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ドイツの金塊引き揚げがドル崩壊を誘発する?

2013年1月22日   田中 宇

 昨年11月に「金塊を取り返すドイツ」という記事を書いた。それから2カ月あまり経った1月16日、ドイツの中央銀行である独連邦銀行が、米国とフランスに預けてあるドイツ政府保有の金塊を、ドイツ本国に引き揚げることを発表した。 (金塊を取り返すドイツ

 ドイツ政府は3396トンの金塊を所有し、規模的には米国に次いで世界第2位だが、その45%(約1500トン)を米国(連銀)に、13%を英国中央銀行に、11%(374トン)をフランス中央銀行に預け、ドイツ本国には31%しかない。このうち、特に米国に預けてある金塊について、米連銀が金塊を勝手に民間金融界に貸し出して戻ってこない状態になっているという懸念がドイツの政界や言論界で大きくなった。独連銀は世論の圧力に抗しきれず、他国に預けてある金塊の所在を確かめないという各国中央銀行間の歴史的な慣行を破り、今後8年かけて金塊の一部を本国に引き揚げることを正式に決めた。 (Germany calls home 674 tons of Gold in a high-security operation spread over 8 years

 ドイツがニューヨーク連銀に預けてある金塊を取り戻すことを発表したのと同じ日、米国のケーブルテレビHBO2は、NY連銀の地下金庫から金塊を盗み出す映画「ダイハード3」を放送した。この(偶然の)タイミングの一致に引っかけて、英エコノミスト誌は「映画は、犯人が盗んだ金塊をハドソン川に沈めて米経済を破壊しようとする左翼のふりをして、実際は金塊を持ってカナダに逃げる筋書きなのだが、金塊を川に沈めて世界経済を破壊できると考える左翼の考えが馬鹿げているのと同様、金塊を自国に取り戻すことに意味があると考えるドイツも馬鹿だ」という趣旨の、同誌らしい論旨を展開している。 (Central bank Gold reserves

 軍産複合体系のエコノミスト誌は、左翼が強かった時代に、右からの小気味よい風刺を感じさせることもあったが、イラク戦争以降の近年は、米英中心体制の崩壊を意図的に見ないようにする傾向が強すぎる。同誌が、おそらく意図的に書かなかった重要な点は、独連銀が、仏中銀に預けた全量を引き出すのと対照的に、米連銀に預けた金塊の一部しか引き出さない(引き出せない)ことだ。 (Without asking a single question, The Economist is sure that Gold does nothing

 独連銀は仏中銀に300トンの金塊を預けており、これは全量がドイツに戻される。だが米連銀に預けてある約1500トンのうち、独連銀が引き出すのは300トンだけだ(英中銀からは以前に引き出している)。なぜ、米国からもっと多くを引き出せないのか。エコノミストと対照的に、米マスコミの中でも底流の覇権動向をさらりと描くことがあるCNBC(ブルームバーグ通信も同傾向)は、番組の中でキャスターがこの疑問にふれて「もしかして、返せる金塊が十分にないとか?」と何気なく言い「そんなことを言ったら、まるで陰謀論者ですよ」と相方から言われている。 (The Frightening Truth About Germany's PHYSICAL Gold Move Pours Out on CNBC

 ドイツが米連銀に預けた金塊に不安を持つのは、まさにこの「陰謀論」の点にある。長期的に、金地金の価格は、基軸通貨(現在はドル)の信頼性と反比例の関係にある。米連銀はこれまで、ドルを大量発行しても、ドルに対する信頼性の低下が顕在化するのを防ぐため、世界各国から預かっている金地金を民間に(無期限に)貸し出して金売りドル買いを扇動し、金地金相場を抑圧してきた疑いが濃い。米連銀など米国の上層部は、マスコミがこの件を報じないようにしつつ、この疑いに「陰謀論」「妄想」のレッテルを貼り、疑いが一般化するのを防ぎ、ドルへの信頼性を維持してきた。ドルが減価したら困るのは外貨準備としてドルや米国債を持つ各国政府なので、各国中銀は、米国に預けた金地金についての疑問を抱かないようにした。 (操作される金相場

