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タイミングの悪いコソボ独立

2008年2月26日  田中 宇

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 2月17日、コソボがセルビアからの独立を宣言した。米英仏独などの欧米や日本は、独立を承認する方向性を表明した。半面、セルビア(「スラブ人の国」の意)と同じスラブ人どうしで縁が深いロシアは、コソボ独立に強く反対した。この問題で、欧米とロシアとの対立が強まっている。

 国際社会で、コソボ独立を最も強く推進してきたのはアメリカだ。コソボ問題はもともと、冷戦後、セルビア中心の連邦国家だったユーゴスラビアから、クロアチアやマケドニアなどが独立する中で連鎖的に起きた。アルバニア系が住民の9割を占めるコソボも独立を希求したが、コソボは歴史的にセルビア国家発祥の地で、セルビア人のコソボへの民族精神的こだわりが強かったことなどから、独立要求を却下した。

 その後、米英がNATOとしてこの問題に介入した。NATOは「セルビアはコソボのアルバニア系住民を虐殺している」と主張し、1999年に、虐殺抑止を目的にセルビアを空爆した。セルビアは譲歩させられて国連軍のコソボ駐留を認めた。セルビアのミロシェビッチ・ユーゴスラビア大統領は、虐殺容疑をかけられ「国際戦犯法廷」で裁かれた。だが実際には、米英が主張した「セルビアによるコソボでの虐殺」は、ほとんど無根拠な誇張話だった。当初「10万人」と報じられた虐殺被害者数は「5万人」「1万人」と減った後、被害者数が具体的に語られなくなった。(関連記事

(虐殺話を誇張し、それを口実に戦争する米英の戦略は、2003年のイラクが最初ではなかった。コソボ問題を起こしたのは民主党クリントン政権であり、今の共和党ブッシュ政権が虐殺誇張戦略の発案者でもない。最もひどい虐殺を続けているのは、ミロシェビッチやフセインではなく、米英である。米英は60年以上前からこの戦略を続けている)

 コソボでの虐殺誇張戦略は、その後も続いた。コソボが国連軍管轄下に置かれた後、コソボの将来をめぐる交渉がセルビアと開始されたが、米英は「コソボのアルバニア系住民を虐殺したセルビアには、もはやコソボを統治する権利はない」「コソボ問題の解決は、セルビアから独立させるしかない」と主張した。ロシアは「セルビアが承認しない限り、コソボ独立を容認すべきでない」「コソボの一方的な独立を国際社会が認めたら、世界各地の分離独立勢力が勢いづき、世界は非常に危険になる」と独立に反対した。

▼コソボ独立を支持して交渉を潰したアメリカ

 国際法に照らすと、ロシアの主張が正当で、米英の主張に無理がある。米英の専門家たち自身が、それを指摘している。アメリカの外交専門家は「欧米でコソボ独立を支持する人々は、コソボ独立を国際法上で正当化していない」と書いている。「他の専門家はみんな私を批判するが、コソボ問題に関しては、ロシアの方が正しいと思わざるを得ない」と英FT紙の解説記者は書いている。(関連記事その1その2

 ドイツなどEUは当初、セルビアとコソボを交渉させ、両者が承認できる解決案を模索した。コソボは大幅な自治を与えられる代わりにセルビア内に残り、セルビアを早期にEUに加盟させ、超国家的なEUの傘下で、セルビアとかコソボといった国家の枠を超越できる状態に持っていく案などが提案された。

 しかし米英、特に世界最強のアメリカが声高に「コソボは独立すべきだ」と言い続けたため、コソボ側は強気になり、譲歩を拒み、独立要求に固執した。コソボ側が譲歩しないので、セルビア側も強硬になり、交渉は進まなかった。セルビア人は、コソボを歴史的なセルビア国家発祥の地と考えている。コソボ問題の紛糾はセルビアのナショナリズムを掻き立て、選挙するごとに議会で右派ナショナリストが強くなり、コソボ独立を許さず、アメリカやEUを憎む世論が強まった。(関連記事

