の記事で「宇宙的」なポストモダンのビルが林立する開発途上の新市街である浦東だ。(関連記事) 夜、そぞろ歩きの市民が行き交う外灘の川縁の遊歩道を歩くと、はるかな対岸の浦東のビル群の前にある川岸の遊歩道に面して、スターバックスの店舗の看板がライトアップされているのが小さく見える。上海を代表する夜景の中に、店のロゴを浮かび上がらせる戦略である。 このスターバックスの看板の隣りに、もう一つ「ラバッツァ(Lavazza)」という看板の店が出ている。ラバッツァというのはイタリアのコーヒーチェーン店で、エスプレッソを得意とし、東京にも汐留や原宿に店がある。ラバッツァは最近、中国に進出し、浦東の川べりのスターバックスの隣りに1号店を出した。(関連記事) 私は昨年末に上海を訪れたとき、ラバッツァの店舗展開を進める総代理店の社長さんに会う機会があったことから、この分野に関心を持ったが、興味深いのは、ラバッツァが中国での1号店をスターバックスの隣りに持ってきたこともまた、目立つことによって話題を作り、資本を集める戦略だったらしいということである。 私は上海に行くまでラバッツァを知らなかったが、私と同様に欧州以外の人々の多くはラバッツァを知らないだろう。だが、上海の浦東でスターバックスと張り合っているという構図を作ることで、コーヒーを飲みに来るお客さんに対しても、投資家に対しても、スターバックス以外の選択肢もあると理解してもらえる。ラバッツァは間もなく上海に2号店を出し、その後は上海から1時間ほどの浙江省杭州市にも進出する予定という。 自らをスターバックスの対抗馬として位置づける「2番手戦略」を小判鮫的だと思う人がいるかもしれないが、中国ではもっとすごい小判鮫がうようよしていて、スターバックスもラバッツァも、全く同じか紛らわしい商標を使って店舗を出す同業者がおり、スターバックスの場合は裁判になっている。ラバッツァの場合、北京で勝手に名乗って店を出している人がいるが、ラバッツァ自身がまだ北京で展開していないので対策が採られていない。(関連記事) ラバッツァもスターバックスも、コーヒーの値段は日本とさほど変わらず、中国人の平均的な収入から考えると非常に高い。比較的年収の多い新興の中産階級の人々しか来店しないので、店舗は休日や夜は比較的混雑するものの、それ以外の時間帯はすいている。とはいえ、上海や北京では中産階級が急成長しているのも確かで、店舗を急展開させ、喫茶店でコーヒーを飲みながら話をする習慣を定着させていく過程であると考えられる。中国には古来「お茶」の習慣があるが、家でくつろぐときは中国茶、外で話をするときはコーヒーというライフスタイルが、上海や北京の中産階級に広がりつつある。 ▼著作権ビジネスを作る コーヒー店の事例に見られるように、中国では何かを売り込もうとすると、まずその前提にある考え方やライフスタイル、制度そのものを定着させる必要があることが多いようだ。私は今回の上海訪問で、何人かの台湾系商人らに会ったが、その中で聞いた興味深い話の一つに「著作権ビジネス」がある。 中国では著作権の概念が希薄なので、カラオケ屋で使われているカラオケの音楽ソフトは違法コピーされたものがほとんどである。ここにビジネスチャンスがあると見た上海在住の台湾商人たちは、台湾のカラオケ音楽ソフトメーカーに持ち掛けて代理人となり、その上で上海市などの警察当局のお偉方に話をつけて、警察がカラオケ屋に手入れをしてもらい、違法コピーソフトの使用はまかりならんと警告を出してもらう。 その上で、台湾商人の代理店がカラオケ屋を回り、ソフトの使用料を払ってもらう。収入の一部は上海の当局幹部にキックバックされるが、残る利益も莫大なものとなる。上海の台湾商人も、台湾のメーカーも、共産党の幹部も満足できる。 台湾商人の中には、日本のカラオケ音楽ソフトのメーカーに、中国で著作権料の回収をやりませんかと持ち掛けた人もいるが、賄賂が絡んだ不透明な話と思われて全然乗ってこなかったという。 ▼商魂で見ると「台湾は中国の一部」 私が上海で話をした台湾商人の中には「日本企業は慎重すぎる」と言う人もいた。その人によると、日本企業は自社の得意分野のビジネスのみを展開したがり、それが失敗したら撤退してしまう。どんな企業でも、中国でビジネスをやっている何年かの間に、人脈やノウハウの蓄積ができ、その人脈などから、自社の従来の得意分野ではないものの成功しそうなビジネスチャンスが転がり込んでくることが多いのだが、日本企業はそれを拾おうとしない。日本の本社に全決定権があるので、中国担当者がビジネスチャンスだと言っても、本社では「中国に入れ込んだ奴がわけの分からないことを言っている」としか思われない。 中国では、規制や税制など、ビジネスをやる際の根底部分がまだ確定していないので、何が得意かということより、誰と組むかという人脈が大事だという。だから台湾商人の多くは、社長自らが上海に居を移し、中国側との人脈や台湾商人どうしの人脈を作り、成功しそうだと思ったビジネスチャンスは何でもやってみる。自分でできないことは、できる人を探して紹介する。 (台湾商人の社長の多くは、上海に愛人を作るが、社長が上海で最も信頼しているのはこの愛人だったりする。社長が台湾に帰っている間、上海の会社の経理を握っているのは愛人で、彼女は副社長級の仕事をしている。会社の登記上の所有者も、台湾籍の社長ではうまくないので、中国籍を持つ愛人であることが多い) 上海には、優秀な若い日本人在住者も増えているが、駐在員ではないこれらの日本人が、台湾や中国の企業から頼まれて日本企業に話をつけに東京などに行っても、日本は「肩書き主義」なので、どこの馬の骨が来たのかと思われ、話を聞いてもらえない。日本では、中国を知っている人は権限がなく、決定権のある人は中国のことを知らない。日本人はもったいないことをしている、と台湾商人の一人は言っていた。 彼は、上海市内の街角にある広告用看板の広告代理店業を軸に、街頭における広告関係の事業を拡大していた。私が話を聞いている間、ひっきりなしにかかってくる電話に対応し、広告枠の大きさなどビジネスの詳細まで、社長自らが詰めていた。彼の会社には数十人の社員がいるが、かなり細かいことまで社長が決めているようだった。こういうやり方は、台湾企業の一つの典型であると、他の台湾商人が言っていた。 台湾人は日本人よりはるかに中国に食い込んでいるが、それは台湾人は中国人なので中国のことをよく知っているのに対し、日本人は外国人だからだということもある。台湾人は中国人とは別の存在であるかのように見る人もいるが、商売や政治のやり方を見ると、むしろ逆に「台湾は中国の一部である」と感じられる。台湾人は中国の本質や仕組みについて、日本人よりもずっと理解しているが、これは当然である。 台湾には、本人や父母が大陸育ちの外省人と、国民党政権の移転以前から台湾に住んでいた本省人がおり、私は中国進出する台湾商人の多くは外省人かと思っていたのだが、そうではなかった。意外なことに、上海に来ている台湾商人の多くは、台湾南部生まれのコテコテの本省人であると知った。商魂から見る限り、どうみても「台湾は中国の一部」である。 ▼「民進党と共産党が密会する場所」 私が政治関係の話に関心があると知って、台湾商人の一人が「民進党と共産党が密会する場所」に連れて行ってくれることになった。それは上海市内のナイトクラブで、経営しているのが台湾の民進党の元議員秘書なので、経営資金は民進党から出ているのではないか、というのが台湾商人の憶測だった。 そこは数人から10数人の客が入れる個室が10個以上ある大きな店で、お客のほとんどは台湾商人の男たちだが、上海市政府などの中国側の役人も接待されて来るときがあるという。前述の著作権ビジネスなどで、共産党のお偉方に渡りをつけるために接待するときにも、このような場所が使われるとのことだ。