非米化するイラクとレバノン2009年5月12日 田中 宇イラクが安定していく方向を見せている。イラクでは一昨年末からから治安が安定してきており、まだ毎日のように自爆テロや銃撃戦が起きているものの、今年3月には欧米からの初めての団体旅行客が訪問し、5月に入って台湾からの18人がアジアからの初めての団体旅行客として1週間イラクを旅行した。 (First Asian Tour Group in Post-Saddam Iraq) 日本からも最近、ジャーナリストや援助団体の人々が相次いでイラクを再訪するようになっている。英国軍が撤退を完了したばかりのイラク南部のバスラで、5月はじめに国際癌学会が開かれ、その取材という名目で、日本のジャーナリストや市民活動家にも、数年ぶりにイラク訪問ビザがおりた。 イラクの安定化は、イラクが米国の傀儡国として安定したということを意味しない。むしろ全く逆で、イラクは、米国の言うことを聞かないイランやトルコ、シリアなどの近隣諸国に助けられて安定化してきている。イラクは、米軍が撤退していくとともに米国とは一線を画し、イスラム主義と汎アラブ主義が融合した、非米的な国になっていくだろう。 「そんなことは米国が許さない」「敗戦によって日本が恒久的な米国の傀儡となったように、イラクも米国の傀儡になるに違いない」と思う人が多いかもしれない。しかし敗戦後、喜々として米国の傀儡になり、傀儡であるがゆえの安定性を経済成長による繁栄として享受してきた戦後の日本人と、この100年間ずっと英米に抑圧され、貧困と混乱の中に押し込められてきたアラブ人・イラク人とは、全く状況が異なる。 ここ数年の事態の推移を見ると、イラクを含む中東における米国の影響力や信用力は劇的に低下している。しかも米国の政策立案者たちは、米英中心主義を強化するふりをして、実際には世界の反米感情を煽って反米非米勢力を強化する、隠れ多極主義的な動きを続けている。 最近のイラクでの動きを見ても、非米的な方向が強い。たとえば最近、イラクのシーア派の反米的・親イラン的な指導者であるムクタダ・サドル師が、70人の従者をつれてトルコを訪問したことが象徴である。 ▼イラク・ナショナリズムの試み 36歳のサドルは、かつてイラクのシーア派を代表してフセイン政権による弾圧と戦っていた指導者の息子で、米軍占領後は反米ゲリラの頭目となった。サドルは04−05年、特にイラク駐留米軍から敵視され、それがゆえに反米感情が強いイラクで英雄視され、七光りだけの二世指導者から英雄指導者へと脱皮した。対米敗戦で旧イラク軍が自己消滅した後、サドルが率いる武装勢力「マフディ軍」は、クルド人の軍勢「ペシュメガ」と並ぶ強い軍事勢力となったが、サドルはその後、武器を捨てて政治家になることを宣言した。07年以来、イランのシーア派の聖都コムなどに隠遁し、公の場所に姿を現さなかったが、5月はじめに突然トルコを訪問し、トルコの首相や大統領らと会談した。 (Muqtada comes in from the cold) 政治家としてのサドルは、「シーア派」としてのイラン(ペルシャ人)との連携と、「イラク人」「アラブ人」としての汎アラブ主義に基づくスンニ派との協調という、2つの方向を融合したイラク・ナショナリズムを目指している。イラクはシーア派(60%)、スンニ派(15%)、クルド人(15%)という3大勢力の寄り合い国家だが、サドルはスンニ・シーア間の協調によって、クルドの分離独立を阻止しようとしてきた。 クルド人は、米国やイスラエルの力を借りて独立を模索しており、米傀儡のイラク政府を担当しているマリキ首相(シーア派)は、クルドの独立傾向を容認し、大油田があるイラク北部の都市キルクークをクルド人に譲渡する「住民投票」の実施を認めようとした(キルクークの住民投票は、米国が作ったイラク憲法に盛り込まれている)。反米ナショナリストのサドルは、キルクーク住民投票に反対し、イラン、トルコ、シリアという、イラクと同様にクルド人を少数派として抱える周辺諸国と連携した。 オバマ政権になって米国が、中東各地の非米的・自立的な動きを容認するようになったため、力関係はクルド人に不利になり、国連でイラク問題を担当する外交官は5月3日、キルクークの住民投票を5年間延期する案を示唆するに至った。すでにイラクのマリキ政権は米国の傀儡色を脱する方向を模索しており、3月にトルコの大統領が33年ぶりにイラクを訪問し、イラクとトルコで連携してクルド人の独立を阻止することが、ここで決まった。 4月には、トルコからの分離独立を目指してゲリラやテロ活動をしていたクルド人の武装勢力PKKが一方的な2カ月間の停戦を宣言し、問題を政治的に解決したいと言い出した。