ユダヤロビーの敗北2012年11月12日 田中 宇11月6日に米国の大統領選挙でオバマの再選が決まった直後、イスラエルの諜報機関モサドが、インターネット上でエージェント(スパイ)の新規募集を開始した。勝利を象徴する画像がつけられた募集のページが不気味な雰囲気を醸し出していたこともあり、イスラエルでは「モサドは、かつて(ケネディの時)のように、イスラエルの意にそぐわない米大統領(オバマ)を暗殺しようと殺し屋探しを始めたのかも」と言われているという。 (Obama's Victory Shocks Israel) ユダヤ陰謀論好きが多い日本ではモサドのオバマ暗殺計画を真に受ける人が多いかもしれないが、イスラエルではこの話が冗談・皮肉として発せられている。イスラエルの右派勢力がオバマの勝利に衝撃を受けている様子を象徴する政治寓話として、この件が紹介されている。イスラエル右派の間では、暗殺話が出るほどオバマが嫌われている(だから本気で暗殺するかも、という考え方ができなくもないが)。 (Obama Re-Election Spells Trouble For Netanyahu) ネタニヤフ首相ら政界中枢とイスラエル右派の多くはロムニーが勝つと予測し、オバマの勝利にショックを受けた。特にネタニヤフ首相は、9月からロムニーを公然と支持する姿勢を示し、オバマとの関係が悪化してもかまわない態度だったので、今後の米政府との関係をどう修復するか困窮している。 (Netanyahu's red lines mark split with US) ネタニヤフの側からだけでなく、オバマも9月のニューヨークの国連総会の傍らでネタニヤフと2者会談することを断るなど、オバマの側からもネタニヤフを疎んじた。当時、米イスラエルのマスコミは「イスラエルと対立するなんてオバマは馬鹿だ。これで再選の望みを失った」と書き立てた。 (Even if he's got a point, Obama is wrong to snub Netanyahu) だが実際には、懸念されていたユダヤ票の離反が起きなかった。米国のユダヤ系は伝統的に民主党支持で、オバマは前回08年選挙でユダヤ票の74%を得た。オバマは今回ユダヤ票の69%を得ており、5%の減少だったが、この減少度は、米国の他の系統のマイノリティ層のオバマ支持の減少率と同程度だ。ユダヤ系だけが離反したのではない。得票率は下がったが、オバマは再選された。 (Jewish Vote Goes 69 Percent For Barack Obama: Exit Polls) イスラエルのネタニヤフ首相や、リーバーマン外相ら右派勢力がロムニー当選を確信していたのは、ネタニヤフやリーバーマンの政治顧問をしてきた米共和党の選挙参謀でもあるアーサー・フィンケルシュタイン(Arthur Finkelstein)が、ロムニーの当選が確実だと予測していたからだ。 (Arthur J. Finkelstein From Wikipedia) 今回の選挙でロムニーや共和党議員候補に最大の資金援助をした、ラスベガスやマカオで賭博場を経営する米国屈指の大富豪シェルドン・アデルソン(Sheldon Adelson)も、フィンケルシュタインからのアドバイスをもとに、ロムニー勝利を信じて動いていた。フィンケルシュタインもアデルソンもユダヤ人だ。イスラエルのネタニヤフやリーバーマンも、以前からアデルソンから資金援助され、フィンケルシュタインを選挙参謀として使っていた。 (Tough Night for Sheldon Adelson, Mogul's Candidates Mostly Fail To Win) (Sheldon Adelson From Wikipedia) フィンケルシュタインは、得票予測や広告戦略など米共和党の選挙に40年以上関わり、冷戦後はイスラエル、東欧、カナダなど、米国外の保守政治家の選挙参謀も手がけてきた。彼は今回の米大統領選挙に際し、フロリダ、オハイオなど激戦州(スイング・ステーツ)のすべてでロムニーが勝ち、総得票率でもロムニーがオバマより4%勝ると予測し、ネタニヤフやアデルソンはこの予測を信じて共和党に賭けた。だが実際のところ、ロムニーが勝てた激戦州は一つだけで、総得票率もオバマの方が2%上回った。