世界体制転換の流れの渦2013年2月19日 田中 宇米オバマ大統領は2月13日の一般教書演説で、世界核廃絶に向けた動きの一つとして、ロシアと相互の核兵器削減を進めていく方針を表明した。これは、以前の記事に書いたことが具現化したものだ。 (◆いよいよ出てくるオバマの世界核廃絶) 軍産複合体の宣伝機関の色彩が強いワシントンポストは「プーチンは人権無視の独裁者なのに、オバマはプーチンに接近しようとしている」と批判的な記事を出した。 (Obama reaches out to a repressive Putin) 核軍縮を進めるには米露協調の強化が必要だが、逆に米露関係が悪化すると感じられる出来事が相次いでいる。米議会は昨年、ロシア人の弁護士セルゲイ・マグニツキーが無実なのに露当局が逮捕して獄中死させたとして、ロシアの人権侵害を非難して露政府高官の米国への入国を規制する法律(マグニツキー法)を可決した。露政府はその報復として、ロシア人孤児を米国人が引き取ることを規制する法律を作った。今年に入り、米政府はロシアの人権状況を改善するための米露合同委員会から脱退した。同時期に露政府は、米政府系の国際支援機関USAIDの駐露事務所を閉鎖させるとともに、米国がソ連崩壊後のロシアに対して犯罪捜査や麻薬取り締まりに必要な資金を援助してきた事業を打ち切った。 (Russia scraps law enforcement deal with U.S. in new blow to ties) (Moscow regrets US pullout from bilateral commission on human rights) これらを見る限り、オバマ政権はロシアと核廃絶したいはずなのに、米露は関係を悪化させる嫌がらせの報復を続けているかのようだ。しかしよく見ると、これらの出来事が別の意味を持っていることに気づく。米国からロシアへのUSAIDや犯罪捜査への資金援助の打ち切りは、ロシアが、冷戦直後に困窮して米国に頼っていた事態を脱した結果として決めたことだ。米政府は財政難で、巨大な軍事費を温存しつつ、外国への経済援助を急減させる方針をとっている。米国は財政再建のため、ロシアは多極化を受けた国家のプライド回復のためという、米露双方が合意した結果の経済援助打ち切りであるのに、米露双方とも強気の姿勢を見せたいところがあるので、相手国を困らせるためにやったという印象を流布している。ロシアは、米国から冷戦後にもらってきた支援を、この半年間で3つ断っている。 (`Russia is ending its dependency on the global superpower' - Pushkov) 米政府はブッシュ政権時代から、イランが米国に向けて発射しかねない弾道ミサイルを迎撃するためとして、ロシア国境に近いポーランドやチェコにミサイル防衛システム(短距離ミサイル)を配備する計画を進め、それを迎撃用でなくロシア攻撃用だと非難するロシアと対立してきた。だが最近、米国では、東欧のミサイル防衛システムがイランからのミサイルに効き目がないとする機密の報告書を国防総省がまとめたと報じられている。イランから米国への弾道軌道が東欧の上空を通らないという単純な事実に、米当局者が今まで気づかなかったはずがないので、報告書が出たことは、米中枢に、ロシアに軍事的脅威を与える策を緩和しようとする流れがあると感じさせる。 (Flaws found in missile shield) 米国の対露戦略には、敵対・扇動(相互軍拡)と協調(相互軍縮)の両方が表裏一体に混在し、表と裏、裏の裏がある状態になっている。米国の911以来の覇権戦略が失敗し、米政府は、アフガンやイラク、欧州からの撤退、財政緊縮、ロシアや中国の台頭への対応を進めている。米国の覇権体制が崩れることによる世界体制の転換は、米露関係の変化に象徴されるように、明白な転換として表れず、裏側で起きる変化、行きつ戻りつしたり、渦巻き状に進行する変化として表れる。 日本人は世界的な覇権動向に疎い。戦前の日本はアジアの覇権国をめざしたが、戦後の日本は、覇権体制の存在を無視した方が国是の対米従属の維持に好都合なので、米欧の新聞には覇権状態の説明がときどき示唆的に載るが、日本の新聞には全く載らない。しかし、覇権体制は厳然として存在し、10年、20年という長い目で国際情勢を見続けると、覇権体制の状態が変化しているのがわかる。テロ戦争の失敗と、リーマンショック(債券金融システムの崩壊)は、米国の単独覇権体制を不可逆的に破壊する大事件だった。 第二次大戦後に米国が覇権国となって以来、米政界の上層で、覇権戦略(世界戦略)をめぐる暗闘がずっと続いている。