アメリカの「第2独立戦争」2006年6月13日 田中 宇ここ何年か、私にとって最大のテーマは、イラクの占領が泥沼化しても軍事攻撃による政権転覆で世界を『民主化』するという「単独覇権主義」的な強硬路線を変えないことに代表される、アメリカの奇妙な行為をどう見るか、ということである。 最近では、イランに対する姿勢が象徴的だ。今年3−4月ごろには、アメリカは今にもイランを軍事侵攻しそうな感じの言動をしていたが、その後、イランに侵攻したらイラク以上の泥沼にはまることが確実だという認識が米政界内にも広がったこともあり、アメリカは、イランに侵攻しそうもないが外交交渉もやりたくない、という行き詰まりに陥った。その中で、イギリスのブレア首相ら英独仏(EU3)は、外交交渉による問題の解決を再び模索し始め、この動きにロシアと中国も乗った結果、5月末にはアメリカを交渉の枠内に引っ張り込むことに成功した。(関連記事) EU3の提案は、イランに対して「交渉妥結までの間、核(原子力)の開発を止めてほしい」と求めるだけで、交渉が妥結した後にイランが核開発を続けることを認めており「わが国の核開発は平和利用のみである」というイランの以前からの主張を認める内容となっている。この交渉に入ることを決めたことで、アメリカは27年ぶりにイランとの直接対話に応じることになった。これは、アメリカが態度を軟化させて現実路線に戻るという、画期的な転換であるとマスコミで指摘された。(関連記事) しかし、その後の2週間ほどのアメリカの動きを見ていると、画期的な方針転換がなされたという感じがない。アメリカは、国際社会の全体から「イランと交渉する仲間に入ってください」と求められ「分かったよ」と言って席についたものの、腕を組んだままのしかめ面を崩さない感じである。 イランとの外交交渉が始まりそうな矢先に、アメリカのボルトン国連大使(ネオコン)が突然、イギリス出身の国連高官の演説にアメリカを批判する部分があったことに激怒し、謝罪しない限り、もう国連の分担金を払わないと言い出したりした。何かイチャモンをつけて国際協調体制をぶち壊そうという姿勢に見える。(関連記事) このようなアメリカの態度は、昨年夏、北朝鮮をめぐる6カ国協議でも見られた。アメリカは、6カ国協議を主導する中国の要請に応じて、北朝鮮との国交を回復するという決意表明の声明文に同意し、世界を驚かせた。しかしその後も、アメリカと北朝鮮の関係は改善していない。(関連記事) ▼学級委員になりたくないアメリカ ここで見えてくるアメリカの行動パターンは、最初は「核の先制攻撃も辞さない」と言いつつ外交交渉を拒否し、その後、近くの大国(イランの場合はEU、北朝鮮の場合は中国)が、やむを得ず主導して外交交渉を進め、その後で「アメリカも少しは譲歩してくださいよ」と頼まれると、要請に応じて譲歩するが、その後もアメリカは強硬姿勢を変えず、交渉の主導権をとらず、交渉は中国なりEUなりに任せたままになる、という流れである。 こうした行動から感じられるのは、アメリカは表向きは「単独覇権主義」と言いながら、実は反対に覇権を他国に割譲したいという戦略(多極化戦略)なのではないか、ということだ。イラク侵攻の前なら、国際社会は「アメリカは強硬なことを言っているが、最後は交渉をまとめてくれるだろう」と思ってアメリカの攻撃的な態度を静かに無視しただろうが、『先制攻撃による民主化』の看板を掲げてイラクに侵攻した後、中国やEUは「自分たちが外交交渉を主導しないと、次はイランや北朝鮮までが破壊されてしまう」と思うようになり、真剣になった。(関連記事) アメリカは、成績が良いので先生や同級生から「学級委員をやってくれ」と言われるが、自分としては学級委員なんかやりたくないと思っている小学生に似ている。本人は先生に「僕を学級委員にしたら、不良になってやる」と言うが、先生は本気にせず、彼を学級委員にしてしまう。