中東政治の大転換2013年9月30日 田中 宇1989年の米ソ和解(冷戦終結。レーガン・ゴルバチョフ会談)や、1972年の米中和解(ニクソン訪中)など、これまで米国が国際政治の基本的な構図を大転換し「世界的な敵」だった勢力と和解する時はいずれも、転換に関する明確な理由や、戦略的意味づけが欠如したまま、人々がなかば放心状態で見守る中、米欧(日)にとって、先月まで仇敵(悪)だった勢力が、いつの間にか味方になっている。 ロシアも中国も、冷戦終結や米中国交正常化の後、米国にとって「同盟国」でないが、もはや敵ではなく、国際政治を動かすために必要不可欠な大国と認知されている。学校で習う「正史」だと、冷戦終結はソ連が経済崩壊とともに米国敵視をやめたから起きたとされているが、実のところ、冷戦の恒久化を画策していたのは米英の方であり、ソ連は50年代から冷戦を終わらせたがっていた。問われるべきは、米国がソ連敵視の冷戦を終わらせた理由の方だが、「正史」には、その問いすら書いていない。 70年代の米中国交正常化も、米国のベトナム敗戦で中ソが結束するのを防ぐためとされているが、中国は、米国と関係が悪いままだったとしても、すでに経済崩壊しつつあったソ連との関係改善を望まなかっただろう。米国の上層部の一部は第二次大戦後、米中関係の改善を画策していたが朝鮮戦争の勃発によって阻まれた過去があり、米中国交正常化は、ベトナム敗戦を機に、その画策を20年ぶりに再開したものと考えるのが自然だ。もちろんそんなことも「正史」には書いていない。 (世界多極化:ニクソン戦略の完成) 私の戦後世界史の読み方は、米国の上層部に、英国から引き継いだ(もしくは英国のエージェントたる)戦略としての「ユーラシア包囲網による単独覇権戦略」の方向性と、第一次大戦前からの米国本来の戦略としての「多極化戦略」(各大陸、各地域ごとに覇権国があり、国連などで談合して世界を運営する)の方向性があり、これらの相克や葛藤により、米国が一見不可解な動きを繰り返すというものだ。 (歴史を繰り返させる人々) 単独覇権型だと、世界の発展地域がユーラシア周縁部などに限定され(日本はそれで満足だが)、封じ込められた中国など途上諸国の経済がいつまでも成長せず、世界規模で経済成長を最大化・永続化したい米国の資本家層は、隠れ多極主義を重視したと考えられる。戦後、英国主導で単独覇権戦略の具現化として冷戦が起こり、米政界は圧倒的に冷戦派(軍産複合体など)に席巻されたため、多極化戦略は地下に潜ったようなかたちになった。そのため、多極化戦略である米中和解や米ソ和解は、謀略的な「隠れ多極化」の策として行われた。だから、これらの和解には正当な説明がないままになっていると私は考えている。 (多極化の本質を考える) 世界では今、1989年の米ソ和解や72年の米中和解に匹敵する、地政学的な戦略の大転換が、米国とイランの和解によって起きている。今回の米イラン和解は、米ソ和解や米中和解と同様、敵対から和解への大転換に関する「正史」的な説明がないまま、人々がなかば放心状態で見守る中、進行している。不自然なシリア空爆騒動を契機に、多極型世界体制の重鎮であるロシアの台頭が誘発され、さらに、米国の覇権を崩したがっているイランが、米国によって、国際社会の敵から味方へと転換されつつある。今起きている一連の動きは、オバマ政権による、隠れ多極主義の戦略であるという考えが成り立つ。 (多極的協調の時代へ) 露中に比べてイランは小国だと思うかもしれないが、それは間違いだ。イランはイスラム世界のシーア派の雄で、中東の4大国(イラン、トルコ、サウジアラビア、エジプト)の一つであり、中央アジア、コーカサス南部、ペルシャ湾岸、イラク、アフガニスタン西部、シリア、レバノン、ガザなどに影響力を持っている。イランが裏で画策していると思われるバーレーンのシーア派民衆の民主化運動が成就して、バーレーンのスンニ派王政が倒れると、すぐとなりのサウジアラビア東部(シーア派が多数派)が混乱に陥る。 (ユーラシアの逆転) ここ10年以上、米国の世界戦略は中東が中心であるだけに、すでに現状で、国際政治におけるイランの影響力は(対米従属中毒で自閉傾向が増している)日本より、かなり大きい。日本は従来の米国覇権体制の永続を祈願するだけなので何もしないが、イランは覇権体制を自国にとって有利な多極型に転換したいので活発に動く。日本よりイランの国際影響力が大きいのは当然だ。