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世界多極化:ニクソン戦略の完成

2007年12月18日  田中 宇

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 このところ気になっていることの一つに「ニクソン政権は世界を多極化しようとしていた」ということがある。

 1969年から74年まで続いたアメリカの共和党政権であるニクソン政権は、それまで10年あまり続いていたベトナム戦争による米軍の疲弊、ソ連の軍事能力の向上、経済分野における日本や西ドイツの台頭、アメリカの財政赤字増とインフレといった不利な状況の拡大への対策として、日欧などの同盟国に軍事的自立を求めた1969年7月の「ニクソン・ドクトリン」発表、1971年8月の金ドル交換停止(ニクソン・ショック)、1972年2月のニクソン中国訪問、72年の対ソ協約(SALT)、73年のベトナム終戦(パリ協定)などの政策を打った。

 ニクソン・ドクトリンや中国訪問、対ソ宥和策といった一連の外交軍事戦略の裏には、米ソが対立する「2極」の冷戦構造の世界体制よりも、アメリカ・ソ連・中国・日本・欧州という5つの大国が並び立つ「多極」(multipolar)の世界体制の方が、アメリカの軍事力・経済力が低下した場合の安定感が大きいと考えるニクソン大統領自身の信念があったのだと、ニクソン政権の国防長官だったメルビン・レアード(Melvin Laird)が、1985年に発表した論文「A Strong Start in a Difficult Decade」で書いている。ニクソンは「多極主義者」だった。(関連記事

 ニクソン・ドクトリンの前提として、世界に自律的な極がいくつもある多極的な世界が誕生した方がアメリカにとって好ましいという考え方が存在していたということは、1974年に米空軍の研究者が書いた論文「National Security in a Decade of Transition」でも指摘されている。(関連記事

 以前から、現ブッシュ政権の方針は、多極主義とは全く逆の戦略をやりながら結果的に多極化を招く「隠れ多極主義」ではないかと疑い続けている私にとって、ニクソンが多極主義者だったと元側近らが論文で指摘しているという事実は、大きな意味を持つ。以前の記事にも書いたが、ニクソンからレーガンを経て今のブッシュに至る3つの共和党政権はいずれも、無茶な財政赤字の拡大や戦争によってアメリカの覇権を浪費した後に「現実策への転換」と称して、世界の多極化を促進・容認している。

 ニクソンは1950年代、アイゼンハワー政権の副大統領だった。アイゼンハワーは、通常兵器より核兵器を重視することで軍事費を効率化し、冷戦の永続化を目指した「ニュールック」戦略を展開した。そのためニクソンの多極化戦略をニュールックの延長版と見る向きもあるが、ニュールックが冷戦の永続化なのに対し、ニクソンの多極化は冷戦終結を目指したものであり、具体策は似ているが、世界戦略としての本質は正反対である。(関連記事

▼中国訪問

 ニクソン政権による多極化戦略の内容は、多岐にわたっている。最もあからさまな多極化政策は、ベトナム敗戦期の1972年2月の「ニクソン訪中」である。アメリカは、1950年の朝鮮戦争で中国軍と戦って以来、中国と敵対関係にあったが、米軍がベトナムから撤退するに際し、北ベトナムに対して大きな影響力を持っていた中国と和解することで、撤退を容易にしようとする戦略だったと説明されている。1950年代までは、中国はソ連と仲が良かったが、60年代に中ソ対立が起こり、アメリカにとっては中国を取り込んでソ連を孤立させる利点もあった。

 第二次大戦後のアメリカの対中国戦略は、米政界の冷戦派(米英中心主義、軍産複合体)と親中国派(資本家、多極主義)との暗闘の連続だ。1949年の共産中国成立後、最初は親中国派が強く、毛沢東に訪米を要請する構想もあったが、1950年に冷戦派が北朝鮮の金日成を引っかけて韓国に侵攻させて朝鮮戦争が起こり、米軍は意図的に中朝国境まで迫って中国軍の参戦を誘発し、米中を決定的な敵対関係に陥れた。