その結果、この生徒は不良的な行為に走る、といった話である。 冷戦終結後、アメリカは誰にも圧力をかけられないはずの唯一の超大国である。世界を多極化したければ、そのように上手に世界に説明してやれば良いはずだ。しかし、もしかするとアメリカは、説明して世界を多極化するという選択肢を採れない状態になっているのかもしれない。アメリカの政界は、さまざまな外国からのロビー活動の圧力によって動かされており、内部からがんじがらめにされている。 アメリカの世界戦略に対して100年前から多大な影響を与えてきたのは、イギリスである。イギリスは、第二次大戦前、アメリカが覇権国になっていく過程で、CIAとかCFR(外交評議会)といったような、覇権のために必要な組織作りでアメリカに協力し、それ以来、アメリカの外交政策の立案に影響力を持っている。 イギリスはスマートな隠然としたやり方が得意なので「アメリカはイギリスに牛耳られている」といった印象を持つ人は、アメリカの中にも外にもほとんどいない。しかし、第二次大戦から911後のテロ戦争まで、アメリカが覇権国として行ってきた行為は、イギリスの国益を守る行為とほとんど重なっているのも事実である。 最近、米政界で最も目立つ「外からの圧力」はイスラエルであるが、イスラエルはむしろ、米中枢の多極主義者が「イスラエルのせいで、わが国はこれまでのような国際協調主義が採れなくなっています」と言い訳するためのスケープゴートにされている観がある。イスラエルが本当にアメリカを動かしているのなら、ガザや西岸から急いで撤退しなければならない現状は回避できていたはずである。(関連記事) ▼イデオロギーでアメリカを動かす 今回、私が書こうとしている新しい比喩的な仮説は「アメリカの911以後の言動は、イギリスからの第2の独立戦争なのではないか」ということである。 アメリカは、領土的には1783年にイギリスから独立している。しかし、アメリカの世界戦略の中に、イギリスにとって都合が良い半面、必ずしもアメリカ自身の国益に沿っていないものが多いことを考えると、アメリカは特に第二次大戦後、イギリスによって傀儡的に動かされているような印象を受ける。ヒットラー敵視や冷戦(ソ連・中国敵視)など、正義感の強いアメリカ人の世論がイデオロギー的に動かされて採られた戦略は、いずれもイギリスに大きな利益を与えている。 そうした流れの中で、ブッシュ政権が2002年以来採っている「単独覇権主義」の姿勢は、イギリスにとって非常に迷惑なものになっている。以前の記事に書いたように、イギリスのブレア首相は、ブッシュ大統領を「国際協調主義」の枠内に何とか戻そうといろいろと手を打っているが、ブッシュは頑固に強硬姿勢を崩していない。 「人権」や「民主化」を口実に、世界のあらゆる国に介入する権利を持つという戦略は、もともとイギリス(とアメリカ内の親英的な国際協調主義者)が始めたことなのだが、ネオコンなどブッシュ政権中枢の人々は、これを極端まで過激化することで、イギリスがついてこれないようにしてしまった。このままいくと、アメリカは一度は破綻するだろうが、同時にイギリスから操作される状態を解消でき、その後はアメリカ本来の国際戦略を展開できる状況になる可能性がある。 前回の記事で、CIAが国防総省によって潰されようとしていることを書いたが、CIAの原型を作ったのはイギリスである。イギリスは、第二次大戦前、自国の軍事諜報のノウハウをアメリカに伝授し、その結果、戦後CIAができた。スパイの世界の話なので、真相は永久に分からないだろうが、私が勘ぐっているのは、イギリスはアメリカに諜報機関を作ってやり、それをイギリスのエージェント(親英的な組織)として機能させ続けてきたのではないか、ということである。 CIAが潰されかけているのは、アメリカの戦略をイギリスから独立させるための、ネオコンによる多極化作戦の一部という感じがする。