アメリカにつぶされるイスラエル2006年8月8日 田中 宇中間選挙を3カ月後に控えたアメリカの政界で、米軍をイラクから早期に撤退させようとする気運が再び盛り上がっている。イラクは内戦がひどくなるばかりで、米軍が駐留していること自体が内戦を悪化させる要因となっているので、これ以上駐留を続けるのはマイナスだ、というのが撤退要求派の主張の主なものである。 与党の共和党では、大物の上院議員であるチャック・ヘーゲルが「6カ月以内に米軍の撤退を開始すべきだ」と主張し始めた。野党の民主党は、これまで撤退要求派と撤退慎重派が入り交じっていたが、最近党内の主な議員が撤退要求の方向で結束するに至った。民主党は、ラムズフェルド国防長官を辞任させ、イラク撤退を実現しようとしている。(関連記事その1、その2) ラムズフェルドは早期撤退を強く拒否しているが、国防総省内でも制服組の首脳たちは、議会の撤退要求に迎合するかのような動きをする者が出てきた。制服組の最高位であるペース統合参謀本部長と、中東担当のアビザイド司令官は8月5日、議会上院で「イラクは内戦に近づいているという懸念がある」などと証言した。(関連記事) この発言を受けて、与野党内からは「われわれはイラクを民主化するために派兵したのであって、イラク人の内戦につき合うために派兵したのではない」「内戦で新生イラク政府が機能しなくなったら、もはやイラクを民主化することは不可能になるので、米軍が駐留し続ける意味がなくなる」といった意見が出始めている。(関連記事) (私は「イラクが内戦に陥っている」という報道には誇張があると感じている。イラク人は皆、自分たちの内部の派閥の利害対立より、アメリカの占領の方がはるかに大問題だと知っており、内輪の殺し合いをしたくなるような状況にない。「内戦」という概念は「撤退」などアメリカの他の目的を正当化するために誇張されているのではないかと思う)(関連記事) 撤退に向けた条件づくりは、米政府内でも始まっている。米政府の諜報機関の最高責任者であるネグロポンテ国家情報長官は8月4日、イラクでのアルカイダなど国外系テロ組織の活動が後退し、テロの危険性が減っているという方向性の、新しい分析報告書をまとめることを示唆した。今年6月、アルカイダの在イラクの指導者とされていたザルカウィが死んだことが、イラクでのテロ活動の沈静化を招いているという説明がなされている。(関連記事) ザルカウィについては、生前から「大した活動をしていないのでなはいか」「実はすでに死んでいるのではないか」「米政府がイラク占領の理由をテロ戦争と結びつけるために、ザルカウィの脅威が誇張またはねつ造されているのではないか」といった疑いが持たれていた。そのため「ザルカウィが死んだからイラクでのアルカイダのテロ活動が沈静化した」という説明は「これで、米軍をイラクから撤退させられる」という結論を出すための「作られた理由」だという感じがする。 イラク南部のバスラに駐留するイギリス軍も、来年早々に、バスラの治安維持の権限を地元のイラク人治安部隊に委譲することを発表しており、アメリカだけでなくイギリスもイラクから撤退できるメドをつけようとしている観がある。(関連記事) ▼米軍のイラク撤退で取り残されるイスラエル 米政界では、これまでにもイラクからの撤退気運が高まったことが何度かあり、今回の動きがそのまま早期撤退につながるとは限らない。しかし、もし実際に早期撤退が行われた場合、それは、中東全体を敵に回してレバノンでの長い戦争に入ろうとしているイスラエルにとって、梯子を外されるに等しい、国家存続が危ぶまれる大打撃となる。(関連記事) 米軍がイラクから撤退したらどうなるか、最も的確に予測していると思われる人物は、撤退に反対するラムズフェルド国防長官である。彼は米議会で「イラクから撤退するのが早すぎると、それは中東全域の反米過激派に力を与えてしまう結果となり、アメリカはイラクからだけでなく、中東全体から撤退せざるを得なくなる」と述べた。(関連記事) 米軍が占領の「成功」を宣言できないままイラクから撤退すると、中東の人々は、それをアメリカの「敗北」と、反米イスラム過激派の「勝利」とみなし、過激派に対する支持が急増し、親米派への支持が失われ、親米派が政権についているヨルダンやエジプトなどで政権転覆が起こる可能性が増す。最悪の場合、中東の大半の国の政府が反米的な傾向を持つようになり、アメリカは中東全域で歓迎されなくなり、中東からの全撤退を余儀なくされる。イラク占領が泥沼化して以来、すでに中東の親米国の中には、アメリカのやり方を批判する動きが出ており、それがさらに悪化することになる。 