(金日成に「南侵すれば韓国から米軍を追い出して南北を統一できる」と勘違いさせたのは、1939年にヒットラーを引っかけてポーランド侵攻させて第二次大戦を起こしたり、1941年に日本を引っかけて真珠湾攻撃させたり、1980年にイラクのフセインを引っかけてクウェートに侵攻させて湾岸戦争を起こしたのと似た、英米式の開戦事由作りの軍事諜報作戦だろう)

 朝鮮戦争から20年後のニクソン訪中は、米政界の親中国派による反撃だった。冷戦派は議会で猛反対して米中国交正常化を実現させず、ニクソンをウォーターゲート事件で辞任させて挽回したが、結局、米中国交正常化は次のカーター政権下の1979年に実現した。その直後から、中国の経済発展(改革開放政策)が始まり、冷戦派が仕掛けた天安門事件後の経済制裁などを乗り越え、約30年かけて中国は世界の「極」の一つに成長した。

▼ニクソン・ドクトリン

 ニクソンの2つ目の多極化戦略は、1969年2月の「ニクソン・ドクトリン」の発表だ。これは日本や韓国、英仏独などの同盟国に対し、それまでは米軍が直接派兵して守っていたものを、軍事技術や諜報、核の傘、資金面での支援のみに切り替え、同盟国を自立させ、アメリカの負担を減らすという宣言だった。1971年の沖縄返還は、この宣言の具現化の一つである。

 ニクソン・ドクトリンを「世界多極化」の一環としてみると、日本や独仏などをアメリカの傘下から外し、世界の「極」になる自立した大国に仕立てる動きだが、この多極化戦略は成功しなかった。失敗した理由の一つは、米国内の軍事産業(軍産複合体)が多極化による冷戦構造の終焉に反対したことで、もう一つの理由は、対米従属に安住する同盟国が自立したがらなかったからである。

 独仏の自立は、1989年の冷戦終結の後の欧州統合まで実現しなかった。韓国は気持ちは反米だが、いまだに軍事的にアメリカにおんぶしている。日本は、戦後の発展が対米従属のもとで大成功したので自立など真っ平で、ニクソン・ドクトリンの意図を換骨奪胎し、日本の軍事拡大は対米従属を強めるためのものと規定した。日本では左翼も「護憲」を理由に、自国の軍事的な自立に反対した。(関連記事

 ニクソン・ドクトリンは、イランやアラブの産油国に対する軍事支援強化も含んでいた(当時イランはイスラム革命前で親米だった)。これは私から見ると、イスラエル(シオニスト)が軍産複合体の知恵袋として米政界に食い込んでいたのに対抗し、イランやアラブを軍事的に支援して中東における力の均衡状態を作り、イスラエルの力を削ごうとしたと感じられる。

 ニクソン在任中の1973年には、中東産油国が石油の対米輸出を止めて石油危機が起き、世界の石油利権を支配していたはずのメジャー(米英大手石油業界)はほとんど無抵抗で石油が高騰し、米経済は大打撃を受け、その後のアメリカの経済的衰退の端緒となったが、これも「イスラエルの力を削ぐ」「アメリカの経済的単独覇権を自滅させる」という意味で多極化戦略の一つに見える。

▼金ドル交換停止

 ニクソンの3つ目の多極化戦略は、1971年8月の「金ドル交換停止」(ニクソン・ショック)である。これは以前の記事で分析したように、1944年のブレトンウッズ体制(ドル基軸制)の開始以来、米政府が25年間、世界と米国内に対して経済援助や戦費、補助金や公共事業などの大盤振る舞いを続けた結果、財政赤字と経常赤字(貿易赤字など)が巨額になり、ダメ押しとしてベトナム戦争の戦費急拡大でドルの信用不安が強くなり、米政府保有の金が流出して空っぽになったため、ブレトンウッズ体制の根幹をなしていた金ドル交換の保証をニクソンが放棄し、ドルの体制が崩壊した事件である。その後は、金本位制を切り離した疑似変動相場制(スミソニアン体制など)が採られ、今に至っている。

