国際情勢の夏休み2013年8月14日 田中 宇7月31日、サウジアラビアの諜報長官であるバンダル王子がロシアを訪問してプーチン大統領と会い、サウジ王政がロシアから大量の武器をかうので、その代わりに、ロシアはシリアのアサド政権を支持するのをやめて政権転覆を容認してくれと提案した。サウジはアルカイダ系を含めたシリア反政府勢力を支援しているが、ロシアから武器支援されているアサドの軍隊が強く、反政府軍は負けている。 (Putin Laughs At Saudi Offer To Betray Syria In Exchange For "Huge" Arms Deal) バンダル王子はまた、シリアを政権転覆しても、カタールからシリアを通って地中海までつなぐ天然ガスのパイプライン建設を進めないと約束した。カタールの天然ガスがシリアを通って欧州に輸出されると、欧州のガス市場におけるロシアのガスプロムの独占状態が崩れ、ロシアの儲けが減る。ロシアがガスで欧州を席巻するのを妨げないのでシリア政権転覆を容認してくれとバンダルは頼んだ。しかしプーチンは、バンダルの提案を言下に断った。 (Bandar Bush, 'liberator' of Syria) アサド政権が転覆されるとシリアは混乱した無政府状態になり、ロシアが石油利権を獲得している近隣のイラクも国家崩壊に近づく。アルカイダ系の勢力が伸張し、ロシアの北カフカスが不安定になる。ロシアは、アサドを支援しているイランに武器や原発などを輸出しているが、アサドが倒れるとイランやトルコも不安定化する。中東の混乱に拍車がかかり、ロシアの利権以外の部分でも、プーチンは、バンダルの話に乗るわけにいかない。 強い親米国であるサウジアラビアは、冷戦時代から、南側からロシア(ソ連)の下腹を突っつく戦略を採ってきた。1978年にソ連がアフガニスタンに侵攻すると、サウジ王政は米当局と謀り、聖戦士を自国とアラブ諸国で募ってアフガンゲリラに仕立て、ソ連を占領の泥沼に引き込んだ。聖戦士はアルカイダそのものだ。財政に窮したソ連が国際市場で原油を売ると、サウジは米国から頼まれて増産して原油相場を引き下げ、ソ連を財政破綻に導いた。冷戦後、旧ソ連の各地で分離独立運動が起こると、サウジは、イスラム教徒が多いチェチェンなど北カフカス地域に聖戦士を派遣し、モスクワで爆弾テロをやらせたりして、チェチェンの独立戦争を支援した。 (チェチェンをめぐる絶望の三角関係) サウジはロシアを困らせる存在だったが、エリツィン政権の首相時代のプーチンはこの状況を逆手に取り、サウジが支援したチェチェン人のテロ活動に対して厳しく対処してロシア国民の人気を獲得し、今のプーチン大統領の長期政権に結びついた。プーチンはチェチェン戦争が生んだ政権だった。最近のロシアは、中東のシリアやイランなどの問題で米サウジより優位に立つ傾向だ。 (チェチェン戦争が育んだプーチンの権力) 中東情勢においてロシアは、一筋縄でなく裏表・陰影のある存在だ。世界有数のイスラム人口を抱えるロシアは、イスラム主義の勃興を嫌う半面、イスラム共和国のイランと地政学的な意味から親密な関係を持っている。ロシアは、パレスチナ問題で米イスラエルを非難する一方、政財界にユダヤ人が多く、イスラエルと関係が深い。ネタニヤフ首相はしばしばロシア高官と協議する。ガザ撤退を挙行したシャロン元首相はロシア系だ。 ソ連の歴史をひもとくと、ロシア革命に参加した多くの活動家がユダヤ人だ。教条的な日本などの左翼は、ロシア革命がユダヤ人の国際政治運動だったという見方を「陰謀論」扱いして毛嫌いするが、プーチンは6月にモスクワのユダヤ博物館を訪れた際に「最初のソ連政府の要員の80-85%はユダヤ人だった」と語っている。これだけ多いと、ユダヤ人のための革命だったと考えた方が自然だ。米欧のユダヤ人歴史家の中にも、ロシア革命がユダヤの革命だったことを誇らしげに指摘する者がいる。 (Putin: First Soviet government was mostly Jewish) ユダヤ人のトロツキーらが築いた国際共産主義運動(世界政府運動)は、欧州など世界に張りめぐらされたユダヤ人のネットワークを連想させる。