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柔らかくなった北京の表情

2003年10月16日   田中 宇

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 10月5日から13日まで中国に行った。私は毎週、国際情勢の記事を書いているので、毎週外国を飛び回っていると考える読者がいるかもしれないが、実はほとんどの記事を東京で書いている。海外に行ったのは、今年5月に終戦直後のイラクに行って以来だ。本来、私は2カ月に一度ぐらいは海外を取材した方が良いと思うのだが、911事件以来、アメリカの政権中枢で激動が続き、そのテーマについて分析することが特に重要だと思ったので、インターネットを使ってそれをウォッチする作業に注力していた。

(アメリカの政治動向を知りたければ渡米した方がいいと考える人もいるかもしれない。しかし、私が感じているところでは、アメリカの政策に関しては、インターネット上に多種多様な賛否両論の情報が載っており、それらを読んでいくことでかなりのことが分かる。ワシントンDCに滞在して政策系シンクタンクのフォーラムに参加し、インタビューなどを試みるのも意味があるが、その前に、すでに公開されている膨大な情報をある程度読むという基礎的な作業が必要だと私には思われる。昨今は情勢変化が激しいので、基礎作業が終わらないうちに状況が変わる。アメリカ以外の地域の動向については、ネット上の情報が比較的少ないので、その分現地取材も重要だと思われる)

 私が前回、中国を訪れたのは2000年暮れのことだ。その後、911事件があり、アフガン戦争からイラク戦争へと、世界はアメリカに振り回されたが、結局ブッシュ政権は自滅するような感じでイラクの戦後処理に失敗し、世界支配力を浪費した。なぜアメリカがこんな風になったのかという、解析しにくい疑問は残っているものの、人類に対するアメリカの脅威が急拡大する状況は、とりあえず止まっているように見える。

 その一方で東アジアでは、アメリカも関与・黙認するかたちで、北朝鮮問題の外交的解決や印中関係の好転、ASEAN+3など、地域安定化に向けたいくつかの動きが中国を中心に起きている。そんな状況下、英字新聞記者をしている私の妻が9日間の遅い夏休みを取るというので、中国の様子を見に行こうということになった。

 行く前には、今後周辺国が北朝鮮の問題を解決していけたら再び脚光を浴びそうな中国の東北地方(旧満州)を中心に行こうと考えたが、北京で会う人が増えたため、結局北京と長春だけを訪問した。

▼声高に話さなくなった人々

 今回、北京で私が特に感じた印象は、人々の表情が以前に比べてとても柔らかくなった、ということだ。私は1984年、1988年、1996年、2000年と今回の合計5回、それぞれ数日間ずつ北京に滞在したことがある。最初に訪れたときは、人々は怒鳴り合うような感じで話し、あちこちに痰を吐き、男は皆タバコを吸い、サービスという概念はなく、バスや列車はぎゅうぎゅうで、大半のトイレはものすごく汚かった。だが、そうした「社会主義中国」風の状況は、その後消えていった。

 今回、私が見た北京では、人々はもう大声では話していなかった。以前私は「中国語(北京語)というのは大きな声でしか話せない言語なのではないか」などと思っていたが、そうではなかった。女性たちは柔らかい発声をしており、それは台北と変わらなかった。男の人の中には、言葉少なに、ダンディな感じで話す人さえいた。地下鉄の中の声の音量も、東京あたりとほとんど同じだった。レストランなどで喫煙する人も減り、東京より少ないぐらいだ。

 サービスについても、日本に劣らない水準になっている。お客に対して、心のこもった感じの接待をしている店を多く見た。10年ほど前まで、客に憎しみをぶつけるような対応をしていたのがうそのようだ。(代わりに詐欺的な行為が多くなり、タクシーに乗るとよく回り道されたりしたが)

 全体として、北京の人々の表情からはぎすぎすした感じが抜け、生活に余裕が感じられるようになった。地方の農村は、まだ非常に貧しいままの地域がたくさんあるが、北京のような大都市では中産階級が増え、生活を楽しめるようになってきている。

 1965年から76年まで「貧困のユートピア」を目指した毛沢東の「文化大革命」が続き、その間都市の人々の多くが最低限の生活を強いられ、職場内で相互に攻撃し合う政治闘争も続いていた。そうした厳しい時代が終わった後、トウ小平による経済発展の時代が始まり、人々の表情から刺々しさが抜けていったのだと思われる。今の中国は「拝金主義」だという批判があるが、北京市民の表情から読み取る限りでは、社会主義より拝金主義の方がましなのだろう。

 北京で余裕のある表情の市民が増えたことは、政治に対して、不満を解消するための変化ではなく、満足を維持するための安定の方を求める人がそれだけ増えたことを意味していると考えられる。共産党政権を倒して「民主化」するのが中国の現実策として好ましいと思っている北京市民は少ないと感じられた。

▼大きな貧富の格差

 今の中国社会に問題が多いのは確かだ。大きな問題として、貧富の格差が大きくなっていることがある。外資系企業や急成長産業で働く人々は給料が高い一方、国有企業や役所で一般の職員として勤める人々の給料は、その何分の1かでしかない。地方から上京してくる出稼ぎ者(民工)は、さらに低い賃金で働いている。

 高収入の人が行く、最近できたおしゃれなカフェバーではビールが一杯300円ぐらいするが、安い店では同じビールが30円ぐらいだったりする。同じ大学生でも、先進国からの留学生や裕福な学生はカフェバー街によく行くが、貧しい学生はそういった場所が北京市内にあることも知らないという。外資系企業などに勤める子供たちの世代が、国有企業に勤める父母の世代の10倍以上の給料をもらい、金銭感覚が親子で全く違ってしまっている家庭が多いとも聞いた。

