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イラク日記(5)シーア派の聖地

2003年1月24日   田中 宇

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○2003年1月8日(水)

 バクダッドの中心から車で10分ぐらい外れたところに、カズミヤ廟(カージマイン廟、Kadhimain)というモスクがある。モスクはイスラム教の礼拝所だが、カズミヤ廟にはイスラム教の2人のイマーム(教主、首長)の墓があるので、単なるモスクではなく「廟」である。

 イマームは、イスラム教の中でも特にシーア派にとって神と人間との仲介をする特別に神聖な人で、イスラム教の開祖である預言者ムハンマド(マホメット)の一族(正確にはムハンマドの従兄弟であるアリーの子孫)の中で代々継承された人しかイマームと呼ばない。シーア派の中でも、12代続いたとみる「12イマーム派」や、7代続いたとみる「7イマーム派」など、さらにいくつもの分派ができている。カズミヤ廟には、12イマーム派の数え方で7代目のムーサ・アルカジム(Musa Al-Kadhim)と、9代目のムハンマド・タキ・アルジャワド(Muhammad Taqi Al-Jawad)という2人のイマームの遺体が安置されている。(イラクの人口の65%がシーア派)(関連記事

【写真】カズミヤ廟の金のドーム

 12イマーム派の教義では、最後のイマームは死んだのではなく、姿を隠しただけで、普通の人には見えない状態で存在しており、いつの日か再び救世主としてこの世に現れることになっている。イマームは「ミール」とも呼ばれるが、これは仏教の「弥勒菩薩」(みろくぼさつ、遠い未来にこの世に現れる救世者)と同じ語源である。イマームや弥勒菩薩、それからキリスト教の救世主(メシア)などは、いずれも古代に西アジアで広く信仰されていた信仰(ミトラ教、ゾロアスター教)や宗教哲学の影響を受けている。

(スンニ派では、イマームは単に礼拝をするときの指導者しか意味しない。スンニ派では、イスラム教の教主は「カリフ」と呼ばれるが、スンニ派ではコーランと預言者ムハンマドの言動のみを神聖視し、カリフを神聖視することはない)

▼イスラム以前の宗教を内包するシーア派

 ややこしい教義の話から書き出してしまい恐縮だが、私はこの日、カズミヤ廟モスクを訪れたことがきっかけで「シーア派とは何か」ということをしばらく考え続けることになった。

 私なりの答えは「シーア派の中心は、古代以来の信仰を持っていたメソポタミア文明やペルシャ帝国の人々で、彼らがイスラム教に集団改宗する過程で、昔からの宗教の教義や哲学をイスラム教の枠内で再解釈しなければならなくなり、もともとのアラビア半島のイスラム教(スンニ派)とは違う分派となった」というものだ。シーア派が多いのはイラクのほか、イラン、アゼルバイジャンなどで、いずれもイスラム教が発祥する前にメソポタミアを支配していたペルシャ帝国の諸王朝の領土だった。

 古代から膨大な知識の蓄積があったメソポタミア・ペルシャ文明は、イスラム教が生まれた7世紀ごろの時点では、イスラム教が発祥した砂漠のアラビア半島より、はるかに複雑な宗教観や哲学を持っていた。

 ムハンマド率いるイスラム教の軍隊は、ペルシャ帝国の軍隊よりはるかに強く、イスラム教の勃興から20年後には、ペルシャ帝国は滅ぼされてしまった。その後、帝国の臣民たちはイスラム教徒に集団改宗したが、この新規加入によってイスラム教の指導者たちは、ペルシャ帝国の元臣民たちが発する、神と人間の関係など、宗教・哲学的な高度な問いに答えねばならなくなった。

 ところがアラビア半島の元祖イスラム教は、そんな問いに答えられるだけの高度な思考体系を持ち合わせていなかった。そのため、ペルシャ帝国の宗教をイスラム教の枠内で解釈し直し、シーア派の原型が生まれた。その後、イスラム教の上層部で跡目相続がらみで勢力争いが激化し、対抗勢力の中の一つがペルシャ帝国の元臣民の勢力と合体し、今につながるシーア派の流れとなった。

▼カエルを飲み込んだヘビ

 シーア派の存在は、古代ペルシャの宗教という名の「大きなカエル」を飲み込んだばかりの、元祖イスラム教という名の「小さなヘビ」のようなものだ。無理やりカエルを飲み込んだので、ヘビのお腹には少しずつ消化されていくカエルの形が残っている。

 イスラム教は古代ペルシャ帝国だけでなく、西アジアのいろいろな文明を武力で総なめにし、その後はアラビア商人がインドからフィリピンまで行って貿易し、アジア各地の王室や有力者に改宗を勧めた。その結果、イスラム教は、ペルシャ文明の宗教だけでなく、インドの古代宗教や各地の山岳信仰など、各地の人々がイスラム以前に持っていたいろいろな宗教を消化しきらずに内包している。