オバマ政権(大統領府)は、国力を浪費する単独覇権戦略をやめて米国の衰退を防ごうとしているが、連邦議会では好戦的な単独覇権戦略を無理矢理に続けようとする勢力が強く、オバマの策を妨害する動きを繰り返している。 (◆独裁化する2期目のオバマ) 3選できない米国の大統領は、2期目の4年間の後半2年間、新たな政策を決めても「もうすぐ辞める人」と政界から軽視されるレイムダック現象が強まる。オバマが新たな政策を進められるのは事実上、2期目の前半2年間、つまり今年と来年しかない。オバマはおそらく今年じゅうに、議会の反対を無視して米露核軍縮を進める動きを強めるだろう。それが成功するかどうかはわからない。 (Obama to focus attention on economy) 2月13日、米オバマ大統領は一般教書演説の中で、ネットの治安維持(サイバーセキュリティ)について大統領令を発した。ネット上の攻撃への対策や、ネット利用者の個人性の特定を強化することなどを盛り込んでいる。これまでテロ戦争を担当してきた国家安全省がサイバーセキュリティも担当する。昨年末、米議会でネットの治安維持についての法案(CISPA)が否決されたため、オバマは議会の決議を経ないで決定できる大統領令として発効させた。この件も、議会を無視したオバマの「独裁」の一つだ。 (Obama Signs Cybersecurity Executive Order) ネットにおける国際的な攻撃は以前からある。オバマはなぜ、今のタイミングで、議会を無視してまでネット治安を強化したいのだろうか。いつもは「人権を無視しても敵を倒せ(ロシアや中国の人権無視は問題だが、米イスラエルがイスラム教徒を殺すのはかまわない)」と主張する右派的な米議員らが、オバマのネット治安維持法に対しては「ネット利用者のプライバシーと人権が侵害されている」と左派的に批判している。この茶番劇からみて、本質は「ネットの治安」と別のところにある。 オバマは、中東など世界から米軍を撤退させようとして、軍産複合体系の議員らから猛反対されている。だからオバマは、軍産複合体の失業対策(予算急減防止策)としてネットの防衛や治安維持の構図を用意して反対論を弱め、米軍の撤退を続けようとしているのでないか。軍産複合体が大儲けしたテロ戦争の国内司令塔である米政府の国家安全省が、ネットの防衛も担当すれば、テロ戦争をやめたとしても、同省の急激な縮小を防げる。アンチウイルスメーカーが裏でウイルスを作ってばらまくようなマッチポンプがある、実体不明なネットの防衛は、表裏のあるテロ戦争(やその前の麻薬戦争)を受け継ぐ構図としてふさわしい。 (米ネット著作権法の阻止とメディアの主役交代) (最終的に、インターネットの国際管理権は、米国でなくBRICSに握られるだろうが) (◆インターネットの世界管理を狙うBRICS) (ウイルス「フレーム」サイバー戦争の表と裏) 軍産複合体だけでなく、イスラエルも米議会に影響力を持つ。テロ戦争からネット戦争に移行すると、軍産複合体は良いが、イスラエルは中東に取り残されて困窮する。だから米議会ではオバマのネット治安維持法への反対が強い。だがその一方で、イスラエルのネタニヤフ政権は昨年の米大統領選挙でオバマでなくロムニーを支援してしまったし、最近のイスラエルはパレスチナ人への人権侵害で、国連から非難される傾向で、国際的な立場を弱めている。 (Israel must withdraw all settlers or face ICC, says UN report) (ユダヤロビーの敗北) 最近では、国際情勢の機を見るに敏な英国が、イスラエルに対する批判を強め、英連邦のオーストラリアも、豪国籍を持ったユダヤ人のモサド要員が偽名のままイスラエルで2年前に獄死していた件で、イスラエル批判を強めている。イスラエルは、国家存亡の危機がひどくなっている。 (The 'Prisoner X' affair was a catastrophe for Israel, and must be investigated) イスラエルの内政自体も、表裏がある世界の体制転換の渦巻きの中の一つだ。イスラエルのネタニヤフ政権は、パレスチナ人との交渉などしたくないゴリゴリの強硬派・右派に見えるが、私が見るところ、ネタニヤフ自身は何とかパレスチナ人と交渉を再開しないと国家存亡の危機だと知っている。イスラエルでは右派(本質的に米国からのひも付き)の脅しとプロパガンダの力が強く、ネタニヤフは基本的に右派(極右)と連立するしかない(イスラエル右派の黒幕である米国の右派が、親イスラエルのふりをしてイスラエルを潰そうとしているように見える)。 ネタニヤフは右派に引っ張られつつも、自国に対する国際非難が強まっていることを口実に、右派に「いやだけどパレスチナ和平しないとだめだ」と言い訳しながら、中道派諸政党の指導者を呼び入れて連立政権を作り、パレスチナ和平を進めようとしている。