イランとイスラエルを戦争させる2006年9月6日 田中 宇最近の中東情勢を見ていて、私は「アメリカ政府は、イランとイスラエルを戦争させたいのではないか」と考えるようになった。 アメリカのメディアの記事を読んでいると、従来は、ブッシュ政権はイスラエルにやらせるのではなく、いずれ自国軍の戦闘機を飛ばしてイランの核施設を空爆し、アメリカが直接にイランとの戦争に入るのではないか、という予測の方が強かった。 しかし、7−8月のイスラエルとヒズボラの戦争について、ブッシュ政権がイスラエル政府にうまいことを言ってけしかけて戦争させ、戦線をシリアにまで拡大し、イスラエルとシリア・イランとの戦争を誘発しようとした疑いが出てきた(イランとシリアは今年6月に軍事同盟を締結している)。私の中では「ブッシュ政権は、親イスラエルのふりをして実はイスラエル潰しを画策しているのではないか」という見方が強くなった。(関連記事その1、その2) ブッシュ政権は以前から、パレスチナでハマスを優勢にすることを煽ったりして、イスラエルが好戦性を捨てて現実策に転換しようとするのを阻止する行動を何度かとっている。「ブッシュ政権は実は反イスラエル」という見方は、世間の「常識」とは大きく食い違っているが、私の分析の中では、以前からの仮説の一つである。(関連記事その1、その2) この疑いを持っているのは私だけではなく、イスラエルからも似たような疑いが出されている。(関連記事) ▼イスラエル潰しの理由、3つの仮説 私の分析では、アメリカがイスラエルを潰したい理由として考えられることは3つある。1つ目は、アメリカの政界は1970年代からイスラエル系列の勢力に振り回されており、イスラエルに牛耳られている状況を脱するために、イスラエル潰しを画策しているのではないかというものだ。 2つ目は「多極化」など、欧米中枢での世界の構造をめぐる対立と関係する話である。第二次大戦後、国際政治の構造はずっと「アメリカ中心(単独覇権)」ないし「先進国主導」の体制だったが、この体制は先進国の利権を優先するあまり、発展途上国の経済発展を阻害していた。先進国の経済成長が鈍化した1970年代以降「世界全体の経済成長率を上げるため、経済成長の潜在性がある先進国以外の国々にも、国際政治上の権限を分散し、途上国の成長を喚起すべきだ」という「多極主義」の意見が資本家層の中から出てきた。(関連記事) 世界の覇権構造が多極化されることは、アメリカの単独覇権を前提に国家を作ってきたイスラエル、イギリス、日本などといった国々にとっては困る。イスラエルとイギリスは、米政界に影響力を持っていたので、アメリカ単独覇権体制を維持しようとした。だが「隠れ多極主義」のブッシュ政権は、単独覇権主義者のふりをしつつ、単独覇権を「やりすぎ」によって失敗させ、世界を多極化するプロセスを仕掛けており、イスラエルやイギリスは、振り落とされつつある。(関連記事) (戦前の謀略に懲りた日本は戦後、米政界への食い込みを一切画策しなかったので、今のところ、振り落としの対象にされていない) 3つめの見方は、ユダヤ人の内部には、イスラエル建国を目指すシオニズム運動が始まった19世紀から、シオニズムを支持する勢力と反対する勢力があって延々と暗闘を続けており、それが米政界を巻き込んで今の動きにつながっているというものだ。これは以前の記事「イスラエルとロスチャイルドの百年戦争」に書いた。(ロスチャイルドは、実は反シオニストである)(関連記事) ▼イラン問題を停滞させる米政府 ブッシュ政権はイスラエルとイランを戦争させたいのだと私が感じ始めたのは、今年7−8月のイスラエル・レバノン戦争からだが、その後9月に入り、この感じはますます強くなっている。(関連記事) 9月1日、「8月末までに平和利用を含むすべての原子力開発を停止せよ」と命じた国連安保理の決議に、イランが従わないことが確定した。メディアの事前の予測では、イランが安保理決議に従わない場合、アメリカは9月に対イラン経済制裁案を安保理に上程し、ロシアや中国などの常任理事国の反対で制裁案が通らなければ、アメリカ単独での核施設空爆などの武力行使を行う、という流れになると見られていた。