イラクやレバノンの反政府運動がスンニとシーアの対立を解消する2019年11月26日 田中 宇10月初めにトランプが米軍のシリア撤退劇を始め、シリアと周辺地域での米国の影響力の低下と、イランとロシア中国の影響力拡大が確定的になった。それとほぼ同時に、シリアの東西の隣国であるイラクとレバノンで反政府運動が始まった。運動は、両国における根本的な政治改革を求めている。この運動の本質は、両国で影響力を強めるイランを非難・抑止することだと米欧では報じられている。イランを敵視する米国に支援された運動だとも言われている。だが、すでにイラクやレバノンでの米国の影響力低下と、それを埋める形でのイラン露中の影響力拡大は決定的・不可逆的だ。何故、勝敗が確定した直後に、負けた側の米国が、反イランの市民運動を引き起こすのか?。成功しないと最初からわかっているのに。両国の市民運動には、隠れた別の目的があると勘ぐれる。 (Hezbollah: US major obstacle to govt. formation in Lebanon) この件について10月末に記事を書きかけたが、自分の仮説を裏づける根拠が少なく、自分の中でボツにしていた。私の仮説は「トランプが隠れ多極主義なので、トランプのシリア撤兵による米覇権放棄・露イラン覇権の加速に合わせて起きたイラクとレバノンの反政府運動も、米覇権低下・露イランの覇権強化につながる動きでないか」という、いつものやつだ。 (【没原稿】多極化の一環としてのレバノンやイラクの反政府運動) 米諜報界がイラクやレバノンの反政府運動を扇動しているとして、米諜報界が米国の誰の支配下にあるかが問題だ。トランプが軍産複合体に勝っているなかで、かつて軍産の傘下にいた米諜報界が、トランプの傘下に移っている可能性がある。すでに述べたようなイラクレバノンの反政府運動のタイミングの悪さから考えて、トランプが米覇権低下・露イラン覇権強化のために諜報界を動かしてイラクレバノンの反政府運動を起こしているのでないか、というのが私の仮説だった。 (A Deadly Game Of Chicken In Iraq And Lebanon) 10月には、この仮説を裏づける情報がなかったが、今回、エジプトのムーサ元外相(元アラブ連盟事務局長)が、インタビューの中で「イラクでもレバノンでも、反政府運動を通じてスンニ派とシーア派の対立が消えていく。(この対立解消により)今から2-5年後には、中東やアラブ諸国がこれまでと全く違った地域になっているだろう」と述べているのを読んで「これだ!」と思った。 (Amr Moussa: In five years, 'you will not recognize' Mideast) ムーサは、イラクがイランをしのげる大国になれるのにスンニとシーアが国内で対立しているため国家として弱く、その結果、イラクがイランの属国になっている現状をふまえて「イラク人は、イランの属国から抜け出て大国になるために、スンニとシーアが対立を乗り越えて協力せねばならないと考えている」という趣旨の発言もしている。これはイランの中東覇権の強化でなく、逆方向だ。この点では「隠れ多極主義のトランプが米諜報界を動かし、中東の覇権を米国から露イランに移譲させるためにイラクの反政府運動を扇動している」とは言えない。だが、スンニとシーアの対立解消は、それをしのぐ大転換である。 (Is The Middle East Beginning A Self-Correction?) (非米化するイラクとレバノン) スンニとシーアの対立はもともと、シーア派地域の方が文明的にすぐれているのに、スンニ派地域(アラビア半島)の方が武力的に強く、スンニ派地域がシーア派地域をイスラム世界に強制併合した結果、発生している。(イスラムの建前では強制でなかったとされているが)(シーア派地域は、イスラム以前の偉大な古代文明を継承しており、後発のイスラム教の枠の中に入りきれず、はみ出た部分が非イスラム的なシーア派特有の信仰体系として残った) (イラク日記:シーア派の聖地) もともとの対立理由は上記の前近代の事情だが、この対立を中東の分断支配の道具として思い切り扇動し、イスラムとそれ以外の世界の人々に「スンニとシーアの対立は絶対的なもので解消不能だ」と思わせるプロパガンダを信じこませてきたのは、近代になってオスマントルコを倒して中東を支配した大英帝国と、その継承覇権である米国だ。英国支配より前の中東は、オスマントルコ帝国(スンニだがアラブでなくトルコ)がスンニとシーアの両方の上に君臨していたので、宗派対立は大した問題でなかった。英米は、サウジアラビアなどスンニの過激派を扇動してシーア派を殺させ、宗派対立を「大問題」「巨大な対立」に化けさせた。米英諜報界が育てたアルカイダやISISはその最新版である。 (敵としてイスラム国を作って戦争する米国) 中東諸国は、米国の覇権が及ばない状況だと、スンニとシーアの対立が少なくなる。