アメリカが中東から撤退したら、イスラエルはまわりを敵に囲まれた状態で、唯一の後ろ盾を失い、取り残されることになる。7月12日にレバノンを攻撃し始めて以来、イスラエルに対する中東全域の人々の憎しみは日に日に強まっている。すでにイスラエルは、今回の戦争で悪化した中東のイスラム諸国との関係を元に戻すことはほぼ不可能な状態で、戦争が長期化するほど、イスラム側との関係修復は無理になる。イスラエルの唯一の頼みの綱は、イスラム側に対するアメリカの軍事的、外交的な圧力を抑止力とすることだが、もし今後アメリカのイラク撤退がなし崩し的に行われた場合、イスラエルはアメリカに頼れなくなる。 そのころには、イスラム諸国側では過激派が強まり、イスラエルの滅亡を国家目標に掲げる民兵組織も強くなっているだろうから、彼らが弱体化したイスラエルを潰す戦争を仕掛けてくる可能性が高い。今のレバノン戦争が拡大し、中東諸国対イスラエルの「最終戦争」に発展するかもしれない。イスラエルは、400発持っているといわれる核ミサイルを、イスラム諸国の首都などに撃ち込むかもしれない。まさに「ハルマゲドン」的な展開になってしまう。 ▼アメリカの政治家は本当は反イスラエル? アメリカの政治家の中には、共和党にも民主党にも「イスラエル支持」を叫びながら、その一方で米軍のイラク撤退をブッシュに要求している人が多い。民主党から次期大統領を狙うヒラリー・クリントンなどが好例である。ここで私が勘ぐっているのは、アメリカの政界やホワイトハウスには、実はイスラエルを潰したいと考えている人が多いのではないかということである。 イスラエル系ロビー団体の政治力が非常に強い米政界では、イスラエル支持を表明しない政治家は生きづらい。それで、みんな表向きはイスラエル支持を表明している。だが、腹の中ではイスラエルに牛耳られていることに怒りや屈辱を感じており、いつかイスラエルを潰してやるとひそかに思っている政治家が多くても不思議ではない。 そういった「隠れ反イスラエル派」は、今回のイスラエルのレバノン侵攻を見て「これでイスラエルは自滅する」と喜んでいるのではないか。彼らは「停戦反対」「イスラエルに、思う存分戦わせてあげるべきだ」と言っているが、それは実はイスラエルのためを思っているのではなく、イスラエル滅亡させる戦争を誘発したいのではないかと勘ぐれる。イスラエルがなくなれば、アメリカの政界は、異常な従来の状況から脱することができる。 イスラエル側では、オルメルト首相らの現実派は、できるだけ早く国際軍にレバノン南部に駐留してほしいと考え「駐留するのは国連軍ではなく(アメリカの影響力がより大きい)NATO軍でなければダメ」と言っていた従来の姿勢を改め「国連軍でも良い」と譲歩し始めた。イスラエル軍は、明らかに苦戦している。それなのにアメリカは、レバノン政府が受け入れられない「停戦案」を国連に出したりして、停戦がなかなか実現しない状況を作り出している。 停戦案は「完全な停戦を求める」と宣言しているが、その後の文章で「具体的には、ヒズボラがすべての攻撃(attacks)を即時停止するとともに、イスラエルはすべての攻撃的な(offensive)軍事行動を即時停止することを求める」と宣言している。この文章は、双方に対して同等な「攻撃」の即時停止を求めているように見えて、実は全く違う。(関連記事) イスラエルは、今回の戦争開始時から一貫して、自分たちの軍事行動は、ヒズボラの攻撃に対抗するための「防衛的」(defensive)なものであり「攻撃的」(offensive)なものではないと宣言し続けている。国連の停戦案は、イスラエルが行っていない「攻撃的」な軍事行動だけを禁じ、実際に行ってきた「防衛的」な軍事行動を禁止していないので、イスラエルは今後もレバノンで多数の一般市民を殺害する軍事行動をずっと続けられることになる。(関連記事) ▼神殿の丘に登り、イスラム側を怒らせたい 米政界には、イスラエルがアラブ側と戦って負けることをひそかに望んでいる人々がいるのではないかと書いたが、アラブ側に対して無謀な喧嘩を売っている勢力の主体は、アメリカ人ではなくイスラエル人自身である。 ここ数日、イスラエルの右派勢力は、エルサレム「神殿の丘」に登壇する動きを準備している。神殿の丘は、上部が「アルアクサ・モスク」になっていてイスラム教の大聖地であり、丘の斜面にあたる壁がユダヤ教の大聖地の「嘆きの壁」であるという区分がある。ユダヤ教徒は、モスクがある丘の上には立ち入りを自粛しているが、イスラエルの右派は、あえて丘の上部に登壇することで、イスラム教徒を挑発して敵対を扇動する作戦をとろうとしている。