きたるべき「新世界秩序」と日本2012年12月16日 田中 宇世界に約11億人の信者を持つカトリック教会の総本山バチカンの最高指導者であるローマ教皇(ベネディクト16世)が、12月3日の聖職者会議の説教(演説)で、世界の平和と正義を守り、貧富格差を減らすため「国際社会を運営する当局」を新設する(construction of a world community, with a corresponding authority)ことを提唱した。これまで国際社会の運営は超大国である米国の主導で行われてきたが、教皇は「私が提案する国際社会当局は、権力を握る少数の者たちが貧困層を搾取する超大国のことでない」と述べている。 (Vatican calls for world government and a New World Order) バチカンは冷戦後、何度か、国際社会が超国家的な当局、いわば「世界政府」を持つべきだと提唱してきた。国連の事務局を強化して世界政府的な機能を持たせるべきだと提案したこともある。ローマ教皇は2009年7月、リーマンショックで世界経済が危機になり、米金融界や大手投資家たちの強欲さが問題になった際「(投資家の利益でなく)公共の利益を代弁できる、真の世界的な政治権力を設立すべきだ」と述べている。 (Pope Urges Forming New World Economic Order to Work for the `Common Good') (Pope calls for a new world order) リーマンショック後、世界経済の運営ができる、米国の単独覇権でない世界体制として構築されたのはG20だった。G20は、米欧(G7)と、中露などBRICS、その他の新興諸国が対等な立場で世界経済に関する意志決定を行う場だ。国連傘下のIMFは、世界経済の最高意志決定機関としてG20がG7に取って代わった直後から、G20の事務局として機能している。G20は国連総会(大国主導の安保理でなく、途上諸国主導の総会)と親和性が強い。 (G20は世界政府になる) リーマン後、米国は巨大なバブルと化した金融システムを軟着陸的に縮小して安定させることが困難になっている。米連銀が、ドルを過剰発行して金融界の不良債権を買い支える量的緩和策(QE)を拡大し続けないと、米国債をはじめとする債券市場のバブルが崩壊し、金利高騰とインフレ激化、ドルの基軸性の喪失が起きる。先日、連銀がQEの拡大(毎月450億ドルの債券買い取りを来年まで延長する)を決定した直後、これまで極論として退けられてきた「ドルの過剰発行によるインフレ」を、金融界の主流派の人々までが懸念し始めている。 (All pumped up over US inflation threat) (U.S. Treasurys Confronted With Risk of a Hesitant Fed) JPモルガンによると、連銀は現在、米国で新規発行される、国債を含むすべての債券の90%を買い取っている。連銀以外の投資家は、ほとんど債券を買っていないことになる。連銀がQEをやめたら、米国債を含む債券の売れ行きが急に悪くなり、債券バブルの崩壊が起きることがわかってきた。それがわかっている今の時点で、すでに債券バブルの崩壊が始まっているともいえる。あとはいつ実際の崩壊が起きるかという話だ。 (Treasury Scarcity to Grow as Fed Buys 90% of New Bonds) (◆ドル過剰発行の加速) 米国で債券バブルの崩壊が起きそうだという話は今年の夏からあり、債券急落に賭けた投資家も多かったが、結局今のところ米国債からジャンク債まで堅調が続き、債券下落に賭けた人々は大損している。「債券を売っても、代わりに投資する先がないので崩壊しない」という見方もある。だが同時に言えるのは、新規債券の9割を連銀がドルを増刷して買っている現状は、どう考えても危険であり「バブル崩壊直前」と考えるのが自然ということだ。 (When Will the Bond Bubble Burst?) (根強い金融危機間近の予測) 金融機関が簿外勘定を作って不良債権を隠すことが以前、日本で「飛ばし」として問題になったが、連銀のQEは巨大な「飛ばし」である。