イラクでも、米国に侵攻され占領される前のフセイン政権など、バース党や王政の時代にはスンニとシーアの対立が少なかった。バース党も王政もスンニ派であり、スンニがシーアを独裁の力で抑圧していたとも言えるが、かつてのイラクが今よりずっと安定していたことも事実だ。 03年の米軍のイラク侵攻(イラク戦争)によってフセイン政権が倒された後、米国は「イラクの民主化」と称して、イラクのスンニ・シーア、クルドの3派の対立を扇動した。イラクは「民主化」したが、中東諸国の中で宗派対立が最も激しい国になった。14年にオバマが米軍のイラク撤退を強行したら、米国の軍産が対抗してイラクのスンニ過激派を助けてISISが台頭し、イラクは再び戦場になった。米国の覇権が続く限り、中東は宗派対立を扇動され続け、永久に不安定な戦争状態だ。人権重視や民主化が、中東の人々を不幸にしている。 (Russia 'puzzled' by 'hypocritical' US support for Iran unrest) 91年の湾岸戦争後、米国が軍事力でイラクのクルド地域を「飛行禁止区域」にしてフセイン政権の領域から切り離し、クルドの分離独立を扇動した結果、クルド問題が中東全域で煽られ、中東の不安定化要因の一つになった。クルド問題とは、イラク、イラン、トルコ、シリアの4カ国に分かれて住んでいるクルド人が、4カ国から分離独立してクルド国家を作りたがっていた問題だ。米英がクルドの分離独立を扇動してきたのは、中東を分断・不安定化する支配策の一つだった。今回、トランプのシリア撤兵騒動によってシリアのクルドが米国から切り捨てられたが、これは米国がクルド問題を使って中東を不安定化する支配策が終わっていく方向性を示している。 (Welcome to the beginning of the end of Iraq's post-Saddam era) (キルクークの悲劇) 米国(米英)の覇権が崩れてきているが、米英が作った政治経済社会的な体制の歪曲はなかなかなおらない。それは、日本が対米従属一本槍のまま他の選択肢を全く考えない間抜けな現状がよく象徴している。米英が扇動して固定化したスンニとシーアの対立構造もまだまだ続きそうな感じだ。だが、ムーサによると、イラクやレバノンで反政府運動が起きたせいで、この対立構造が5年以内に大幅に消えていくという。これは中東にかけられた「呪い」が解けることを意味する。スンニとシーアの対立が解消されて行くと、米英が中東を分断して支配してきた体制がなくなり、中東は安定し、諸国の団結が可能になり、中東が対米自立して独自の「極」(地域覇権勢力)になっていける。 (イスラム化と3極化が進む中東政治) スンニとシーアの対立がなくなると、米英に代わって中東を支配し始めているロシアや中国もやりにくくなるのでないか?。そう考える人もいるだろう。私はそう見ない。米英は単独覇権体制の維持のため、世界各地に強い勢力が生まれないように分割支配を好んできた。英国は、世界に産業革命を広げることによって「国際社会」を創設したので、自分が作った世界を支配せざるを得なかった。米英と対照的に、ロシアや中国は今後の多極型世界における地域覇権勢力であり、他の地域を本格的に支配する余力や国家的意志や国益が少ない。露中は、世界各地に対して影響力を持ちたいとは思っているが、それは石油ガスの利権を得たり、兵器やインフラから日用品までの各種商品を売ったりするためのものだ。石油利権や商品販売のためには、世界各地が安定していた方が良い。今の中東のように分断や内戦を固定化され不安定なままだと、石油ガスやインフラの開発もできず、豊かな市民層が形成されにくいので商品の市場としても良くない。スンニとシーアの対立が解消され、中東や南アジアが安定するのは、露中にとってうれしいことだ。 (中東を多極化するロシア) (中国が好む多極・多重型覇権) イラクやレバノンでスンニとシーアの対立が解消されても、中東の他の諸国での対立や、サウジ対イランなど諸国間での対立が残っている限り、中東は安定しない。だがこの点も、イラクが対立を解消したら、サウジとイランの対立を仲裁して和解させていく道筋が見えている。サウジはイエメン戦争の泥沼から出る必要があり、そのためにはイエメンのフーシ派の背後にいるイランとの協調が必要だ。サウジはイランと和解したがっており、これを受けてイラクが以前から少しずつ仲裁役をやっている。今後、イラク自身がスンニとシーアの対立を解消すると、イラクがサウジとイランの和解を仲裁する流れに拍車がかかる。サウジはアラブのスンニ派諸国の主導役だ。サウジとイランが和解したら、スンニとシーアの対立は世界的に解消される。 (Kuwait Says Iran Willing to Talk to Saudis With or Without Mediator) (いずれ和解するサウジとイラン) 中東では、スンニとシーアのイスラム内部の対立のほか、イスラム教とキリスト教、イスラムとユダヤの対立もある。これらの対立は、いずれも米英による中東支配のために維持扇動されてきた。