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金地金の反撃

2014年12月3日   田中 宇

 世界経済の牽引役は、米国の金融界、中でも米国の債券金融界だ。それが崩壊に瀕した08年のリーマン危機後、ドルや米国債、金融システム一般に対する信頼性がゆらぎ、その反動として金相場が上昇した。 (Gold Price

 債券の価値は、担保となっているもの(不動産や貸し金などの債権)の確実性が重要だが、近年の債券の多くは、担保物件と債券が1対1対応になっておらず、無数の債権を束ね、返済順位ごとに輪切りにして、無数の債券を発行する形式だ(返済順位の高い債券は低利で、返済順位の低い債券は高利で発行する)。ネズミ講を思わせる複雑な仕掛けで、債券の発行総額が担保総額をはるかに上回っても投資家にばれない。そのため、いったん担保の確実性が疑われると、債券の価値が崩れてしまう。こうして起きたのがリーマン危機につながる発火点となった07年のサブプライムローン債券危機だった。 (サブプライム危機の再燃

 リーマン危機後、債券に対する市場の不信感は一部しか戻らなかった。危機後、米国の当局と金融界は、一般投資家(市場)抜きで、当局と金融界の内部だけで債券を発行・流通し続け、それで危機が去ったかのような構図が作られてきた。債券や金融全体への価値の確実性への疑念は、もっと確実な価値を持つ金地金の需要につながり、サブプライム危機発生後、金地金の相場が上昇した。 (Gold: worth its weight?

 金相場の上昇は、一般投資家の間に、債券や金融システムへの不信感が残っていることを示す指標だ。金相場が上昇している限り、リーマン危機後の米当局と金融界による対策がうわべだけの粉飾的なものであると露呈している。これが放置されると、債券の頂点にいる米国債の確実性までが疑われ、金融危機が再来して債券金融システム全体の崩壊につながる。 (操作される金相場(2)) (操作される金相場

 債権の再崩壊を防ぐため、米金融界は、債券発行で作った巨額の資金で金地金の売り先物を大量に買い、金相場を下落させた。先物取引は紙切れやコンピュータ上の数値のやりとりでしかないが、物理的な金地金の取引よりずっと巨額で、金相場は簡単に下落した。2012年末以来、金相場が大きく下落した。新興市場諸国の実需などを機に金相場が少し上昇しても、米金融界がその何倍もの先物を売って再び下落させる事態が続いてきた。 (Because Nothing Says "Best Execution" Like Dumping $1.5 Billion In Gold Futures At 0030ET) (通貨戦争としての金の暴落

 インドや中国など新興市場諸国では、多くの人が金地金を買っており、地金の在庫が足りずプレミアムつきで売られる事態も起きている。インドは今年、昨年の4倍の金地金を輸入している。現物市場だけなら、金相場は高騰を続けていた。しかし金相場は(創設者の英米当局が意図して)現物と先物の相場が同一のものになっている。現物の買いはいくら大きくても、数字だけの先物売りにかなわず、金塊は紙切れとの戦いに惨敗してきた。 (India: More Gold Restrictions To Come Amid Soaring Demand?

 しかし、今年11月に入り、それまで軟弱だった金地金(買い)が、紙切れ(売り)に対して強さを示す局面が出現し始めている。先物売りで下落した後の反発上昇する力が、以前より大きくなっている。11月30日には、スイスで行われた、中央銀行に外貨備蓄の2割を金地金で保有せよと命じるかどうかをめぐる国民投票が、78%の反対で否決されたことを機に、金相場が下落した。しかし翌日には、前日の下落幅をはるかに超えて再上昇した。インドが金地金の輸出入の規制を解除したことなどが上昇の理由とされている。 (Swiss Voters Reject Measure Forcing SNB to Acquire More Gold

 以前の記事に書いたように、債券金融システムの黒幕を創設以来30年つとめたグリーンスパン元連銀議長が、10月29日の公開会合で、自ら創設した債券金融システムの終焉を示唆するとともに、ドルを紙切れ扱いする発言を行い、ドルの代わりに金地金が買われて金相場が上昇する時期に入ったとの予測を発した。グリーンスパンは、その後の金相場の上昇力が強まりを見事に予測した。彼が言うとおり、長期的に見て金相場は再上昇期に入った可能性が高い。 (◆陰謀論者になったグリーンスパン) (◆金融危機を予測するざわめき