 しかしドルと並ぶ基軸通貨をめざすEUの盟主であるドイツは、リーマンショック以来拡大する一方の米連銀のドル増刷(量的緩和、QE)に懸念をつのらせ、ついに、言ってはならない「王様は裸だ」という叫びに似た「金塊を返せ」という表明を発した。ドイツが実質的に懸念を持つのは、米連銀に預けた分だけであり、仏中銀に預けた分は、そのまま存在しているだろう。フランスからの引き出しは、懸念の対称が米国だけでないという形を作るための、独側の政治的配慮にすぎない。米連銀は、独連銀が保有する1500トンのうち、300トンしか返せる状況にないと懸念するのが自然な正論である。

 米英覇権の揺らぎが増すとともに、これまで陰謀論、ヨタ話とみなされてきたてきた見方が正論になる一方で、これまで正論とされてきた「米連銀が預かっている金塊を持っていないなんて、あり得ない妄想だ」「米国の覇権が崩れるはずがない」といった見方が、戦略的失敗につながりかねない害悪を含んだヨタ話になっている。正論と陰謀論の交代、価値の逆転が起きている。 (操作される金相場(2)

▼ドルの信用と反比例する金の価値

 第二次大戦後、各国の中央銀行が刷る通貨は、米連銀が刷るドルと固定為替の関係にあり、各国中銀が米連銀主導の戦略に従う中銀ネットワークが、米覇権体制の大黒柱であるブレトンウッズ体制の主要部として顕在的に機能してきた。1971年のニクソンショック(金ドル交換停止)で、金地金とドル、ドルと各国通貨間の固定為替が崩れた後、建前は変動相場制になったが、実際はむしろ米連銀主導(もしくは支配)の中銀ネットワークが、潜在化して談合体制として維持・強化された。市場への協調介入や、最近では米連銀のドル増刷に連動して日銀が円を増刷するなど、ドル基軸制は、米連銀が主導・支配する中銀ネットワークで維持されている。 (米国債デフォルトの可能性) (「ブレトンウッズ2」の新世界秩序

 独連銀が米連銀から金地金を引き揚げることは、ユーロを主導するドイツが、この中銀ネットワーク(米国支配、米国覇権)の体制から離脱することを意味する。ドイツが、米連銀に預けた金塊の一部しか取り戻せないのを見て、日本のような(米覇権の行き詰まった状況を見たがらない)極端な対米従属の国をのぞき、他の諸国も米国に預けた金地金を引き出そうとする「金塊の取り付け騒ぎ」が起きかねない。少なくとも、ドイツの行動によって、米連銀と中銀ネットワークに対する信用が揺らぎ出している。 (What is Germany scared of? Bundesbank to retrieve $200bn of Gold reserves from central banks in Paris and New York

 歴史を見ると、1971年に米国がニクソンショックの金ドル交換停止に追い込まれる前の過程でも、米連銀は50年代からドルの過剰発行を拡大していた。当時は金1オンス=35ドルの固定相場制で、米政府の金の保有量を増やさずに、米連銀がドルを野放図に増刷し続けたので、ドルの保有者がすべてのドルを金地金に両替しようとしたら、金が大幅に不足する状態になった。市場原理に従うなら、金が高騰(ドルが大幅下落)するはずだが、それを許すと米国の覇権が崩れてしまう。米国や他の西側諸国は政治的に、米国主導の冷戦体制を崩せないため、金不足(ドル過剰発行)の状況を無視して、固定相場制が続けられた。 (ドルは歴史的役目を終える?

 しかしその裏で、欧州諸国の民間や政府筋は、いずれ金高騰(ドル急落)や金ドル交換停止の事態になると予測し、手持ちのドルを金に両替し続けた(この時にドイツ政府はNY連銀保管の金地金を急増させた)。米国覇権の黒幕だった英国は、金ドル本位制を守ろうと、1961年に米欧で民間の金相場に協調介入して金高騰(ドル下落)を防ぐための「ロンドン金プール」の体制を作ったが、その効果も長続きしなかった。60年代後半、フランスのドゴール政権が、冷戦体制に固執する米英を見限り、NATOを脱退すると同時に、手持ちのドルを金に大量両替してドルを揺さぶり、米国の覇権を壊そうとする作戦を行った。米国は行き詰まり、71年にニクソンが金ドル交換停止(ニクソンショック)に踏み切り、金ドル本位制は終わった。 (ニクソンショックから40年のドル興亡