最近の、イギリスやカナダなどでのテロ捜査(の失敗)の流れを見ても、米英と旧英連邦(カナダ、オーストラリアなど)、イスラエルに作られたイギリス流の国際諜報機関網の内部で暗闘が起きていると感じられる。 ▼ユーラシア周縁国にされてしまったアメリカ 各国の戦略を地理的な位置づけから分析するという、地政学的な考え方で見ると、イギリスとアメリカでは、世界戦略に違いがある。イギリスは、ユーラシア大陸の西端にある島国で、強い海軍力を使って世界帝国を作った。イギリス帝国の戦略は、ユーラシア大陸の周縁部をぐるりと支配し、大陸中心部にある国々を封じ込める世界体制を維持することだった。「地政学」として教えられているものの中心は、このイギリスの戦略を理論化したものである。イギリスの戦略に基づくと、ロシアや中国といった大陸型の大国は、本質的な敵方である。大陸の周縁にある島国の日本は、本質的にイギリスの味方である。 (第二次大戦前、イギリスは日本を敵方に追い込む行為をやり続けたが、これは私が見るところ、アメリカを抱き込むためという別の事情に基づく例外行為である) 一方、アメリカは、ユーラシア大陸とは離れた北アメリカ大陸の主要部分を一国で統治しており、他国から攻められることがほとんどない安定した存在である。本来アメリカにとっては、ヨーロッパとかユーラシア大陸の出来事に、過度に関与することは必要ないし、得策でもない。加えて、アメリカの独立前には、ヨーロッパで宗教弾圧されてアメリカに渡ってきた人が多く、伝統的に、アメリカの社会風土は、他人からの干渉を嫌う代わりに他人に干渉しない方針を持つという「不干渉主義」(寛容主義)が強い。 アメリカが世界の覇権国となったばかりの第一次大戦の終戦時、アメリカのウィルソン大統領が提案して「国際連盟」が作られた。第二次大戦の終戦時には、アメリカのルーズベルト大統領が提唱して「国際連合」が作られている。いずれの組織も、世界のいくつかの主要国が、自分の影響下にある国々の安定を担当し、主要国どうしが利害をすり合わせる外交(談合)の場所として国際組織を用意し、この体制によって戦争を防ぐという、多極的な世界システムを作ろうとしていた。アメリカ本来の世界戦略は、遠くの国の出来事に介入しない不干渉主義の多極主義だった。 しかし同時に、アメリカ生来のこの考え方は、米国内で「孤立主義」として批判される傾向が強くなった。1900年代から1930年代にかけて、イギリスはアメリカに覇権国となるためのいろいろなノウハウを伝授したが、その中には国際戦略を考えるためのシンクタンクや大学の組織作りや、マスコミの組織化などの知識的な分野があり、アメリカ知識界では親英的な論調が強くなった。アメリカのエリート層が考える世界戦略の主流は、イギリス型の「ユーラシア包囲網」の戦略の中の「ユーラシア周縁部諸国」の一つにアメリカを位置づけるものになった。 アメリカ人がこのような考え方をするようになったのがイギリスの「陰謀」の結果だというのは過激な言い方になるが、イギリスの「影響」の結果であるとは言える。アメリカは、領土的には200年以上前からイギリスから独立しているが、知識的には約100年前に再びイギリスの影響下に置かれ、今日に至っている。 ▼軍産複合体とイギリス こうした流れの中で、国連の多極主義的な世界体制は、発足から数年もしないうちに、ソ連との対立という冷戦の開始により、イギリス好みの「ユーラシア包囲網」の世界体制によって上書きされてしまった。 ルーズベルトが国連によって実現しようとした世界体制は、アメリカが南北アメリカ大陸、イギリスとフランスがそれぞれの旧植民地の連合体を率い、ユーラシア中央部はソ連と中国が担当するという地域区分に基づいた、世界を安保理常任理事国の5つの大国が分割統治する多極主義である。インドやオーストラリアは英連邦の中に入っていた。