当時の覇権国だった英国もユダヤ人のネットワークを活用して大英帝国の諜報網を作ったが、左翼ユダヤ人の国際共産主義が、大英帝国に対抗する動きになったのも興味深い。世界政府の策動はその後、国際連合や最近のG20、BRICS、多極化などに受け継がれている。 (覇権の起源(3)ロシアと英米) ロシアは、イラク戦争など米国の中東戦略の失敗で、米英が撤退傾向にあるのを受け、穴埋め的に中東で影響力を伸ばしている。中東の沖にある島国キプロスは、もともと英国の東地中海支配のための軍事拠点で、英国はキプロスのギリシャ系とトルコ系の紛争をあおり、それを仲裁する名目で国連に金を出させ、国連軍として軍事駐留し続けた。だが今春の金融危機後、ロシア軍がキプロスの基地を借りる方向で話が進んでいる。東地中海において、英国の影響力が失われるとともに、ロシアの影響力が増している。ロシアは、冷戦終結直後の1992年に廃止した海軍の地中海艦隊を復活しようとしている。 (Russia flexes its muscles in the Mediterranean) (Russia requests use of Cyprus airbase) 英国はリーマンショック後、経済の大黒柱だった金融部門が儲からなくなって財政的な弱体化が進み、南大西洋のマルビナス(フォークランド)諸島の紛争でアルゼンチンから非難を強められ、最近はスペイン南部にあるジブラルタルで、国境検問を強化したスペインとの対立が起きている。英国のすごいところは、自国の経済・軍事力が落ちても「敵の敵は味方」的な外交の謀略で反撃することだ。ジブラルタルをめぐるスペインと英国の対立を見て、スペイン中央政府と対立して独立傾向を強めるカタロニアの与党が、ジブラルタルを応援する声明を発表し、スペイン政府を怒らせている。 (Catalan separatists express solidarity with Gibraltar) 思えば19世紀初頭、アルゼンチンなど南米諸国がばらばらにスペインの植民地から独立する運動をするようあおったのも英国だった。フランス革命の「民主化」で世界初の愛国心(国家のために無償で死にますという心)に支えられた無敵の軍隊を持ったナポレオンが1808年にスペイン王政を倒し、スペインが無政府状態になったところで、英国が南米諸国の独立運動を各地で仕掛け、南米が英国と同じぐらいの大きさの(英国覇権に立ち向かえないぐらいの強さの)国々に分割されるよう仕向けた。ポルトガルは、王政がブラジルに避難していたので分割独立運動にならず、南米で唯一の巨大な国として残った。アルゼンチン政府がナショナリズム鼓舞のためマルビナス問題で英国を非難し続け、ブラジルがBRICSの一つとして多極化(米英覇権解体)を推進するのは、歴史のうねりを感じさせる。 (覇権の起源(2)ユダヤ・ネットワーク) (中南米の自立) 中東に目を戻すと、8月3日にイランの大統領がアハマディネジャドからロハニに代わった。アハマディネジャドは過激な言い方を得意とし、発展途上諸国の反米主義の国際運動を率いる存在だったが、ロハニはもっと現実的で穏健なやり方を好む人とされる。アハマディネジャドは、今年3月に死去した南米ベネズエラのチャベス前大統領と親しく、2人は途上諸国(非同盟諸国)の反米国際運動を率いていた。この2人が去ったことで、途上諸国の反米運動を率いる国際的な政治家がいなくなる。運動が下火になるかもしれない。 (Rouhani dampens Iran's Third World fire) とはいえ、この2人は反米的な言動こそ派手だったが、国際的に対したものを残せずに終わった。アハマディネジャドは、中国やロシアをイランの味方に引き込もうとしたが、中露は過激な反米のイランに味方することに慎重で、イランを上海協力機構に入れるのもゆっくりで、いまだにイランはオブザーバーだ。チャベスは南米諸国の国家統合を提唱したが、具体的にほとんど進まなかった。 (南米のアメリカ離れ) (石油で世界を多極化する南米のチャベス) 米国覇権が崩れていく昨今の過程は、派手で目立つ部分でなく、ほとんど報じられないような動きが重要だ。