 ニクソンによる金ドル交換停止はやむを得ない措置だったという見方もできるが、私はそう考えない。ニクソン政権は金ドル交換停止の直前まで戦費の大盤振る舞いを続けており、意図的にドルの信用不安を悪化させたと見るべきだと思っている。金本位制を離脱したことにより、アメリカはドルを際限なく刷れるようになったため、金ドル交換停止はアメリカの通貨覇権拡大が目的だったという説もあるが、私はそれも採らない。

 ニクソン・ショック後、ドル中心の国際通貨体制の維持に躍起になったのは、アメリカではなくイギリスやドイツ、日本などの方だった。ニクソン政権のコナリー財務長官(John Connolly)は「ドルは私たちの通貨だが、(ドル下落は)君たち(英独日)の問題だ」('The dollar is our currency, but your problem')という有名な発言を発している。

 ニクソン後の歴代政権の多くは、依然として財政赤字や経常赤字の拡大を放置し、金本位制という天井がなくなった分、赤字は急増し、1985年のプラザ合意や、最近のドル不安など、ドルの崩壊局面が繰り返されている。ニクソン以後のアメリカは、ドルの通貨覇権を粗末に扱い、覇権を自滅させる傾向を続けている(唯一の例外は、米英中心の国際金融覇権を強化したクリントン政権)。

 ニクソン・ショックは、レーガン時代のプラザ合意と並び、日本の円とドイツのマルクを強化したという点で、世界を「米欧日露中」の5極体制に転換させようとした多極化策の一環である。通貨の多極化は、ニクソンの時代には実現しなかったが、レーガンが冷戦を終わらせて欧州諸国に統合を勧め、ユーロが誕生したことで、世界の通貨体制は多極化し始めた。日本については1970年代以来「円の国際化」が騒がれたものの、日本は対米従属下で経済発展した状態を続けたかったので、円の国際化は掛け声だけに終わった。

 通貨の多極化は、最近のドルの信用不安な世界的なインフレを受け、中東産油国(GCCとイラン)がドルペッグを止めて独自の通貨統合をするかもしれないということで、新たな段階に入ろうとしている。ニクソンがブレトンウッズ体制を壊し、レーガン(とパパブッシュ)がユーロ誕生を誘発し、今のブッシュが中東や東アジアの通貨統合を誘発しているのが、国際通貨体制の30年史である。

▼多極化は資本主義100年の計

 アメリカの多極主義の政権によってドルが自滅させられるのは、多極主義の黒幕がロックフェラーなどの資本家であることと矛盾しているようにも見える。石油危機を誘発してアメリカ経済を自滅させたりするのも、資本家の行為としては奇妙である。

 しかし同時に、多極化を阻止してきた米英中心主義者が永続させようとした「冷戦」は、世界経済のうち、中国、ロシア周辺、インドなど(非同盟諸国)の地域を「敵」として封じ込めの対象にして経済発展を阻害し、欧米の資本家がそれらの「敵地」に投資することを禁止した。米英中心の世界体制を維持するためには、大国として勃興するかもしれない中露印などの発展を阻止する必要があったので、冷戦によって敵味方が作られた。

 これは、国際的な資本家にとっては、市場や投資対象が大きく制限されていることを意味する。資本家は「消費者」の増加を望むが、冷戦構造は、中印露など人類の半分を「消費者」にできない状態である。資本家が「アメリカの経済発展」「今年の儲け」などの狭義の儲けだけを希求するなら、米英中心主義やドル基軸制の永続でかまわないが、世界の100年規模の経済成長を考えた場合、冷戦や米英中心体制へのこだわりは、むしろ壊すべき対象になる。

▼隠れ多極主義とPNAC

 ニクソンは1974年にウォーターゲート事件で失脚し、これ以降、アメリカでは「多極化」を口にする政権はなくなった。米政界では軍事産業とイスラエルが結束した右派勢力(軍産イスラエル複合体)が強くなり、米英中心主義に基づいた冷戦の永続を目指し、多極主義を目の敵にした。これに対して多極主義の勢力は、軍事産業とイスラエルのために働いているかのように見せかけた戦略を推進し、それを大失敗させることで米英中心主義を壊し、結果的に多極化の方にもっていく「隠れ多極主義」になった。