 今の時期に金相場が上昇期に入ったきっかけとして考えられるのは、10月末に米連銀がQEを終了したことだ。連銀が債券を買い支えるQEを終えたことで、金相場を恣意的に操作する債券の力が低下した。米連銀の代わりに日本銀行がQEを拡大したが、日銀のQEは米連銀のQEより影響力が少ないと評されている。 (Not All QE Is Created Equal as U.S. Outpunches ECB-BOJ

 QEをやめても、連銀はQEで購入した4・5兆ドルの債券を保有し続けている。連銀は、その元利収入を再投資して縮小版QEを非公式に続行できる。QEは米金融界に2・6兆ドルの資金を注入し、金融界もこの資金で債券市場の救済をしばらく続けられる(QE終了後、ジャンク債の相場はむしろ上昇した)。これらの残余的な要素があるものの、長期的に見て、QEの最も勢いの強い時期が終わったことは間違いない。 (Swiss Gold Referendum: What It Really Means) (Junk bond rebound follows end of QE

 金地金は、債券に比べて軟弱だが底力がある。従来のように債券が金地金に対して圧勝している状態でも、金地金は単価が安くなるだけだ。宝飾品など貴金属の物理的な価値として何がしかが残り、価値がゼロにならない。しかし逆に、今後もし金地金が債券(やドル)に対して圧勝すると、債券は「紙切れ」の物理的な価値、つまりゼロにまで下がりうる。債券や株式やドルは、外部的な信用システム(金融市場)がないと価値を維持できない。システム(金融界)の魔術(「経済学」の詭弁)で価値を無制限に増殖できるが、信用に不安を持たれると魔術が解け、無価値性が露呈する。金地金など貴金属は対照的に、外部システムに依存せず内的に価値を保持している。金融界の人々は、自立的な金地金の価値システムを「時代遅れ」「野蛮」と評するが、昨今のように金融界が債券や株式の価値を維持しようとしてシステムに無理をかけるほど、最先端や洗練性を自称する金融システムは詐欺が露呈して崩壊し、野蛮で時代遅れな貴金属の価値が貴重なものになる。 (金地金の復権

 各国の中央銀行の間では、戦後長らく米連銀に預けたままだった金地金を自国に戻そうとする動きが拡大している。オランダの中央銀行は、NY連銀の金庫に預託してあった122トンの金塊を、今年に入ってひそかに取り戻したことが先月発覚した。オランダの大統領は2012年に、米国に預託してある金地金を取り戻すつもりはないと表明していたが、その後蘭中銀は裏でひそかに米当局と交渉していた。 (DNB adjusts its gold stock location policy) (Repatriation Stunner: Dutch Central Bank Secretly Withdrew 122 Tons Of Gold From The New York Fed

 第二次大戦中から戦後の冷戦期にかけて混乱が続いた西欧諸国の中央銀行の多くが、備蓄してあった金地金をNY連銀など米当局の金庫に預託した。米連銀は、世界各国から預託されていた金地金を金融界に貸し出して空売りをやらせ、債券金融システムを守るために金相場を下落させる策に使ってきた。米連銀の金庫が空っぽで自国の金地金が戻らないと懸念した各国中銀の間で、金地金を米国から自国に引き揚げようとする動きが起きている。中銀は一般の投資家よりも、金融システムの安定性や将来性について熟知している。その中銀が金地金を手元に確保したがることは、債券と金地金の戦いで金地金が優勢、債券が劣勢になっていることを示している。 (European Nations Repatriate Gold Reserves From United States Vaults

 欧州で、米国から金地金を取り戻す動きを最も積極的に行ってきたのはドイツだ。独政府は、米政府に次いで世界第2位の金地金保有者だが、敗戦国なので、金地金のほとんどを米当局の金庫に預託してある。ドイツの連邦議会や政府は2012年から、米国に預託した1500トンの金地金のうち150トンを取り戻す策を開始した。しかし米当局は5トンを返した後、返還を先延ばしするようになり、結局5トンしかドイツに返還されていない。 (金塊を取り返すドイツ) (ドイツの金塊引き揚げがドル崩壊を誘発する?