米国の覇権は、国際反米運動によってでなく、米国自身の金融危機や軍事の失策によって崩れている。反米運動でなく、米国の覇権自滅への現実的な対応策が重要な時期に入っている。米国敵視を振り回すアハマディネジャドより、現実的なロハニの方が、中露もつき合いやすいかもしれない。 反米非米諸国が米国の覇権を引き倒すという期待が過剰なものであるのは、金融面でも言える。金融分析者、特に「ドルが崩壊して金本位制が戻ってくる」と予測する「金地金崇拝者」の間で最近根強いのが「中国がドルを見放し、人民元を金本位制に移行する」という予測だ。しかし、中国政府は金本位制など望んでいないし、今の人民元はドルから独立した国際通貨になる体制も持っていないと、他の分析者が指摘している。ドルは崩壊過程にあるが、代わりの通貨体制は人民元単独でなく、金本位制でもなく、IMFのSDR(特別引き出し権)を使った諸通貨バスケット制度しかないとも指摘している。 (Rumors Of A Chinese Gold Standard Are Overblown) (この分析者は「SDRを使った諸通貨バスケット方式」の基軸通貨制度は、非常に不安定で、机上の空論でしかないというのが常識的な考え方だろうが、ドルの弱体化が進んでドル基軸制が不安定化すると、SDRの方が安定的に見えるようになると予測している) 中国共産党は、自国の運営と関係が薄い世界の覇権運営に手を出したくない。米英やユダヤ資本家と対立するのは得策でないと考えているのだろう。トウ小平以来の中共は、米欧資本家の仲間でもある。中国人を「消費者」に仕立てることは、欧米資本家にとって200年来の夢だった。アヘン戦争以来の苦難を経て、ようやくその夢が実現している。今の時代は、その一方で英米の200年の覇権が崩れつつある。国際資本家の視点で見ると、中国(など新興市場諸国)の経済成長を維持しつつ、米国覇権を安楽死させることが重要だ。逆張りで儲ける戦略の勢力もいるから、中国を潰して米国覇権を延命させるとか、米中を戦争に持ち込むという流れもあるだろう。しかし主題は、中国(やインド)の庶民を「消費者」(中産階級)に仕立てることである。 (ドル崩壊とBRIC) (中国が世界経済の中心になる?) 毎年8月と年末年始は世界的に休みの時期であり、国際情勢の動きも減る。私は毎日ネットで国際情勢に関する英文情報に目を通し、注目した記事をふだんは毎日30-40本テキスト形式で保存して精読するが、8月に入って保存数が20本以下の日が多くなっている。出来事は毎日起きるが、情勢の新しい方向性を示すものがない。 今回の私の記事はそれらの、意味(方向性)が今一つ足りない動きの数々を連ねている。シリア問題でロシアとサウジが交渉しても結論が出ず、シリア内戦の出口は依然として見えない。イランのロハニ大統領は就任したものの、どんな戦略を展開するのか、イラン核問題が進展するのか、米国がイランとの関係を改善するのか、まだ見えない。米国はたぶんイランとの関係を改善せず、問題は延々と続きそうだ。日本のアベノミクスの限界を指摘する記事がWSJ紙などに出たが、アベノミクスの失敗が顕在化するとしたら、いつどんなかたちで起きるのか、それも見えない。アベノミクスがいずれ失敗することは、今年初めから見えている。 (Abenomics Nears Its Limit) (Why Abe-Nomics May not Work for Japan) (日本経済を自滅にみちびく対米従属) 中国が慎重なのは前からわかっているが、米国の覇権崩壊が進んで世界の混乱が加速したとき、中国(などBRICS)がどう動くか、それも見えない。覇権が崩壊している兆候が拡大しているが、いつ崩壊し、その後どうなるかが見えない。私は最近の世界情勢が「行きつ戻りつ」や「渦巻き型」の動きをしていると分析したが、しばらくは、この出口の見えない行きつ戻りつにつき合っていく必要がある。それで今回の記事は、題名をつけるのに苦慮したあげく「国際情勢の夏休み」にした。 (行きつ戻りつの世界情勢) (世界体制転換の流れの渦)
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