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中東を多極化するロシア

2016年3月16日   田中 宇

 3月14日、昨秋からアサド政権の要請でシリアに軍事介入しているロシアのプーチン大統領が、シリアでの目標をおおむね達成したのでロシア軍の撤退を開始すると唐突に表明した。この日、スイスのジュネーブで、シリアのアサド政権と反政府勢力との停戦交渉が国連の仲裁で始まり、反政府勢力が露軍の早期撤退を求めていることに呼応し、プーチンが撤退開始を発表したと考えられている。 (Putin Orders Russian Military to Withdraw From Syria Beginning Tuesday) (Putin withdrawing Russian forces from Syria: why now and why it matters

 5か月に及ぶ露軍のシリア進出は順調で、敵であるISISやアルカイダ(ヌスラ戦線)は追い詰められている。目標をおおむね達成したというプーチンの表明は誇張でない。米英からは、ロシアのシリア進出はうまくいっておらず、プーチンは早めに撤退せざるを得ないとか、ロシアは冷戦末期にアフガニスタン占領が泥沼化してソ連邦崩壊につながっただけに早く撤退したいのだとか、プーチンはアサドに真剣に和平交渉しろと圧力をかけるために一方的に軍事撤退すると言ったのだといった論調が流れてきている。私は、これらのいずれにも違和感がある。シリアにおいてロシアは空軍しか出さず、派兵の費用も安上がりで、泥沼化する要素が少ない。確かにアサド政権は鈍重だが、テロリストに武器支援してきた米国やトルコの方がロシアにとって要警戒だ。 (Russia drops the mic: Syria pullout comes at perfect moment) (Russia cuts its losses in Syria) (Russia's Syria withdrawal catches US off guard) (Why Russia Is Leaving Syria: Putin Achieved Everything He Wanted

 ロシアは、ISISやアルカイダから離反する武装組織を増やす目的で、国連で停戦案を可決して2月末から停戦を開始し、もくろみ通りの展開になっている。米国などのマスコミが当時発した停戦失敗の予測は外れている。シリア軍は、露軍の空爆支援を受け、シリアの南部や北部でかなりの地域を奪回し、最後に残る東部の攻略に取り掛かっている。シリアの現状は、露軍がそろそろ撤退を開始できる状態にある。 (Syrian army aims for eastward advance with Palmyra attack) (勝ちが見えてきたロシアのシリア進出) (シリアをロシアに任せる米国

 しかし、シリア内戦は山を越えたものの、終わっていない。ISISやアルカイダが占拠してきた北西部の大都市アレッポが、まだアサドの政府軍や露軍の側に奪還されていないし、東部にあるISISの「首都」ラッカ周辺も残っている。アレッポとラッカを露アサド軍が奪回すれば、ISISやアルカイダの掃討が完了し、シリアの内戦が終結して、ISIS掃討の中心がモスルなどイラクに移り、露軍が本格撤退できるが、それまでにまだ何か月かかかる。プーチンの露軍撤退開始の宣言は、軍事状況に基づく表明というより、シリア国内の反政府派や、その背後にいるトルコ、サウジアラビアなどに配慮した政治的表明の感じだ。反政府勢力は「外国軍であるロシア軍に支配されたまま停戦や政治和解が始まるのはおかしい」と主張している。 (Aleppo surrounded by pro-Assad forces amid truce) (Putin orders military withdrawal from Syria

 私は以前の記事で、アサドが選挙に勝つ準備をする時間を作るため、アレッポの完全奪還と勝利宣言が棚上げされているのでないかと書いた。その文脈で見ると、プーチンは今回、停戦交渉における反政府派やトルコ、サウジからの批判をかわすため露軍撤退開始を宣言したが、アレッポ奪還や内戦全体の勝利・終結宣言は依然として先送りされ、内戦終結と撤退開始の順番が逆になる事態が起きている。 (シリアの停戦) (US cautious about Putin's order for Syria withdrawal) (Putin orders Russian forces to start pulling out of Syria