 レーガン政権は、軍事産業とイスラエルのための政権だったはずが、結果的に冷戦を終わらせ、EUを誕生させた。今のブッシュ政権は、テロ戦争とイラク戦争によって軍事産業とイスラエルに貢献するはずが大失敗し、米軍は疲弊、イスラエルは窮地に立っている。ブッシュ政権の軍事・外交・財政・金融などの多方面の戦略の(意図的な)失敗の結果、事態はニクソンが果たせなかった「多極化」の方向に急ピッチで進んでいる。

「隠れ多極主義」の好例は、2003年のイラク侵攻を推進した「PNAC」(アメリカ新世紀プロジェクト)である。この組織は1998年、現ブッシュ政権を生んだ大統領選挙の運動期間の初期に作られたシンクタンク・圧力団体で、目標は米政府にイラク戦争を挙行させることだった。メンバーはブッシュ政権で副大統領になったチェイニー、国防長官になったラムズフェルドのほか、国防副長官になったウォルフォウィッツや副大統領補佐官になったルイス・リビーら「ネオコン」で、彼らは政権入り後、911テロ事件でアメリカが戦争モード(有事体制)に入ったことを機にイラク侵攻を主張し、侵攻にこぎつけた。

 私は当初、PNACは軍産イスラエル複合体の出先機関だと思っていた(今でも多くの分析者はそう見ている)。だが、イラク侵攻は、湾岸戦争を戦ったパパブッシュ政権も、その次のクリントン政権も回避して行わなかったことである。パパブッシュは、湾岸戦争でイラク軍をクウェートから追い出したが、米軍をイラク領内まで進軍させはしなかった。クリントンもイラク空爆はさかんにやったが、地上軍の侵攻はしなかった。

 イラクに米地上軍を入れれば、泥沼のゲリラ戦に巻き込まれ、ベトナム的な軍事力の浪費になるとわかっていたので、賢明な大統領たちは避けた。しかし息子のブッシュは本人が間抜けで、側近たちがPNACだったので、自滅的なイラク侵攻を挙行し、見事に泥沼にはまり、ベトナム戦争以来の米軍の疲弊を招いている。

 アメリカの軍事産業が望む「儲かる戦争」は空軍と海軍の新兵器を使って圧勝する短期決戦だが、イラク戦争はこれと正反対の、地上軍消耗型の長期のゲリラ戦である。イラクの泥沼化で、中東は反米反イスラエルのゲリラ(テロリスト)の巣窟となり、イスラエルは窮地に陥っている。

 このような展開を見て、PNACは「軍産イスラエル複合体」の出先機関ではなく「軍産イスラエル」のぬいぐるみをかぶった「多極主義」の組織ではないかと、私は考えるようになった。PNACの事務局は「アメリカン・エンタープライズ研究所」(AEI)と同じビルにあり、事務員もAEIからの派遣で、PNACの母体は明らかにAEIである。

 AEIは、共和党を支援するアメリカの大企業群(財界)によって作られており、資本家系の組織だ。ニクソンの戦略が多極主義であることを指摘した前出の論文を書いたニクソン政権のレアード元国防長官はAEIの主要メンバーである。AEIは、PNAC以外の場でも、ネオコン的な強硬策を主張しているが、それはすべて「隠れ多極主義」としてやっているのではないか、と私は疑うようになった。

▼追い詰められるイギリス

 もともと、アメリカの覇権はイギリスからもらったものである。「アメリカが自国の覇権を粗末に扱って浪費するのは、それがもらいものだからだ」とも言えるし、逆に「タダより高いものはない」ということで、イギリスはアメリカの世界戦略を黒幕として牛耳っているとも言える。

 イギリスは第一次大戦で疲弊して自滅的に覇権を失ったが、この際、アメリカの政府や財界に覇権の味を覚えさせ、アメリカに覇権を移譲してイギリスがその黒幕になるという米英中心主義の体制(米英同盟)を作り、自国が弱体化しても覇権利得の一部が自国に入る仕掛けを作った。欧州を地政学的に見ると、イギリスの敵はドイツとロシアであるが、冷戦構造の中では、ドイツは永久に東西分割され、ロシア(ソ連)はアメリカが敵視してくれて、アメリカはイギリスの同盟国であり続けるので、イギリスは安泰だった。