連銀は過去にも金融機関の不良債権を買い取って保管し、何年か経って金融相場が再上昇し、隠した債権が不良でなく優良になったら、それを売って儲けてきた。しかし今回は、リーマン危機の前に発行した債券だけでなく、危機後に米金融界が発行した債券もほとんど連銀が買い取っており、金融界が無限に発行する「紙切れ」のすべてに、連銀が巨額の価値を無制限に与える構図になっている。現状は、バブルが沈静化して相場が戻るのを待つ状況でなく、バブルを拡大させている状況が延々と続いている。いずれ、債券バブルの再崩壊が確実に起きる。 (QE Infinity: What Is It Really About?) ドルと米国債は、世界経済の根幹をなす存在だ。ドルと米国債の崩壊は、世界経済全体の崩壊だ。米国では、連銀がドルの過剰発行を加速し、議会と大統領府が財政緊縮で対立したまま来年初めに増税と歳出削減による「財政の崖」が起こりそうで、格付け機関が米国債を格下げしそうな事態になっている。米国は、ドルと米国債の崩壊がいつ起きても不思議でない状態から脱却できない。世界経済の主導役を米国に任せておくことは非常に危険な事態になっている。 (世界の運命を握る「影の銀行システム」) 米国に経済面の覇権を任せると危険だというのは、リーマン危機の時からわかっていた。だから米国中心のG7の代わりに、多極型の意志決定機関であるG20が世界経済の運営をすることになり、ローマ教皇が単独覇権でないかたちの新世界秩序が必要だと、繰り返し表明する事態になっている。とはいえG20がG7に取って代わっても、米国が積み上げた裏表合計で40兆ドル以上の金融バブルを軟着陸的に縮小する手段を持っていない。バブルをふくらませる操縦桿は米国の連銀と金融界が握ったままだ。米金融界は、いずれ債券バブルが崩壊して世界経済を壊滅させると知りつつ、お手盛りの今四半期の儲けを優先し、バブルを拡大させている。 (世界の運命を握る「影の銀行システム」) G20ができるのは、米国発の金融バブルの再崩壊を防ぐことでなく、金融バブル崩壊をできるだけ他の世界経済に波及しないようにすることと、崩壊後の世界経済のシステムを準備しておくことぐらいだ。この2つの面において、中国が大きな役割を果たしている。 中国は、政権が習近平に代わるとともに、これまでの輸出主導の経済を内需主導に転換する方向を打ち出し、中国の13億人の消費市場をしだいに世界に開放し、中国の消費力で世界経済が成長する新世界秩序を作ろうとしている。中国だけでなく、インドやブラジルといった他のBRICS諸国も、貧しい人口が多いので、彼らが中産階級になっていく際の巨大な消費力によって、同様の役割を果たせる。同時に中国は人民元の国際化を進めており、BRICS全体として、ドルでなく相互の自国通貨を使って貿易決済する体制を準備している。 (Xi stokes economic reform hopes in China) 中国の内需拡大戦略は、もともと中国の経済改革の生みの親であるトウ小平が起案したが、その後の中国は輸出によって成長する方が手っ取り早いのでそちらを優先し、国内市場を二の次にしてきた。今後、中国が内需拡大を試みても、うまくいくとは限らないが、世界的にみて、米日欧など先進国市場がもう伸びないのは明らかで、世界経済は、中国など新興市場諸国の内需拡大しか頼るものがない。 (◆江沢民最後の介入) 日本の内需は来年ますます落ち込むのが確実だ。米国は、大企業は未曾有の高収益だが、家計は未曾有の収入減だ。米国の平均的な家庭の年収は、物価水準を勘案すると、43年前と同額だ。米国はこの30年間で、最も豊かな1%の人々の資産合計額が70%増えた半面、年収1万ドル以下の貧しい世帯の比率が30%から37%に増え、貧富格差が拡大するばかりだ。 (Corporate Profits Hit Record High While Worker Wages Hit Record Low) (Study: American Households Hit 43-Year Low In Net Worth) 米国ではオバマの要請を受けてアップルが製造の一部を米国に戻すなど、製造業への回帰が喧伝されている。だが、米国が増やしている製造業の雇用は、賃金がとても安い。