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イラク・モスク爆破の深層

2006年3月3日   田中 宇

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 2月22日早朝、イラク中部の町サマラにあるアスカリヤ・モスク(アスカリ廟)が爆破された。その後イラク中が報復とされる殺戮などで大混乱になっているが、この一連の出来事には複雑な背景がある。報じられているとおりに受けとらない方が良い。まずは、爆破されたモスクが持つ歴史から解説する。

 モスクが建っているサマラは、首都バグダッドから北西に約100キロ、チグリス河畔にある町で、西暦836年から892年までイスラム帝国(アッバース朝)の首都だった。それまで首都だったバグダッドで軍の反乱が起きたため、約50年間、サマラに首都が移されていた。

 サマラには当時、シーア派イスラム教徒が崇拝するイマームが住んでいた。前回の記事で紹介したシーア派(12イマーム派)にとっての12人のイマームのうち、10代目から12代目までが最後の3人がサマラに住んだが、彼らは権力を持った人として生きていたわけではなかった。彼らは、当時のアッバース朝によって幽閉されていたのである。

 イスラム教の開祖である預言者ムハンマドとその後継者たちは領土拡張に成功し、巨大な政治権力を持つに至った。だがその結果、ムハンマドの子孫や側近の中で誰が権力者になるべきかをめぐり、延々と権力闘争が続くことになった。ムハンマドの子孫が権力者だった最初のイスラム帝国(正統カリフ)が約100年で終わり、その後は側近の子孫が「ウマイヤ朝」を約100年間維持し、その後ムハンマドの子孫であるアッバース家がウマイヤ朝を倒して「アッバース朝」を作った。

 アッバース家は、ウマイヤ朝を倒すとき「ムハンマドの子孫が権力者でなければならない」という親政復古運動を起こしたが、このときシーア派の賛同を得たことが、政権交代を成功させる一要因となった。シーア派は「権力は、ムハンマドの女婿アリの子孫のみが継承すべきだ」と主張する派閥で「イマーム」はアリの歴代子孫の中から選んでいた。

▼最後のイマームたちのモスク

 だがその後、アッバース朝の歴代の権力者は、シーア派の政治力増大を恐れてイマームを冷遇する傾向が強まり、歴代のイマームのうち何人かを毒殺した。反乱を受けて王朝がサマラに遷都した後、10代イマームはサマラの軍の兵舎に幽閉され、11代イマームも27年間の人生のほとんどを兵舎の監禁状態で過ごし、最期は872年に毒殺された。このとき5歳だった12代イマーム・マフディも、現代的な常識で考えれば一緒に殺されたのだろうが、シーア派的には、死んだのではなく「お隠れ」になったとされている。(関連記事

 アッバース朝政府はその後、シーア派をなだめるため、イマームが亡くなった兵舎跡の近くにモスクを造って遺体を安置し、巡礼者を受け入れた。これがアスカリヤ・モスクの始まりである。「アスカリ」はアラビア語で「軍隊」という意味だが、これは11代イマームがアッバース軍の兵舎に幽閉されていたことに起因する。11代イマーム(Hassan al-Askari)は「アスカリヤン」(兵舎に住む人)と呼ばれていた。モスクの敷地内には、12代目イマームの廟もある。(関連記事

 前回の記事に書いたとおり、12代イマームは、シーア派にとって非常に重要な存在で、中東大混乱の中で、間もなくイマームが戻ってくると信じている人が増えている。イラクとイランには「イマームが戻ってくるとしたら、ここに出現する」と信じられているモスクがいくつかあるが、アスカリヤ・モスクはその一つである。(関連記事

 サマラは、イラクの中でもスンニ派が多い「スンニ・トライアングル」の中にある。スンニ派の居住地域の真ん中にシーア派の聖地が存在している理由は、今から1100年以上前にアッバース朝がイマームをここに幽閉し、殺したからである。(スンニ・トライアングルの地図

 米軍はすでに何回も「スンニ派ゲリラ掃討」と称してサマラを包囲攻撃しており、スンニ派の方も米軍に対して反撃し続けてきたが、この間、アスカリヤ・モスクはずっと無傷で、スンニ派がこのシーア派のモスクを攻撃することはなかった。

▼派閥争いを望んでいないイラク人

 世界のマスコミ報道を見ると、アスカリヤ・モスクを爆破したのは、アルカイダなどスンニ派のイスラム原理主義者たちであるとされる。一方、爆破に対する報復としてスンニ派モスクを攻撃したりスンニ派の宗教者を殺したりしているのは、シーア派の民兵勢力であるとされている。モスク爆破後、スンニとシーアの抗争はひどくなるばかりで、もはやイラクが本格的な内戦に陥るのは時間の問題だとされている。だが私は、こうした最近よく見る「解説」に対して違和感を持っている。(関連記事

