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【没原稿】多極化の一環としてのレバノンやイラクの反政府運動

2019年10月30日   田中 宇

10月初めにトランプ米大統領がシリアからの米軍撤退に踏み切り、シリア周辺の支配権が米国からイラン(やロシア)に移転する流れが加速した。それと前後して、まるでタイミングを合わせたかのように、シリアに隣接するレバノンとイラクで、イランの影響力増大に反対する反政府デモが激化している。レバノンでもイラクでも、政治家の腐敗や経済の混乱に対する批判からデモや集会が起きており、批判の対象が国内の支配層とその後ろにいる勢力の全体に向けられており、イランだけを敵視するものではない。だがレバノンもイラクも、イランと密接なつながりを持っているシーア派の勢力が権力を握っている。加えて、2国とも以前は米国の影響力が強かった。

シリア内戦が米国の敵であるアサドと露イラン側の勝利に終わり、米国はシリアから撤退している。レバノンとイラクは、米国の傘下からイランの傘下に移っていくことが確実になった。その矢先に、レバノンとイラクでイラン敵視をスローガンに含む反政府デモが激化した。イラクでは今回のトランプのシリア撤兵の前からイラン敵視のデモが起きていたが、レバノンでは10月13日の米政府のシリア撤兵の発表直後の10月17日から反政府デモが突発的に始まっている。しかもレバノンの反政府デモに火をつけたのは、米イスラエルと親しい勢力であるキリスト教右派の「レバノン軍団」だ。イラクでは、反政府デモの活動家の中に、米国の傀儡テロ組織であるISISの要員がいたことが確認されている。デモ激化のタイミングから見ても、レバノンとイラクの反政府デモの背後に、イランの影響力の拡大を阻止したい米イスラエルの諜報界(軍産複合体)がいる可能性が大きい。

レバノンとイラクの反政府デモが、両国の政権を転覆してイランの影響力の拡大を阻止するための軍産によるデモ誘発戦略の成果であるとして、それはこれから成功しそうなのか。私が見るところ、両国での政権転覆策は成功しそうにない。反政府デモ拡大の報道だけを見ると、まるでレバノンとイラクの国民のほとんどが自国の政府の転覆を望んでいるように見えるが、実際はそうでない。「百万人デモ」も人数が誇張されている可能性がある。

レバノンもイラクも国内の戦争状態が長く、人々は早く戦争状態が終わって安定してほしいと思っている。両国の戦争状態の原因は、これまで中東の覇権国だった米国が軍産イスラエルにあやつられ、イスラエルの敵である中東諸国を恒久的な混乱と弱体化の中に封じ込めておく策略を続けてきたからだ。レバノンでもイラクでも、前近代には対立していなかったスンニ派とシーア派、イスラム教徒とキリスト教徒の対立が、英米覇権後に扇動されて分裂や内戦、独裁を生み、恒久混乱の中に落とされてきた。

今回、軍産がシリアの政権転覆を試みて引き起こしたシリア内戦が軍産側の敗退と露イランの勝利で終わり、軍産イスラエルによる中東恒久混乱の策略が破綻して終わりかけている。これからの中東は、米イスラエルの影響力が弱まって露イランが強くなった方が安定する。レバノンでは昨年来、人口の3割を占めるスンニ派イスラム教徒を代表するハリリ首相(もともとサウジアラビアの傀儡だったがMbS皇太子にいじめられて離反)の政権に、人口の4割を占めるシーア派を代表する政党ヒズボラ(国軍より強い民兵団を併設。イラン傘下)が合流し、政治安定を実現している。イラクも米軍支配下より今のイラン傘下の方が安定してきている。レバノンやイラクの人々は、そのあたりの構造についてわりとよく知っている。政治腐敗や経済混乱は皆が反対するが、皆の反対運動で政府が転覆し、せっかく安定している現状が壊れ、恒久混乱の状態に戻るのは馬鹿げている。多くの人がそう考えている。