 コソボの住民の1割はセルビア系で、コソボのアルバニア系住民がセルビア系住民に暴力を振るう紛争が何回か起きているが、コソボに駐留する欧米軍は見て見ぬ振りに近く、これもセルビア人の怒りと反欧米感情を煽った。

 国連やEUが仲裁したセルビアとコソボの交渉は数年続いたが妥結せず、2006年から話は決裂に向かった。アメリカは、コソボに独立を宣言させる方向に動き、コソボ自治政府は独立に向けて態度を硬化した。半面、ロシアは、エネルギー価格の高騰と、欧州の天然ガス需要の3割を供給する立場を使った脅しができる優勢を背景に、態度を硬化し、国連安保理でコソボ独立を決議する際には拒否権を発動して阻止する態度を打ち出した。ロシアに頼るセルビア政府も、コソボ独立を許さない態度を強めた。(関連記事

 対立が高まる中で、それまで何度か延長されてきたセルビアとコソボの交渉は、07年12月の期限をもって再延長されないことが決まった。交渉期限がすぎた後、EUなどからの最後の仲裁努力も実らず、さる2月17日にコソボ自治政府は独立を宣言した。

▼最悪のタイミングで独立宣言させたアメリカ

 コソボ自治政府は、独立宣言の直前まで「アメリカとEUの支持が得られれば独立宣言する」と言っていた。コソボが最も頼りにしているのはアメリカなので、アメリカが了承したからコソボは独立宣言したのが実態だ。独立宣言によって欧米とロシアの対立が激化するのは明白だったから、アメリカは、ロシアとの対立激化を見越してコソボに独立宣言を許したことになる。(関連記事

 アメリカは、コソボに独立宣言させるのを、遅らせることも早めることも、止めることもできたはずだが、なぜ今回のタイミングでコソボに独立宣言させたのか。セルビア周辺のバルカン半島地域の紛争は、かつて第一次世界大戦を勃発させた。その連想から「アメリカはロシアに第三次世界大戦を仕掛けるつもりで、コソボを独立させたのではないか」「アメリカは大不況と金融危機に陥っており、この経済難を乗り切るため、世界大戦を起こしたいのだ」といった推測をする人があちこちにいる。

 しかし私から見ると、その推測は分析不足の間違いだ。米軍はイラクとアフガニスタンで過剰派兵で、ベトナム戦争以来最も弱い状況だ。米軍は陸軍(地上軍)が疲労困憊でも空軍と海軍は十分余力があるから戦えると言う人もいるが、バルカン半島や対ロシアの戦争は大規模な地上軍が不可欠で、空海軍だけでは戦えない。NATOの欧州諸国軍もアフガンで過剰派兵だ。イギリスはコソボに1000人を出すのが兵力の最後で、もう全く派兵の余力がない。ブッシュがロシアと戦争する気でも、他のNATO諸国はついてこない。アメリカはロシアと戦争できる状態にない。(関連記事

 中東では今後、イスラエルと、イランなどイスラム諸勢力との戦争が起きる可能性が高い。連動してイラクとアフガンの戦争も激化し、米軍は中東で手一杯になる。アメリカにとっては、ロシアがイランやシリアを応援せぬよう、ロシアを味方につけておくことが必要な時期だ。しかし実際には、米ブッシュ政権は、この時期をわざわざ選んだようなタイミングで、コソボを独立させ、ロシアを反米の方向に押しやった。

 コソボ独立宣言の2日後、激怒したロシアは、アメリカが主導していた対イラン制裁を堂々と破り、政府系ガス会社であるガスプロムが、イランと石油ガス開発の契約を結んだ。天然ガスの埋蔵量で世界の1位と2位であるロシアとイランは、天然ガスの国際カルテルを作ることも検討している。ロシアは、以前からイランを支援してきたが、アメリカの顔色をうかがいながらだった。ところがコソボ独立を機に、ロシアは一気に反米親イランの方に傾いた。(関連記事

