資本の論理と帝国の論理2008年2月28日 田中 宇私が自分なりに国際政治を何年か分析してきて思うことは「近代の国際政治の根幹にあるものは、資本の論理と、帝国の論理(もしくは国家の理論)との対立・矛盾・暗闘ではないか」ということだ。キャピタリズムとナショナリズムの相克といってもよい。 帝国・国家の論理、ナショナリズムの側では、最重要のことは、自分の国が発展することである。他の国々との関係は自国を発展させるために利用・搾取するものであり、自国に脅威となる他国は何とかして潰そうする。(国家の中には大国に搾取される一方の小国も多い。「国家の論理」より「帝国の論理」と呼ぶ方がふさわしい) 半面、資本の論理、キャピタリズムの側では、最重要のことは儲け・利潤の最大化である。国内の投資先より外国の投資先の方が儲かるなら、資本を外国に移転して儲けようとする。帝国の論理に基づくなら、脅威として潰すべき他国でも、資本の論理に基づくと、自国より利回り(成長率)が高い好ましい外国投資先だという、論理の対峙・相克が往々にして起きる。 帝国の論理に基づき国家を政治的に動かす支配層と、資本の論理に基づき経済的に動かす大資本家とは、往々にして重なりあう勢力である。帝国と資本の対立というより、支配層内の内部葛藤というべきかもしれない。ただ欧米の場合、大資本家にはユダヤ人が多く、彼らは超国家的なネットワークで動いている。その意味では資本と帝国の相克は、ユダヤとナショナリズムとの相克と見ることもできる。 しかしその一方で、16世紀のスペイン、17世紀のオランダ、18世紀のイギリスと、世界規模の帝国を築いた国々の中枢では、いつもユダヤ人が国際ネットワークの技能を提供しており、それが諸帝国の成功の秘訣の一つだった。欧州のロスチャイルド(ユダヤ)と、アメリカのロックフェラー(非ユダヤ)の対立として描く人もいるが、ロックフェラーは古くから親中国・親ロシアで、多極主義を好む資本家という点でロスチャイルドと同じ側に立っており、両者は根本的な対立をしていない。 ▼産業革命を世界に広げた資本家 資本の論理が大々的に登場したのは、18世紀末にイギリスで始まった産業革命以降である。イギリスでは、産業革命で儲けた人々が産業資本家として台頭したが、しばらくすると彼らは、産業革命が一段落して経済成長が鈍化し始めたイギリスより、まだ産業革命が始まっていないドイツなど外国に投資した方が儲けが大きいことに気づいた。 投資の利回りが良いのは、産業革命(工業化)が軌道に乗ってから20年間ぐらいで、イギリスでは1780−1800年だった。その後イギリスの成長が鈍化し、資本家が海外へと新規投資先を開拓していった結果、1850−1870年にはドイツで、1880−1900年には日本で、それぞれ産業革命が展開した。 イギリスの資本家が他の国々の産業革命に投資した時、出したものはお金だけではない。イギリスの製造業の技術や、企業経営の技能に加え、封建体制を脱して工業生産に適した社会に転換する過程としての近代化を始めたばかりの日本やドイツなど政府に対し、法律や軍事など近代的国家運営のノウハウまで移植したはずである。その方が新興国家は安定し、資本家の儲けが大きくなる。 ロスチャイルドのような大手の資本家は、イギリスの国家運営に関与し、自分たちの番頭を首相や政治家、高級官僚として送り込んでいたから、イギリスの国家運営の技能を入手するのは簡単だった。ロスチャイルドのようなユダヤ人資本家は、イギリスだけでなくドイツやフランスにも古くからの拠点を持っていた(そもそもロスチャイルドは産業革命前にドイツからイギリスへと拡大した)。だから、資本や産業技術は簡単にイギリスから独仏などに広がり、資本家の儲けを拡大した。 産業革命の進展の結果、1830−70年代に鉄道網が世界中に広がり、同時期に外洋船舶や自動車など交通技術が全般的に大進歩して、世界は1870年代以降「第一次グローバリゼーション」の状況になった。人類史上初めて、世界が単一の市場になる傾向が急速に強まり、資本は成長率の高い地域を求めて投資先を探し、工場は労賃の安い地域を求めて移転し、商品は中産階級が勃興する新興国でよく売れるようになった。資本家は世界的に金儲けでき、資本の論理からすると好ましい展開だった。 ▼資本と帝国の矛盾の末に起きた第一次大戦 しかしそもそも、当時は大英帝国の政治覇権が世界を安定させていたパックス・ブリタニカの時代だった。イギリスが帝国の論理に基づいて世界を安定的に支配していたからこそ、資本家は世界的に儲けられた。 世界には、工業技術の修得がうまい人々と、そうでもない人々がいる。