 それらを総称して「シーア派」と呼んだり「スーフィ」と呼んだりしている。イスラム教というのはヘビのお腹の皮のようなもので、その皮の下には、ヘビが飲み込んだいろいろな動物の形が透けて見える。飲み込まれた動物たちの側からは、ヘビの皮をかぶっただけだということになる。これがイスラム教の複雑さの背景である。

 シーア派の人々は、自分たちの以前の信仰のエッセンスを残したまま、イスラムの教義を受け入れたが、その方法の一つは、コーランを読み替えることで別の解釈にたどり着くことだった。コーランの行間に隠された語句が潜在している、という考えに基づき、たとえば「願わくばわれらを導き、正しい道をたどらせたまえ」というコーランの語句(開闢の章 1:5)を「願わくば(イマームを通して)われらを導き、正しい道をたどらせたまえ」と読み替えることにより、神と人間の間にイマームが介在しているというシーア派の考え方を正当化している。(関連記事

 スンニ派は当然、こうした読み替えを邪悪なものと考えるので、スンニ派の側で「イスラムの原点に戻れ」という原理主義的な運動が勃興するたびに、シーア派が攻撃され、殺し合いが起きることになった。ヘビがカエルを飲み込んでから1300年以上経っているが、まだカエルはヘビの腹の中で消化されるのを拒み続けているのだ。

【写真】カズミヤ廟の内陣入り口 (この中にはイスラム教徒しか入れない)

▼幸せそうな参拝者たち

 シーア派の聖地カズミヤ廟モスクを訪れたとき、私がまず感じたのは「浅草みたいな場所だ」ということだった。(最近イラク旅行記「イラクの小さな橋を渡って」を刊行した作家の池澤夏樹さんは、本の中で、カズミヤ廟の門前町を長野の善光寺などに似ていると書いている)

 厳格な宗教というイメージがあるイスラム教の聖地が、浅草や善光寺など、世俗的な賑やかさを持った日本の門前町と似ているという印象を日本人に抱かせることは、読者には意外に思われるかもしれない。だが、実は厳格なのはイスラム教の中でも「ヘビ」の部分、つまりスンニ派的な要素であり、シーア派の「カエル」的な部分は、日本人の庶民的な信仰と意外に似ている感じがした。

 たとえば、信者たちは皆、カズミヤ廟モスクに出入りするときに、入り口の巨大な扉のドアノブにさわったり、おでこをつけたりしていた。この扉の金具にさわることで、何か御利益があるとされているようだ。こうした偶像崇拝的な信仰形式は、スンニ派には存在しない。逆に、日本や中華世界のお寺で、仏像の足にさわると御利益があるとされていたりするのと似ている気がした。

【写真】カズミヤ廟の入り口の扉

 カズミヤ廟はドーム型の屋根に金箔が張られ、黄金に輝いていた。タイル張りの中庭では、たくさんの信者でごった返していたが、みなくつろいだ感じで、聖地に来れて幸せだ、という感じで顔が輝いている人が多い感じがした。シーア派の隣国イランから来た団体の参拝客も何組もいた。女性は、イラン人もイラク人も、真っ黒い布を頭からかぶり、顔だけ出している(黒装束はイラクではアバーヤ、イランではチャドルと呼ばれている)。私には、誰がイラン人で誰がイラク人か区別がつかなかったが、同行した情報省のガイドは、話している言葉を聞き分け「あっちの団体と、こっちの団体がイラン人だ」などと言っている。(イラクはアラビア語、イランはペルシャ語)

【写真】廟の中庭でごった返す人々

 イランとイラクはいまだに政治的には敵同士なので、イラク政府は、イランからの巡礼客の入国を1カ月に5000人までしか認めていないが、それはイランから直接入国してくる場合だけで、シリアなどを第3国を経由してくるイラン人巡礼客はそれよりはるかにおおぜい入国しているという。参拝者たちの幸せそうな表情を見るのが心地よく、私は堀越上人らとの団体行動の合間を縫って、数日後にもう一度カズミヤ廟を一人で訪れたりした。

【写真】イラン人の団体客

▼日本の伝統信仰とシーア派

 日本の伝統信仰とシーア派とが似ている点は他にもある。堀越上人が計画している灯籠流しについて、私たちのイラク側の受け入れ団体のハシミ会長に説明したときは「イラクにも同じような風習があります。灯籠流しはイラク人には親しみがある」と言われた。バクダッド郊外の別のシーア派の廟では、近くを流れる川に灯籠を流すと願い事がかなうという信仰があるのだそうだ。

 同じシーア派の隣国イランの山岳地帯などでは、滝や巨石に対する信仰も残っているし、滝に打たれたりして修行する聖者もいると聞いた。このようにいろいろな点を見ていくと、日本の古くからの信仰と、シーア派の信仰との間に共通点があるように感じられる。

 以前、東南アジアのラオスを旅行したとき、メコン川沿いにある「ワットプー」という半分遺跡化している古代からの山岳寺院を訪れたとき、その寺の伽藍のたたずまいの雰囲気が、高野山など日本の山岳寺院の雰囲気と意外に似ているので、驚いたことがある。ワットプーは今は仏教の寺で、本尊として仏像が置かれていたが、もともとは古代インドのバラモン教(ヒンドゥ教の前身)の寺院だった。(関連記事