この6%の誤算が、イスラエルを国家的な窮地に追い込んだと報じられている。 (Betting on the wrong horse: The night Benjamin Netanyahu will not soon forget) 米国の大統領選挙はこのところいつも僅差で予測が難しい。それなのにネタニヤフが国運を一方の候補だけに賭けるという、イスラエル史上前代未聞のリスクを取った理由は、アデルソンという政治資金源と、フィンケルシュタインという政治顧問が一体になってイスラエル右派に入り込んでいたからだろう。後から考えれば、馬鹿馬鹿しい賭けだった。 (Netanyahu's Nightmare) 米イスラエル関係が悪化するとともに、米政府内から「イスラエルこそ米国の国益にとって最大の脅威だ」とする報告書が、大統領選挙前に静かに出されていたとの指摘がある。CIAなど米政府の16の諜報機関が共同でまとめたという。イスラエルは米国内でスパイ活動や武器持ち込みをやっており、シオニストは米国の国益に反しているとも書いている。イスラエルがイスラム諸国と戦争して国家消滅することを示唆して「イスラエル後の中東への準備」と題する報告書だという。これらの指摘は現実を的確に言い表している。報告書の存在が事実だとしたらすごいことだが、米当局が本当にそんな題名の報告書を出すとも思えず、嘘くさい感じもする。 (An 82-page analysis concludes that Israel is currently the greatest threat to US national interests) (US Preparing for a Post-Israel Middle East?) もし報告書の存在が事実だとしたら、CIAなど米国の諜報機関と、イスラエルや在米右派との激しい暗闘が起きているはずだ。最近、CIAのペトラウス長官が不倫発覚で辞任したが、あの辞任は、CIAとイスラエル右派との戦いの一環なのかもしれない。少なくともペトラウスは、以前からイスラエル右派を批判する発言をしていた。 (Was Petraeus brought down by his secret love-life or by AIPAC?) 米国が「テロ戦争」の一環で中東のイスラム主義を扇動し、イスラム側とイスラエルとの対立が強まった結果、イスラエルでは世論が右傾化してリベラル・穏健派への支持が減り、右派連立政権を組むネタニヤフは一人勝ちの状態だった。ネタニヤフは、優勢が続いている間に権力を固めておくことを決め、10月初旬に議会を解散し、来年1月に総選挙を行うことにした。しかし、この戦略もフィンケルシュタインの発案だった。フィンケルシュタインは、ネタニヤフの圧勝を予測しているが、この予測に対する信頼性も揺らぎ出している。オバマ当選後、イスラエル政界も先行き不透明な状態に陥った。 (Netanyahu stands unchallenged in Israel's political landscape) イスラエル右派は1970年代から米政界を牛耳ってきた。オバマも議員だった時代から、イスラエルに気をつかってきた。大統領選への出馬表明後の08年7月には、大統領候補としてイスラエルを訪問し、オルメルト首相と会食したり、イスラエル政府のヘリコプターで遊覧飛行したりしている。今回の選挙戦でロムニーは「(私は行ったが)オバマはイスラエルに行っていない」と批判したが、イスラエル政府は選挙後、08年のオバマのイスラエル訪問について改めて指摘し、イスラエル政府はロムニーも乗せなかったヘリにオバマを乗せて歓待したことを、いまさらながらに発表した。 (Betting on the wrong horse: The night Benjamin Netanyahu will not soon forget) (反イスラエルの本性をあらわすアメリカ) オバマはこれまでイスラエルに気をつかってきたが、今回イスラエルに頼らず勝ったオバマは、今後4年間、イスラエルに気兼ねせずに外交戦略を進められる。米大統領は一回しか再選が許されないので、今のオバマのような2期目の大統領は、再選を左右するイスラエルや軍産複合体に気兼ねせず思い切った政策を手がける傾向にある。