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改善しそうな日中関係

2007年4月12日   田中 宇

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 4月11日からの中国の温家宝首相の訪日で、日本と中国が以前に定めた互いの関係性を表す言葉「戦略的互恵関係」が、マスコミを賑わしている。中国嫌いのメディアは「日中関係は悪いままで、戦略的互恵関係など名ばかりだ」という論調だ。だが実は、戦略的互恵関係という言葉は、日本政府が考案し、中国側に提案して決めたもので、しかもこれまでの日本の対中政策と比較すると、中国側に対して前代未聞の前向きさや、関係強化への意思表明を含んでいる。日本のマスコミの中国嫌いの姿勢は、安倍政権の姿勢と大きく食い違っている。

「戦略的互恵関係」が使われたのは、昨年10月に安倍首相が訪中した際の日中共同声明に、今後の日中関係を表す言葉として盛り込まれたのが最初だ。この言葉は、訪中した安倍が中国側に提案したものである。この言葉のポイントは「戦略」という2文字が含まれている点にある。

 前回の記事にも書いたが、中国は1990年代から、世界の主要な諸大国との間に、相次いで「戦略的パートナーシップ関係」(戦略[イ火]伴関係)を締結した。日本に対しても1998年、胡錦涛主席が訪日した際に、戦略的パートナーシップ関係を結ぼうと提案した。しかし、日本は断った。

 中国側の分析によると、日本が断った大きな理由は、日本にとって諸外国との関係性で「戦略」という言葉を使うことができるのは、アメリカとの関係についてのみである、ということだった。人民日報(環球時報)は「日本語で戦略という言葉は軍事的なことを意味する。戦略という言葉を日中関係に使ってしまうと、アメリカから日中が(アメリカに対抗する)同盟を組むのではないかと疑われてしまう」とも書いている。中国側は、日本との政府間対話を「戦略対話」と呼びたかったが、同様の理由で、日本側は戦略という文字を使わない「総合政策対話」という名称を希望し、日本側の希望が通った。(関連記事

 このような経緯を考えると、安倍首相が、就任直後の訪中時に「戦略的互恵関係」という「戦略」を含んだ言葉を提案したことは、従来の日本側の姿勢を大きく転換するものだったことが分かる。安倍は「戦略」という言葉を提案したことによって、日中関係を、日米関係に劣らない重要な関係性にしたいと中国側に表明したことになる。

▼安倍を反中から親中に変えたアメリカ

 以前から日中関係を強化したいと表明し続けていた人物が首相になったのなら、就任早々訪中して「戦略関係を結びましょう」と中国に提案しても不思議ではない。しかし、安倍はそのような人物ではない。むしろ正反対である。小泉前政権の末期、小泉の後継者になりそうな数人の候補の中で、谷垣禎一や福田康夫らが「親中国派」「中道派」だったのに比べて、安倍は「反中国派」「右派」であった。安倍が首相になったら、靖国参拝が継続されるなど、中国との対立激化を辞さない一方、小泉政権よりさらに積極的にアメリカとの同盟関係の強化が模索されるだろうと考えられていた。

 ところが実際に起きたことは、予想とは正反対だった。安倍は就任3週間後、早々と敵のはずの中国を訪問して、親密になりたいという意味の「戦略的互恵関係」を提案し、さらにこのほど温家宝の訪日まで受けて、日中首相の相互訪問を実現させた。しかも安倍は、今年中にもう一度訪中したいと中国側に伝えている。その一方で、最も関係を強化したかったはずのアメリカには就任半年後の4月末まで訪問できず、ブッシュとの個人的関係も構築していない。

 安倍は考え方を大転換したのか?。そうは思えない。安倍の日々の言動からは、今でも彼が日米同盟の強化を最優先課題として望んでいることがうかがえる。中国との関係を強化してアメリカとの関係が疎遠になることは、安倍が最も望んでいないことである。それならばなぜ、安倍は中国との関係を強化したのか。その点について、マスコミでは満足な分析がなされていないが、私の分析では、カギはアメリカ側にある。