ドイツや日本などの旧敵国は、5大国が共同で管理改革し、牙を抜いた上で国際社会に再び入れてやる方針だった。 これに対して冷戦は、5大国を、ソ連と中国という社会主義陣営と、米英仏という資本主義陣営とが分断され、敵対する体制で、奇しくも、ソ連と中国というユーラシア大陸の勢力を、米英仏というユーラシア周縁部の勢力が包囲するというイギリス好みの構図になっている。 欧州大陸でイギリスにとって一番のライバルだったドイツは、ソ連占領地域の東半分と、米英仏占領地域の西半分とに分断され、この分断は冷戦終結まで50年続いた。終戦前のヤルタ会談で、アメリカのルーズベルトは「終戦から2年以内に、欧州に駐留する米軍を本国に撤収する」と宣言していたので、戦後の世界がアメリカ型の多極主義体制として持続されていたら、終戦から数年以内にドイツは再統一され、国際社会に復帰していただろう。だが、イギリスのチャーチルが1946年の訪米中に発した「鉄のカーテン演説」を皮切りに冷戦が激化していったことで、イギリスにとって好都合なドイツの50年分割が実現した。 戦後の世界が多極主義に落ち着いていたら、アメリカは早々に欧州から手を引き、欧州大陸の政治は、英仏ソ独伊などがしのぎを削る多国間の体制になっていただろう。これが実現せず、代わりに冷戦体制になったことで、ソ連は絶対的な敵として切り離された上、欧州を支配するのはアメリカで、その下に仏独伊などの欧州大陸諸国が従属することになった。アメリカに対して特別な影響力を持っているイギリスは、間接的にライバルの欧州大陸諸国を従属させられるようになった。 イギリスは、過去100年間、常にアメリカの同盟国である立場から逸脱しないようにしている。イギリスは、イギリス好みの考え方をすることが「常識」の一部として埋め込まれて久しいアメリカ東海岸のエリート層と連携し、間接的にアメリカを動かすことで、本国単体の力が衰退した後も、大英帝国の戦略を続けることに成功し、本来の国力の何倍もの国際的な影響力を維持し続けている。英ポンドの強さの源泉もここにある。今やイギリスの主力産業は、この国際的な影響力行使のメカニズムである。外交とか諜報機関とか大学とかマスコミとか、そういった業界である。 冷戦体制は、アメリカ内部のいくつかの主要勢力にとっても有利だった。国防費の減少が避けられる軍事産業とか、アメリカの覇権を利用して国際的に儲けられる金融界や多国籍企業などである。戦後の世界が多極化していたら、アメリカの国防費は早々に減り、今は世界で売られているアメリカ文明を象徴するようないくつかの商品群が、これほど世界的な存在になることもなかっただろう。イギリスはアメリカの政治家や学界、軍事産業、銀行や大企業、マスコミと連携し、世界を冷戦型に移行させたといえる。イギリスは「軍産複合体」の一部であるともいえる。 ▼国際社会という名の談合体制 イギリスは第一次大戦前から「国際協調体制」を作ることで、世界支配のコストを、自国だけで支配する場合に比べて、格安に抑えるという技能を駆使し続けている。たとえばイギリスは第一次大戦の前後、オスマントルコ帝国を崩壊させて中東を殖民地にしていく際に、フランスを誘い込んでいる。フランスは中東の中でレバノンだけがほしかったのだが、イギリスは、レバノンの後背地にあたるシリアもフランスに押しつけ、これを「サイクス・ピコ条約」として実現した。イギリスは、スエズ運河の周辺は必要としたが、シリアは必要ではなかった。 これは中東の油田開発が始まる直前の話で、その後、フランス領に指定されていたモスルで油田が発見されると、イギリスはモスル周辺をフランスに割譲させ、イギリス領のイラクに編入している。イギリスは同様に、アフリカや中国も、他の欧州諸国や日本とともに分割する流れを作り、植民地経営のコストを下げている。 