オバマ再選は、脅しやスキャンダルをつかって米政界の全体を何十年も牛耳ってきたイスラエルにとって恐るべきことだ。イスラエルと組んで米政界を動かし、中露などを敵視する冷戦型の世界体制を維持して米国の覇権を維持してきた軍産複合体にとっても同様だ。 (Netanyahu Rushes to Repair Damage With Obama) オバマはもともと、前任のブッシュ政権が悪化させた中東などイスラム世界との関係を対話によって改善することを目標に掲げて大統領に就任した。2期目には、これまでひかえてきたイランとの対話を進める可能性が高い。オバマ陣営の政治顧問であるエマニュエル・シカゴ市長は、今回の選挙前に、オバマが当選したら、イスラエルの防衛のことも考慮しつつ、イランと対話すると発表している。 (`US to become more flexible toward Iran') (Rahm Emanuel: Obama will protect Israel, deal with Iran) オバマは、地元シカゴの腹心であるイラン系の女性弁護士を特使に据え、すでにイランとの秘密交渉を開始していると報じられている。12月にイランと米欧露中(P5+1)が核問題の交渉を再開するが、その一環として、もしくは前後して、米イランの2国間会議が始まる可能性がある。イラン側も、これまで続けてきた20%のウラン濃縮を停止し、融和的な態度をとっている。(20%濃縮は、欧米による制裁によりイラン国内で払底していた医療用アイソトープの製造用で、すでに十分な量が確保できたので、米欧との協議がなくてもイラン側は濃縮を停止しただろうが) (Senior Obama Adviser Leads Secret Talks With Iran) (Iran suspends uranium enrichment program) もともと「イランが核兵器を開発している」という話は、イラク侵攻前の「イラクは大量破壊兵器を開発している」という話と同様、イスラエル右派と軍産複合体が米政界を動かしてでっち上げた濡れ衣だ。でっち上げにマスコミが荷担する先進諸国以外の、BRICSや途上諸国では、2年ほど前から、イラン核問題が米主導の濡れ衣だと暴露されている。今回の選挙前には、米大統領府が主導し、米イスラエルの諜報機関と軍、国連IAEAが、イランは核兵器を開発していないという見方で合意している。オバマの米国が濡れ衣を捨ててイランと和解する準備が、水面下で進んでいる。 (U.S. & Israeli Officials: Iran is NOT Building Nuclear Weapons) (善悪が逆転するイラン核問題) オバマがイランと対話に入り、イラン核問題の濡れ衣性が暴露されていくとともに、イスラエルがイランを空爆して米軍を対イラン戦争に巻き込む構想も実現が困難になっている。イランが核兵器開発していないのなら、イランを空爆する大義も失われ、空爆は正義でなく、逆に不法な侵略行為になる。最近、米政府が英政府に「イランを空爆するときにインド洋や中東の英軍基地を貸してくれるか」と尋ねたところ、英政府が「イラン空爆は国際法に反しているので貸せない」と断ったと報じられ、英政府もこの件を部分的に認めた。英国は、米国に追従して違法な侵略をしてしまったイラク戦争の二の舞を恐れている。イラン空爆の可能性は激減している。 (Britain: Talks Under Way on US Using Bases for Iran Attack) イランが核兵器の濡れ衣から解放されそうなのと対照的に、今後の中東で問題になりそうなのがイスラエルの核兵器だ。イスラエルは米仏などの技術を借り(盗み)、200発以上の核兵器を持っており、NPTやIAEAといった核の国際秩序への参加と査察を拒否している。これまでイスラエルは米国の覇権に守られていたので、不法な核兵器保有を世界から黙認されてきた。 (北朝鮮と並ばされるイスラエル) だが今後、オバマの米国が実質的なイスラエル支持を減少させ、イスラエルに敗北してきたアラブ諸国や、核の濡れ衣を解かれたイランが「中東非核化」のお題目のもと、逆襲的にイスラエルに核廃棄を求めるようになっている。