 サマラやその他のイラク諸都市(クルド地域以外)では、米英軍の占領開始のしばらく後から現在まで、米英軍が地元ゲリラの掃討と称して多くの市民を殺し、その反動でゲリラの方も米軍やその協力者を殺す戦いを繰り返している。この状態についてイラク人の多くは、諸悪の根元は米軍の占領であると感じている。スンニとシーアが殺し合いを続けていては、米軍の占領は長引くばかりで、イラク人にとっては敵を利することにしかならないことは、イラク人の多くが理解している。交渉によって派閥間の利害を調整して内戦を避け、早く米軍に出ていってもらおうというのが、イラク人の世論の根幹にあると思われる。

 アスカリヤ・モスクに遺体が安置されているイマームは、預言者ムハンマドの子孫であり、スンニ派にとっても敬うべき存在である。そのモスクを爆破することはスンニ派にとっても悪事であり、スンニ派住民が大多数を占める現地サマラでは、爆破に対する怒りのデモが行われ、スンニとシーアの両方が参加している。(関連記事

 イラクにはアブムサブ・ザルカウィを指導者とするアルカイダの支部があると報じられ、これまで多くの誘拐殺人や爆破テロなどが「ザルカウィの仕業」と報じられている。だが、ザルカウィは2001年ごろから行方が把握されておらず、今もイラクで生きていてテロ組織を率いているという根拠は何もない。以前の記事に書いたように「アルカイダ」そのものが米英諜報機関の作り物で、ザルカウィもその作り物の構図の一部である疑いがある。

▼派閥間の和解ができそうなところに爆破事件

 しかも、イラクの政治状況を見ると、最近ちょうどスンニ派とシーア派の間で和解交渉が始まったところで、うまく行けば両派の交渉がまとまり、連立政権ができるかもしれないという段階である。

 交渉を進めているのは、昨年末の議会選挙でイラク議会の最大派閥を持つようになったムクタダ・サドル師で、彼はスンニ派が以前から要求していた(1)イラク3分割につながる連邦制の実施を遅らせる(2)石油収入をクルド人やシーア派の地方政府に渡さず、中央政府の収入とする(3)クルド人がほしがっている北部の大油田地帯キルクークの割譲を許さない、という3点に関し、シーア派の主張を受け入れると表明している。(関連記事

 従来、スンニ派がこの3点を主張していたのに対し、シーア派とクルド人は、イラクの南北に偏在している油田からの収入を自分たちのものにするため、イラクの3分割と中央政府の弱体化を狙っていた。だが最近、サドルが主導するシーア派は、スンニ派との協調を重視するようになり、石油収入の共有と国家の分割反対を掲げるようになった。クルド人はこれに反対しているが、今までのところ数で負けている。(関連記事

 昨年末の議会選挙によって、米軍占領下の「暫定政権」の期間が終わり、イラクはアメリカから完全に独立した政府を持てる時期に入っている。これには形式上だけだという批判もあるが、実際のイラク政界の動きを見ると、シーア派最大派閥となったサドル師が、敵だったはずのスンニ派に接近し、両派で「反米・イスラム主義」の統一イラク政府を作ろうと画策しており、アメリカの意図に沿わない政治の流れが始まっている。

 イラクで黒幕的な権力を持ちつつあるサドルは最近、イランやシリアを訪問し「イランやシリアと力を合わせ、中東を分割占領し続けたい米英イスラエルと戦う」という表明を行っている。イランはシーア派の宗教政治だが従来サドルとは仲が悪いとされ、シリアはスンニ派のバース党系の左翼的政治体制の国であり、それぞれ以前は仲が悪かったが、それが変わりつつある。3カ国が「反米」という軸で結束する動きの中に、サドルがいるわけである。(関連記事

 今後、米軍がイラクから撤退する傾向を強めたら、その後のイラクは反米イスラム主義の政府ができ、しかもイランやシリア、ハマスのパレスチナ、イスラム同胞団のエジプトなど、他の反米政権と親密な関係を持つようになる可能性が高い。

 これは、アメリカの中枢で、イラクを傀儡化しておきたいと思っている勢力にとっては、非常に都合が悪い。できる限り、イラクのスンニ派とシーア派を敵対させておきたい、と彼らは考えているはずである。サマラのモスク爆破は、まさにそんな状況下で起きている。あの爆発が誘発したものは、スンニとシーアの殺し合いであり、これはサドルが画策しているイラク内部の結束の動きを阻止する一方、アメリカの中枢にいる人々にとって好都合となっている。(関連記事

