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中東覇権の多極化

2014年11月19日   田中 宇

 イラクとシリアにまたがって領土拡大し、無敵の軍事力を誇っていたはずのISIS(イスラム国)が最近「意外な」弱さを見せ始めている。とろ火の恒久戦争を望む米国防総省系の人々は最近まで、ISISの強さを誇張し、彼らとの戦争が30年(米ソ冷戦の43年から911以来のテロ戦争の13年を引いた年数)も続くという予測を吹聴していた。 (◆イスラム国はアルカイダのブランド再編) (Can America Fight a Thirty Years' War?

 ISISはイラク政府軍を駆逐し、イラク第2の都市であるモスルや、イラクの大きなダム(貴重な水資源で、決壊させれば洪水も起こせる)、主要な精油所などを次々と奪ってきた。米軍がISISの拠点を空爆しても大して効果がないと報じられ、イラク政府軍は士気が低いので米地上軍の派兵が必要だと、議員やマスコミが騒いでいた。 (ISIS seizes 3rd largest military base in western Iraq and takes its tanks, heavy weapons and supplies) (Joint Chiefs Chairman: Ground Role for Troops in Iraq Likely

 しかし10月末から形勢が転換し、イラク軍が優勢になり、ISISは劣勢になった。11月15日にはイラク軍が、イラクの最大級のダムを一つをISISから奪還した。イラク軍は同時期に、スンニ三角地帯の真ん中にあるバイジの大きな精油所もISISから奪い返した(製油所は今年6月にISISが取った)。これらの奪還は、ISISとの戦争でイラク軍が優勢に転じた分水嶺的な出来事といわれている。これまでISISの無敵さを強調していた米英マスコミは一転して「ISISはいくつもの戦線に兵を出しすぎて過剰派兵になり、弱くなっている」などと書くようになった。 (ISIL loses control of NE Iraq dam) (Iraqi forces retake key oil refinery from ISIS

 10月に「ISISとの30年戦争」を予測(希求)していた国防総省も、最近では「ISISとの戦争は数年かかる」と言い直し、予測される戦争の長さがかなり短くなってきている。 (US ISIL fight to take `several years'

 イラク軍が優勢、ISISが劣勢になった背景には政治的な理由がある。ISISはもともと、米国防総省が03年からのイラク占領の中で、恒久的なイラク占領と中東分断のための「敵」として育てた勢力だ。国防総省とか、中東分断で得をするイスラエル系勢力やクルド人は、ISISをできるだけ手強い敵として描こうとする。半面、米国の中東支配の負担を減らしたいオバマ政権(大統領府)は、何とかイラク軍を強化し、ISISとの戦争をできるだけ短期間に終わらせたい。10月後半、米大統領府と米軍幹部(軍産イスラエル)の間で、ISISとの戦争のやり方をめぐる論争があった。 (◆中間選挙後の米国の戦略変化) (How the Islamic State evolved in an American prison) (ISIS Militants Have Army of 200,000, Claims Senior Kurdish Leader

 オバマ政権は、軍産イスラエルとの暗闘に勝つために、敵だったはずのイランやロシアに(隠然と)加勢を頼んでいる。オバマはイランの最高権力者ハメネイ師に秘密裏に手紙を出し、ISISとの戦うイラク政府軍を加勢してくれたら、イランが敵視されている核問題が解決できるようにすると交換条件を出した。03年からイラクを占領した米当局は、イラクの多数派であるシーア派に政権を執らせたが、シーア派は宗教的にイランと強いつながりがあり、イランは米国が占領していた時代(11年まで)からイラクに政治影響力を持っていた。 (「イランの勝ち」で終わるイラク戦争

 しかしイランは従来、米国の強さを恐れ、イラクでの影響力の行使に慎重で、今年6月にISISがイラク第2の都市モスルを陥落して突然台頭した後も、ISISとの対決を避けていた。オバマからの手紙は、イラクにおけるイランの戦略を積極的なものに転換するきっかけとなった。最近、バイジの精油所をISISから奪回したイラク軍の兵士のほとんどはシーア派で、政府軍と(イランが訓練した)シーア派民兵組織の合同旅団を、イランから派遣された司令官が指揮して戦っている。 (Iraqi forces, Iranian-suported militias report success in Baiji) (Battle for Iraq: the Iranian connection

 イラク政府軍は、米軍が訓練していた最近まで、士気が低く使いものにならない軍勢だった(イラクが永久に米軍に頼らねばならないよう、米軍は意図的にイラク軍を弱い状態に置いていた疑いがある)。しかしイランが本格的に加勢するようになってから、イラク軍は親イランのシーア派民兵団と合流し、強くなった。イラクに派遣されたイラン軍(革命防衛隊)のスレイマニ司令官は以前、自分の存在をできるだけ隠して動いていたが、10月以降、積極的に写真撮影に応じ、イランやイラクのマスコミに動静が報じられるようになっている。 (Tehran's man in Iraq resurfaces in new picture