▼プーチンの野心を満たしてやるブッシュ

 そもそもブッシュ政権は、表向きはロシアに敵対する言動をしているが、よく見ると逆に、ロシアが強くなることを扇動している。たとえばブッシュ政権は2月初め、ロシアに対し、アメリカの原子力発電所にウラン燃料を販売する輸出枠の大幅拡大を認めてやった。(関連記事

 この話は、もともと1990年代の冷戦終結後、ロシアが核弾頭を破棄する過程で出てくるウランを燃料用に再加工して対米輸出できるようにする事業で、米国内のウラン燃料業界の反対(反ダンピング提訴)を受け、何年も話が頓挫していた。ブッシュ政権は、今後アメリカが「地球温暖化」対策や石油輸入依存度低下のため、1979年のスリーマイル島原発事故以来止めていた原発の新規建設を再開していくことを見越し、新設される原発への燃料供給を既存の規制の対象外にして、ロシアがアメリカにウラン燃料の輸出を急増できる状況をつくってやった。(関連記事

 プーチンのロシアは数年前から、世界の原発で使うウラン燃料の供給と再処理、安全管理を独占することを目標に、国際的な売り込みや、再処理施設の増強を続けてきた。ウラン燃料の対米輸出増を了承したブッシュ政権は、プーチンの野心的な原子力戦略を支援したことになる。表向き、今回の了承は、イランの核問題でロシアの支持を取り付けるための交換条件的な譲歩という名目だったが、その後のコソボ独立宣言で、ロシアはむしろイランとの結託を強めた。

 以前から何度も書いているが、ブッシュ政権はロシアや中国を表では敵視しつつ、実際には中露を強化し、世界を米英の単独覇権から多極的覇権体制に移行させようとする「隠れ多極主義」の疑いがある。コソボ独立のタイミングの悪さも、この隠れ多極主義の一環と考えると納得がいく。

 中露やイラン、アラブ、中南米などの勢力は、アメリカから威嚇されるほど結束し、アメリカを無視した相互の国際関係を構築する傾向を強め、石油収入などを使って防御的に武装している。今後、中東の戦争が激化するほどに、イスラム世界は反米で結束し、中露などが作る非米同盟的な国際関係への統合を強めるだろう。「非米同盟」は私の造語だが、米シンクタンクのニクソンセンターでは、同様の概念として「欧米抜きの世界」(A World Without the West)という言葉が作られ、分析が続けられている。(関連記事

▼バルカンと近代史

 コソボ独立と第一次世界大戦の関係を私なりに考えると「コソボ独立を機に再び世界大戦が起きる」のではなく「コソボ独立を機に、第一次大戦で作られた世界体制が解体される」「1910年代のセルビアの紛争で始まった米英中心体制は、1990年代からのセルビアの紛争で終わりつつある」ということだ。これは詳しく説明する必要があるだろう。

 まず、第一次世界大戦とは何だったかを考える必要がある。私が見るところ、第一次大戦は、産業革命がイギリスから欧州大陸に伝播した結果、ドイツが国民的職人気質(おたく性)によって19世紀後半にイギリスをしのぐ産業大国に発展し、東欧から中東へと勢力圏を拡大していった過程で起きている。ドイツは、東欧にあった衰退中のオーストリア・ハンガリー帝国を傘下に入れ、さらに南東のバルカン・中東地域で衰退中だったオスマン・トルコ帝国に触手を伸ばした。これは、先にオスマン帝国を解体しようと試みていたイギリスにとって大きな脅威だった。

 イギリスは、経済の競争ではドイツに勝てなくなったが、国際政治の謀略や諜報軍事活動では経験が長く、ドイツより勝っていた。イギリスは、ロシアやフランスを誘ってドイツ包囲網を作った上、諜報力を駆使してバルカンの紛争を激化させ、戦争を起こしてドイツを潰した。これが第一次大戦である。世界の「正史」は、この大戦をイギリスの謀略と無関係なものとして描く傾向があるが、イギリスは戦争に勝って歴史を自国に都合の良いように書き、歴史学界を操って反証不能な「事実」として固定化することを、当時から今まで、隠れた国家戦略として続けている。