(だがその後、ソ連が衰退する一方で米国の覇権が続き、ドルが金の価値と関係なく基軸通貨である状態が続き、80年代後半からは、紙切れなのに信用性を失わないドルのシステムが民間債券にも適用されて債券金融システムの大膨張が始まった。それが2008年のリーマンショックで崩壊し始めるまで、米英は金融覇権で世界を支配してきた) (世界の運命を握る「影の銀行システム」

 このような歴史を見ると、ドルの基軸通貨性と金地金の価値が、重要な関係にあることがわかる。金地金を軽視して株や債券を重視する今風の投資家の姿勢が、米国主導の体制を維持するために人々が吹き込まれたものであることも感じられる。リーマンショック後の今、再び米国の覇権が崩壊に瀕している。米連銀はドル増刷(QE)を恒久化し、米議会も「財政の崖」や財政赤字上限引き上げ論争を続けるなど、米国自らが、ドルや金融財政の信用失墜につながる愚行を続けている。しかし米日などのマスコミで、それが愚行として報じられることは少ない。愚行を愚行と報じてしまうと、王様が裸であることが暴露されるように、ドルや米覇権が崩壊に瀕していることが公然化され、崩壊が早まるからだ。 (ドル過剰発行の加速

 しかし世の中には、米覇権が崩壊してもかまわないとか、その方が良いと考えている国も、イラク侵攻やリーマンショックなど米国の失策が目立つ中で、しだいに増えている。その一つが、ドイツが主導するEUである。EU(独仏)は、米国の覇権喪失過程を横目で見ながら、ユーロ危機への対策を口実にEU政治統合を加速し、EUを、米英覇権から自立したユーラシア西部の地域覇権勢力へと成長させようとしている。それを考えると、ドイツが今回、米覇権の主要部分である中銀ネットワークからの離脱を意味する金地金の引き出しを敢行する意味が見えてくる。 (EU統合と分離独立、ノーベル平和賞の関係

 ドイツは、EU統合がかなり進んできたので、米覇権が崩れても良いと考え始めているのだろう。これは1960年代後半、ドゴールのフランスが、米覇権に見切りをつけ、ドル売り金買いやNATO脱退を敢行し、ニクソンショックや冷戦終結、EU統合へと進むその後の世界の流れの形成に寄与したのと似ている。50年前にフランスが金地金で米覇権を揺さぶったように、今またドイツが金地金で米覇権を揺さぶっている。ドイツは米覇権を見限ることで、中露の側に転じたのだとする見方もある。中露を、米単独覇権を嫌がり多極型世界を是認する勢力と考えれば、EU(独仏)は、中露の側である。 (Gold Breakout In Process, Thanks To Germany

 ドイツの金引き揚げと、EUの政治統合(極としての自立)を機に、世界の基軸通貨体制は、これまでのドル単独から、ドル、ユーロ、金地金の3極体制に転換していくという予測も出ている。英国の新聞が「新たな金本位制の誕生」という記事で、それを指摘している。昨年、中国など世界各国の中央銀行は、年間で史上最大となる536トンの金地金を購入した。いまだに「金より株や債券だ」と思っている人は時代遅れだ。 (A new Gold Standard is being born

▼デフォルトの危機続く米国

 米政府は、昨年大晦日に財政赤字が法定上限に達して米国債の新規発行ができなくなり、正月以降、埋蔵金を取り崩して使っている。これが3月まで持つという話だったが、2月は例年、米政府の税収が不安定で、もしかすると2月中旬に国庫が空になる事態になりかねないと、米財務省が脅し混じりに言っている。 (Geithner to Congressional leaders: US could default by mid-February) (US debt talks complicated by timing

 米議会下院の多数派である共和党は、3カ月分の歳入に相当する額の財政赤字上限の引き上げに応じることを決めた。だがオバマ政権は、3カ月や半年といった短期の引き上げでつないでいくのは、議会から脅され続けることになるので嫌だ、それならデフォルト(米国債の債務不履行)の方がましだと拒否している。米財務省は、国庫が空になっても国債利払いを優先しないと言っている。共和党の財政タカ派も、デフォルトをいとわず徹底議論すべきと主張している。一昨年に赤字上限問題が議論された時のように、今回も、土壇場で決定を延期して終わるのかもしれないが、問題が解決されそうもないことは確かだ。 (DeMint Urges Face-Off Over Debt Ceiling) (Treasury thinking the unthinkable about the debt ceiling) (アメリカは破産する?