(関連記事) しかし現実には、ブッシュ政権は9月に入ってもイラン制裁の新しい決議案を安保理に出さず、アメリカ政府高官はむしろ「イラン制裁に反対するロシアや中国などを説得するために時間をかけることにした」と説明するようになった。アメリカがイラン制裁の審決議案を安保理に出すまでには、まだ数週間か、へたをすると数カ月かかるという予測記事も出てきた。(関連記事) 欧米メディアでは、8月まで盛んに出ていた「アメリカはいずれ、イランの原子力施設を空爆しそうだ」といった分析の代わりに「アメリカはイラク占領の泥沼化で戦争に疲れてしまっており、イランへの敵対行動を強めることに慎重になっている」といった分析が出てきた。ブッシュ政権は、口ではイランに対して過激なことを言い続けているが、実際にやっていることは停滞である。(関連記事) ▼イランは無罪放免? もし今後、数週間もしくは数カ月の事態の停滞が実際に起きたら、その間にイランの国際政治の力がますます増大するだろう。ロシアや中国、アラブ諸国などは「イランの原子力開発が平和利用に限定されているのなら、何も問題はない」という態度をとっており、9月に入ってEUのイタリアからも、同様の表明が出てきた。(関連記事) 国連の原子力機関(IAEA)は「イランの原子力施設を査察したが、原子力開発が核兵器製造のためのものだという証拠は出てきていない」という分析結果を、これまで何度も出しており、最近では8月27日に出している。これらを受けて「イランの原子力開発は、平和利用に限定されているのだから、制裁はおかしい」と言い出す国々が増えている。(関連記事その1、その2) (核兵器を作るにはウラン濃縮のための遠心分離器が数千台必要だが、イランが持っている遠心分離器は200台以下で、それをフル稼働させたとしても、核兵器1個分の濃縮ウランを作るには10年以上かかる)(関連記事) 国際社会で「イランは核兵器開発をしていない」「平和利用だけなら制裁すべきではない」という意見に広がれば、アメリカだけが正反対のことを言い続けても静かに無視され、イランは無罪放免となる。これは単なる無罪放免ではなく、10億人のイスラム世界の人々や、反米感情を強めるその他の国々の人々から「イランはアメリカの脅しに屈せず、正しいことを正々堂々と言い続け、アメリカを打ち負かした」という「英雄」「成功例」として見られることを意味する。「非米化」が進む国際社会でのイランの威信は上昇する。(関連記事) つまり、ブッシュ政権がイラン制裁の動きを停滞させることは、イランを強化することにつながっている。これは「失策」の一つなのかもしれないが、ブッシュ政権のボルトン国連代表は、イスラエルとヒズボラを停戦させる安保理決議の際も、土壇場で条文を変更し、誰もヒズボラを武装解除しないようにさせ、ヒズボラを強化してしまっている。この前例から考えて、ネオコンの一員であるボルトンは、親イスラエルのふりをしてイスラエルを潰す陰謀を進めるブッシュ政権の先兵であると考えられる。彼がやっていることは失策ではなく、故意であろう。(関連記事) ▼イスラエル無敵神話の消失 1960年代の中東戦争以来、中東では、イスラエルと、その後ろにいるアメリカの無敵性が、広く信じられてきた。イスラエル軍がパレスチナ人を虐待し、米軍がイラク人を虐待し、それをテレビで見た中東の人々が頭に来ても、イスラム諸国の側がアメリカとイスラエルに戦いを挑むことは、負けると分かっているだけに、無駄だった。 だが、7−8月のレバノンの戦争でイスラエルがヒズボラを倒せなかったことで、この無敵神話が崩れてしまった。中東の人々は、ヒズボラと、その背後にいるイランに対する支持を強めるようになった。イスラム世界の人々から見ると、アハマディネジャドのイランは、中東で唯一、アメリカとイスラエルに対し、歯に衣を着せぬまっとうな批判を行っている人であり、そのことがヒズボラの「勝利」と相まって、中東の世論におけるイラン支持の急増となっている。 (アハマディネジャドは「ホロコースト」への疑問を呈しているが、その考え方は、実はまっとうなものである)(関連記事) イスラエルは、もともと住んでいたアラブ人(パレスチナ人)を追い出して作られた国である。アラブ人にとって、パレスチナ問題の根本的な解決方法は、イスラエルを戦争によって消滅させ、土地を取り戻すことである。だが、イスラエルとアメリカが強い間は、そのような解決方法は現実的ではなかった。アラブ人は、イスラエルやアメリカと話し合い、イスラエルに西岸やガザから撤退してもらい、そこにパレスチナ国家を建設するという次善の方法を選択していた。それとて、イスラエル内部の反対により、実現しなかった。 ところが今、イラク占領とテロ戦争の失敗によって中東でのアメリカの影響力が減退し、イスラエルはアメリカの後ろ盾を失いつつあり、ヒズボラとの戦いで無敵神話が崩れた。これを見たイスラム諸国側では、にわかに「パレスチナ問題は交渉ではなく、武力(戦争)でイスラエルを倒すことで解決できるのではないか」という考え方が強くなっている。 イスラエルの北にいるヒズボラは、7−8月にイスラエルに攻撃されても、まだ武力を持って生き残っており、いつでもイスラエルを再攻撃できる。加えて、イスラエルの南のガザにいるハマス(スンニ派過激組織)は、ガザの南にあるエジプト側から国境に掘られた秘密の地下トンネルをくぐり抜けるかたちで武器の供給を受けている。ハマスに武器を供給しているのはイランであるとされるが、ハマスもいずれヒズボラと同様、折りを見てイスラエルを攻撃し始めるとイスラエルで予測されている。(関連記事) すでにイスラエルは、北と南から、イランに支援された武装勢力によって狙われている。今後、中東でイランの影響力が上がり、アメリカの影響力が下がり続ければ、後ろ盾を失ったイスラエルを一気に武力で潰すべきだという過激派の考え方が、中東でますます優勢になる。イスラエルにとって、非常に危険なことである。 ▼アメリカから離反するアラブ諸国 中東においてアメリカの力が減退し、イランが台頭することは、サウジアラビア、エジプト、ヨルダン、ペルシャ湾岸諸国などの親米的なアラブ諸国にとって、国是の変更を迫られる事態を招き始めている。スンニ派主体のアラブ諸国と、シーア派主体のイラン(旧ペルシャ)は、昔から中東におけるライバルで、1979年にイランがイスラム革命によって親米から反米に転じ、アメリカからの経済制裁と、8年間のイラン・イラク戦争によってイランが弱体化した後は、親米のアラブ諸国が反米のイランより優位に立つ時代が続いていた。 中東でのアメリカの力の減退と、イランの台頭は、親米アラブ諸国と反米イランとの力のバランスを反転させる効果を生んでいる。アラブ諸国の政府にとって、親米の国是を貫くことは、反米派に政権を奪われる危険を増やしている。アメリカがイラク占領や稚拙なテロ戦争を展開した結果、中東の民衆に嫌われる度合いを強め、アラブ諸国の内部では、政府は親米だが民衆は反米、という矛盾した状況が顕著になっている。(関連記事) イスラム同胞団などのスンニ派のイスラム過激派組織の支持が増え、エジプトでは親米のムバラク政権がイスラム同胞団によって倒されるのは時間の問題であるとすら言われ出している。最近ではヒズボラ支持、イラン支持も広がり、アラブ諸国の政府はアメリカから離反する必要に迫られている。(関連記事) アラブ諸国が「親米」から「反米」とまでは行かなくても「非米」「脱米」の動きを強めた場合、まず変わりそうなのはアラブ諸国のイスラエルに対する態度である。従来、親米アラブ諸国は、アメリカに命じられ、不本意ながらも、イスラエルと対立しないようにしてきた。 ところが今や、イスラエルに対して寛容なことは、アラブの民衆が自国の政府を嫌う大きな理由の一つになっている。イランが台頭し、アメリカが減退し、イスラエルがアメリカの後ろ盾を失いつつある現状が続くと、イスラエルはイランだけでなく、アラブ諸国からも非難される傾向を強め、イスラエルを潰そうとする周囲からの力が増すことになる。(関連記事) ▼消えゆくヨルダン アラブ諸国が親米の国是を捨てねばならなくなった場合、国家として「消滅」しそうなのは、アメリカからの援助だけで生きてきたヨルダンである。