 バルカン半島は当時、地中海・中東を先に抑えたイギリスと、東進する新興国ドイツと、南下するもう一つの新興国ロシアという3大勢力の覇権が衝突する場所だった。開戦後、戦局はドイツに有利になったが、イギリスは、もう一つの新興工業国だったアメリカの政財界に戦争のうまみを説いて説得し、アメリカを参戦させ、大戦に勝った。

 これ以後イギリスは約20年かけて、アメリカを国際不干渉主義(対欧孤立主義)から引き剥がし、イギリスの設計図に沿って世界支配を行う国へと変質させた。1929年から大恐慌が起こり、不況対策には強い連邦政府が必要という口実で、それまで地方分権体制下で弱かった連邦政府の権限が大幅に強化され、連邦政府が地方の意思を無視して勝手に対外戦略を決めるようになり、勝手に紙幣を増発して戦費を作って戦争できる連銀(FRB)の体制も作られた。覇権国は儲かるので、イギリスの謀略に乗ってアメリカを世界支配できる国にしたがる政治家や財界人が増えた。国力が衰えたイギリスの代わりに、アメリカがイギリス好みの世界支配をしてくれるようになった。

▼冷戦後いったんは金融覇権に移行したが・・・

 この体制作りを完成させたのが第二次世界大戦だった。第一次大戦後、再び台頭してきたドイツを再び潰すため、イギリスはヒットラー政権を引っかけてポーランドに侵攻させ、その不当性を口実に対独開戦し、アメリカを再び巻き込み、対独不可侵条約を結んでいたソ連に「ドイツ傘下の東欧を戦利品としてあげるから」と持ち掛けて寝返らせた。米英は、第一次大戦の欧州衰退で漁夫の利を得てアジアを独占的に支配していた日本も、引っかけて戦争に巻き込んで潰し、米英だけがアジアを支配する状況を作った。

 第二次大戦後、戦勝国である米英ソ連が協力して世界支配を行う国際連合の体制がいったんは作られた。アメリカの政財界では、ソ連や中国との協調を好む国際不干渉主義の流れをくむ多極主義的な勢力も強かった。だが、イギリスと、アメリカの単独覇権主義勢力は、ソ連や中国を共産主義国として敵視する扇動に成功し、米英が結束して世界の中心として機能する冷戦体制が作られた。

 それから約20年は冷戦体制が続いたが、1970年代からアメリカ経済の成長が鈍化すると、冷戦を終わらせた方が世界経済が成長すると考える多極主義の傾向が米政財界で再び盛り返し、1972年のニクソン中国訪問から、1989年のレーガンによる冷戦終結へと発展した。

 冷戦終結の前、イギリスは代わりの世界戦略として金融革命を打ち出した。金融自由化と金融技術革新によって、米英は経済面での世界覇権を維持拡大し、米英は金融で恒久的に儲け、他の国々に経済自由化をさせ、その利権も米英がもらって経済強国であり続ける戦略で、1990年代半ばまでは成功していた。

 この間、国際政治の世界では、ドイツが東西再統一した上でフランスと融合し、強い単一の欧州を作るEU統合事業が進んだ。ドイツ再統一とEU統合は、アメリカの多極主義者が独仏に働きかけた策略で、二度の大戦で独仏を対立させ、冷戦期にはドイツを恒久的に分割したイギリスの欧州分断戦略が機能しなくなることを意味していた。同時期にアメリカは、軍事産業の縮小を図り、メキシコやカナダとNAFTAを作って結束するなど、近隣重視の国際不干渉主義を復活させかけた。