これまでイランを非難するために使われてきた「中東非核化」の構想が、そっくりそのままイスラエル非難に転用されている点が、近年の国際政治が包含する妙味であり興味深い。最近では、米国の外交戦略の奥の院であるCFRのフォーリンアフェアーズ誌も「イスラエルは核を廃棄してイランと対話した方がいい」と言い出している。 (Why Israel Should Trade Its Nukes - Stop Iran's Centrifuges by Accepting a Nuclear-Free Middle East) 今年は5年に一度のNPT会議の年であり、それに合わせてアラブがイスラエルに核査察を求める交渉を始めようとしている。イスラエルは交渉に参加すると言っていたがドタキャンした。いつまで交渉を拒否できるかが今後の関心だ。 (Talks between Israel, neighbors on nuclear-free Mideast called off, diplomatic sources say) 少し前まで米政界を圧倒的に支配していたイスラエル右派や軍産複合体は、今回の選挙で敗北を喫している。大統領選挙だけでなく、上下院の議会選挙でも、イスラエル右派や大富豪アデルソンが支援した共和党の候補者たちが何人も民主党候補に破れた。米国のイスラエル系の政治団体として、これまで米政界を牛耳ってきた右派のAIPACに対抗するかたちで、リベラル派のJストリートが台頭している。今回の選挙で、AIPAC系の候補者に落選が目立ったのと対照的に、Jストリートが支援した候補の7割が当選した。米政界でイスラエル右派が再起するのは無理だとの見方もある。敗北した共和党が今後どう変身していくか(もしくはこのまま衰退して米国の二大政党制が崩れるか)が、そのカギを握っている(この件については改めて書く)。 (Loser of 2012 US election: Zionist lobby) Jストリート系の候補者の多くは、イスラエルとパレスチナが和解してパレスチナ国家を創建する「2国式」の解決方法を支持している。イスラエルでは、ネタニヤフの右派連立政権が2国式に強く反対する半面、最近人気がなかったリブニやオルメルトといった中道派が2国式を支持している。米国でイスラエル右派が衰退し、オバマがイランと和解すると、イスラエルもパレスチナ人やアラブ諸国と和解せざるを得なくなる。これは歴史的な転換になる。 (自立的な新秩序に向かう中東) 優勢だったはずの右派が、お粗末な予測違いによって劣勢に転じ、米国が中東での覇権を失うとともにイスラエルが不利になる構図は、イスラエル右派の一部だったブッシュ政権のネオコンが挙行したイラク侵攻の前後と同じ展開だ。イラク侵攻は、米国の覇権とイスラエルによる支配を壊し、世界の体制を資本家好みの多極型に転換するため、親イスラエルのふりをした反イスラエルのユダヤ人勢力が意図的にやったことだと私は考えている(英国覇権の創設と米国への覇権移転はユダヤ資本家の策略だが、同時に多極型の覇権体制によって新興諸国主導の世界経済の発展を引き出そうとしているのもユダヤ資本家だ)。 (イスラエルとロスチャイルドの百年戦争) (資本の論理と帝国の論理) この構図に当てはめるなら、イスラエル右派が今回の選挙でロムニーの勝利を間違って確信し、米国とイスラエルの両方を大転換させようとしているのも、意図的な予測違いだった可能性がある。誰が「騙し」をやったのか明確でなく、フィンケルシュタインやアデルソンも、その背後にいる米共和党の重鎮に間違った予測を吹き込まれていたのかもしれないが、ネタニヤフらイスラエル右派は、騙されて劇的な失敗に陥れられたという考え方ができる。 オバマがイランと和解するとなると、米国の和解の相手はイランだけでなく中国やロシアにも拡大する可能性が大きい。従来のオバマは「アジア重視」という名の中国包囲網を戦略としてきた。だが、かつて同じ民主党のクリントン大統領が2期目に大きく中国にすり寄ったのと同様、オバマも2期目は、中露に接近する政策に転換し、覇権の多極化を容認する姿勢になるかもしれない。そうなった場合、中国敵視策で対米従属の国策を維持しようとする日本にとって大きな脅威だ。
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