米英の影響力低下とともに、クルド人は独立志向を棚上げし、周辺の国家と協調せねばならなくなっている。 (Turkish Kurd Separatists Announce Unilateral Ceasefire) 第一次大戦以来、クルドの分離独立は、英国主導で欧米が分割支配してきた中東諸国の弱体化を維持する道具として使われ、米英イスラエルの諜報機関がクルド勢力を隠然と支援する動きが続いてきた。だがこうした体制は、米イラク占領の失敗と米英の支配力低下とともに、終わりに向かっている。代わりに、従来は米欧の影響下もしくは制裁下にあった中東諸国が自立的に協調し、クルド問題などの中東の諸問題を非米的に解決する新秩序が立ち上がりつつある。 (Iraq serves Turkey a rare treat) ▼シーアとスンニの対立が解消されうる サドルが突如トルコを訪問し、2年ぶりに公式の場に姿を現したことは、クルドの独立を阻止するサドルとトルコの連携が成功したことを宣言する意味がありそうだ。同時期に、イラク北部のクルド人地域からの原油の輸出が、イラク戦争開始以来初めて再開されることになった。イラク国内にとどまることが決定的になったクルド人勢力に、原油代金の一部が配分されるという「飴」が与えられるのだろう。 (Iraq's Kurds to Begin Oil Exports in June) こうした動きの渦中にいるサドルは、レバノンの武装勢力ヒズボラ(これまたシーア派)の指導者であるハッサン・ナスララと並んで、汎アラブ的な若手英雄指導者になっていく可能性がある。サドルとナスララがいずれもシーア派であることは、サウジアラビアやバーレーンなどで政治的に抑圧されているシーア派の政治覚醒につながりうる。だがその一方で、サドルのイラクとナスララのレバノンは、いずれも内戦になりがちなモザイク状の多民族国家であり、これらの両国で国内の協調体制が成功すれば、そのノウハウは中東全体の協調体制や、シーア派とスンニ派の対立の止揚につながりうる。シーアとスンニの対立は、米英仏による中東支配のために扇動されてきた。米国の影響力低下によってイスラム世界は、シーアとスンニの対立を解消する機会を得ている。 米軍は、今夏にかけてイラク各都市の市街地から撤退し、砂漠の中の基地のみに駐屯する態勢に転換していく予定だが、その後のイラクでは、サドル派のナショナリズム的な政治活動が強まると予測される。すでにイラク議会では、英国系のシェルなど外国の石油会社が米軍侵攻後にイラク政府と結んだ石油ガス契約をいったん帳消しにせよという、ナショナリズム的な提案がなされている。 (West's Access to Iraqi Oil in Doubt) またイラク議会では、フセイン政権時代の1981年にイスラエルがイラクのオシラク原子炉を空爆した件について、イスラエルに改めて賠償請求する動きも起こしている。イスラエルは当時、フセインはオシラクで核兵器を開発していると主張したが、原子炉はまだ建設中で稼働していなかった。 (Iraq: Israel should compensate Osirak attack) ▼ドルーズの寝返り サドルと並ぶ中東での英雄的シーア派若手指導者であるナスララが率いるレバノンのヒズボラも、反米武装勢力から、レバノンを代表する政党へと脱皮しようとしている。レバノンでは6月7日に選挙が行われる予定で、ヒズボラの勝利が予測されている。レバノンは18の宗教諸派からなるモザイク国家で、シーア派は人口の30%前後を占める最大派閥の一つだ(他に、スンニ派30%前後、マロン派キリスト教徒25%、ギリシャ正教徒7%、ドルーズ派イスラム教徒5%など。議会の議席が人口比で割り当てられる部分があるため、人口比は政治問題となり、正確な人口調査は長く行われていない)。 かつてフランス領だったレバノンでは従来、欧米の支配者から好かれるキリスト教徒の政治力が強く、マロン派主導の連立政権が長く続き、ヒズボラは隅に追いやられていた。ヒズボラが選挙に勝ち、ヒズボラ中心の連立政権ができると、レバノンの政治は画期的に変質する。米イラク侵攻以来、イスラム世界の反米反イスラエル感情の高まりが、レバノンの世論をも動かしている。06年のイスラエルとの戦争でヒズボラが負けなかったことが、ヒズボラの人気を高めた。 (Hezbollah win in Lebanon June 7 poll would be big upset) ヒズボラはすでにレバノンでかなりの政治力を持ち、選挙を前に、ヒズボラ主導でレバノン当局によるイスラエル・スパイ狩りがさかんに行われている。