冷戦後、米ソ対立に代わる米国覇権維持のための世界規模の対立構造・第二冷戦として「文明の衝突」を軍産が考案し、それが911後の「テロ戦争」(イスラムvs米国側=キリスト・ユダヤ)として「開花」した。文明の衝突やテロ戦争は、中東の諸対立の構造を世界規模に拡大したものだ。テロ戦争の「敵」であるアルカイダやISISは、米英の諜報界が育てて強化した勢力だ。テロ戦争は、軍産の自作自演による覇権戦略である。 (911事件とテロ戦争関係の記事) (「戦争」はアメリカをもっと不幸にする) 米英の軍産は、スンニとシーアの対立を煽る際、サウジなどのスンニ過激派(サラフィ=アルカイダ)の過激さを煽ってシーア派を殺すようにけしかけた。軍産の策略として、テロ戦争は、スンニとシーアの対立の「発展形」である。スンニとシーアの対立が解消されていくと、その発展形であるテロ戦争や文明の衝突、第二冷戦といった、軍産の世界支配・米国覇権の体制そのものが解消されていく。その後に現れるのは、世界に地域覇権の「極」がいくつもある多極型の世界である。イラクやレバノンの反政府運動によってスンニとシーアの対立が解消されていくという、ムーサ元外相の指摘が正しいとしたら、トランプの傘下に入った米諜報界が反政府運動を扇動した可能性が高い。 (Iran's Rouhani offers to talk with Saudi, Bahraini leaders) スンニとシーアの対立が解消された後のイラクやレバノンには、強いナショナリズムに支えられた政権ができるだろう。宗派を超越できるとしたら、その核になるのはナショナリズムぐらいしかない。バース党の時代には、イラクに強いナショナリズムがあった。ナショナリズムを使った独裁政権ができるだけだ、と欧米日の「民主派」は言うかもしれないが、彼らはマスコミのプロパガンダを軽信する時代遅れの「軍産うっかり傀儡」である。軍産支配の弱まりとともに、軍産の一部であるマスコミへの「信仰」も、しだいに世界的に弱まるだろう。 (非米化するイラクとレバノン) 米国に制裁されながらも傀儡になっていないイランでは、多数派のペルシャ人のほか、アゼリ人、クルド人、アラブ人、スンニ派などが、ときに弾圧されつつも、シーアのイスラム聖職者たちの独裁色の入った一応の議会民主制の中で政治をやっており、アハマディネジャド元大統領によるタブー破りの放言なども許され、独自の民主体制になっている。イランを見ると、スンニとシーアの対立を解消し、米英の影響下から抜けた後の中東諸国の政治が、独特の民主体制になっていくことが予測できる。イランでも反政府運動が起きているが、これはまだ分析していない。またアハマディネジャドは、イランの未来を左右しそうな、ラディカルでとても興味深い政治家だ。みんな興味ないかもしれないが、彼についてもいずれ書く。 (Ahmadinejad Supporters Say He Warned Of Widespread Dissatisfaction) 以上、エジプトのムーサの発言だけを頼りに延々と書いた。ムーサの無根拠な発言をもとに田中宇が勝手に妄想しただけと言われかねないが、かつては「多極化」も田中宇の妄想として嘲笑されていた。いま、露中は立派な地域覇権国であり、世界の多極化傾向は誰も否定できない事実になっている。私の見立てでは、イラクやレバノンの反政府運動がスンニとシーアの対立を解消するというムーサの予想も、多極化同様、現実になる。米国のオルトメディアは最近、トランプの隠れ多極主義性について初めて分析するようになっている。 (Is Trump a ‘Covert Ally’ to the Multipolar Order?) イラクやレバノンの反政府運動の詳細について、今回は書いていない。その代わり、10月30日に書いてボツにした記事へのリンクをつけておく。 (【没原稿】多極化の一環としてのレバノンやイラクの反政府運動) イスラエルのネタニヤフ首相は、ライバルの青白連合が組閣に失敗して政局が行き詰まったとたんに起訴された。ネタニヤフは有罪になるのを避けるため、米国を引っ張りこんでイランと戦争する気だとも指摘されている。米軍の上層部はやる気満々で「イランが中東の米イスラエル拠点を攻撃してきそうだ」と、無根拠な好戦発言を発している。米空母がペルシャ湾に入った。スンニとシーアの対立解消の劇の前に「中東大戦争」の劇が上演される。しかし、これは多分に幻影的だ。米イスラエルとイランとの本格戦争である「中東大戦争」の幻影的な一触即発劇は、06年にチェイニー副大統領がイスラエルのオルメルト首相を騙してレバノン戦争をやりかけて以来、マスコミで何度も「上演」されている。 (Netanyahu’s Get-out-of-Jail Card... War With Iran) (中東大戦争の開戦前夜) (再燃する中東大戦争の危機)
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