 シリアの反政府派は、米国やトルコ、サウジアラビアに軍事支援されてきたので軍事的に強かったが、戦いが軍事から政治に移る今後、大きな力を持てる(シリア国民に支持される)のか疑問だ。停戦交渉が成就すると、反政府勢力は武装解除させられるが、アサドの政府軍は「正規軍」なので武装したままだ。シリア政府が国際社会から再承認され制裁を解かれると、政府軍は世界から正式に武器を買えるようになり、むしろ今より強くなる。ロシアはシリアに3つの基地を持ったまま、必要ならいつでもシリアに再派兵できる。停戦は、反政府勢力だけに譲歩を強いる片務的なものだ。反政府勢力が選挙でアサドを破れば権力を握れるが、世論調査ではアサドの方がかなり優勢だ。こんな状況だから、今回のプーチンの撤兵開始宣言は、シリア国内の反政府勢力に配慮したというより、むしろトルコやサウジといった、反政府勢力の背後にいる外国政府に向けて発せられた観がある。 (Rebels, Germany laud Russian plan to withdraw from Syria

 シリア内戦でISISやアルカイダを支援してきたトルコは、露アサド側が勝ってしまうことで、シリアでトルコが傀儡勢力を失うだけでなく、露アサド側の一員であるクルド軍がトルコ国境沿いの地域に自治区(半独立国)を作り、自国のクルド人の独立傾向を煽ることを懸念している。自治区(ロジャバ=西クルド共和国)の創設を認められて12年からアサド政権と協調しているクルド人の民兵組織(YPG)は、おそらく停戦後も武装解除されず、そのまま自治政府の正式な治安部隊になる。自国内に分離独立要求を持つクルド人を抱えるトルコにとって、これは大きな脅威だ。トルコ軍は、シリアと自国のクルド勢力が交流できないよう、自国とシリアの国境地域のシリア側に帯状の緩衝地帯を作って恒久占領する策を立てている。ロシアは、これを国際法違反だと非難し反対している。ロシアは、自国軍の撤退開始を発表することで、トルコに対し「うちも出ていくから、お前らも出ていけ」と言えるようになる。 (Russia says has evidence of Turkey forces on Syria soil) (Russia after Turkey-Syria border closure over arms flow

 サウジアラビアの方は、状況がもっと複雑だ。サウジはもともと米軍産複合体と結託し、アサド政権を潰そうとする米国の策の片棒を担いでいたが、昨年1月に国王が代わった後、新国王とその息子(国防大臣)が米国離れの国家戦略を隠然と強め、王室の上層部に根強く残る対米従属派との暗闘が激化している。シリア内戦で露アサド側が勝ち、軍産系の米トルコが破れつつあることは、サウジ王政の暗闘で新国王親子が優勢になり、米国離れを強める口実となっている。新国王親子は、目立たないようにロシアとの協調を強めており、2月にはロシアとサウジが結託して米国のシェール石油産業つぶしを目標に原油安を長期化する談合を結んでいる。 (サウジアラビア王家の内紛) (◆イランとサウジの接近を妨害したシーア派処刑) (◆ロシアとOPECの結託) (米サウジ戦争としての原油安の長期化

 サウジだけでなく日本、英国、イスラエル、カナダなど、米国との結合が強い同盟諸国と米国自身は、いずれも政権中枢が軍産複合体に取りつかれており、簡単に軍産から足抜けできない。指導者が足抜けを試みると、政争やスキャンダルなどさまざまな汚い阻止策が発動される(日本では鳩山小沢がこれでつぶされた)。足抜けをするには、直截的な方法でなく、軍産好みの好戦策をわざと過激にやって大幅に失敗し、そこからの挽回策と称して足抜け策をやるしかない。ブッシュからオバマにかけての米政権はこれをやってきた観があるが、サウジの新国王親子も、米国に学んだのか、同様のことを進めていると感じられる。 (◆多極側に寝返るサウジやインド

 サウジは、シリア内戦で反政府側に肩入れして失敗し、イラク占領やイラン核問題でオバマに裏切られ、イランの台頭とイラクのシーア化に直面している。昨年の新国王就任早々には、軍産にイエメン戦争まで起こされて苦渋している。これらの度重なる難局に対し、主犯であるサウジ王室内の軍産系の勢力は「ぜんぶ新国王親子のせいだ」と責任転嫁して新国王親子の権力を削ごうしているが、新国王の側は「米国に追随したから失敗した。政策転換はやむを得ない」と言って、ロシアとの協調を強め、イランと水面下で話し合い、イランの協力でイエメン戦争の停戦交渉を進めている。 (◆米国に相談せずイエメンを空爆したサウジ) (Saudi says set on Yemen political solution, Syria's Assad must go