加えて、今回の両国での反政府運動にかこつけた軍産の政権転覆の試みは、やるのが遅すぎた。レバノンで反政府運動を扇動してハリリ政権を転覆して混乱に陥れるなら、シリアが内戦状態にあるうちにすべきだった。2017年11月にトランプがサウジのMbS皇太子をけしかけてハリリ首相をサウジに呼びつけて軟禁し、ヒズボラへの敵視をやらせようとして失敗したが、ハリリ政権を転覆するなら、あのころにやるべきだった。トランプとMbSのハリリへの強制は失敗しただけでなく、サウジでの軟禁を解かれてレバノンに帰国したハリリは、逆にヒズボラとの結束を強め、ハリリ自身がイランの傘下に隠然と入っている現状を作った。いまさらレバノン人をけしかけて反政府運動をやらせても、ハリリとヒズボラは結束を強めて政権を維持していくだけだ。政権転覆は成功しない。

トランプは、イランを稚拙なやり方で敵視してこっそり強化しつつ、米国の中東覇権を自滅的に縮小している「隠れ多極主義者」だ。17年にMbSにをけしかけてハリリ軟禁をやらせたのも、今回米諜報界にレバノンで反政府運動を扇動させたのも、おそらくイランをこっそり強化したいトランプの差し金だ。

10月29日にはハリリ首相が辞任届を大統領に提出した。ハリリの辞表を受け取ったアウン大統領は、従来の宗派ごとに議席数や閣僚数が決まっている政治体制をやめて、行政経験などの技能を勘案して閣僚人事を決める新政権を作る計画を発表した。多民族のモザイク国家であるレバノンは従来、128議席の議会の宗派ごとの割り当てがシーア27、スンニ27、ドルーズ8、マロン派34、東方正教徒14などと決まっており、首相はスンニ、大統領はマロン派がなる。宗派による割り当て制度にしないと内戦になるという理由でこの制度が採られてきた。この制度をやめるのは反政府デモの要求の一つだ。

選挙をやり直しても政権の本質は変わらない。混乱した小国であるレバノンは外国からの影響力を受けやすいが、シリア内戦終結後の今、米仏サウジイスラエルの影響力が低下し、イラン露シリアの影響力が増している。政権を替えると、むしろ米国側の劣勢がひどくなる。17年以降の、シーア派のヒズボラが最有力の政治勢力である状況は変わらず、ヒズボラがハリリ支持を変えないと言っているので首相が変わる可能性も低い。「次の政権」は出てこない。ハリリは辞任届を出した後も「次の政権」が決まるまで暫定首相として今の政権をそのまま続けるという。

レバノンでは、以前の記事「さよなら香港・その後」に書いたような、都市機能を停止させる反政府デモ隊に対する市民からの支持の低下と怒りの増大や、市民が作る自警団が、地元の住環境を悪化させる反政府デモ隊と衝突する事態が起きている。香港でもレバノンでも、しだいに多くの市民が「安定の回復」を望んで「政府転覆」を望まなくなり、反政府デモ隊への嫌悪を強めている。「安定」とは、香港では中国による香港支配の継続であり、レバノンではイラン傘下のヒズボラがスンニ派のハリリを押し立てつつ権力を握り続ける構図だ。反政府運動の本質は、香港では「中国支配の転覆」であり、レバノンでは「イラン支配の転覆」だ。中国やイランの影響力を削ぐことは米国の軍産の戦略であり、香港やレバノンの反政府運動は、米国の軍産覇権の「うっかり傀儡」だ。軍産の一部であるマスコミは、香港やレバノンのほとんどの市民が反政府運動を支持しているかのような意図的な歪曲を流し続けている。

香港もレバノンも、反政府運動は「米国覇権vs非米諸国・多極化」の構造を持っており、反政府運動による混乱が長引くほど、中国やイランという非米側に有利になり、米国覇権の低下になる。マスコミが歪曲報道を続けるので、人類の多くが知らないうちにそれが起きる。これは「隠れ多極主義」の構図だ。