日本やドイツなどの人々は、イギリス人よりも安く優れた工業製品を作れるようになった。欧州各国から移民を集めて作られたアメリカも、イギリスより良い工業製品を作り出した。イギリスは、最初に産業革命を起こし、パックス・ブリタニカで世界を安定させている功労者であるにもかかわらず、産業的には独米日などより劣る、儲からない国になる傾向がしだいに顕著になった。19世紀末には、資本の論理と帝国の論理の間の矛盾・対立が拡大した。 矛盾が拡大した果てに起きたのが、1914年からの第一次世界大戦だった。前回の記事にも書いたように、イギリスは外交・諜報能力が非常に進んでいたが、軍事製造力でドイツに抜かれるのは時間の問題だった。イギリスは、ドイツが東欧・バルカン半島からトルコ・中東方面に覇権を拡大するのを阻止する目的もあり、フランスやロシアを誘ってドイツとの戦争を起こした。 ドイツにも投資していたイギリスの国際資本家の中には、イギリスが戦争でドイツを潰そうとしていることに、ひそかに反発した人々もいたふしがある。彼らは、英政府に軍事費を無駄遣いさせたり、欧州のユダヤ系革命勢力がロシアに行くよう誘導して革命を起こし、イギリスと組んでドイツと敵対していたロシアが革命で戦線離脱するよう仕向けたりして、第一次大戦でイギリスが消耗し、帝国として機能できない状態に陥れようとした。こうした暗闘の結果、第一次大戦は長引き、イギリスは最終的に勝ったものの、国力を大幅に落とした。 第一次大戦でイギリスが勝てたのは、アメリカを参戦させることに成功したからである。当時すでにニューヨークには資本家が数多くおり、第一次大戦でイギリスではなくドイツを支援する勢力も多かったが、イギリスの強い勧誘活動の結果、アメリカはイギリス側に立って参戦した。その見返りとして米政府は、戦後の世界体制を多極的なものにするための主導権を得た。 ▼アメリカを乗っ取ったイギリス アメリカが主導して構築した第一次大戦後の世界体制が、国際連盟であり、ベルサイユ体制だった。これは、大国どうしで話し合って世界の安定を維持する戦争防止の国際機構になるはずのもので、イギリスがドイツを潰すような戦争の再発を防ぐ資本の論理と、アメリカは南北米州のことだけに責任を持ち欧州の紛争に巻き込まれないという不干渉主義の両方が満たされるはずだった。しかし、アメリカ自身が議会の反対で参加せず、機構は不完全なものに終わった。 その後、イギリスは20年かけてアメリカの連邦政府を覇権的な機関に作り替え、アメリカが地方分権の不干渉主義から連邦政府独裁の覇権国へと転換するよう誘導した。その上で第二次大戦を起こして米英が勝ち、第一次大戦で終わっていたイギリス覇権を、アメリカ覇権(パックス・アメリカナ)として再生した。 アメリカの連邦政府は権限が拡大し、戦争をしやすい機関に作り替えられ、アメリカが「戦争中毒」になる素地が作られたが、その裏にはアメリカを作り替えて世界支配をやらせようとしたイギリスがいた。最初の戦略はイギリスが立案したが、その後はアメリカにCFR(外交問題評議会)などイギリスからコピーされた研究機関が作られ、英諜報機関のMI6が米に移植されてCIAとなり、アメリカ自身がイギリス好みの世界戦略を考案するようになって、イギリスがアメリカに乗り移る過程が完了した。 私はこれまで「アメリカはイギリスから覇権を移譲された」と書いてきたが、よく考えると「イギリスは自国の衰退を補うため、アメリカを取り込んで米英同盟が覇権を握る体制にした」と言った方が良い。 アメリカは第二次大戦でも世界の多極的体制を希求し、国際連盟に替えて国際連合を作ったが、新体制はイギリスの冷戦の策略を受け、1950年の朝鮮戦争までに無力化された。おそらくイギリスは、第二次大戦中から、戦争中は日独を潰すためにソ連を味方につけるが、その後はソ連を敵にして米英が中ソと対立する体制を作るつもりだったのだろう。 アメリカの覇権のもとで世界が安定したら、再び資本家はグローバリゼーションを起こし、儲けるために中ソに投資して成長させ、不干渉主義のアメリカはそれを容認し、イギリスの覇権は10年で崩れただろう。戦後すぐに冷戦構造を作って世界を分断し、先進国をすべて英米覇権下に置いたことで、イギリス黒幕の米英同盟による覇権は長期化し、現在まで続いている。 (実際、1990年代に冷戦が終わった直後から第2次グローバリゼーションが始まり、それから10数年後の今、中国は経済大国として台頭し、ロシアも資源大国になり、世界は多極化している) ▼ニクソン以後に暗闘再燃 イギリスが、アメリカを引っ張り込み、日独を潰して傘下に入れ、中ソを永久の敵にして、米英同盟が世界を支配する体制を1950年に完成させた時点で、1910年代からの資本と帝国の暗闘・葛藤は、いったんは帝国の勝利で確定した。 