EUに対抗して超国家化を狙う英国2012年10月2日 田中 宇9月24日、英国とカナダが、大使館を共用していく協定を結んだ。英加は、どちらか一方しか大使館を置いていない国々で、大使館を共用するようにしていく。手始めに、英国だけが大使館を置いているミャンマーの英大使館にカナダの外交団が入り、カナダだけが大使館を置くカリブ海のハイチのカナダ大使館に英外交団が入る。英国の外相がカナダを訪問し、協定に調印した。 (Baird says Canada-U.K. embassy sharing agreement will be 'administrative') 英加が大使館を共用しても、大したコスト削減にならない。共用化は実務的な意味よりも、政治的・歴史的な意味が大きい。単なる拠点の共有を超え、カナダが外交面で英国の傘下に入る(戻る)ことを意味する。英国が北米大陸に作った植民地のうち、南側は18世紀末に米国として独立したが、その後もカナダは英国領として残った。20世紀前半の第一次大戦後、すべて植民地を独立させる方針が米国主導で国際決定したため、カナダは半ば形式的に英国から独立したが、独立後も諜報や安全保障など外交の主要分野で英国式を踏襲した。カナダの国家元首は、独立後も現在まで英国女王(国王)であり、その下に英女王の代理人としてのカナダ総督がいる。これらの制度はふだん、形式的なものと考えられているが、今回のように英国がカナダを再び傘下に入れようとする時には重要だ。 (Canada and Britain embassy-sharing pact called 'nickel and dime' diplomacy) 英国の、世界に広がった影響圏(英圏、Anglosphere)に対する支配のやり方は巧妙だ。植民地、自治領など、重要性に応じて影響圏内の各地域にいくつもの格を設け、それらの違いを意図的にあいまいにしてきた。英国と影響圏との関係性の決定は、各地域の指導層との間で非公式に行われ、英国と各地域の地元エリートとの人脈を使って、英国の世界支配が行われた。誰がエリートかということ自体が非公式だが、エリート層に支配されているという実感は国民全員が持っている。各地域に自治や独立を許しても、外交や安保といった国家主権の最重要分野では、引き続き、英国と各地域とのエリートどうしの人脈を経由して、英国が誘導・忠告・警告などを行い、各地域の政府の戦略に隠然と影響力を行使している。 (The growing cabal of English-speaking nations) 独立後のカナダは、南隣の米国の影響を受け、英国よりもリベラルな傾向が強まったが、それでも国政を担うエリートは保守層を中心に英国との結びつきが強かった。英国は第二次大戦後、単独覇権国となった米国の世界戦略を、英国好みのかたち(ユーラシア包囲網、中露敵視)に転換させるため、米国の軍事産業やマスコミに働きかけて、ソ連を極度に敵視する冷戦体制を構築し、米国を、米英同盟とその拡大版であるNATOを最重視する世界戦略にはめ込んだ。戦後、米国を牛耳ることが英国の戦略になったため、英国の影響圏であるカナダの国家戦略も、対米従属でかまわないことになった。 しかし今、911以来の過激なテロ戦争、イラクとアフガニスタンの軍事占領の失敗、リーマンショック後の金融システムの崩壊と自滅的な財政赤字の拡大、ドルの過剰発行などにより、米国は力を浪費し、覇権を喪失しかかっている。同時に米国はこの10年ほど、ブッシュもオバマも英国との同盟関係を軽視し続け、単独覇権主義という名の孤立主義の傾向を強めている。英政府は、もはや米英同盟を通じて世界を隠然と支配し続けることができないと考えているようだ。 加えて、EUがユーロ危機にかこつけて政治統合を急速に進めている。EUは9月中旬、参加各国の外交権限をEUに集中させ、すでに設立されているEU外務省(European External Action Service)を大幅に強化すると決めた。EU各国の国境警備隊を統合する策も開始する。外交と安保、軍事は一体の分野との認識から、EU外務省は安保や軍事についてEUを代表する権限も持ち、実働部隊としてのEU統合軍の設立も準備されている。 (A European diplomatic service in quest of a foreign policy) 加えてEUは、これまで加盟各国の政府要人どうしの談合だけで決めていたEU大統領の選出方法を、加盟各国の有権者による直接投票に変えることも決めた。直接選挙による民意の裏付けによって、EU大統領は強い政治正統性と権威を持つ。ナポレオン以来200年ぶりに、強権を持つ全欧州の統一指導者が誕生する。