 イランがイラクのISISとの戦いを加勢するのとほぼ同時に、ISISに対する米空軍の空爆が本気モードに転換した。それまで、米空軍がいくらISISの拠点を空爆しても効果がないと報じられていた。しかし11月8日には、米軍がISISの幹部たちが会議を開いている拠点を空爆し、多数の幹部を殺害したと報じられ、最高指導者のバグダディも米軍の空爆で殺されたとの未確認情報が流れている。軍産と対峙する大統領府が、米軍の作戦の細かい部分まで監督するようになった結果なのか、米軍の空爆が効果を挙げるものになっている。軍産系の米マスコミは「バグダディが死んでもISISは存続する」と、相変わらず「無敵のISIS」を応援する記事を流している。 (U.S.-led airstrikes target gathering of ISIS leaders in Iraq) (ISIS Leader Baghdadi's Fate Unknown, But How Much Does it Matter?) (Why ISIS Can Survive Without Baghdadi

 米政府は最近、イラクに1500人の兵力(地上軍)を増派し、イラク駐留米軍は合計約3千人になった。これをもって「米軍が再びイラクの占領の泥沼にはまり始めている」と指摘する向きもあるが、全体的に見ると、オバマ政権はイラクでの戦争の事実上の指揮権を軍産複合体から奪い、イラクをイランに明け渡して戦わせることで、ISISを本気で潰そうとしている。イラクに派遣された米地上軍は人数も少なく(イラクにはかつて15万人の米兵がいた)、戦闘要員というよりイランとの調整を行う要員として機能していると考えられる。 (First US Troops Arrive in ISIS-Held Anbar Province

 オバマは米議会に対し、ISISとの戦争を本気でやりたいから、もともと議会が持っている戦争遂行決定の権限を自分に移譲する新法を作ってくれと要請している。しかし好戦派のはずの議会はオバマの要請に対し消極的で、その件をほとんど議論していない。軍産イスラエルが席巻する米議会は、ISISとの戦争を長期に続けたいのに対し、オバマは軍産が敵視するイランの協力を得て短期間でISISを潰そうとしている。だから議会は、オバマに戦争の大権を移譲したくない。オバマは、好戦派の戦略を逆手にとっている。 (Congress Shows Little Interest in War Vote

 ISISとの戦いでオバマが引っぱり込んでいる「米国の仇敵のはずの勢力」はイランだけでない。オバマは、ロシアも引っぱり込んでいる。レバノンの新聞によると、イラクのバグダッド中心部のアルラシッドホテルに、ロシア政府から派遣された60人以上の軍事専門家が滞在し、イランが派遣した軍事専門家たちと一緒に、ISISと戦う合同作戦室をホテル内に設置している。ロシア政府は最近、イラク軍に軍用ヘリ(Mi-35Mなど)や武器を支援しており、ロシア人の専門家は、それらの装備の使い方をイラク軍兵士に教えることを中心に、軍事訓練を行っている。 (Iranian, Arab Media: 'Russia-Iran Anti-IS Operations Room' In Iraq

 プーチン大統領のロシアは近年、米国から敵視されることに比例して、米国が敵視するイランに接近し、イランに原発をつくってやったり、米欧に経済制裁されてエネルギー輸出を制限されているイランが世界に石油ガスを売り歩くのをロシアが代行したりしている。イランに原発やその関連サービス(核燃料の加工など)を輸出しているのは世界でもロシアだけで、他の国から買う選択肢がないイランは、ロシアの言い値で買わねばならず、この面でロシアはぼろ儲けしている。今月24日に期限がくるイランの核協議は、たぶん何らかの協約を締結するだろうが、それで儲かるのはロシアだ。 (Vladimir Putin signs historic $20bn oil deal with Iran to bypass Western sanctions) (Russia's Pivotal Role in the Iranian Nuclear Agreement) (US Sanctions Relief Fails, Threatening the Nuclear Talks By Gareth Porter

 イランの核問題をめぐるP5+1(米英仏露中独)との交渉は、たぶん今月中に何らかの形で妥結する。米国は中間選挙で議会の上下両院の多数派がイラン敵視の共和党に取られてしまったので、民主党オバマ政権は、たとえイラン核問題を解決する協約を結んでも、議会に対イラン制裁を解除してもらえない。現時点でイランは、制裁が解除されない限り、協約を結べないと言っている。本格的で詳細な協約を結べない場合、とりあえず内容の曖昧な「枠組み合意」を締結する方向で、イランとP5+1は交渉している。 (No deal `not an option' in Iran talks) (◆イランと和解しそうなオバマ) (Iran and US close in on historic nuclear deal at Vienna talks