イギリスが召集してアメリカで開いた1944年のブレトンウッズ会議で、ドルは基軸通貨となり、アメリカは造幣輪転機を回すだけで富を生み出せるようになった(建前は金本位制だったが、米政府はかまわずドルを増発した)。西欧や日本に対する戦後復興投資も米企業の儲けとなり、資本家は1960年代までの20年間は、儲かるので米英中心の世界体制に文句を言わなかった。 ところが60年代に米経済の成長や欧日の復興が一段落した後、資本家は再び満足しなくなり、70年代にかけて政府にドルを全力で増発させ、71年に金ドル交換停止を引き起こし、ブレトンウッズ体制を潰すという覇権の自滅をやり出した。同時期にニクソン訪中があり、その後は米ソ雪解け、レーガンによる冷戦終結まで、アメリカは20年かけて断続的に冷戦体制を壊していった。 多極主義に基づいてアメリカの自滅を画策したニクソンは1974年のウォーターゲート事件で辞めさせられた。この事件の騒動からは、アメリカのマスコミを操っているのはイギリスの側であり、資本家の側ではないことが感じられる。ニクソンを辞任に追い込んだ米マスコミは「悪を退治した正義の味方」として描かれ、その後、世界中の多くの若者が英雄談にひかれ、ジャーナリスト志望になった(かつての私自身も)。だが、これは実はイギリス系の謀略であり、ヒットラーや東条やサダムフセインを極悪に描いたのと同じ、イギリスお得意のマスコミを使った善悪操作の戦略だった。 ニクソン以後、アメリカ側が冷戦終結に向けて動いたのに対抗し、イギリスは、イスラエルをけしかけて米政界に食い込ませた。イスラエルはもともと、イギリスの中東支配の道具として、アラブにかみついて分断・従属させる番犬(羊の群に対するシェパード犬)として建国を容認された国だった。だが、イギリスが国力低下の末に1967年、中東(スエズ以東)からの撤退を決めたため、梯子を外されてイスラエルは危機に陥った。 (選民思想のユダヤ人は、羊の群れを飼い主の代わりに一定方向に進ませる牧羊犬シェパードのように、遅れた他の民族を誘導する、神様のためのシェパードを自称している。だが現実のイスラエルは、神様ではなくイギリスの番犬だった) 危機を乗り越えるため、イスラエルはまず67年に第3次中東戦争を起こしてパレスチナからアラブ諸国(エジプト、ヨルダン、シリア)を追い出してガザ、西岸、ゴラン高原を占領した。同時に米政界に食い込み、アメリカの中東戦略をイスラエル好みのものに変えることで国家存続をはかる戦略を開始した。イスラエルは、イギリスの有能なシェパードとしてアメリカに食いつき、抵抗勢力に「ユダヤ人差別」のレッテルを貼って噛みついた。 ▼イスラエルとの暗闘 イスラエルはイギリスから、議員への圧力のかけ方、軍事産業との結託の仕方、マスコミの操作術など、アメリカを牛耳るノウハウを提供され、数年で米政界に食い込み、1980年に当選したレーガン政権に政策立案者としてイスラエル系の勢力(のちのネオコン)が数多く入り込んだ。 アメリカの世界戦略をめぐる資本家とイギリスの暗闘は、資本家とイスラエルの暗闘に変質した。以前の記事に書いたように、もともとイスラエルの建国をめぐっては、ロスチャイルドなど資本家ユダヤ勢力と、活動家ユダヤ勢力(シオニスト)との間に暗闘があったが、その暗闘は数十年後にアメリカで再発した。 資本家の側は、必要以上に過激なシオニスト右派勢力をアメリカで構成して1970年代後半以降イスラエルの入植地に送り込み、イスラム側とのいかなる和平も許さない過度な強硬姿勢をイスラエルに植え付け、イスラエルが好戦的にやりすぎて自滅していく方向に誘導した。(関連記事) イスラエルの代理をつとめるふりをして実は資本家の代理というスパイ的な勢力は、イスラエル側の入植者(リクード右派)だけでなく、米側のネオコンも同様だった。ネオコンが入り込んだレーガン政権は、ソ連のゴルバチョフと談合して冷戦を終わらせ、ドイツを統合するという、イギリスの世界戦略を潰す大事業を挙行した。 また、レーガンは2期目の最後の1988年、アラファトを亡命先のチュニジアからパレスチナに呼び戻し、パレスチナ国家の建設に道を開いた(任期最後の年にやることでイスラエルの妨害を避けた)。1993年のオスロ合意につながるこの動きは表向き、パレスチナ問題を解決してイスラエルの安定に貢献する戦略とされたが、実際には、パレスチナ国家の創設後、ゲリラが出てきて以前より有利な位置からイスラエルを砲撃する可能性があった。 