EUは、各国のエリートが談合して勝手に作っている不正組織から、民意に裏付けられた政治的に正当な超国家組織へと変身する。 EUは、ユーロ危機対策の名目で、財政や金融行政の統合も決めており、危機の裏側で、超国家組織になる準備を着々と進めている。ユーロ危機がスペインで再燃するとの予測が報じられているが、実のところ、ユーロ危機対策の主導役であるドイツは「ユーロ危機によるEUの崩壊を防ぐには、急いで一気にEU統合を進めるしかない」という論法で、国家主権の放棄に抵抗する加盟各国を説得する目的で、あえてユーロ危機再燃の予測報道を否定せず、危機を扇動している観がある。ユーロ危機の再燃を予測する記事も、よく読むと、すでに救済策が確立したため、EUの大手銀行の破綻や、ユーロ圏諸国の政府の財政破綻の可能性は低いと書いてあり、次の危機はユーロ圏内の南北格差から起きるというあいまいな指摘でしかない。 (Stage Three for the Euro Crisis?) 英国にとって危機的なのは、EUが重要事項の決定方法を、これまでの加盟諸国の全会一致から、多数決方式へと変更すると決めたことだ。これまで英国は、全会一致の原則を盾に、EUの外交や軍事、金融規制の統合に反対したり、内容を骨抜きにしたりしてきた。しかし統合を推進したいドイツが、英国の拒否権発動がユーロ危機対策の実行を妨害しているとの論調でEUの他の有力加盟諸国を説得し、全会一致を多数決に変える「英国はずし」に成功した。これによりEU政治統合が一気に進むことになった。 (EU heavyweights call for radical foreign and defence policy overhaul) 英国は、EUに統合されてしまうわけにいかない。EU統合は、欧州がドイツの影響圏になることを意味する(ドイツが欧州を一方的に支配するのでなく、独仏伊西蘭など欧州の主要勢力が合議制の超国家組織EUを作り、ドイツの国権もEUに移譲することで、ドイツが欧州の独裁支配を試みた戦前の構図になることを防いでいる)。産業革命以来の250年、英国にとってドイツは、欧州支配をめぐるライバルだ。ドイツ主導のEU統合に英国が参加することは、英国の国家的な敗北になる。英国はこれまで、EU統合を妨害・攪乱・遅延するためにEUに加盟していた。EUの政治統合が加速し、このままだと英国の国家権力もEUに奪われる流れが確定した以上、英国がEUに加盟し続けるのは難しい。英国では最近、EU脱退は必至だとか、国民投票をしてEU加盟を続けるかどうか決めるべきだといった論調が出ている。 (It starts: first Asian bank mulls British exit from the EU) 戦後の英国の世界戦略は、米英同盟を通じて米国の覇権戦略を牛耳り、冷戦構造を煽って欧州を東西に分裂させ、NATOによって西欧を米英の傘下に入れることで成立していた。だが今、米国は覇権を自滅させつつ孤立主義に傾き、欧州はEU統合で東欧まで入れて超国家的な国際勢力として台頭しようとしている。EU統合軍ができたらNATOは有名無実化する。ロシアは中国と組み、インドやブラジル、南アフリカといった地域大国も入れて、BRICSとして、ゆるやかな新世界秩序を形成し始めている。英国は、米国との同盟関係を弱められた上、EUから離脱せざるをえなくなる流れも強まっている。英国は急速に孤立している。 (EU2 proposals for a European Army would destroy Nato and threaten the transatlantic alliance) この窮地を脱するため、英国が開始したのが、カナダとの大使館共用に象徴される、旧英連邦(英圏)の再生である。英政府はカナダだけでなく、オーストラリアやニュージーランドなど英連邦の他の諸国とも、大使館の共用をやっていきたい方針と報じられている。英国は、シンガポールやインドなど、先進諸国以外の旧英連邦の国々にも秋波を送っている。EUは、世界各地にEU代表部(大使館)を作りつつ外交を統合し、EUの加盟各国の大使館の機能と権限を、しだいにEU代表部に移そうとしている。英国はこれに対抗し、英連邦各国の大使館を、英国の大使館に統合していくことを画策している。 (UK and Canada to share embassies) 英連邦(英圏)は、英国が、植民地や旧植民地のエリート層を非公式なネットワークとして保持して影響力を行使し、一体的な影響圏を形成する世界戦略だ。非公式な大英帝国ともいえる。英国は第一次大戦前、公式な大英帝国を非公式化・隠然化した方が帝国の戦略を大衆に気づかれない上、安上がりで効率的であると気づき、大英帝国を英連邦へと再編(非公式化)した。