 シリア内戦でロシアがイランを従えて勝ち、米サウジトルコ側の敗北で決着することは、サウジ王室の内紛が非米・親露的な新国王親子の権力掌握で決着し、軍産の弱体化につながりうる。そこに至るには、シリア内戦の和平交渉でサウジがあまり譲歩を強いられず軟着陸できることが必要だ。ロシアが、サウジを敗北した敵として扱うのでなく、助け舟を出して融和すれば、その分サウジ王室内の非米・親露派が強くなる。先日の、サウジ率いるOPECとロシアとの結託(産油量の最多水準での凍結)は、ロシアによるサウジ懐柔策の一つとみることができる。そして今回のプーチンのシリア撤兵開始宣言も、ロシアがシリアを軍事支配しない姿勢を示すことで、サウジをなだめつつ、アサドの続投をサウジに認めさせるために必要な策といえる。 (Despite Syria, Russia works with Saudi Arabia) (◆ロシアとOPECの結託

 シリア内戦がアサド続投で終わりそうなことは、ロシアとともにアサドを支援してきたイランの影響力拡大につながる。イランはシリアだけでなく、その隣国のレバノンでもシーア派の政党・民兵団であるヒズボラを通じて影響力を強めている。ヒズボラは地上軍としてシリアに参戦し、政府軍を支援してきた。シリアとイランの間にあるイラクも米軍撤退後、イラン傘下のシーア派政権の国になり、イランはインド洋から地中海のイスラエル国境までの広大な地域を影響圏として持つことになった。サウジの新国王親子は、米軍産から足抜けするとともに、イランとの和解が必要になる。サウジとイランを最も有効に仲裁できるのはロシアだ。サウジがイランと和解したら、次はイスラエルとイランの和解が射程に入る。 (Iran-Saudi Arabia: The Reversal Of A Geopolitical Balance

 サウジ王政はすでにイランとひそかに和解を開始しているふしもある。それを思わせる事件が先日起きた。それはサウジ王政が、これまでずっと続けてきたレバノン国軍に対する軍事費の支援を突然打ち切り、レバノンに対する影響力を放棄して、レバノンがイラン傘下の国になることを容認したことだ。サウジ王政は表向き、イラン敵視策としてその策を発動した。シリア内戦に勝ちつつあるヒズボラは、レバノン国内で力をつけ、レバノン国軍を傘下に入れる傾向を強めている。サウジはこれを見て「敵」であるイラン傘下のヒズボラを「テロ支援組織」に指定するとともに、ヒズボラの傘下に入りつつあるレバノン国軍への軍事費支援を打ち切った。しかし現実を見ると、この策によってレバノンはサウジに見捨てられ、ヒズボラやイランの傘下に入る傾向を一気に強めている。これはサウジ新国王の、イラン敵視策に見せかけた、イランと折り合いをつける現実的な策と見た方が良い。 (Saudi Arabia Cuts Billions in Aid to Lebanon, Opening Door for Iran) (The Role of Iranian Moderates in the Crisis with the Gulf) (U.S. Presses Saudi Arabia Not to Further Punish Lebanon Economically

 ロシアだけでなく米国も最近、イランとサウジを和解させようとする動きを強めている。米国の雑誌アトランティックが先日、オバマ大統領の隠れ多極主義的な中東外交政策について非常に興味深い記事を出したが、その中でオバマは、サウジとイランが中東の現実を重視して「冷たい和平」を結ぶべきだと述べている。この記事は非常に長いが、全体としてイスラエルやアラブ諸国(要するに軍産)が好戦策をやれという強いの政治圧力をオバマ(や歴代の米大統領)にかけていることや、英仏などの同盟国(やヒラリー・クリントンら政権内の好戦派)がその尻馬に乗っていることに、オバマが強く怒っていることが表明されていて、非常に興味深い。この記事については、あらためて1本書きたいと思っている。 (The Obama Doctrine) (Saudi Arabia, Iran must shape 'cold peace,' Obama says) (Iran and Saudi Arabia: From Twin Pillars to Cold Peace?