 ワットプーでは、長い階段の途中の踊り場に、灯籠の先祖のような男根型の石柱が並び、それを上がり切ると、うっそうとした木々の間に本堂があった。そして、その裏の山肌の岩の下に清水が湧いていて、飲めるようになっているのを見たとき、神仏が混合していた日本の古代信仰の源流は、インドのバラモン教にたどれるに違いない、と思った。(関連記事・暴れ出すアジアの古代宗教

 バクダッドのカズミヤ廟モスクは、建物はイスラム様式で、日本の寺社とは全く違う。だが、人々の信仰形態の雰囲気の中に「浅草」や「善光寺」が感じ取れ、さらに「イマーム」と「弥勒菩薩」が同じものかもしれないと分かったとき、日本の古代信仰とインドやペルシャの古代信仰はつながっていて、それがシーア派の中に息づいているのだと感じられる。

 バクダッドではもう一カ所、イラク政府が最近作った「戦闘の母モスク」というのを訪れたが、そこはスンニ派的なモスクの一般的なイメージに違わないもので、庶民的な雰囲気は少なかった。説教を聞くのは男女別で、私たちが見ることができるのは男だけの集まりだった。

 このモスクがあった場所は1991年の湾岸戦争時、フセイン大統領の秘密の司令部が置かれており、米軍が必至に探してもこの場所を突き止めることができず、フセイン大統領は生き残った。これは神のご加護に違いない、ということで、戦後ここにモスクを建て「戦闘の母」という名前をつけたのだと情報省のガイドが説明した。フセイン大統領はスンニ派だから、戦闘の母モスクも、スンニ派的な雰囲気を持っていて当然かもしれない。

▼宗派別の話を避けたがる情報省ガイド

 イラクの人口の65%はシーア派のアラブ人である。さらに20%近くはクルド人(スンニ派中心)だ。フセイン大統領など政権の上層部にいる人々はスンニ派アラブ人が多いが、このグループは人口としては15%ほどを占めるにすぎず、人数的にはマイノリティである。

 このため、情報省のガイドのフセイン氏は、人々の様子を宗派別に分けて語ることを避けようとしていた。私はバクダッドの人口のうち何割がシーア派なのか、何回かフセインに尋ねたが、そのたびに話をそらされた。

 町を歩く女性のうち、真っ黒なアバーヤを着ている人がシーア派ではないかと思われ、カズミヤ廟の周辺では女性の9割、バクダッドの中心部の繁華街では7割ほどがアバーヤを着ていた。だが、そのことをフセインに尋ねると「スンニ派も黒いアバーヤを着る。黒はどこにでも着ていける便利な色だから、みんな重宝して着ているんだ」という返事だった。

 欧米などの新聞では、イラクのシーア派は差別されていて、分離独立を目指す傾向が強いと書かれていることが多い。ところが、宗派(シーア派)や民族(クルド人)のことはイラクでは政治的に危うい問題であることには違いないのだが、シーア派が特別に差別されているかというと、そうとは言い切れないように感じた。

 シーア派に貧しい人が多いことは事実で、バクダッド市内のサダムシティという地域には300万人ものシーア派貧民が住んでいる。600万バクダッド市民の半分がシーア派の貧民ということになる。だが一般の公務員などの世界では、シーア派もスンニ派も分け隔てなく働いているようだ。たとえば私たちのガイドである情報省のフセインはシーア派だという(イマームのことなど詳しかったので、ウソではないだろう)。

 私たちのための2台の乗用車の運転手は、シーア派とスンニ派が1人ずつだった。運転手の2人は仲が良く、大通りを並んで80キロで走りながら、窓を開けて大声で冗談を飛ばし合って笑っているような状態だった。(危険な運転が目立ったが、運転技術はかなりのものだった)

 このように個人的には宗派に関係なく親密で、平常の生活では上からの国家統合圧力も強いので、宗派の違いは紛争にならない。ところが「戦争」になると、状況は変わってくる。だから今の時期、宗派問題を外国人に説明することに慎重になっているのだろう。

 ガイドのフセインの先導でカズミヤ廟の中庭を歩いていると、モスクにいるイスラム学者がやってきて、私たちに歓迎の意を表明した。このシーア派のイスラム学者に「イランについてどう思うか」と尋ねたところ、フセインの通訳を経て返ってきた答えは「イラン人とわれわれイラク人とは、人々や信徒としては仲がいい。問題は政府だ。イラン政府はペルシャ文明優先主義を採っていて、われわれアラブ人をさげすんでいる。だからイランの人々は好きだが、イランの政府は嫌いだ」というものだった。なかなかうまく答えるものだと思い、苦笑してしまった。

【写真】カズミヤ廟のシーア派イスラム学者(右) (左の人は私たちの車のスンニ派の運転手アリ)




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