 昨年10月の安倍訪中直後、私は「安倍の訪中は、アメリカが要請したものではないか」と推測する記事を書いた。安倍に訪中を命じることができるのは、ブッシュ政権だけである。公明党や財界など、日本国内にも日中関係を改善したい勢力はあったが、それらの勢力からの要請なら、安倍は、首相になったばかりの時に急いで訪中する必要はなく「訪中は訪米後にします」と言えたはずだ。(関連記事

 これまでに何度も書いてきたことだが、アメリカは自国の覇権が潜在的に衰退していることに対応するため、これまでアメリカだけで担ってきた国際社会の運営負担を、こっそり他の大国にも分散させようとしている。この隠れ多極化戦略の一環として、アメリカは中国に「国際社会での責任をもっと果たしてくれ」「アメリカに頼らず、中国が中心になって朝鮮半島などアジアの問題を解決してくれ」と求め続けている。(関連記事

 中国政府は、アメリカが自国に、国際社会における責任と覇権の一部を割譲したがっていることを、大国になるチャンスと見て受け入れつつも、外交に注力しすぎると内政や経済問題がないがしろになるので躊躇している。このため、胡錦涛政権は「アジアの大国としての責任は、中国だけでなく、日本というもう一つの大国にも果たしてもらいたい」と考え、日中関係を改善して「戦略的関係」にまで高め、日中が協調してアジアを主導していきたいと考えてきた。(関連記事

▼対米従属の延命策の終わり

 だが小泉前政権は「そんなシナリオ展開は許さない」とばかり、靖国参拝や、東シナ海油田問題、尖閣諸島、教科書問題など、日中間のあらゆる問題を再燃させ、マスコミを動員して国民を中国嫌いにさせて、日中関係が改善しないように努力した。中国側は、おそらくブッシュ政権の助けによって、2005年4月にジャカルタで小泉・胡錦涛会談を実現したが、小泉はその後も中国から距離を置こうとする戦略を採り続け、翌月に訪日した呉儀副首相を途中で追い返した。中国は、小泉政権との関係改善をあきらめざるを得なかった。(関連記事

 アメリカは2005年秋から小泉の靖国参拝を問題にし始めたが、小泉は頑固に態度を変えなかった。ブッシュ政権は、中国から再三「日本に中国嫌いをやめさせてくれ」「さもないと北朝鮮の面倒を見ないぞ」などと圧力を受けていただろうから、日本の政権が小泉から安倍に交代する時期をとらえて、ブッシュは安倍に「就任したらまず中国に行き、日中関係を好転させない」と圧力をかけたのだと思われる。

 すでに「米軍再編」の口実のもと、在日米軍の空洞化は数年前から進んでいる。北朝鮮の6カ国協議の進展を前提に、在韓米軍も韓国側と交渉して撤退の手続きを始めており、2015年ぐらいまでには日韓から米軍の大半がいなくなり、日米・米韓の軍事同盟は事実上、終わりになる。在日米軍の撤退を見越して、日本では今年初めに防衛庁が省に昇格した。(関連記事

 日本の政府筋やマスコミでは数年前から「日米同盟の強化」がさかんに主張されているが、これは「最後のあがき」「延命策」であり、いずれ日本は防衛や外交をアメリカに頼れなくなる。小泉も安倍も、それを知っていて、その上で日米同盟の延命策としての靖国参拝や拉致問題の扇動をやってきた。(関連記事

 このような経緯を考えると、首相就任前後の安倍が、ブッシュ政権から「中国との関係を強化しなさい」と言われて断らなかった理由が分かる。アメリカが東アジアから撤退するのは止められないのだから、アメリカという強い後ろ盾を失う日本にとって、中国を敵視し続ける選択肢はない。