イランが制裁を解かれ、国際政界で自由に活動できるようになると、米国の単独覇権体制を崩し、覇権の多極化が加速する。 (イラン危機が多極化を加速する) これまでのところ、米イランの和解は、9月17日からニューヨークの国連本部で開かれた国連総会を舞台に起きている。国連総会に出席したイランのロハニ大統領やザリフ外相は、これまでイランを敵視してきた米欧などの諸国の首脳や高官と相次いで会った。その多くが、1979年のイスラム革命以来のことだ。イランの核問題を協議する会議が初めて外相級で開かれ、10月15日の次回ジュネーブ会議で、さらに具体的なことを話すことになった。オバマはロハニと会わなかったが、帰国する直前のロハニに電話をかけ、外相級の話し合いで協調を深めていくことで合意した。米イラン首脳の電話会談は1979年以来だ。 (Rouhani, Obama speak on phone) (◆イランを再受容した国際社会) イラン核問題は、核の平和利用を続けるイランに「核兵器開発」の濡れ衣をかけ、NPT加盟のすべての国に許されるはずの核の平和利用をイランに許さず、イランを怒らせて交渉不能な事態を長期化する米イスラエル主導の策略だった。今回、イランと米欧外相らとの会談の中で、米欧側はイランの核の平和利用権を認めており、すでに問題の一部が解決されている。 (歪曲続くイラン核問題) 米国がイランと和解する気になった背景には、オバマ政権のシリア空爆策の失敗がある。オバマは、国連の現地調査が終わる前なのに、化学兵器を使ったのはシリア政府軍だと決めつけ、すぐにでもシリアを空爆すると決めた。この過剰に無謀な策は、当然ながら世界の反発に遭い、米国に追従しようとした英国政府は議会で戦略を画期的に否決され、米国の議会も大統領の戦争戦略を否決しようとする前代未聞の動きに出た。 (◆シリア空爆策の崩壊) 行き詰まったオバマ政権はロシアに頼り、ロシア(露米)主導でシリアに化学兵器を廃棄させ、シリア空爆の必要性を消すことで、米国の威信を保つことにした。シリア政府は、化学兵器放棄の見返りに、国際社会に受け入れられることになり、内戦を終わらせる和平会議が開かれることになった。そして、シリア安定のために国際社会が協力を要請せねばならない国の一つとして、シリア政府が頼ってきたイランが注目され、米国や国際社会がイランと和解することになった。 (プーチンが米国とイランを和解させる?) このように書くとスムーズな展開に見えるが、米国の威信を保つためシリア空爆の必要性を消す策だけなら、米国がイランと和解するところまでやらねばならないのは不可解だ。そもそも、国連の調査が終わらないうちに、シリア政府が化学兵器使用の犯人だと決めつけて空爆する策は、最初から失敗が見えていた。もしオバマが、最初から失敗するつもりで過激な空爆策に取りかかり、案の定失敗するや、万策尽きたと言ってロシアに頼ったのであれば、シリア政府を許す流れに乗ってイランまで許し、イランを敵から味方に大転換させる策を、隠れた戦略として、意図的に展開したと考えられる。 (◆米英覇権を自滅させるシリア空爆騒動) マスコミのプロパガンダを信じて「国連は結局、シリア政府の化学兵器使用を示唆する報告書を出しましたよ。犯人はシリア政府なので、オバマの空爆策は正しかった」と言う人がいるかもしれない。しかし、国連の報告書を精査した分析者によると、化学兵器が使われたとされる2つの地域の一方で、攻撃を受けたとされる市民の毛髪などからは、サリンの痕跡が見つかっているものの、国連が採取した土壌に化学兵器(サリン)の痕跡がまったく見つからず、同地域を支配する反政府勢力が、政府軍の仕業に仕立てるため、他の地域の被害者を連れてきて国連にサンプル採取させた疑いがあるという。反政府勢力は今年3月などに化学兵器を使った過去があるうえ、内戦で反政府勢力の支配地域が動いており、反政府勢力が使った化学兵器の被害者を、反政府勢力自身が連れてきて国連に見せることが起こりうる。 (Questions Plague UN Report on Syria) (無実のシリアを空爆する) 米国がシリア敵視をやめて、ロシア主導でアサド政権が許される方向に転換した直後、アサドと内戦をしていたシリア反政府派が仲間割れで急速に崩壊し始めた。