 結局ドイツ政府は今年6月、米当局の金庫から金地金を取り戻すことをあきらめた。独政府があきらめた理由として公表されたことは「米国に預託したままにした方が安全だとわかったから」というものだった。これは奇妙な話だった。独政府は、米連銀が預かった金塊を勝手に民間金融界に貸し出して使わせ、戻ってこない懸念があるので返還を希望し、その後も懸念は大きくなるばかりだ。「米国に預けておいた方が安全」と判断されるはずがない。 (German Gold Stays in New York in Rebuff to Euro Doubters) (The Real Reason Why Germany Halted Its Gold Repatriation From The NY Fed

 民間では、米大手銀行のJPモルガンで今年、投資家から預託されている金地金の量が急速に減少している。銀行に金地金を預けておくと、銀行が経営破綻に瀕したときに地金を返してくれなくなると投資家が懸念し、JPモルガンなどから金地金を引き出す動きになっている。銀行は、連銀と同様、預託された地金を金相場の操作のために空売り用に勝手に使ってしまい、一部が金庫にない疑いがある。今後さらに多くの投資家が預託した地金の返還を求めると、在庫が足りず、返還に応じられないケースが出てきて「金地金の取り付け騒ぎ」に発展するかもしれない。こんな状態なのに、独政府が「米連銀に預けておいた方が安全」と判断するはずがない。 (Fastest Pace Of Withdrawals From JPM's Gold Vault In Over A Year) (金地金の売り切れ

 米連銀は、金塊を全く持っていないわけでない。ドイツより後に金塊の返済を求めてきたオランダには122トンを返している。返還要求を公式に発表して返還を求めてきたドイツには返すことを拒否し、こっそり返還を求めてきたオランダには返還したのだという分析もある。 (122 Tons of Gold Secretly Repatriated to the Netherlands) (The Real Reason Why The Netherlands Repatriated Its Gold

 私は別の分析をしている。ドイツはEUの盟主であり、米国にとって国際政治的にオランダより米国の方が重要な国だ。政治的に考えるなら、オランダでなくドイツへの金地金返還を優先した方が米国にとってEUと良い関係を保持するために得策だ。米国は、後からのオランダの返還要請に応じたのに、先に来たドイツの返還要請に応じないことで、ドイツを怒らせ、EUの盟主であるドイツが対米関係に見切りをつけ、地政学的に重要なロシアとの関係を重視しかねない状況へと事態を押しやっている。 (ドイツの軍事再台頭

 米国はロシアを敵視して怒らせているが、プーチンのロシアが米国に怒らされ、米国に対抗する覇権策を積極的にやるほど、米政界を軍産複合体とイスラエルに牛耳られて身動きがとれないオバマ大統領にとって、ロシアが自分の代わりに軍産イスラエルと戦ってくれる好都合な状態になる。オバマは昨夏以来、シリア内戦の解決策をロシアに任せ、最近ではイラン核問題の解決もロシアに任せる傾向だ。今やシリア内戦の仲裁交渉はモスクワで行われ、ロシア主導で一定の合意に達している。 (Syria peace talks to resume in Russia) (ますます好戦的になる米政界) (プーチンを強め、米国を弱めるウクライナ騒動

 中東の問題解決をロシアに任せるオバマの多極化戦略を延長していくと、米国がメルケルのドイツを金地金返還問題で意図的に怒らせ、伝統的に対米と対露の関係をバランスしたがるドイツが、好戦的で理不尽な米国に愛想を尽かし、親露の傾向を強めることも、この戦略の一部と考えられる。ドイツが、対米従属とロシア敵視を続けると軍産複合体に好都合で、米国と距離を置いてロシアに接近するとオバマに好都合だ。 (Will Russia, Germany save Europe from war?) (金地金不正操作めぐるドイツの復讐) (◆ユーラシアは独露中の主導になる?