イスラエルはアメリカに引っかけられて潰される懸念があると気づき、いったんオスロ合意で結んだ和平を、その後破棄した。和平を破棄したことで、イスラエルでは右派(入植者)の政治力が強まったが、右派もイスラエルを潰そうとする米資本家が送り込んだスパイだったことは、すでに述べたとおりだ。 ▼テロ戦争で巻き返そうとした英イスラエル 冷戦終結は資本家の勝利だったが、その後、イギリスが反乱してこないよう、冷戦終結と並行して起きた第2次グローバリゼーションで、アメリカだけでなくイギリスも大儲けできる金融システムが採用され、ロンドンはニューヨークと並ぶ世界金融の中心となった。だが1997年のアジア発の国際通貨危機は、米英中心の金融覇権が永続しないことを感じさせた。 (通貨危機の際、IMFが東南アジアや中南米諸国に過度に厳しい借金取り戦略を採り、反米感情を煽った行為には、隠れ多極主義の臭いがする) その後イギリスは、イスラム側と戦うイスラエルや、軍事予算増を求める米の軍産複合体ともに「第2冷戦」的なイスラム過激派との永続的テロ戦争を画策した。アメリカでは99年ごろから「近いうちにイスラム教徒によるテロがある」と喧伝され、01年の911でそれが現実化した。この前後、マスコミを使ってイスラム側を極悪に描く、イギリスお得意の善悪操作術が展開された。 マスコミ制御を英イスラエル側に取られ、議会では反イスラエルの言動も許されないがんじがらめの状況下で、現ブッシュ政権が採った戦略は「英イスラエルの意のままに動きつつ、それを過激にやりすぎることで、英イスラエルの戦略を潰す」という、隠れ多極主義だった(レーガンやニクソンも似た戦略を採っており、ブッシュ政権の発明ではないが)。 ブッシュ政権の隠れ多極主義は今、成功の直前まできている。ブッシュは今年、任期末なので再選努力をする必要もなく、イスラエルに気兼ねせず好き放題ができる。イスラエルは、イスラム側との自滅的な最終戦争にいつ突入してもおかしくない。イスラエル軍が予定しているガザ大侵攻が、大戦争の幕を落としそうだ。 金融界では、連銀のグリーンスパン前議長が先日、アラブ産油国(GCC)にドルペッグ破棄を勧めた。連銀のバーナンキ現議長は「アメリカの不況はひどくなる」と景気に冷水を浴びせる発言を何度も繰り返している。いずれも、金融とドルの覇権の大舞台を支える大黒柱を斧で切り倒そうとする、多極化誘発の言動である。かつてイギリス好みの戦争機関の一部だった米連銀は、今では隠れ多極主義の資本家の手先に成り変わっている。(関連記事) ▼イギリスをEUに幽閉する アメリカが金融崩壊していくと、同じ金融システムに乗っているイギリスも連鎖的に崩壊する。以前の記事に書いたように、イギリスは今年、金融財政の危機になると予測されている。スコットランドでは、イギリスから分離独立を目指す動きも続いており、独立支持の元俳優ショーン・コネリーは最近、77歳の自分が死ぬ前にスコットランドは独立すると発言している。(関連記事) 米英同盟の崩壊、金融財政危機と国土縮小の末、イギリスはアメリカを操作して世界を間接支配することができなくなり、EUに本格加盟せざるを得なくなるだろうが、EUでは今、リスボン条約などによって、政治統合が着々と進んでいる。独仏はすでに軍事外交の統合で合意しており、イギリスもEUに本格加盟するなら、軍事外交の権限をEU本部に明け渡さねばならない。 これは、イギリスが外交力を駆使してアメリカを牛耳ることを永久に不可能にする。アメリカの資本家から見れば、いまいましいイギリスをEUに永久に幽閉することができる。 イギリスは、EUを牛耳って覇権の謀略を続けようとするかもしれないが、かつて二度もイギリスに引っかけられて潰された上、50年の東西分割の刑に処されたドイツは、もう騙されないだろう。サルコジのフランスも、親英的なふりをしつつ実際には多極化の方に乗る狡猾な戦略を展開している。独仏とも、イギリスの長年の謀略から解放されたいはずである。 アメリカは、イギリスとイスラエルから解放されて国際不干渉主義に戻っていくだろうし、ロシアや中国や中東(GCC+イラン+トルコ)も、米英覇権から抜け、独自の地域覇権の勢力になっていくだろうから、たとえイギリスがEUを牛耳れたとしても大したことはできず、世界は多極化していくだろう。アメリカを好戦的にしていたイギリスとイスラエルが無力化されることで、世界は今より安定した状態になることが期待できる。
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