好戦派は米イスラエルだけでなくアラブにもおり、彼らは本質的に和平を妨害したいので、パレスチナ和平が実際に進む可能性は低い。だが、これまでのような、和平交渉するふりだけする現状維持の引き延ばし策を続けると、イスラエルは、国際的な「悪」にされる傾向を強め、米欧から支援を受けられない状態でイスラム側から戦いを挑まれ、もしくはパレスチナ人に民主的な選挙で国を乗っ取られて、国家消滅していきかねない。 (Lapid to 'Time': Peace made with foes, not friends) 中東ではイスラエルのほか、親米のサウジアラビアの王政も潜在的に不安定が増している。同じく親米のバーレーンのスンニ派王政が多数派のシーア派国民に倒されると、混乱はサウジに飛び火する。政治的に親米諸国が弱くなる半面、米国から自立的なイランやエジプト(ムスリム同胞団の政権)が台頭している。79年のイラン革命以来、国交を断絶しているイランとエジプトが国交正常化したら、スンニとシーアのイスラム主義の連携が強まり、米軍の撤退傾向と相まって、中東に独自の地域覇権体制ができそうだ。エジプト政府は、イラン傘下のレバノンのヒズボラへの支持も表明した。 (Egypt's Hezbollah shift reflects new reality) だが、ここでも事態は行きつ戻りつだ。先日、イランのアハマディネジャド大統領がイラン首脳として約40年ぶりにエジプトを訪問し、国交回復への動きを希求した。だがエジプト側は、イランの仇敵であるサウジ(スンニ派)から援助金をもらっていることもあり、イランとの和解よりスンニ派諸国同士の結束を重視し、国交回復に消極的だ。エジプトのスンニ派聖職者は、訪問中のアハマディネジャドを批判する演説を発した。 (Ahmadinejad Visits Egypt, Signaling Realignment) 加えて、今年に入ってエジプトでムスリム同胞団の政権の枠組みが定まってきたと思ったら、エジプトのリベラル派などが反政府運動を強め、同時に金融市場でエジプトポンドが売り込まれて危機になり、このままではエジプトが国家崩壊するとまで言われ出した。エジプトがイスラム主義の国として安定したら最も脅威を受けるイスラエル諜報機関などによる騒乱作戦という感じだ。ここでも事態は渦巻き状だ。 (`State collapse could follow Egypt crisis') スンニ派とシーア派の敵対維持は、中東を長く傀儡化してきた米イスラエルの思う壺だが、中東諸国は呪縛をなかなか克服できないでいる。「スンニとシーアが完全和解できるはずがない」と言い切る人がいるかもしれないが、それは間違いで、長期的には、スンニとシーアを分断支配してきた米欧の力が相対的に弱まると、事態はしだいに和解に向かう。しかし、それがいつ起きるかは見えない。 (Egypt reassures Gulf monarchies over ties with Iran) アジアでは、中国が北朝鮮の核開発を抑止することが長期的な方向として予測できる。だが実際の動きは鈍く、中国の北朝鮮批判は今のところ「ふりだけ」に近い。長期的に、北朝鮮は中国の傘下に入るだろうが、それがどのような速さで進むかは見えてこない。 (中国は北朝鮮を抑止できるか) 米国の覇権が崩れつつある中、米政府が財政や国力を立て直すには、世界からの軍事撤退やロシアとの核軍縮が必要で、軍産複合体の影響力は減じる。イスラエルはパレスチナ国家を作らないと行き詰る。イスラム世界は傀儡状態から脱していく。北朝鮮は中国の傘下に入る。米国の弱体化で日本は対米従属を続けられなくなる。そうした方向性そのものは、すでに何年も前から感じられ、私はその流れの記事を何十本と書いてきた。しかし現実の事態は、渦巻き状、もしくは行きつ戻りつの不明瞭な軌跡で、裏表のある不明瞭な状態でしか進んでいない。 米国の覇権が回復して世界が再び安定するなら、それは非常に良いことだ。だが私が見る限り米国は、回復でなく破綻に向かう流れの中にある。うまくいっても、多極化を容認して軟着陸する程度だ。これはオバマが試みていることだが、成功するとは限らない。オバマの策の成否が不明なので、宙ぶらりんな現状がいつまで続くか不確定だ。 とはいえ今後どこかの時点で、各分野ごとに、次の状況の急変があるはずだ。それを見逃さず、的確にとらえることが重要と考えている。しばらくはマンネリの記事が続くかもしれないが、お許しいただきたい。
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