 米当局は以前、メルケルの携帯電話を盗聴して個人的な話を全部聞いていたことを暴露されている。それもドイツを怒らせる策の一つだったかもしれない。 (US pays a price for spying on Merkel

 フランスでは、大統領候補としての人気が急激に高まっている極右政党のマリー・ルペンが、中央銀行に公開書簡を出し、米国など外国に預託してあるすべての金地金を自国に戻すことや、外貨準備の2割を金地金で保有することを求めた。ルペンは、米国の覇権に反対し、ロシアのプーチンを強く支持している。米当局が預託された金地金の返還を拒むほど、独仏主導で政治統合を進めるEUは米国から距離を置き、ロシアに接近する傾向を強める。 (Lettre ouverte de Marine Le Pen au Gouverneur de la Banque de France?) (French leader Le Pen calls for gold reserves to be repatriated) (◆欧州極右の本質

 最近は、米当局筋が、ウクライナの中央銀行が保有していた金地金を、今春の政権転覆の混乱に乗じて盗み出した(米国に預託させた)ことが問題になっている。今年3月にウクライナが極右政権に転じた直後、新政権の幹部の命令で、中央銀行の金庫にあった42トンの金塊の9割が、トラックでキエフの空港に運ばれ、飛行機に詰め込まれて米国に持ち去られた。ウクライナ中央銀行は金塊の消失を認め、検察が捜査に乗り出した。米国(当局、政界)の(意図的な?)理不尽さが激化している。 (Almost 90% of Ukraine's Gold reserves is missing since March and no-one can explain where it went to) (With Its Gold "Vaporized", A Furious Ukraine Turns On Its Central Bankers

 ロシアや中国の政府(中央銀行)は、金地金の買い増しを進めている。ロシアの中央銀行は、金相場の安値を狙って地金を買い集め、9月からの3カ月で55トンを買い増した。ロシア政府は、いずれドルと債券金融システムの米国経済覇権が崩れる(ロシアがドル崩壊に手を貸したい)と考え、ドルや債券の対抗馬である地金を買っている。ロシアと経済関係が強いカザフスタンやアゼルバイジャンなど旧ソ連諸国の中銀も地金を買い増している。 (Putin stockpiles Gold as Russia prepares for economic war) (Gold down 3.8% this morning, Russia buys 150 tons, Gold SKYROCKETS right back to yesterday's price

 中国政府は、米国をしのぐ8500トンの金地金を備蓄する構想を持ち、地金を買い増している。中国政府は、自分たちの地金購入の詳細が米国などに知られぬよう、香港を経由して民間が地金を買っている体裁をとり、買い集めている。昨年、中国の政府と民間が輸入・採掘した金地金の総量は、分析者の推測の2倍の2千トンにのぼっている。 (China should aim for 8,500t gold reserve - China Gold president) (Shanghai Exchange Chairman Admits China Gold Demand Topped 2000 Tonnes In 2013

 すでに述べたように、金塊と債券の戦いは従来、債券の方が圧倒的に強かったが、11月に形勢が逆転し、分水嶺を超えた観がある。こうなると、投資関係者が次に知りたいことは、いつまで債券システムが持つかだ。これまで債券高・金安を演出してきた投機筋の中に、いち早く逆の金高・債券安を演出することに転じたら大儲けできるかもと考える者が出てきても不思議でない。彼らは、ロシアや中国との結託を試みているはずだ。債券の終わりを試す者が増えると、その試みが債券の終わりを早めることになる。米マスコミの中でもフォーブス誌は、金地金の味方をする記事を出し、債券の味方をするマスコミを「マスゴミ」扱いしている。 (The Truth Behind The Swiss Gold Referendum Escapes Most Of The Mainstream Media

 今後もし債券金融システムが崩壊すると、それは大変なことになる。米当局の余力はQEなどで激減し、もはや当局による金融延命策を期待できない。崩壊はリーマン危機より大規模になる。世界の金融システムが崩壊し、無限の価値を生む金融の魔術が解け、全ての不幸がパンドラの箱から出てしまった後、その後の世界経済のシステムを支えるものとして、最後に弱々しく箱から出てくる「希望」が、時代遅れといわれた金地金なのかもしれない。



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