 ドイツがEU統合を加速し、金地金引き上げでドルに揺さぶりをかけている今、英国は、EUからの離脱を検討している。ユーロ危機対策を口実としたどさくさ紛れのEU統合の加速で、金融監督権、国債発行権、司法権、外交軍事政策立案権など、英国を含むEU加盟諸国の国権の主要な部分が、次々とEUに吸収剥奪されている。国債危機のスペインやイタリア、小国が多い東欧諸国など、多くのEU加盟国が、自分たちの立場の弱さから、EU統合の加速を肯定している。欧州大陸諸国を外から操ってきた英国だけが、EU統合加速に不満をつのらせ、これ以上ついていけない、英国だけ例外扱いしてもらう交渉が許されないなら離脱しかないと考える状況になっている。 (Stay at heart of Europe, US tells Britain) (Britain to drift out of European Union without reforms: PM

 英国のキャメロン首相は、EUとの再交渉できないなら、EUに居残るべきかどうか国民投票にかけるという方針を決定し、それを演説で発表しようとした。だがその直前、米国オバマ政権は、英国がEUを離脱するなら米英同盟が解消に向かわざるを得ないとする反対論を出してきた。英国がEU内にいて、EUが反米勢力にならないように手綱をつけておくことこそが、米英同盟の存在意義であり、英国がEUを離脱するなら米英同盟の意味がないという主張だ。キャメロンは、アルジェリア人質事件への対応を優先するとの口実で、土壇場で演説を延期した。 (Obama Again Warns Cameron Against EU Exit) (UK2 should welcome timely words from US

 英国はEU統合を嫌うが、米国はEUが統合して覇権の一翼を担ってくれることを望み、英国がEU内にいてEUの親米性を維持することを求める。これは昔からの状態だ。英国は、1960年代に米覇権が一時衰退したときにEU(当時はEC)への参加を決め、80年代に英米同盟強化を目論むサッチャーがEC離脱を検討したが、米国から「英国がECにいてこその米英同盟だ」と諭され、英国は結局そのままEUに参加し続けた。英国は、EUに居続けると国権を剥奪され、EUを離脱すると米国から同盟を切られるというジレンマにある。このジレンマと、今後実現する可能性が高いスコットランド分離独立、国富の源泉だったロンドン金融界の縮小が重なり、英国は大きな窮地にある。英国はカナダなど旧英連邦との関係再強化も模索したが、その後進んでいない。 (US fears ally's drift into Europe isolation) (EUに対抗して超国家化を狙う英国

 世界は、米国の単独覇権を崩して世界を多極化に向かわせるドイツ(EU)や中露、BRICS、イスラム世界など発展途上諸国と、米国の覇権にしがみつこうとする英国、日本、イスラエル、カナダなどに、二分されている。前者はしだいに強くなる勝ち組で、後者はしだいに弱くなって国策の転換を迫られる負け組になっている。ドイツの金地金引き揚げや、英国の窮状は、その流れの象徴だ。米国自身、しがみつこうとする英国やイスラエルを疎んじ、米政界が財政議論で延々と内紛するなど、多極化の加速を容認している。 (世界を二分する通貨戦争) (◆2期目のオバマは中国に接近しそう

 日本は、安倍政権が米連銀の自滅的なドル増刷を真似て日銀に円増刷をやらせ、対米従属維持のため尖閣問題で中国との対立を煽り、自ら進んで負け組に参加している。日本とドイツは60年前に一緒に戦って大敗北したが、今回はドイツが勝ち組に、日本は負け組に入っている。国際社会で勝ち組と負け組がはっきりして、負け組の敗北性が強まっている今の時期に、わざわざ負け組に入る傾向を強めているのが、日本のすばらしい(大馬鹿な)ところだ。これは昨年末の総選挙で国民が民意で決めたことだから、日本人は自己責任を貫き、今後大貧民になっても文句を言ってはならない。清貧な生活を楽しむべきである。 (きたるべき「新世界秩序」と日本



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