英連邦は、第二次大戦後に英国が冷戦構造を作って米国の覇権戦略を牛耳るようになるまで、英国の世界戦略の主軸だった。第二次大戦末期に決まった国連安保理の常任理事国に、日本の半植民地だった中国が入り、英国の植民地だったインドが入らなかったのは、インドが英連邦の国で、国連での英連邦各国の主張は英国が代弁すると、英国が主張したためだった。 冷戦開始によって、英連邦の戦略は、英国が米国の外交を牛耳る冷戦の戦略に取って代わられたが、ベトナム敗戦や財政難(金ドル交換停止)によって米国の覇権がゆらいだ1970年代以降、英国は一つ前のバージョンの世界戦略を再利用する必要に駆られ、再び英連邦の戦略が語られるようになった。だがその後、80年代後半から米英の金融自由化が進み、米英が冷戦構造を捨てて金融覇権体制へと脱皮したため、英連邦が語られる頻度は再び下がった。そしてここ数年、米国の軍事経済両面の失敗で、米国の覇権が再び揺らぎ出し、EU統合と世界の多極化が進む中、前のバージョンの戦略が再度必要になり、棚上げされていた英連邦の話が再燃している。 (激化する金融世界大戦) 英国の政府やマスコミは、英連邦諸国は母語が英語で共通だし、エリート層の人種が皆アングロサクソンで、文化や法律体系、政治制度も英国型で似ているので、英連邦(英圏)の再団結は自然な流れだという論調だが、この論調は、上記のような英国の戦略の歴史を(わざと)無視している。戦略を非公式に進めるのが英国の戦略なので、戦略の歴史が無視されるのは当然だ。また、英圏に入る国々を列挙する際、米国の名があがることが多いが、実際のところ、米国は英圏に入らない。米国が18世紀に独立した理由は、英圏から離脱するためだった。戦後、米国は米英同盟の戦略に絡め取られたが、これは本来の米国の姿でない。英国系の言論人が、英圏の中に米国を含めるのは「うまくいけば再び米英同盟の戦略に戻りたい」という思惑を含んでいる。 (The British Commonwealth will rise again) このように、英国とカナダが大使館を共用する協約は、英国が英連邦の復活を模索し、これまでカナダ自身が外交政策を決めていた体制から、英国が非公式にカナダの外交政策を決める体制に戻ることを意味している。カナダの与党である保守党は、独立後も英国とつながっているカナダの保守層であり、自国を英国の傘下に戻すことを以前から支持していた。 (Baird says Canada-U.K. embassy sharing agreement will be 'administrative') カナダのハーパー政権は、英国との大使館共用策を決めると同時に、カナダの外務省と各国駐在の大使館の入り口に、英国女王の写真を掲げることを徹底すると決めた。同時にカナダ政府は、正式名称として「英女王(国王)のもの」という意味の「ロイヤル」が冠されていたが、これまで略して語られる時が多かったカナダ海軍(Royal Canadian Navy)と空軍(Royal Canadian Air Force)について、正式名称で呼ぶことを徹底すると決めた。日本の戦後の官僚機構や保守層が根強く対米従属であるのと同様、カナダの保守層も根強く対英従属だ(日本の対米従属も、軍産複合体への従属なので、実は対英従属と同じだ)。 (The growing cabal of English-speaking nations) カナダ政界では野党第一党の新民主党など左派・リベラル系も強く、彼らは英国との大使館の共用策を「外交権を再び英国に奪われることであり、カナダの独立を否定するもの」として強く批判している。大使館の主要任務の一つに現地国での諜報活動がある。諜報は外交政策の決定に大きな影響を及ぼしている。カナダの諜報機関(CSIS)は英国の諜報機関(MI6)から分離して作られたもので「まず味方をだませ」が孫子以来の戦略である諜報界では、国家の垣根が低く、CSISはMI6の子分である。カナダが英国と大使館を共用すると、カナダ側の意志決定や集めた情報が、親分である英国側に筒抜けになり、英国がカナダの戦略を操作誘導することが簡単になる。野党はこの点を突き、英国との大使館共用はカナダの外交を英国の傘下に引き戻すと批判している。 (Dewar questions our role in joint U.K.-Canada diplomatic missions) カナダでは、保守層が英連邦の一部(英国の植民地)であり続けることを模索してきた半面、左派リベラル層は英国からの独立を強めることを目指してきた。70年代に米国の覇権が弱まり、英連邦復活の話が出てくると、左派は対抗してケベック州の存在を重視する政治運動を強めた。