 すでに述べたように、中国は90年代から、日本と「戦略的パートナーシップ関係」(戦略[イ火]伴関係)を締結したがっていた。安倍が「パートナーシップ」という言葉ではなく「互恵」という言葉を提案したのは、日本側の主導性を見せるという意味があったのだろう。「パートナーシップ」を意味する中国語の漢字「[イ火]伴」には、日本で使われていない文字(にんべんに火)が含まれているが、安倍が提案した「互恵」なら、日中双方で同じ漢字が使えて同じ意味になる。

 温家宝の訪日と時を同じくして、日本の国会では憲法改定を可能にする国民投票法を可決する動きに入っている。憲法9条の改定に対し、中国などのアジア諸国には「日本の再軍事大国化」だと反発する世論があるが、中国政府自体は日本の憲法改定を問題にしていない。米軍が日本から出ていく以上、日本が憲法9条の改定を検討せざるを得ないのは当然だからだ。

▼台湾やチベットも中国と折り合いをつけている

 昨年10月の安倍訪中と同時期に、北朝鮮は地下核実験を行ったと宣言して6カ国協議は頓挫し、11月の協議も失敗したが、その後アメリカは今年1月、北朝鮮とベルリンで2者会談を行って北朝鮮を6カ国協議に引き戻し、2月に6カ国で合意が締結された。その後、アメリカがマカオの銀行にある北朝鮮系企業の預金を凍結した問題が解決されず、再び交渉は頓挫するかに見えたが、結局アメリカは譲歩して、4月10日に預金凍結を解除した。北朝鮮の核問題も、温家宝訪日による日中関係の進展と歩調を合わせて、解決の方向に再び歩み出した。(関連記事

 6カ国協議では2005年9月の北京宣言で、北が核廃棄したらアメリカと北朝鮮だけでなく、日本と北朝鮮も友好関係を結ぶことが協議の目標として定められている。日本の世論は、小泉時代に扇動されたままの「反中国・反朝鮮」だが、アメリカが作った今後の枠組みの中では、日本は中国だけでなく、北朝鮮とも仲良くしなければならないことが、すでに決められている。日本人がこの多極化のシナリオに従うのがいやなら「反米・反中国」の再鎖国路線もありうるが、貿易上不利になるので、貧しさに耐えねばならず、かなりの覚悟が必要だ。(関連記事

 東アジアでは、これまで中国と敵対してきた他の勢力も、中国との折り合いをつけようと動いている。その一つは台湾だ。台湾の呂秀蓮副大統領(副総統)は4月6日、香港の新聞のインタビューで「中国側が『一つの中国』の承認を前提としないなら、中国側と50年間の平和協定を結びたい」と表明した。台湾では来年、大統領選挙(総統選挙)があり、呂秀蓮副大統領は立候補を表明している。呂秀蓮はこれまで、陳水扁大統領と並んで、台湾独立運動の強硬派だった。(関連記事

 台湾の後ろ盾となってきたアメリカはここ数年、台湾を見捨てる傾向を強めている。今年2月には、台湾独立運動の父と呼ばれていた李登輝前大統領が「私は台湾独立を求めたことはない。台湾はすでに独立した国家であり、改めて独立を宣言する必要はない」と表明し、事実上、台湾独立運動を捨てた。李登輝はそれ以来、以前は強く支持していた陳水扁政権を、いろいろな理由をつけて非難し続けている。呂秀蓮も4月6日のインタビューで「台湾はすでに独立した国家であり、改めて独立を宣言する必要はない」と述べ、李登輝と同じ態度をとった。(関連記事

 中国に対する態度を軟化したもう一つの勢力は、チベットのダライラマである。ダライラマは4月7日、インドのマスコミの取材に対し「チベットは、中国からひどい統治を受けているものの、中国の一部である」と表明した。こうした表明が発せられたのは、中国政府が最近、チベットの独立要求を放棄するなら、ダライラマと交渉をしたい、と表明したことを受けてのことだった。(関連記事

 ダライラマは以前から「チベットを中国から独立させる運動をやるつもりはない」「チベットは中国に属していた方が経済発展できる」と表明してきたが、今回は従来の発言をさらに明確化した。(関連記事



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