ヨルダン国民の6割はパレスチナ人(西岸からの元難民)なので、ヨルダンが親米から反米イスラム主義になると、イギリスによって据えられた傀儡的なヨルダンの王制は倒され、パレスチナ人のイスラム主義勢力であるハマスが政権をとるだろう。 この場合、パレスチナとヨルダンは一体化するだろうが、この新国家は強い反イスラエル志向になるに違いない。今のヨルダンは親米・親イスラエルなので、イスラエルにとっては急に隣国が味方から敵になってしまう。これも非常に危険な展開である。最近、イスラエルの新聞には「イスラエル政府は、ヨルダン王制を擁護することを公言すべきだ」と主張する記事が出た。(関連記事) イスラエルのオルメルト政権は、アラブ諸国が反イスラエルになることを防ぐため、アラブとイスラエルという親米の2つの勢力が組んで、反米のイランと対峙するという構図を作ろうとして、エジプトなどとの話し合いをしているが、これはうまくいきそうもない。イスラエルの中でも、右派が動かしているイスラエル軍は、アラブ人に嫌われるようなことをわざとやる作戦を貫徹しているからだ。 レバノン南部では、イスラエル軍は、停戦直前の72時間に10万個のクラスター爆弾をばらまき、村々を不発弾の海にしてしまった。避難していた村人たちが戻り、復興を始めると、不発弾に触れて爆死してしまう村人が相次ぎ、アラブ中の人々がその光景をテレビで見て激怒している。イスラエル軍はガザにも再侵攻しており、西岸での入植地拡大も再開された。アラブとの和解は進むどころか、後退している。(関連記事) ▼イラン・イスラエル戦争は早ければ今年中 イスラエル右派の人々は「イスラエルが生き残るには、イランと戦って勝ち、強さを見せつけるしかない。ヒズボラとの戦いで失われたイスラエルの無敵神話を、イランとの戦いで取り戻せば、中東イスラム諸国の人々は、イスラエルを潰そうとは思わなくなる」と主張し、イランとの戦争は時間の問題だと主張している。イスラエルの新聞を読むと、早ければ今年中、遅くとも今後2年以内に、イスラエルとイランとの戦争が始まりそうな感じがする。(関連記事その1、その2) イランは、イスラエルの86倍の国土を持っている。人口も10倍だ。イスラエルがイランを攻撃したら、イランのほか、シリアヒズボラ、ハマスがいっせいにイスラエルを攻撃し、イスラエルは中東の全部と戦わねばならなくなる。ヒズボラとの戦争を先例として考えると、ブッシュ政権は口ではイスラエルを応援するが、援軍を送ることはないだろう。イスラエルは核兵器を使うだろうが、勝てる見込みはほとんどない。ユダヤ人は、再び世界離散に追いやられかねない。(関連記事) イランとイスラエルの戦争は、中東のあちこちで国境線の引き直しを生じさせるだろう。イギリスが第一次世界大戦でオスマン・トルコ帝国を崩壊させ、アラブ地域をいくつにも分割して確立した欧米の中東支配は、イランとイスラエルの戦争によって終わる可能性が大きい。すでに書いたアラブの非米化に象徴されるように、この戦争の後には、中東にはアメリカの傀儡色を持った国がなくなると予測されるからだ。 中東は、イラン、サウジアラビア、エジプト、トルコなどを核として、多極化された世界の中で、独立した覇権地域として台頭してくる可能性がある。そこには大量の石油があるので、安定すれば豊かな地域になり、通貨も世界的な基軸通貨の一つになれる。ブッシュ政権が多極主義者であるなら、こうした中東の覇権獲得は、世界全体の経済成長率の押し上げにつながるので、好ましいと考えているはずだ。 イスラエルは日本から遠い国なので、私がイスラエルについての記事を何度も書くと、興味を失う読者が多いかもしれない。だが、イスラエルとユダヤ人が今後どうなるかは、アメリカがどうかなるか、世界の枠組みがどうなるか、ということと大いに関係している。その意味で、私は、たとえ興味を失う読者が増えても、今後もイスラエルの状況を分析して書いていく必要があると感じている。
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