 アトランティック誌の記事は、オバマが中東戦略に関する軍産の政治圧力から逃れたがってきたことが書かれているが、オバマが軍産による圧力から逃れる最も有効な方法は、中東の覇権をプーチンのロシアに渡してしまうことだった。同記事は、オバマが2013年夏にアサド軍の化学兵器使用(の濡れ衣)を理由に空爆しようとして途中でやめた事件から書き出し、オバマが途中でやめたことを「(軍産が作る)ワシントンのシナリオからの『解放』」と皮肉的に書いているが、この時がオバマのロシアへの中東覇権移譲の始まりだった。当時からの私の記事と、アトランティックの記事を重ねて読み解くと、そういうことになる。 (無実のシリアを空爆する) (シリア空爆騒動:イラク侵攻の下手な繰り返し) (米英覇権を自滅させるシリア空爆騒動) (シリア空爆策の崩壊) (プーチンが米国とイランを和解させる?) (中東政治の大転換

 その後オバマは、プーチンがアサドを支援してシリアに軍事進出するよう仕向け、事態を現状へと誘導している。サウジ、イラン、トルコ、エジプトが中東イスラム世界の4大国だが、このうちロシアは、すでにイランだけでなくエジプトとも親しい。米国は「アラブの春」で作られたエジプトのムスリム同胞団の政権を支持し、同胞団政権を倒して作られた現在の軍事政権を嫌ってきた。代わりにエジプトの軍事政権(シシ政権)に接近したのがロシアで、サウジやイスラエルとともにシシを支援している。 (Moscow to the Arabs: Iran is our top ally) (サウジとイスラエルの米国離れで起きたエジプト政変

 中東でロシアとの関係が難しいのがトルコとイスラエルだ。トルコは、昨秋の露軍のシリア進出までロシアと親しかったが、親アサドのロシアと反アサドのトルコが対立する事態になり、トルコ軍機によるロシア軍機の撃墜事件によって両国の敵対が決定的になった。しかしロシアの戦略は、中東諸国をうまいことまとめて安定化させて利益をとることが目的で、トルコとずっと対立し続けることを望んでいない。シリアの停戦が終結して事態が安定化していけば、いずれプーチンはトルコのエルドアン政権の窮地を救うことをやって融和し、双方が面子を保ったまま再和解しようとするだろう。 (◆露呈したトルコのテロ支援

 中東で孤立しつつあるイスラエルについても、ロシアは似たような策をとるだろう。米国が覇権を低下させ、代わりに仲裁役としてロシアが台頭して多極型に転換していきそうな今後の中東で、安定的な体制への軟着陸が最も難しいのが、パレスチナ問題を抱えるイスラエルだ。パレスチナ国家の創設による「2国式」で問題を根本的に解決できるなら良いが、右派が席巻する今のイスラエル政界は徹底してそれに反対し、パレスチナ人から土地を奪い続けている。 (西岸を併合するイスラエル) (続くイスラエルとイランの善悪逆転

 米国が中東覇権を手放していくと、米国の唯一の後ろ盾としてきたイスラエルの国力が大幅に低下する。イスラエルの人々が大馬鹿者たちでなければ、イスラエルは何年先かわからないが、いずれ右派を政界の主流から退け、ロシアやEUの仲裁を受けて2国式でパレスチナ問題の安定的な解決をめざす策に転換する。イスラエルが存続するには、それしか方法がない。 (◆国家と戦争、軍産イスラエル) (イスラエルがロシアに頼る?

 第2次大戦後ずっと世界の単独覇権国だった米国は、国際社会の重要事項をすべて自国が決める体制を続けてきた。だから米国は、戦略立案のプロセスを軍産や同盟諸国(英国やイスラエル)に牛耳られ、常識で理解できない政治構造になった。米国の失敗を繰り返さないため、ロシアや中国など、米国の単独覇権の次に来るであろう多極型世界における地域覇権的な諸大国は、国際的な意思決定のプロセスを自分たちだけが支配する米国型でなく、もっと分散的でゆるやかな多極型の覇権構造(国際社会)をめざしているようだ。ロシアの中東戦略には、その傾向が強く感じられる。 (ますます好戦的になる米政界) (中東覇権の多極化

 米国覇権で食っている「外交専門家」たちは「多極型覇権なんてうまくいかない。大国間の対立激化で破綻する。覇権は単独体制しかない」と言うが、ロシアがシリアの停戦をまとめ、中東全体を安定化に導こうとしている現状を見ると、米国の単独覇権体制より、ロシアや中国が形成しつつある多極型の体制の方がうまくいくことがわかる。



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