活気あふれる中国(3)国有企業の挑戦2000年12月18日 田中 宇上海周辺の地域にある、その工場を訪れたのは、ちょうどお昼どきだったので、ホーロー引きの金物のお碗一つと箸を持ち、食堂に昼食をとりに行く工員さんたちの姿を見ることができた。「国有企業の職員は、自分の食器を持って食堂に行き、昼食を盛ってもらって職場に戻り、機械の近くで食べるんです。そこが国有企業と外資系合弁企業とで、やり方が異なる点の一つです」と、案内してくれた知人が説明した。 合弁企業では一般に、食事は食堂で食べるようになっていて、食器も食堂に用意してある。職場に持ち帰って食べると、食べ物の油が製造途中の製品に着いたりするので、良くないのだという。 私は今回、中国でいくつかの工場を見学したが、国有企業はここだけだった。中国で「鉄飯碗」というと、日本の「親方日の丸」にあたる言葉で「国家に頼って生きていけば食いはぐれがない」という意味だが、職員たちの「鉄の飯碗」は、まさにその言葉を体言しているように見えた。 だが、その工場の若い副社長さんにお会いしてみると、もう「鉄飯碗」は何年も前の遠い昔の話になっていることが分かった。この工場にはかつて4000人の職員がいたが、そのうち1000人は自宅待機の「下崗」(社内失業者)となっており、彼らは来年夏までには、完全に会社から切り離されて失業する予定になっているのだという。 「私たち経営陣にとっても職員にとっても、来年は厳しい1年になりますよ。退職金を払っても彼らは満足できず、きっと集団で会社に押し掛けてくるでしょうね」。副社長はその重責につぶされまいとしているのか、つとめて快活に語った。(下崗については「活気あふれる中国(1)賑わう消費」を参照) ▼企業の良い部分だけ上場させる 繊維関係の製品を作るこの工場は、1949年に中華人民共和国が成立して間もなく、国有企業としての歴史をスタートさせた。その国有企業はこの工場を筆頭に10前後の工場を統括していたが、改革開放政策が進展した90年代初め、上海の証券市場に上場するため、経営状態が悪い4つを分離して、経営状況が比較的良い6つの工場だけを集め、新しい一つの企業集団となった。 社会主義の時代には工場はすべて国営だったから、工場間の取り引きは役所内部の部門間のやり取りと同じで、全体の帳簿が合っていれば、利益の有無は大して問題にならなかった。原材料の担当工場は粗悪品を納入しても文句を言われず、それを加工して製品にする工場は原材料の購入代金を支払わなくても文句を言われなかった。原材料工場が「未払金」として計上すれば良いだけだった。 だが株式市場に上場するとなると、赤字や未払金が多ければ企業経営に問題があるとみられて良くない。だから企業集団内部の儲かる部門と赤字部分を別々の企業として分割し、赤字企業の方に過去の未払金や延滞債務などを移転させ、儲かっているきれいな部分だけを、新会社として上場させたのだった。 株式相場は急上昇を続けていたから、新株発行によって調達した資金を使って売り上げと利益を伸ばせば、いずれ赤字部門の損を埋め合わせられるだろう、という構想であった。この手法は、中国で国営企業を民営化する場合によく取られる手法だという。 しかし、構想どおりにならない場合が多く、国有企業に対する売り上げ代金を回収できると思っていた外資系企業などにとっては、未収金が「赤字企業」の方に塩漬けされてしまい、損失をこうむることになった。日本企業などの担当者が「中国企業は代金を払ってくれない」と不満をもらす裏には、こんな事情が関係している。 私は別の機会に華人系合弁企業の製紙工場も見学したが、そこの台湾人の副社長も「代金回収が難しいので未収金がたまっている」ともらしていた。困っているのは日本企業だけではない。中国社会に精通していると思われる台湾人経営者でさえ困苦している。 その製紙工場では、以前は中国各地の企業に直接販売をしていたが、売り上げ金の回収率があまりに悪いので、各地の地元人経営の問屋を販売代理店にすることで、高い手数料は取られるものの、回収率を上げることができたという。問屋は紙の最終製品を作る地元の工場に対して、原料供給だけでなく運転資金の貸し出しもしており、ただ原料を売るだけの製紙工場よりはるかに強い立場にあるため、確実に資金回収ができる。 ▼当局主導の企業乗っ取り 話を繊維工場のことに戻そう。この会社は株式を上場し、1000人の職員を自宅待機にすることで民営化を進めたが、当局からみると進展状況は満足できるものではなかったようで、今年に入って他の国営企業グループの傘下に組み入れられ、経営陣も交代しつつある。 中国の国有企業の多くは、株式会社化したといっても、株式の大半は政府系の持株会社を通じて、中央や地方の政府が保有している。だから当局は、株主総会やその代理機関である董事会で、一つの企業を他の企業の傘下に入れてしまったり、会社の経営陣を交代させてしまえる。 従来の経営陣に代わり、当局の采配を受けてやってきた新しい経営陣の筆頭者が、若手の副社長(副総経理)だった。彼は以前、別の合弁企業の経営に幹部としてたずさわっており、その経験を生かせば、国有企業の経営合理化を一気に進める技能があると当局から判断されたようだった。(彼がそう言ったわけではないが、私にはそう読み取れた) この会社では、社長はまだ以前からの人が在任していたが、当局主導の乗っ取りに満足できるはずもなく、出社してきていないとのことで、すでに副社長が日々の仕事の最高責任者となっていた。 工場内はまだ、社長ら旧経営陣を支持する人々と、副社長ら新経営陣を支持する人々の間で分裂しているため、あとあと組織内に亀裂が残らぬよう、社長をすぐには退陣させず、自ら辞任してくれるのを待つ戦略がとられたということのようだった。 中国では、組織内の人間関係を維持することに対して、日本に劣らない細やかな配慮が行われている。日本より中国の方が、いったん公共の場で罵倒しあった人々を後で和解させる仲介がずっと難しいとも聞いた。それだけ中国人は「面子(体面)」を重んじるのだそうだ。 ▼来年夏がデッドライン 今、この企業に与えられている改革のデッドラインは来年夏である。現在は国からの補助を受けて、下崗の人々に給料を払っているが、来夏にはその補助がなくなる。下崗の人々に退職金を払う代わりに、給料を止めて国からの失業保険に切り替えることになっている。(退職金は現金ではなく、自社株を発行して配る方法も検討されている) だが、失業保険は月に300元(4000円)ほどの最低賃金分しか保障されず、支給期間も限定されているため、下崗の人々の懸念と不満が大きくなっている。彼らは、これまで家賃が非常に安かった社宅からも立ち退くか、家賃の引き上げに応じねばならなくなる。 (中国では来年、医療制度も変わる。現在は医療費自体が非常に安く設定されているが、来年1月からは新しく医療保険制度が導入され、保険のカバー範囲を超えて長く病院に行く人は、高い医療費を払うことになる。今年のうちに駆け込み的に病気を全て治しておこうと考える人々で、上海の病院は混雑していた。医者から大量の薬を処方してもらい、病院前の薬局で売る人も多いというが、そんな「社会主義的」な光景も,来年には終わりになる) この合理化は、国有企業が民間企業に変身する大きなワンステップとなるが、沿海部の繊維産業は中国の中でも比較的早くこの段階に入る。繊維は最も従業員が多い産業の一つであり、その部分の合理化が終わらないと、朱鎔基首相が指導する国有企業改革が進んだことにならないからだ。 国有企業改革は、何度か計画の遅延を繰り返している。失業者が増えると暴動が起き、共産党に対する不信感も高まるので、ゆっくり進めざるを得なかった。だが一方で改革は経済と株価の高度成長を前提にしており、中国の経済成長が鈍化する前に、なるべく早く進める必要がある。この企業の副社長のような人々に、その重責を担うことが期待されており、成功すれば若くして社長になれるということなのだろう。 とはいえ、副社長も下崗の人々の苦労は承知していた。「新たな職があっても肉体労働がほとんどだ。下崗の人々には40−50歳代が多く、彼らにとっては肉体的にきつすぎる仕事が多い」と言う彼は、この会社に来てから一日も休んでいないとのこと。中国の国有企業改革は、まさに正念場を迎えているのだった。
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