▼冷戦再発の画策をやり過ぎで潰す

 イギリスは、米英で金融覇権を維持できるので、冷戦後のアメリカが政治軍事面で米英単独覇権を崩壊させることを黙認するという米英間の取り決めだったようだが、1997年以後の国際通貨危機あたりから、米英の金融覇権は盤石ではない(アメリカに引っかけられた)ことにイギリスが気づき、米側の軍事産業や、イギリスの代理勢力であるイスラエルも誘って、米政界において98年ごろから、単独覇権体制への急速な巻き返しが起きた。その結果が99年のコソボ空爆であり、2001年からのテロ戦争であり、03年のイラク戦争だった。

 イギリスは、コソボに米軍の地上軍を派遣させ、セルビアを支援するロシアとの恒久的な対立軸を作り出し、統合しつつあるEUが親米反露の方針を採らざるを得ない状況を誘発することで、米英が独仏を傘下に入れてロシアと対立する冷戦体制の復活を狙った。放置すれば、EUがしだいにロシアと協調関係を築き、東欧の問題は欧露協調で解決されるようになるのは必至だった。金融面で米英が世界を支配できるならそれでも良かったが、金融覇権が続かないのなら、米英が東欧に再介入しないと、イギリスにとっては破滅だった。(実際のところその後、米英の金融覇権は昨年夏から崩壊が始まっている)

 イギリスは、コソボやセルビアにアメリカの地上軍を派遣させたかったが、当時のクリントン政権は、軍事政治覇権の縮小をもともとの方針としていたため、地上軍侵攻を拒否した。軍事産業やイギリスの息のかかったマスコミから「弱腰」と非難されても、クリントンは空爆をするだけで、ロシアとの恒久対立につながる地上軍侵攻を拒否した。同時期にイスラエルは、ネオコンを通じてクリントンにイラクへの米地上軍侵攻をするよう圧力をかけたが、これも同様に空爆のみ(イラク側飛行禁止区域の拡大)で終わった。

 コソボ問題が米地上軍侵攻なしに終わった後、アメリカを単独覇権主義(英イスラエルの傀儡)に戻す新策として「テロ戦争」の構想が、おそらくイスラエルの発案として浮上し、01年の911事件を機に、ブッシュ政権のアメリカは見事に単独覇権主義に戻ったように見えた。

 しかし、単独覇権主義を推進するためにブッシュ政権を牛耳ったはずのネオコンやチェイニー副大統領は、実は多極主義勢力の代理人だった。彼らは、表向きの言動は単独覇権主義、米英イスラエル中心主義だが、実際にやったことは、過激にやりすぎて米英の覇権をぶち壊す行為だった。イラクやアフガンの占領は失敗し、反米反イスラエルのイスラム主義が席巻し、金融危機の対策は稚拙で米英金融覇権の破綻を早めるものだった。ロシアや中国を威嚇するほど、露中は結束し、米英の覇権を壊す方向に動いた。

 ブッシュ政権が終わり、来年から民主党政権に戻った場合、米政府は再びイギリスとまっとうに組む本物の米英中心主義に戻るかもしれない。その先手を打つ意味で、ブッシュ政権は任期最後の1年間に、米英イスラエルの覇権の自滅と、世界の多極化を全力で推進している。

 今回のコソボを独立させる戦略は、その努力の一つである。イスラエルとイスラム世界を戦争させようとするのもその一つだ。英イスラエルが中東を分断するためにテコ入れしてきた北イラクのクルド人勢力が、トルコ軍の北イラク侵攻によって潰されかけているのも、その一つである(米政府はトルコにクルドを潰させている)。

 ブッシュ政権を「隠れ多極主義」とみなす私の分析を荒唐無稽と思う人もいるが、911以来の米政府のあまりにひどい無茶苦茶は、過失と考えるには無理がある。世界では米英中心体制が急速に崩れ、中露が台頭し、多極化が進んでいることは、誰の目にも明らかになりつつある。今年中に米金融とドルの信用崩壊も進み、この傾向はさらに顕著になるだろう。



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