シリア反政府派は、上層部のシリア国民評議会(SNC)がトルコなどに亡命中の米国傀儡勢力である半面、シリア国内で戦っている勢力の大半は、米国をも敵視するアルカイダなどイスラム主義武装勢力だ。武装勢力の中の最有力な3派を含む13派は最近、米国とSNCを見限り、アルカイダの仲間になって別の統一戦線を組むと宣言した。 (Syrian Rebels Spurn Coalition, Call for Islamist Leadership) 反政府諸派が自分らをアルカイダ系であると宣言したのは、米国のケリー国務長官が議会で「シリア反政府派は世俗系(非イスラム)勢力が大半なので、米国が支持するに値する」と証言した直後で、ケリーのウソがばれることになった。シリア反政府派の大半はイスラム主義系である。米政界では「反政府派の主力がアルカイダだとわかった以上、支持するのをやめるべきだ」との主張が広がっている。 (US Syria plans face setback as key rebels break from coalition) 今後開催予定のシリア和平会議で、米政府は「世俗派」であるはずのシリア反政府派を支持し、アサド大統領を辞任させて選挙を行い、反政府派を勝たせる方向に持っていくつもりだった。しかし、反政府派がアルカイダであることが鮮明になるにつれ、米国は、シリア和平会議で支持する勢力がいなくなり、シリアの和平自体への関与が希薄になり、アサド政権を支持するロシアやイランにとって好都合な結果になりそうだ。 (Syria opposition group shaken by rebel rejection) シリア反政府派の主力がアルカイダなど反米のイスラム勢力であることは、以前から良く知られていた。アルカイダの生みの親であるCIAを擁する米政府が知らなかったはずがない。米政界の好戦派(単独覇権主義者、軍産複合体、英イスラエルのエージェント)の好きなようにさせるふりをしてそれを過激に、過剰にやって失敗に導き、最後の段階で、好戦派の仇敵で隠れ多極主義者がこっそり支持するロシアや中国、イランなどの台頭を誘発する。それは、イラクやアフガニスタンへの侵攻の結果としても起きたことだ。 (シリア虐殺の嘘) (シリアに化学兵器の濡れ衣をかけて侵攻する?) イランのロハニ大統領は、国連総会の演説で、イランが核兵器開発をしていないことをあらためて宣言し、返す刀で、世界中のすべての国が核兵器を放棄すべきだと、世界的核廃絶を提唱した。イランは、先代のアハマディネジャド大統領の時代から世界核廃絶を提唱し、広島長崎の教訓から世界核廃絶を提唱してきた日本に共闘を呼びかけたこともある(対米従属の日本政府は、米国の仇敵イランの接近をもちろん無視した)。世界核廃絶は、オバマがノーベル賞をもらったテーマでもある。オバマがやろうとして国内の好戦派に阻止され、日本が無視する世界核廃絶を、国際社会に再受容されたイランが、世界に呼びかけている。オバマとイランは、いつの間にか「同志」になっている。 (善悪が逆転するイラン核問題) ロハニは国連演説で、特にイスラエルに対して核廃絶を求めた。米欧日の新聞ではイランの核武装ばかりが問題にされてきたが、実のところ、中東で唯一の核兵器保有国はイスラエルである。ロハニがイスラエルに核廃絶を求めるのと同期して、奇妙なことに、米国のマスコミが、イスラエルに核廃絶をうながす論調を流し始めた。ニューヨークタイムスは9月19日、イスラエルに核廃棄をうながす社説を掲載した。しかも米政界のイスラエル系傀儡勢力に気兼ねしてか、米国内で配られる紙の新聞には載せず、世界に流布するネット版にのみ、この社説を掲載した。 (NYTimes Op-Ed Never Appeared in US Edition) 「イスラエル人の多くが、ロハニと同様、自国の核について明らかにすべきだと思っている」「世界中がイスラエルの核保有を知っているのに曖昧にしておくのは非現実的だ」「イランがイスラエル国家の存続を認めるなら、イスラエルは核兵器を放棄しても良いのでないか」といった主張も、米国のシンクタンクから出てきた。 (It's Not Just Rouhani. Many Israelis Want to Come Clean About Their Nukes, Too) ロハニが国連演説でイスラエルに核廃絶を求めたのは、米国のケリーがイランのザリフ外相と会談する数時間前だった。