 曖昧な枠組み合意であっても、米イスラエルがイランに着せた核兵器開発の濡れ衣を解く何らかの合意が締結されると、イランは国際社会に復帰し、国際政治力が大幅に上昇する。議会を軍産イスラエルに牛耳られた米国は、引き続きイランを制裁し続けるだろうが、露中をはじめとするBRICSや途上諸国は、イランとの経済関係を大っぴらに再開できる。中国はすでに、イランに対するインフラ関連の投資枠の倍増を決めている。イランは中国に、イラン核問題の交渉でもっと積極的な役割を果たしてほしいと要請している。イラン核問題の解決は、ロシアや中国が中東での覇権を拡大する転換点になりそうだ。 (China to double Iranian investment) (`China must play key role in N-deal'

 イランの核の濡れ衣が解かれると、ISISのもう一つの拠点であるシリアの内戦も、アサド政権優勢の方向で解決に向かうだろう。11年から続くシリア内戦はもともと、米国に敵視されたアサド政権と、米国に支援された反政府諸派の戦いだったが、昨年からISISがシリアで台頭した結果、親米反政府諸派はISISの傘下に入る傾向を強め、今では親米反政府勢力の最大勢力だったはずのFSA(自由シリア軍)が、雲散霧消してほとんど存在しない勢力になっている。シリア内戦は、ISIS対アサド政権の形になっている。 (Syrian soldiers are fighting for their lives as well as their country

 この状況下で今後、米オバマ政権がイランやロシアに依存してISISを本気で潰すと、シリア内戦はアサドの勝ちになる。米国のマスコミは最近「オバマはアサドを潰す気だ」と喧伝しているが、これは軍産イスラエル系による歪曲報道だろう。アサドはイランの傘下にいる。オバマがISISとの戦争でイランから加勢してもらうためには、アサドを潰しませんとイランに約束する必要があった。イランの司令官がイラク軍を指揮してISISと戦っている前提として、米国がシリア政府軍を攻撃しないという約束が存在しているはずだ。米国はアサドを潰さずISISだけ潰し、アサドがシリアを統治し続けることを黙認するだろう。 (Obama's Syria Review Looks to Shift Focus to Attacking Assad) (Official: Israel independently learned of secret U.S. letter to Iran

 シリア国民の大半はスンニ派イスラム教徒だが、アサドは広義のシーア派(山岳密教)系であるアラウィ派のイスラム教だ。アサド政権の上層部はアラウィ派が握っている。アサド政権が存続すると、アラウィ派に対するスンニ派の不満が残る。この不満の解消に動いているのがロシアだ。ロシアは、エジプトの軍事政権を誘って、シリア内戦の仲介に動き出そうとしている。 (A New Push for Peace in Syria?

 エジプトの軍事政権は、昨年7月ムスリム同胞団からクーデター的に政権を奪ったが、同胞団政権を支持していた米国は、軍事政権の復活後、エジプトに対して冷淡だ。そのすきにエジプトの軍事政権に接近したのがロシアで、ロシアは経済軍事面でエジプトへの支援を増やしている。 (Russia and Egypt in 'historic' talks

 11月初めには、シリア反政府勢力の各派とレバノンの反アサド勢力の指導者らが集団でモスクワに招待され、アサドに対する敵意や不満をロシア政府に聞いてもらった。反アサド各派はモスクワで、アサド大統領を辞めさせて新しい連立政権を作る前提なら、露エジプトが仲裁する停戦合意に乗っても良いと表明した。露政府は彼らの意見を聞いたものの、アサド以外に今のシリアをまとめられる指導者はいない。露エジプトが仲裁する停戦交渉が成功するとしたら、形だけ連立政権を作って、実際の権力はアサド(の周辺)が保持することになりそうだ。 (Ex-Syria opposition chief says he discussed conflict with Moscow

 米国はイスラエルに牛耳られ、中東でまともな覇権運営ができなくなっている。ISISとの戦争がいつまで続き、ISISがきれいに潰されて終わるかどうか不明だ。しかし今後の中東が安定するとしたら、それは米国の覇権が低下し、その分の覇権の空白をイランやロシア(中国、トルコ?)が埋めて中東での影響力を拡大し、中東の覇権が多極化することを意味する。このような情勢下でイスラエルも揺れているが、長くなってしまったので、それは改めて書く。



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