列強は、殖民地争奪戦がこうじて世界大戦を起こした、というのが歴史の「常識」とされているが、中東や中国が分割された経緯を見ると、争奪戦ではなく談合である。その談合体制を作ったのが、イギリスである。日本のゼネコンの談合を見れば分かるように、談合で一番儲けるのは、談合を仕切る人(幹事社)である。 第二次大戦後「国際社会」とか「国際協調体制」といった名前がつけられている談合体制は、主幹事がアメリカで、副幹事がイギリスという構成になっている。アメリカは911以降、単独覇権主義を振りかざすことで、談合体制から脱退することを模索しているようだが、脱退する際に「談合から抜けます」と宣言することは許されない。日本の建設談合と同様、談合は存在しないことになっているからである。談合は、関係者ならみんなが知っている「公然の秘密」である。 911後のアメリカは、あくまでも談合に参加し続ける姿勢をとりつつ、他の談合参加者から迷惑がられ、談合に呼ばれないような状態へと自然に軟着陸させたいかのようだ。外交という国際談合の世界で、地位は副幹事だが、談合体制そのものを作った経緯を生かして儲けてきたイギリスは、主幹事アメリカが談合を抜けることを何とかして防ごうとしている。 ▼アメリカを欧州偏重・アジア軽視にしておく 第二次大戦後、生来の多極主義的な世界戦略を捨て、イギリス的な世界戦略を採り入れた結果、アメリカの戦略は欧州偏重となり、大西洋経由で世界を見る態度から脱せられないでいる。地理的には、アメリカはヨーロッパとアジアと両方に向いているのだから、本来、欧州並みにアジア太平洋を重視してもおかしくないはずである。 アジアは今後、中国やインドの発展によって50年間ぐらいは経済成長できそうな可能性がある。欧州よりアジアの方が、今後の可能性を秘めている。それを考えれば、たとえばアメリカ連邦政府が首都を東海岸のワシントンDCから西海岸のカリフォルニア州あたりに移転させ、大統領が「これからはアジア太平洋を重視する」と宣言するといったことが起きても不思議ではない。そうした動きはアメリカの国益にプラスである。 しかし実際には、そんなことは起きそうもない。アメリカがアジア太平洋を重視することは、欧州を軽視することになり「アメリカを動かして欧米同盟を作り、欧米がロシアや中国を封じ込め、世界の中心に位置する。イギリスは黒幕的に利益を享受する」というイギリスの100年の地政学的な戦略が無効になる。それは、イギリスの衰退を意味する。イギリスや、親英的なアメリカの冷戦派は、アメリカが中国と同盟関係を結ぶことを、何としても阻止したいだろう。 同様の理由で、イギリスと、アメリカの親英的は、日本がアメリカとの同盟関係を「対等」に近いものに変質させ、アメリカを日本(アジア)重視の方向に向けさせようとすることにも反対のはずである。日本は、アメリカに一方的に従属する限りにおいて、アメリカとの友好関係を保つことを許されている。戦後の日本政府は、そのことを良く知っていたようで、戦後の日本は、アメリカの意志決定に影響を与えようとする行為(ロビー活動)を全くやっていない。 ユーラシア周縁部の島国である日本にとっては、アメリカがイギリス仕込みの中国・ロシア封じ込め戦略をとり続けることは歓迎である。戦後の世界が多極主義になっていたら、アメリカは日本より中国を重視し、中国の経済発展のために巨額の資金援助を行う半面、日本に回ってくる援助は少なかっただろう。アメリカの戦略が多極主義から冷戦体制に変わり、米中が朝鮮半島で戦争してくれたおかげで、日本は大変に助かった。日本にとって、冷戦は「神風」であり、イギリスに足を向けて寝られないのである。 ▼ユーラシア包囲網と日本 とはいえ半面、蛇足的に言うと、戦前の日本は、アメリカに影響力を行使しようとするイギリスの戦略のせいで、ひどい目にあっている。もともと日本の明治維新は、イギリスにとって、東アジアにロシア帝国の太平洋進出を阻止してくれる代理勢力を出現させる作戦という意味があった。