▼爆破前夜モスクの前にいた米軍とイラク軍

 もう一つ重要なのは、サマラのアスカリヤ・モスクが爆破された際の手口についてである。爆破は、モスクの礼拝大ホールの屋根(ドーム)を支える4本のコンクリートの大黒柱に穴を開け、中に爆弾を埋め込み、加えてホールの地下にも爆弾を仕掛けた上で、それらの爆弾を導線でむすんで起爆装置とつなぐ仕掛けを作って行われた。

 爆破後、現場を視察したイラクの建設大臣(Jassem Mohammed Jaafar)は「大黒柱に爆弾用の穴を開ける作業には、1本あたり4時間はかかる」「作業には全部で12時間はかかるはず」「爆破によってドームが確実に崩れ落ちるよう、爆弾を仕掛ける方向を工夫してあり、軍事のプロの仕業である」と述べている。(関連記事

(建設大臣はこの視察の後、バグダッドに戻る際、爆破テロに襲われ、乗っていた自動車のすぐ前と後で爆発が起こったが、九死に一生を得ている。建設大臣が現場を視察し、事件の真相が公表されてしまうことを恐れた犯人筋が、大臣を殺そうとしたのではないか。犯人は、大臣の行動を把握していたことになるが、それが可能なのは、イラク政府もしくは米軍の上層部だけである)(関連記事

 報道によると、爆破の何時間か前の2月22未明に、イラク軍の制服を着た数人の男がモスクを訪れ、警備員を縛った上で爆弾を仕掛け、爆破直前に逃げたとされる。(関連記事

 ここで奇妙なことは、サマラは以前から米軍に包囲攻撃され続け、ずっと夜間外出禁止令が出され、米軍傘下のイラク軍(イラク国家防衛隊)の兵士が、夜間パトロールを毎晩していたこととの関係である。夜中に何時間もモスクの中で大きな音を立てて柱に穴を開ける作業が続けられたとしたら、音を聞いた近所の人が不審に思ってイラク軍に通報し、爆破が起きる前に犯人を逮捕できるのがふつうである。

 しかし、そうはならなかった。イラク国内の人道支援NGOが行った聞き取り調査に対し、モスクの門前町でインターネット・カフェを営業し、夜は店で寝ている青年(Muhammad Al-Samarrai)が答えたところによると、爆破前夜、外出禁止令の時間帯が午後8時に始まって間もなく、イラク兵とアメリカ兵のパトロール部隊が店にやってきて、今夜は外に出てはならないと命令して行った。その後、午後11時ごろから、外出禁止令が解除される翌朝6時まで、イラク兵とアメリカ兵の部隊が、モスクの前にずっと駐留していたという。似たような証言は、もう1人別のモスクの近所の人も行っている。(関連記事その1その2

▼内戦扇動分子を雇う米軍

 イラク人、特にサマラ市民のほとんどを占めるスンニ派は、米軍を嫌っているので、この2人の証言には、全幅の信頼を置けるわけではない。建設大臣の発言についても、政治的な意図に基づいて歪曲した分析をした懸念がある。

 だが、爆破された後のモスクの写真を見ると、ドームが見事に全部なくなっており、ものすごい破壊力だったことが分かる。モスクは通常、何百年ももつよう頑丈な建て方になっているので、これほどの破壊は、モスクの隅の方に爆弾を隠して無線で爆破するぐらいでは実現できない。建設大臣が言うとおり、爆破のプロの指導によって柱に穴を開けて爆弾を仕掛けるやり方でないと、実現できないだろう。(関連記事

 柱に穴を開けるとなると、夜中にモスクから工事の音が漏れ、近所の人々がおかしいと気づくことになる。それでも爆破が実行されたのだから、イラク軍と米軍は、爆弾が仕掛ける作業が行われているのを知りながら黙認したか、もしくは彼らが爆弾を仕掛けたということになる。

 イラク軍の中の反乱分子が、米軍に隠れて爆弾を仕掛けるという可能性もないわけではないが、可能性はかなり低い。サマラはスンニ・トライアングルの中にあり、占領の初期から米軍はずっと警戒の目を光らせ続けている。イラク軍の中に反乱分子が多いのは、米軍も十分に把握しているはずである。