上海市政府に渡りをつけたい台湾商人は、民進党に頼むとこの店に出入りする人脈から共産党のお偉方を紹介してもらえ、接待に使うお店は繁盛し、ビジネスが成功すれば共産党に賄賂が入り、民進党には献金が入る。みんなハッピー、というわけだ。 台湾商人どうしの交流にも使われているようで、私を連れて行ってくれた台湾商人も、次々とやってくる他の客たちとさかんに話をしていた。上海でのビジネスに参入しようとやってくる新規の台湾商人も、このような場所で人脈を拡大し、ビジネスチャンスにつなげることができそうだと思われた。 しばらくすると10人以上のホステスさんがぞろぞろと部屋に入ってきて目の前に並び、お好みの女性を選びなさいと言われた。お好みがいなければ次の10人を呼んでくるという。 日本人はお店でお触りをするからスケベだとよく言われるが、台湾商人たちはだれもお触りをしなかった。各自ホステスを選んだ後、飲みながら雑談をしたり、台湾式ジャンケンをして負けた人が一気飲みをする遊びをしていたが、1時間ほどたった午後9時すぎ、その中の半分ぐらいの人々が、各自ホステスを連れていっせいに帰ってしまった。みんなどこかのホテルなどに向かったとのことだ。接待された共産党幹部も、ご希望なら連れて帰れますよ、ということになるという。 売春の料金は、情事が終わったらホステスを返すと1200元、朝まで一緒に寝ると1500元だという(1元は約12円)。台湾商人から、あなたもどうぞ連れて帰ってくださいと言われたが、そのようなことをした経験がなく、お断りした。 ▼ママさんにキックバックが必要なホステス制度 私の両側に座ったホステスさんは、2人とも20歳前後で、一人が陝西省、もう一人が上海市内の出身だった。上海の子の方は自宅に住んでいるが、両親には「日本料理店で働いている」とウソを言い、ナイトクラブで働いていることは隠しているという。数年働いて金を貯め、ブティックを持つのだと言っていた。陝西省の子も、故郷にお店を持つことが目標だという。 このナイトクラブの支払い方法は「台湾式」で、部屋代が800元、接客してくれたホステス一人につき300元、ホステスを統括するママさんに300元、給仕の女性に200元という風に、帰るときに一人一人に別々に支払っていく。ホステスも給仕も、個人事業主なのである。支払い時には100元札をたくさん用意しておく必要がある。 (給仕の女性に「給仕の収入は低いのに、あなたがホステスにならないのはなぜですか」とぶしつけな質問をしたところ「私にはプライドがあります」という答えだった) 「日本式」のナイトクラブは、料金は全部合わせていくらという形になっているが、払う側の日本人は割り勘でばらばらに払ったりする。中国や台湾では割り勘はやらないので払うのは一人だが、受け取る側がばらばらで、日本式と台湾式ではやり方が逆になっている。 トイレに行ったとき、廊下の奥にある店の裏方がちらりと見えた。壁紙も張っていないコンクリートむき出しのような部屋で、20人ほどのホステスが、質素な椅子に座って出番を待っていた。指名がかからないホステスにプレッシャーがかかるようなわびしい内装にわざとしているのではないかと感じた。ホステスの中には、お客から頼まれても売春を断る人もおり、それは店の制度としては認められているものの、経営上は喜ばれず、売春を受けるホステスが好まれる傾向があるという。 指名がかかりにくいホステスは、ママさんにキックバックを渡しておく必要がある。そうすれば「誰でもいい」という客がいたときに呼んでもらえたり、10人一組ずつお客さんの前に出るときに何回も出られるようにしてもらえたり、スケベな上海人の客に当たらないようにしてもらえたりする。何でもカネである。中国は、今や日本よりはるかに資本主義的なのだった。 (台湾人は連れ帰って買春代を払ってスケベなことをするが、上海人は買春代をケチって店の中で触ってきたりキスを強要したりする客がときどきいるので敬遠されている)
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