レバノンと同様に、イラクの反政府運動も米側にとってタイミングが悪く、イランが強化される隠れ多極化の構図を持っている。イラクのシーア派で最も強い若手の宗教指導者であるムクタダ・サドルは以前、シーア派同士のつながりでイランの影響力を歓迎するのでなく、イラク自身のナショナリズムを重視してイランの影響力を批判し続けていた。だが最近、シリア内戦でのイランの勝利と覇権拡大を見て、サドルはイラン敵視を引っ込め、親イランに転向した。サドルは、9月のシーア派全体の宗教の大祭である「アシュラ」の際にイランに招待されて訪問し、サドルがイランの最高指導者(宗教者)のハメネイ師を敬って隣に座っている光景がイランのテレビで放映されている。そして、親イランになったサドルがイラクに帰国した後で、イラクでイラン敵視の反政府運動が起きている。

シリア内戦は、米国にこっそり支援されたISIS・アルカイダと、露イランに支援されたアサド政権の戦いだったが、シリアを支援していたイラン政府は税制出費がかさみ、イラン国内でリベラル派が「シリア内戦への介入は金がかかりすぎる。シリアへの支援を減らし、米国に制裁されて経済が悪い国内にもっと金を出すべきだ」と言って、イラン政府を牛耳る宗教右派を批判していた。米諜報界がイラクやレバノンでの反イランの反政府運動を扇動するなら、そのころにやるべきだった。当時なら、イラクやレバノンの政権転覆が、イランでの反政府運動から政権転覆につながり、シリア内戦での露イラン側の勝利も防げたかもしれない。だが、実際にイラクやレバノンで反政府運動が扇動されたのは、シリア内戦での露イランの勝利と、中東での米国の覇権衰退が確定した後の今になってからだった。

トランプは今回のシリア撤兵で、約千人の米軍部隊をシリアから隣のイラクに撤退させ、そのままイラク政府の許可もとらずにイラク西部に駐留させている。イラク政府は無断侵入に怒り、すぐに米国に帰還するよう求めたが無視されたので、国連に訴えている。トランプは、イラク人を怒らせて反米感情を扇動するためにこんなことをしているのだろう。

米国は、オバマ前政権が2011年にイラクから米軍を撤退したが、撤兵による中東支配の低下を阻止したい米国内の軍産イスラエルは、イラク西部でISISを蜂起台頭させ、ISISに対抗しきれないイラク政府が米軍を呼び戻すように仕向け、イラクに再駐留した。オバマは軍産にかなわなかった。次の現トランプ政権は、もっと強く軍産に戦いを挑み、かなり勝っている。明確でないが、トランプに攻撃されて弱まっている軍産はISISをこっそり支援しにくくなっているはずで、ISISは弱体化している。それと同期して今春からイラクで議会などが米軍の撤退を求める動きが強まっている。今回のトランプのシリア撤兵と、その後の米軍のイラク西部での居座りは、イラクでの米軍撤退要求に拍車をかける。

10月26日には、トランプの命令で米軍がISISの指導者バグダディを「殺害」した。トランプは、イラクやロシアの協力を得て殺害し、DNA鑑定でバグダディ本人と確認されたと発表したが、ロシア政府によると、米軍が殺したのがバグダディであると確認できる証拠がない。米国は少なくともDNA鑑定の資料を協力者のはずのロシアに見せていない。バグダディが殺されたとされるトルコ国境沿いのシリアのイドリブ近郊は、ISISでなくアルカイダがトルコ当局に監視されて住んでいる地域で、殺されたのはバグダディでなくアルカイダの小さな下部組織(Haras al-Din)の指導者だという説がある。今回の件は、2011年のオバマ政権の「ビンラディン殺害」と同様、トランプがISISの「終焉」を宣言するためにあえて人違いと知りつつ殺害した可能性がある。ISIS自身もバグダディの死を認めたが、ISISは米国の傀儡機関だ。今回のバグダディ「殺害」は事実性が疑問だが、これによってトランプが「ISISの終焉」を宣伝し、中東全域からの米軍撤退を加速し、イラクでの米軍撤退要求も強まりそうだ。

ここまで。まだ途中の段階でボツにした。



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