すでに20人ほどのスパイ容疑者が検挙され、家具に仕掛けられた通信機や偽造旅券などが証拠品としてテレビ放映されている。イスラエルは1970年代にレバノンに侵攻し、80年代に敗退したが、この時にレバノン国内で無数のスパイを雇用し、ヒズボラなど反イスラエル系組織の動きを監視させていた。 (Hezbollah 'helped crush Mossad' in Lebanon) 興味深いのは、レバノンでのイスラエルスパイ摘発に米国が協力しているようだと、イスラエルが疑っていることだ。米国は従来の親米的なレバノン政府に軍事支援してきた。その名目は、米国がテロ組織に指定しているヒズボラを取り締まる「テロ戦争」だった。しかし、今やレバノン政府内ではヒズボラの力が強まり、ヒズボラを取り締まるために米国が与えた諜報の通信傍受技術などが、レバノン国内のイスラエルスパイ網を取り締まるために使われ、米国はそれを黙認していると、イスラエルは不満を持っている。 (Did U.S. help Lebanon crack alleged Israeli spy rings?) イスラエルはレバノンから撤退した後も、イスラエル・レバノン国境に面したレバノン最南部の村を、安全保障の名目で軍事占領してきた。だが米国は、レバノンでの選挙を前に、よりよい選挙をやるためとして、イスラエル軍がレバノン最南部の村から撤退するよう求めた。米国はこの措置を「レバノン選挙で親米勢力を勝たせるため」と言っているが、実はレバノン南部を拠点とするヒズボラを強化するだけの策だと指摘されている。米国の「隠れ反イスラエル」ぶりを示す例だ。 (Israel set to quit divided Lebanon border town) イスラエルからの政治圧力が強い米国は、まだヒズボラをテロ組織と認定したままだが、英国やEUは、すでにヒズボラをレバノンの正式な政党として認知して交流を開始している。特に、英国がヒズボラやハマスと交流を開始したことは、いずれ米国がヒズボラやハマスをテロ組織と見ることをやめると、英国が予測していることを示している。 (Britain re-establishing contact with Hezbollah) このような流れの中で、レバノン国内でも、これまで親米反ヒズボラの急先鋒だったドルーズ派が、親ヒズボラ・親シリアの方向に転換する姿勢を見せている。ドルーズ派を代表する指導者ワリド・ジュンブラットは4月末、オフレコの懇談の中で、親米反ヒズボラのマロン派勢力は、ヒズボラにぶざまに負けており、ヒズボラの方がはるかに強いと、仲間であるはずのマロン派組織を批判するコメントを発した。これは、政治に敏感なジュンブラットが、マロン派との連携を解消してヒズボラにすり寄っていく第一歩と見られている。その後、米国からクリントン国務長官がレバノンを訪問したが、これまで米国から援助金をもらっていたジュンブラットは、もう彼女に会えなかった。 (A new order emerges in Lebanon) 古来、厳しい諸派間の政治闘争が続いてきたレバノンで、山間部の少数派であるドルーズ派は、政治変化の胎動を機敏に察知して、組む相手を微妙に変化させていくことで、生きながらえてきた。ドルーズ派は、古い西アジア密教系(グノーシス系。イスマーイール派のシーア派に近い)の宗教を信仰する。7世紀にムハンマド(マホメット)がイスラム教を興し、レバノン山間部にも改宗しろと軍勢を送り込んできた時、ドルーズは教えの中にイスラム教的な要素を織り込んで「私たちもイスラム教徒です」と言って事なきを得た。ドルーズは本質的に、シーア派諸派と同様、イスラム教の皮をかぶった古代宗教である。密教的な表裏のある知識体系の中にあっては、このような詭弁や「コウモリ」的な行動は、必ずしも悪いことではない。マロン派が弱くなり、ヒズボラが強くなるなら、ヒズボラにすり寄るのがドルーズの伝統に合っている。 ドルーズの人々は、イスラエルにも住んでいるが、詭弁や謀略の力ではドルーズよりユダヤの方が上だ。ドルーズは、イスラエルで主に警察官に採用され、パレスチナ人弾圧の先頭に立たされている。ユダヤ人はドルーズに対して「イスラエルに忠誠を誓ったのなら、喜んでパレスチナ人を虐待できるはずだ」と言って、自分たちがやりたくないパレスチナ人虐待の汚れ仕事をドルーズにやらせている。その結果、イスラエル・パレスチナにおいて、パレスチナ人とドルーズは、相互に憎みあっている。 【続く】
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