カナダの中でもケベック州だけはフランスの植民地だった歴史があり、左派は、保守層が押す再英国化を阻止するため、カナダは英国系とフランス系、先住民が同居する多様な国であり、英国系はその一部にすぎないというリベラル政治運動を強めた。この運動の結果、カナダでは英語とフランス語の二重公用語化が徹底された(ケベックはフランス語だけしか公用語にしておらず、運動の目的がリベラル体制の徹底でなく再英国化の阻止であることが透けて見える)。 今回、カナダの保守党政権が、英国との大使館共用策が象徴する再英国化を強く押し進めているのと同期して、ケベックでは選挙の結果カナダからの分離独立を押し進めるケベック党が躍進して第一党となり、カナダが英国系のオンタリオ以西などと、フランス系のケベックに分裂していく傾向が強まっている。 ('Quebec separatist party to win votes') カナダの保守層は全体として再英国化を歓迎しているが、保守層以外、もしくは保守層の中にも、自国の国権が他国に奪われることに抵抗感がある。カナダ政府は「大使館の共用は実務の話であり、国権うんぬんは全く関係ない」と釈明しているが、その言葉をそのまま信じる人は少ない。今は保守党政権が再英国化を強硬に押しているが、今後のカナダ政局の動きいかんでは、選挙を経て政権交代となり、再英国化が阻止されていくかもしれない。 オーストラリアではカナダと逆に、左派の労働党が与党で、保守系の自由党が野党だ。英国がカナダや豪州に大使館の共用化を提案したのに対し、労働党のギラード政権は提案に応じていない半面、自由党のアボット党首は大使館の共有化や再英国化に乗り気だ。豪州もカナダ同様、法律上の国家元首は英女王で、その下に女王の代理としてオーストラリア総督がいる制度だ。だが伝統的に、豪州はカナダよりも英国から政治的に距離を置こうとしてきた。カナダの再英国化がすんなりいかないなら、豪州の再英国化は困難だ。豪州よりさらにリベラルな傾向が強いニュージーランドは、英国化がもっと難しい。米国金融界の崩壊の影響で、英国経済の大黒柱である金融界が破綻しかけている。英国の国力は急速に落ちている。そのため全体として、今回の英国の英連邦の再強化は成功しない可能性が高い。 (Abbott fixated with 'Anglosphere' - Carr) 以前の記事に書いたが、豪州の上層部は最近、米国の覇権失墜を見据えて、自国の国際戦略におけるアジア重視、中国重視を強める傾向の白書を作成した。米国は、覇権が低下しているくせに中国包囲網にこだわるので、豪州から愛想をつかされている。豪州は鉄鉱石や穀物などを中国や他のアジア諸国に輸出して経済を回している。中国重視、アジア重視は当然だ。もし今後、豪州が英国との結びつきを再強化するとしたら、その条件は、英国が中国と協調することであろう。 英国の伝統的な世界戦略は、自分たち海洋勢力(シーパワー)が、ユーラシア内部の陸上勢力(ランドパワー、要するに中露)を包囲する「地政学」のスタイルであり、英国が今後、戦略的に中国と協調するなら、地政学を離脱する大転換が必要だ。英国は今のところ、実利的に中国に譲歩することがあっても、中国と本格的に協調する姿勢は見えない。また、英国は伝統的・地政学的にロシアを敵視しているが、ロシアと中国は協調を強めている。英国が中国と協調するには、ロシア敵視もやめて、地政学の戦略をすべて放棄せねばならない。英国が今後どんな世界戦略を出してくるか、観察が必要だ。 日本は、英連邦の再生戦略と関係できるだろうか。歴史を見ると1902年の日英同盟が、当時余力がなくなりつつあった英国が、ロシア包囲網の一環として日本をテコ入れした策である。米国の覇権崩壊で対米従属ができなくなる今後、日本の国際戦略として、英国に接近して英連邦の非公式な加盟国になるという「日英再同盟」の道があり得る。しかしこの道は実現しそうもない。 日本は、米国の覇権が崩壊したら、自然と中国主導の東アジア圏に引っ張られ、アジア圏に組み込まれていく。日本が英国との再同盟を必要とする理由は、中国主導のアジア圏に組み込まれ、中国の下位に立たされるのがいやだからだ(だから今、日本は尖閣で突っ張っている)。しかしすでに述べたように、英連邦が再生するとしたら、中国を敵視・包囲する地政学的伝統に立脚するものでなく、中国と協調する新型のものになる。新生英連邦が中国と協調するなら、日本としてはそれに入れないし、入れてもらえないだろう。日本も英国に負けず、国際戦略的にかなり行き詰まっている。
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