明治政府の元勲たちの多くは、イギリス留学組であり、彼らを通じてイギリス好みの近代日本が作られ、大英帝国のユーラシア包囲網の東端として機能し始めた。日本側は自分たちに与えられた役目をこなし、ロシアの南進を阻止するために、日露戦争でロシアの利権を奪い、朝鮮から満州に進出した。 ところが、第一次大戦でイギリスは国力の衰退が進み、アメリカの戦略をイギリス好みに変えていくことが、第一次大戦後のイギリスの戦略の中心になった。イギリスは、ウィルソンが国際連盟で体現しようとしたような、アメリカの多極主義の戦略をこっそり台無しにする必要があった。イギリスは、アメリカの同盟国として振る舞いながら、こっそりアメリカの多極主義の戦略を潰し、米英が世界の中心になってユーラシアを包囲する戦略に置き換えていくという、難しい秘密の作戦を展開した。 その一つが世界の大国間の関係を、国際連盟の協調体制(多極主義体制)から、米英連合と、他の連合体(結果的に日独伊)という対立関係に再編することだった。ドイツと日本などが、しだいに米英の敵として振る舞うように、いくつもの仕掛けが作られた。その象徴が、1931年の満州事変後の事態である。 日本は、従来どおり、日本がロシアの南下を阻止して満州の利権を拡大することを、イギリスが歓迎してくれると思っていたが、イギリスは国際社会を動かして満州事変を日本の侵略行為として非難し、日本が事態を挽回しようと急いで作った満州国も、傀儡国家として国際社会から否定された。 日本は国際連盟から脱退し、その後は米英の敵という色彩を強めるレッテルを次々と貼られ、最後はアメリカ(の親英派である好戦派)の引っかけに乗せられて真珠湾攻撃をやってしまい、自滅的な戦争に突入した。それまでアメリカは、英独間で起きていた第二次大戦に参戦していなかったのだが、真珠湾攻撃を機に参戦し、間もなくドイツとも交戦状態に入った。アメリカの多極主義は破綻し、代わりに米英が協力して日独という「悪」と戦うという、勧善懲悪の二元論の世界が出現した。 戦後、アメリカは、多極主義型の世界システムの再構築を目指して国際連合を作ったが、それも冷戦という、新たな勧善懲悪の二元論によって破壊されてしまった。 ▼ニクソン訪中も「独立運動」 アメリカの「第2独立戦争」という題名を掲げながら、ここまで日独との対立や冷戦がアメリカの外交戦略の自主性を奪っていたという「独立前」のことについて説明しただけで、かなりの分量になってしまった。続きは改めて書くつもりなので、ここではとりあえずメモ程度に書いておく。 冷戦は40年以上続いたが、その間にも、アメリカの内部から、冷戦体制に風穴を開けようとする「独立運動」的な行為が何度かあった。その一つは、ベトナム戦争末期のニクソンとキッシンジャーの訪中に始まる、1970年代の中国との国交正常化への動きである。 もう一つは、1980年代のレーガン政権時代の、ソ連との関係を一触即発の戦争一歩手前まで悪化させ、ソ連側に「冷戦なんかやめたい」と思わせ、ゴルバチョフの柔軟姿勢を出現させ、冷戦の終結までこぎ着けた動きである。 レーガンによって冷戦を終わりにされてしまったイギリスは、軍事に代わって経済で米英が世界市場の中心として機能するという「経済グローバリゼーション」の新戦略を打ち出し、これはアメリカを巻き込んで冷戦後の米英の中心的な戦略となり、1990年代前半のクリントンとブレアの経済政策の成功として結実した。 ところがこの好調も、90年代後半のアジア通貨危機を機に陰り出し、アメリカの株価のバブルが2000年にはじけ、01年にブッシュ政権が誕生するとともに、政治の中心はふたたび「経済」から「軍事」に戻った。米政界はタカ派的、単独覇権的な傾向を強め、イギリスがついていけないような極端な戦略を打ち出すに至った。 田中宇の国際ニュース解説・メインページへ |