従来の米国なら、イスラエルに気兼ねして、ケリーとザリフの外相会談を取りやめただろうが、今回はそんなこともしなかった。むしろオバマは国連演説で、パレスチナ問題(イスラエルによる占領問題)とイラン核問題を並列にして語り、イスラエルとイランを同格の「問題」として扱った。 (Hours before Iran FM meets Kerry || Rohani calls on Israel to sign Nuclear NPT) イスラエルのハアレツ紙によると、オバマの国連演説が意味するところは、イランが核兵器開発を放棄したら、イスラエルは西岸のユダヤ人入植地を放棄してパレスチナ国家の創設を実現し、アラブやイランはイスラエルをユダヤ人国家として認め(イスラエルを潰してアラブ人の国を作る目標を棄て)、イスラエルとイスラム諸国が和解して中東の安定化を実現するという構想だという。 (Obama's package deal: Nuke-free Iran for Palestinian state) シリアが化学兵器を廃棄し、イランが国際社会に再受容されてイラン核問題が解決する(濡れ衣が解かれる)と、次に問題になるのが、イスラエルによる核兵器と化学兵器の保有と、西岸入植地の問題だろう。イスラエルが大量破壊兵器と西岸の違法入植地を放棄すれば、アラブやイランと和解して国家存続できる。だが逆に、従来のように、大量破壊兵器と違法入植地に固執すると、イスラム世界からの敵視が続き、多極化する世界の地域覇権国であるBRICSなどから敵視されるだけでなく、米国から見放され、最後はヒズボラやハマスから消耗戦を仕掛けられて滅亡しかねない。 (Senior Israeli minister criticizes Israeli boycott of Iranian leader's speech at UN) (イランとイスラエルを戦争させる) このような二者択一は、イスラエル政界を牛耳って入植地を拡大させてきたイスラエル右派を屈服させ、パレスチナ和平を進めて中東を安定化するために描かれた「書き割り」「舞台背景」とも言える。イスラエルのネタニヤフ政権は以前から、パレスチナ和平をしてイスラム世界と和解することで国家存続しようと考えてきた。だが国内や米国の政界を牛耳る好戦派(右派)が入植地の撤去を拒否し、むしろ入植地を拡大させたのでパレスチナ国家を創設できず、イスラエルを亡国の方に追い込んでいた。 (Good news and bad news for Israel in the new 'Obama Doctrine' for the Mideast) オバマのシリア騒動策により米国とイランと和解したことで、右派に入植地を撤退させる圧力が一気に強まり、イスラエルは国家存続の可能性が急に増している。米政府は9月25日、イスラエルとパレスチナが集中して交渉することになったと発表した。これまでの実務者協議に加え、新たにネタニヤフとアッバースが定期的にトップ会談することになった。これは実のところ、以前からネタニヤフが望んでいたことだ。イランの台頭はイスラエルの亡国だと報じられてきたが、実は逆だった。 (Kerry: Agreement to Intensify Israel-Palestinian Talks) (シリア空爆騒動とイスラエル) イスラエル右派の政治組織AIPACは、これまで米政界を牛耳ってきたが、シリア空爆騒動を機に牙を抜かれた。空爆騒動の当初、AIPACは静観の構えだった。米国がシリア政府軍を空爆してアルカイダを応援することがイスラエルの国益に反するからだった。しかし米議会でシリア空爆への反発が強まり、オバマが窮した9月2日、ホワイトハウスがAIPACに米議会への加圧を要請し、翌日からAIPACの250人の要員が議員に面会し、シリア空爆を支持しろと求めた。しかし、有権者の強い反対を背にした議会の多くは動かず、逆に「やはりシリア空爆策の黒幕はイスラエルなのだ」という見方だけが米国の政界や言論界に広がり、AIPACは悪者にされて終わった。これまでイスラエル右派に苦労させられてきたオバマは、AIPACを引っかけて一矢報いたことになる。 (AIPAC makes big push on Syria military action) (ユダヤロビーの敗北)
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