 都市と農村との格差は、都市内部の格差よりさらに大きい。中国の真の問題は、北京のような都会ではなく、人口の7割に当たる9億人が住んでいる地方の農村地域にある。

 中国の農業はここ数年、生産過剰の傾向にあり、農産物価格は下落し、生産量も増えにくい。農民の収入は増えない一方で、村や郷鎮(町)の役所は、さまざまな名目の税金や負担金を農民に課し、無償だった学校教育も負担金が事実上義務づけられるなど、農民の生活苦は増す方向にある。

 中央政府の改革開放のかけ声のもと、村内に工場などを作り、運営に成功して村中が豊かになっている地域もあるが、そうした展開に失敗して巨額の借金を抱えたり、幹部が腐敗して公金を着服したりした村では、役所が農民にツケを負わせ、税金などの負担増を強いている。

 農村の未来に絶望し、農地を放棄し、北京などの都会に移住する出稼ぎ者も多い。中国には、住む場所を勝手に変えてはいけないという規則があり、農村から都会への移住は違法行為だが、それでも出稼ぎ者の総数は1億−2億人、全人口の1割前後も存在するといわれている。農村に残った人々の中には自殺者も多い。中央政府は、乱脈な増税や幹部の腐敗に対する取り締まりの強化、貧農に対する支援政策などを展開しているが、解決には遠い状態だ。

 都会には比較的裕福な中産階級が生まれつつあるが、農村の多くは貧しいまま、という現状が今後もずっと続くとなると、農村はますます疲弊し、社会的な歪みが拡大し、政治的な不安定要因が増すことになる。

 中国の内政が不安定になることは、中国だけの問題ではなく、世界的に悩ましい問題だ。911事件以降のアメリカは中国に対して寛容な政策を採っているが、これは中国を安定させ、経済発展させて13億人の巨大市場として成立させることで、世界経済の崩壊を防ぐための牽引役に中国を加えようとしているのではないかと感じられる。

 世界のどこかの地域が発展し、消費拡大を担ってくれないと、世界は生産過剰に陥り、破綻してしまう。中国の人口の7割を占める農村が貧困なままで、その貧困が中国の政治を不安定にするとなれば、中国を牽引役にする構想は実現せず、アメリカの資本家が儲からないということだけでなく、世界経済が行き詰まることになる。

▼強い中央政府が必要な中国

 とはいえ今のところ、貧しい農民たちが共産党政権の打倒のために動くかといえば、そうでもなさそうだ。共産党政権が倒れたら、選挙で指導者を決める安定した民主主義社会になる前に、腐敗や弱肉強食的な状態が今よりももっと拡大し、混乱が広がってしまうと思われる。

 中国は多民族・多言語の社会で、地域間の違いが大きい。地縁血縁の人間関係が強く、毛沢東はそうした古い社会関係を破壊しようと強烈な文化大革命を挙行したが、状況はあまり変わらなかった。そんな中国に、今のような強い中央集権を目指す政府、独裁的な政府が存在することは、国家としての統一を保つ現実的な解決策として十分に理解できる。

 多民族・多宗教で、小さな部族的なまとまりが無数に存在するイラクの社会が、サダム・フセインによる独裁政治が消えた後、なかなかイラク人自身でまとまることができないように、中国も今の独裁的な共産党政権がなくなったら、混乱に陥るか分裂する可能性が大きい。

 民主主義の理想と、安定した余裕ある生活のどちらか一方を選択するとしたら、中国人だけでなく日本人やアメリカ人でも、安定した生活の方を選ぶだろう。いつもの反米的な論調になって恐縮だが、アメリカ政府の上層部などで「中国の民主化」を声高に叫ぶ人々は、そのあたりの事情を理解した上で、中国を弱体化させるために民主化を要求しているように感じられる。

▼都会と農村の進取の気象

 地方農村の人々は現金収入も少なく、豊かになる方法がないともいえるが、北京市民から見れば、別の考え方になることもある。北京でライブハウスを経営している40歳代の店長に話を聞く機会があったが、彼は最近、文革時に強制移住(下放)されて一家で住んでいた西域の農村を30年ぶりに訪れて、自分の同級生だった人々が、40代ですでに老後に引退したような意識で生活していることに驚いたという。

 店長は、四川省で音楽大学を卒業した後、北京へ出てきて小さなライブハウスを経営し始め、今では店の規模を拡大して繁盛しており、学生時代からの夢を実現させている。そんな彼が甘粛省の農村で30年ぶりに会った同級生たちは、人生とは決まった道を歩むものと考えており、進取の気象が全く感じられず、昼間から麻雀をやったりして、時間を無駄にしているように感じられたという。

 彼は「私は困難を克服して努力し、夢を実現していく人生を有意義だと思うが、農村の同級生にはそのような意識がなかった。都会と農村では、人々の意識が大きく違う。今の中国には、夢を実現する自由がある。私はその意味で、共産党政権を支持する。農村の人々も、有意義な人生を送ろうと努力すれば、豊かになれるのではないか」という趣旨のことを語った。

 農村にも進取の気象を持った人々はいる。彼らは北京などの都会に出稼ぎに来て、建築現場や道路清掃などの低賃金労働に従事するが、子供には同じ思いをさせたくないと考えて教育には熱心だ。不法に北京に住んでいるので無償教育の対象外になっている出稼ぎ者は、高い加算金を払って子供たちを公立学校に入れたり、「民工子弟学校」と呼ばれる簡易学校に通わせている。年収の半分を教育費に当てている人もいると聞いた。

 出稼ぎ者の状況を「悲惨」と見るか「夢の追求」と見るか、視点が分かれるところだが、中国の経済発展が続き、生活が少しずつでも良くなる希望が残っている限り、共産党政権に対する反感もあまり強まらず、社会の安定が維持されるのではないかと感じられた。



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