 ロンドンの大学教官をしている亡命イラク人分析者(Sami Ramadani)は「イラクでは、占領軍(米英)がイラク人の集団を雇い、イラク人の各派閥間の抗争を扇動する目的で、殺害や攻撃を繰り返しているという指摘(うわさ)がひんぱんに出ている」「アメリカは、イラクを分裂させて弱い傀儡国家にするため、イラク人の各派閥の中に扇動勢力を潜り込ませている。イラクの内戦は、スンニ対シーア対クルドという派閥間の戦いではなく、米軍に雇われた勢力と、その他の人々との戦いに向かっている」と指摘している。(関連記事

 この指摘に基づくと、サマラのモスク爆破だけでなく、その後イラク全土で展開された「復讐行為」の中にも、内戦を扇動するために米軍に雇われたイラク人武装勢力が行ったものが多いのではないかと考えられる。

 また米軍は、スンニ・トライアングル内の蜂起を鎮圧する際、イラク軍の部隊に米軍の補佐をさせることが多かったが、そのほとんどはシーア派かクルド人の部隊で、しかもシーア派の模範部隊とされる第1大隊は、兵士の多くが親族をフセイン政権に殺されたりして、スンニ派に個人的な恨みを抱いている人ばかりで構成されている。彼らは、スンニ派の諸都市を攻撃する際、ゲリラ掃討と称して一般市民を殺害したり、嫌がらせを繰り返し、これを「報復として当然だ」と考えているという。アメリカは明らかに、イラク人を内部分裂させる戦略をとっている。(関連記事

「イラクは内戦に陥りつつある」という見方自体、米英マスコミがプロパガンダ戦争の一環として流し、世界中を軽信させているものである可能性もある。前出の亡命イラク人分析者は「英BBCは、サドル師が『スンニ派に復讐せよ』と叫んだと報じたが、実際にはサドルは『スンニ派がこんなこと(サマラのモスク爆破)をするはずがない』と述べ、むしろ米英占領軍に対する報復を呼びかけたのだった」と書いている。(関連記事

 イラクではジャーナリストや外交官らに対する誘拐殺人が相次ぎ、国内の実状が外部に伝わりにくい構造ができている。バグダッドに各社の特派員がいるが、危険なのでホテルからほとんど出られない。誘拐殺人によってイラクの本当の現状が世界に伝わらなくなった分、アメリカ国防総省などが流す歪曲された情報が世界のマスコミに流され、米政府にとって有利な「情勢分析」や「世界観」を、人々の常識として定着させることができるようになっている。ジャーナリストらに対する誘拐殺人の中にも、米軍に雇われたイラク人勢力によるものが多いと疑われる。(関連記事

▼イラクの行方を決めるジャファリ首相再任問題

 サマラのモスク爆破後、イラク政界では、スンニとシーアを協調させる、サドル主導のイラク統合策が破綻しそうになっている。

 イラクでは、昨年末の選挙で選ばれた議員が国会を開いて首相を任命する作業に入り、それまで暫定政権の首相をしていたシーア派のイブラヒム・ジャファリを再任したが、この再任はサドルが画策したものだった。サドルはジャファリに「スンニ派に譲歩するとともにクルド人の分離独立策動を阻止し、イラクの国家がバラバラな連邦状態にならないような政策を採るなら支持する」と提案し、ジャファリがそれを了承したので、他の派閥をなだめたり脅したりして、ジャファリ再任を決めた。(関連記事

 だがサマラのモスク爆破の後、スンニ派の内部ではシーア派との協調を嫌う声が増大し、サドルの策動を潰したいクルド人がスンニ派に接近し、スンニ・クルドの連合体が、ジャファリの首相再任決定を撤回せよと、国会でシーア派に迫る事態となっている。

 クルド人の夢は「イラクを分割してクルド国家を独立させ、キルクーク油田を占領し、新生クルド国家の主要な財源とする。油田の収入でトルコ、シリア、イランのクルド人の分離独立運動を支援し、大クルド国家を作る」ということである。クルド人国家の建国は、中東の分裂を加速させ、イスラム世界の結束を嫌うイスラエルにとって有益なので、イスラエルと、米中枢の親イスラエル派は、クルド人を支援している。クルド人の軍隊である「ペシュメガ」を訓練したのはイスラエル軍の顧問団である。(関連記事

 クルド人の策動に対し、ジャファリ首相は最近トルコを訪問し、トルコ政府との関係を強める動きを見せた。トルコはクルドの独立を強く嫌っている。クルドが独立したら、トルコは国土の3分の1をクルドに奪われかねない。ジャファリのトルコ訪問は、クルドを挟み撃ちにする作戦である。(関連記事

 今後、クルド人の策動が勝利してジャファリが首相を辞めたら、イラクの統一が難しくなって分裂傾向を強め、アメリカとイスラエルによる中東支配が続くことになる。ジャファリが首相職を維持できた場合は、反米ナショナリズムに基づいたイラクの統一感が高まり、近隣のイラン、シリア、トルコとの関係が強化され、その分アメリカとイスラエルの中東における覇権が減退することになる。