(関連記事) これは、2000年に、首相になる前のシャロン前首相が行った行為でもある。シャロンの神殿の丘登壇によって、それまでイスラエルとパレスチナの間にあった和解の可能性はすべて吹き飛び、イスラエルの政界は右派が強くなり、シャロンはその後の選挙で現実派を破り、首相になった。 今回、イスラエル右派が神殿の丘に登壇しようとするのは、アラブ側の反イスラエル感情を煽ってレバノンでの停戦を難しくして戦争の拡大を図るとともに、オルメルト首相ら現実派がやりたがっている占領地からの撤退計画を不可逆的に潰すのが目的だろう。オルメルトは8月3日、西岸からの撤退計画を続けると宣言したが、右派や自党内からも猛反発され、黙らざるを得なくなった。(関連記事) ▼戦闘機に間違った標的を教える イスラエル軍内の右派は、戦闘機のパイロットに間違った標的を教え、レバノンで一般市民の犠牲者を増やし、アラブ側の怒りを扇動しているふしもある。英オブザーバー紙によると、イスラエル空軍のパイロットの中には、空爆を命じられる標的が、接近してみるとどう見てもヒズボラの施設ではなく、明らかに一般市民の住んでいる住宅である場合が多いため、標的設定が間違っているのではないかと疑い、わざと標的を少し外れるようにミサイルを発射し、市民を殺さないようにしている者がいるという。(関連記事) イスラエル軍は「防衛軍」としての行動規範を持ち、無関係な市民の住宅を空爆することは規範に反するうえ、国際的に戦争犯罪にも問われかねない。7月30日、イスラエル空軍がレバノン南部のカーナ村の住宅を空爆し、多数の一般市民が殺害された事件も、標的設定の間違いの結果だった疑いが強まっている。イスラエル軍は当初、標的となった住宅のすぐ近くからヒズボラのミサイルが発射されていたと主張していたが、その後、この主張は間違いで、周辺からはミサイルは発射されていなかったことを、イスラエル政府も確認している。(関連記事) 誤爆は、敵の居場所を探る諜報活動がうまく機能していないために起きる。誤爆や、無実の市民を敵のゲリラ兵と間違えて殺害してしまうことは、イラク戦争で米軍が無数に繰り返し続けていることでもある。以前の記事に書いたように、イラクで諜報活動を行う米軍の中には、戦闘機や歩兵隊に対して間違った攻撃目標を教えて誤爆や誤殺を増やし、故意にイラク人を怒らせる作戦を、上から命じられて展開していたふしがある。イラク占領開始から3年、すでにこの作戦は成功し、イラク人のほぼ全員が米軍を敵視し、地元のゲリラ組織を支持するようになって久しい。 この作戦とよく似たことが、レバノンで、イスラエル軍によって行われているのではないかと思われる。イラク戦争を計画し、遂行したのは米政権内のネオコンであるが、彼らはイスラエルで今レバノン侵攻を拡大させている右派とつながりが深い。 敵対を扇動し、戦線を拡張したがるイスラエル右派の最終目標はどのようなものなのか、不明な部分が大きい。アメリカが中東に全力で関与していた以前なら、右派の目標は「アメリカ・イスラエル同盟が、アラブ諸国との長く対立する構図を作ることで、アメリカに永続的に頼れる状況を生み出すこと」だったと考えられたが、今のアメリカは世界への関与を縮小しつつあり、イスラエルにとって頼れない存在になっている。だからこそ、シャロン前首相は2004年に右派から現実派に転換し、占領地撤退をやりだした。 イスラエルの現実派の論客は最近「イスラエルは、早くアメリカのネオコンやキリスト教原理主義と縁を切るべきだ。ネオコンやキリスト教原理主義は、イスラエルを、中東諸国との間違った戦争の最前線に立たせようとしている。彼らと組むことは、イスラエルの破滅につながる。イスラエルは、アメリカを国際協調主義の方向に引き戻す努力をせねばならない」と主張する論文をイスラエルの新聞に載せた。(関連記事) この主張は正しい。しかし、もう遅すぎる。すでにイスラエルは、間違った戦争の最前線に立たされ、退却が滅亡を意味する状態に置かれている。しかも、アメリカを国際協調主義に戻す努力は、イギリスのブレア首相が何年も試みたが、失敗したことである。世界的な常識はもはや「イスラエルがアメリカを国際協調主義から引き離し、ブッシュに好戦的な戦略をとらせた」というものになっており、イスラエルは完全に悪役にはめられてしまっている。 イスラエルの右派とアメリカのネオコン、キリスト教原理主義は、イスラエルの国益のために戦争を拡大しているかのように言いながら、実際には、イスラエルを破綻に導いている。彼らの真の目的は、やはり、以前の記事に書いたように「世界を多極化し、それをイスラエルのせいにする」ことなのかもしれない。 田中宇の国際ニュース解説・メインページへ |