 アメリカが作った国連の安保理常任理事国は「米英仏露中」の5極であり、多極主義である。この制度は、米英中心主義に基づいて推進された冷戦によって無力化された。

 これに対し、ニクソン以来の多極化戦略はイギリスの冷遇を目指した。ニクソンの世界5極化は「米欧日露中」であり、イギリスは「欧」の中に入れられてしまっている。「欧」は「欧州統合」を暗示しているが、それはレーガンが誘発したEU誕生によって実現した。EU誕生によって、欧州内で敵対しがちだったドイツとフランスは恒久的に統合され、2度と敵対できなくなった。フランスを味方につけてドイツを封じ込めるという、イギリスの歴史的な大陸分断戦略は永久に無効化された。

 EUの誕生は、イギリス自身の「内部分裂」につながるおそれもある。イギリスは、イングランド・スコットランド・ウェールズなどの連合王国(UK)であるが、今やスコットランド人の40%は、イギリスからの独立を望んでいる。EUに加盟すれば、イギリス連合から離脱しても、スコットランドは国家としてやっていけるという考え方である。連合王国に残るべきだと考えるスコットランド人も44%いるが、離脱派は増え、残留派は減りつつある。(関連記事

 イギリスは前ブレア政権が、隠れ多極主義のブッシュ政権を米英中心主義の方向に引き戻そうとしてイラクやアフガニスタン侵攻につき合った結果、軍事・財政的に疲弊し、政治的にも親米と反米が激突し、混乱している。イギリスは長年、アメリカとそっくりの経済システムを採っているため、住宅バブルの崩壊、サブプライムの金融危機も起こしており、英経済は来年もっと大変な状態になる。アメリカとの同盟にこだわって破綻するイギリスに愛想を尽かし、イギリス連合から脱退してEU入りを望むスコットランド人が増えるのは当然である。スコットランド人の独立気運を見て、隠れ多極主義のブッシュ政権の高官たちは、ほくそ笑んでいるはずだ。

▼多極化すると戦争は減る?

 第一次大戦以来、人類の歴史の隠された中心は、イギリスの国家戦略の発展型である米英中心主義と、資本主義の政治理念である多極主義との相克・暗闘であり、それが数々の戦争の背景にある。米英中心主義は、日独の台頭を阻止するために世界大戦を起こし、冷戦をアジアに拡大するために朝鮮戦争やベトナム戦争を誘発した。中東におけるイスラエルと米英の戦略上の摩擦が、数次の中東戦争、石油危機、イスラム革命、イラン・イラク戦争、湾岸戦争、テロ戦争、イラク戦争の背景に存在している。

 イギリスは、アメリカの軍事産業の利権を拡大してやることで米英同盟を強化しており、これも米英が戦争ばかりやっている状態を生んだ。建国時にイギリスの策略でアラブとの永続的戦争状態をつかまされたイスラエルは、その後アメリカを牛耳ることで自国の存続を可能にしたが、この要素もアメリカを中東での連続的な戦争に巻き込んだ。加えて、米英中心主義への報復を試みた多極主義が、米英中心主義的な戦争を大々的にやりすぎて失敗するという戦略を採ったため、米英イスラエルはますます戦争漬けになった。

 今後もしブッシュの隠れ多極主義が成功し、米英イスラエル中心主義が完全に清算され、世界が多極的な状態になって安定したとしたら、その後の世界では、戦争が劇的に減るかもしれない。

「ロシアや中国は好戦的で覇権争いをするので戦争は増える」と考える日本人が多いかもしれないが、その考え方は冷戦型の米英中心主義のプロパガンダの影響を受けている。ロシアや中国は古い型の帝国で、自国の影響圏がはっきりしており、それを侵害されたり、挑発されたりしない限り、戦争しない傾向が強い。「影響圏」など関係なしに、世界中で戦争を意図的に誘発し続けてきたのは、米英中心主義という新型の帝国だけである。



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