(中東諸国が束になってもアメリカにかなうわけがないと単純に考えるのは、もはや間違いである。アメリカは多面的、潜在的に衰退の傾向を強めており、その一方で強くなってきた中国やロシアなどの「非米同盟」は、中東諸国と独自の親しさを構築し始めている)

▼イラク戦争の本質はアメリカ内部の暗闘

 ここで指摘しておかねばならないのは、アメリカの側も一枚岩ではないことである。米政界では、今や共和党も民主党も親イスラエルの人々ばかりであるように見えるが、イラクに対するアメリカのやり方を詳細に見ると、実はどうもそうではなく「親イスラエルのふりをした反イスラエルの人々」がかなりいるように感じられる。これは、これまでの記事で私がよく指摘した「隠れ多極主義者」と同じものである。

 たとえば、今やイラクで最も重要な政治家の1人となったムクタダ・サドルを、ここまでの権威に押し上げたのは、ほかでもない米軍である。サドルの父親は1999年にフセイン政権に暗殺された著名なイスラム指導者で、まだ30歳代の息子のサドルは、親の七光り以外には大した才能がないと、以前は多くの人が思っていた。サドルが率いる「マフディ軍」は、最初は500人ほどの軍勢で、バグダッドのシーア派スラム街の愚連隊だった。

 ところが2004年4月に、サドル系の新聞が米軍を批判したというささいな理由をきっかけに、米軍がサドルを潰そうとする作戦を大っぴらに展開し、イラク全国のシーア派がこれに怒ってサドルの味方をして、米軍が譲歩した後、サドルはシーア派の反米運動の旗手として見られるようになった。イラク人が米軍を嫌う傾向が強まるほど、シーア派の人々の支持は、わりと親米的な穏健派のシスタニ師から、反米過激派のサドル師へと移った。(関連記事

 アメリカは中東各地で、人々に嫌われることを故意に行い、その国の親米勢力を弱め、反米勢力を強めている。イランのアハマディネジャド政権、パレスチナのハマス政権、エジプトでいずれ政権をとりそうなイスラム同胞団といった反米勢力が、ブッシュの奇妙な中東民主化作戦の結果、台頭している。イラクでサドルが台頭した経緯も、この構図の中にある。(関連記事その1その2

 中東各地で反米イスラム勢力が台頭した結果、イスラエルはパレスチナ占領地からの撤退を余儀なくされ、国家の存続自体も危うくなっている。こうした大きな流れを見ると、私にはどうも、アメリカの政界に、イスラエルを潰したいとひそかに画策している人々がいるのではないかと思えてくる。(関連記事

 そして、この「親イスラエル派」と「隠れ反イスラエル派」との暗闘こそが、911以来アメリカがやっている不可解な世界戦略の隠された本質ではないかと私は考える。この暗闘はおそらく、イスラエルをめぐる「百年戦争」の一部である。(関連記事

 言動から察するに、パウエル、ライスという国務長官、大統領補佐官のスティーブン・ハドレー、ウォルフォウィッツやパールといったネオコンらが「過激なことを言い続け、中東で故意に敵を増やす」というパターンの言動を繰り返しており、隠れ反イスラエル派ではないかという感じがする。(関連記事

 イスラエルは1980年代からアメリカの政界で強い力を持ち、イスラエルに逆らったら大統領や連邦議員を落選させられてしまう状況だ。こうした米政界のイスラエル支配を壊すため、中東全域で反米反イスラエルの勢力をひそかに醸成するという秘密の作戦が展開されているのかもしれない。

 イスラエル支持者にとって「ホロコースト」は、権力闘争に勝ってアメリカの政界を牛耳るための大きな武器であると、以前の記事で書いたが、米政界内の「隠れ反イスラエル派」は、イスラエル派によるホロコースト活用戦略を、ひそかにいまいましく思っているはずである。だから、イランのアハマディネジャド大統領が「ホロコーストは神話だ」と何回も声高に主張していることに対しては、彼らはひそかに喝采しているのではないかと疑われる。

 そもそも、当選前は有名でなかったアハマディネジャドが大統領選挙で勝てた一因は、アメリカの高官やネオコンらがさかんにイランの選挙を中傷する発言をしたからである。その意味でも、米中枢には「隠れ反イスラエル派」がいそうな感じがする。彼らが「ホロコースト神話」をぶち壊しそうなアハマディネジャドを当選に導いたのではないかと思われる。(関連記事



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