中国より安く、中国の下請けとしての機能だ。これまで米国の強みは、金融や技術開発、システム構築など、儲けの大きい高賃金の仕事において世界の中心として機能してきたことだ。中国の下請けの製造業を増やしても、それはむしろ米国を貧しくし、米国を世界の中心から遠ざけることにしかならない。 (The problem with the return of manufacturing) (12月14日、米国の小学校で乱射事件があり、オバマ政権はこれを機に銃規制を強めようとしているが、米国の銃規制強化は、国民に貧困層が増えて武装市民の反乱が起きる前に武器を取り上げてしまおうという意図がありそうだ。乱射事件は、銃規制強化の起爆剤として便利に使われている。だからオバマは、乱射を非難する演説で涙を見せる演技をしたのかもしれない。米政府はすでに、これまでテロに関連した容疑の米国民に対してしか行えなかった捜査状なしの盗聴や監視について、全国民に対して行えるよう制度を改定した) (Barack Obama signals he will push for gun control after Connecticut massacre) (Government Spying Out of Control) ローマ教皇が提唱する多極型の新世界秩序は、現実のものになりつつある。多極化への転換の前に、米国発の金融大崩壊が再来するだろう。それらがいつ起きるか不明だが、いずれ起きることがほぼ確実だ。崩壊後の米国は、覇権が大幅に減少する。欧州と中東から手を引くだろう。東アジアには日韓比など対米従属姿勢が強い国があるので、アジア太平洋での影響力は、ある程度残るかもしれない。だが米国の中国包囲網策は、口だけの傾向を強めるだろう。財政難の米国は軍備を増強できない。 (Fool's Errand: America's Pivot to Asia) (「新世界秩序」には、1990年代のパパブッシュ大統領なども言及しており、多くの人が、新世界秩序とは米国の単独覇権体制のことだと考えてきた。だがそもそもレーガン・ブッシュの政権が冷戦を終わらせたのは、米国が西欧などを傘下に入れて覇権を維持する構図だった冷戦体制を壊すものであり、冷戦終結は多極型世界の構築の第一歩だった。新世界秩序 New World Order の構想は、冷戦終結前後の当初から、多極型世界を目指す動きだったと考えられる)(多極化の本質を考える)(核の新世界秩序) 米国が敵視しようがしまいが、国際社会における中国の影響力は大きくなる。今後の世界経済は、中国の内需が牽引役になる。米国は資本家が動かす国だ。長期的に、米国は中国と敵対しない。今の米国が中国を敵視するのは、むしろ中国を早く台頭させ、早く世界を多極型に転換させたい隠れた戦略のせいとも考えられる。 (中国の台頭を誘発する包囲網) 多極型の新世界秩序が準備されている中で、対米従属・対中敵視を貫いている日本は、国際的にお門違いな存在になりつつある。お門違いな存在になることを知りつつ、それを恐れずわが道を行くのなら格好良い。支持できる。しかし今の日本は、世界の多極化、中国の台頭、米国の覇権崩壊が不可逆的なものであることに気づいていない。今は米国の調子が悪いがいずれ立ち直り、中国の方が崩壊すると信じ込んでいる人が多い。中国の台頭と米国の崩壊を予測する人を「反米主義」「中国の犬」と呼んで満足している。だが日本はいずれ「8月15日」的に転換して中国の台頭を容認するだろう。いつまでも自分の頭で分析せず、恥を恥とも思わず態度を変える。間抜けで、格好悪い。 (尖閣で中国と対立するのは愚策) 来年、そして長期的に、日本は経済的にもっとひどいことになるだろう。今後の10年ぐらいで、戦後の繁栄をすべて失っていくかもしれない。日本が挽回するには、中国中心の東アジア新秩序を否定せず、その中でアジア経済のダイナミズムに乗るようにして自国を発展させることだ。だが、尖閣で対中敵視を推進し、日銀に連銀との無理心中を強要する安倍政権が成立する夜に、そんなことを書いても絵空事にしかならない。 (円をドルと無理心中させる)
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