閉じられるアメリカの核の傘2007年1月4日 田中 宇外務省など日本の対米従属派にとって脅威となりそうな論調が、アメリカから出てきた。レーガン政権の顧問だったダグ・バンドウ(Doug Bandow)という保守派の論客が、昨年12月14日に発表した「日本との関係を正常化しよう」という論文である。この論文で私が注目したのは、以下の点である。 「アメリカにとっては、日米同盟に頼りながら中国を敵視している弱い日本より、自前の軍事力を持って独自に中国とやり合える強い日本の方が良い。アメリカに頼りつつ安直に中国と敵対している今の日本は、アメリカを不必要な米中戦争に巻き込みかねず危険である。アメリカは、東京を守るために、ロサンゼルスを危機にさらしている」 「アメリカの空軍や海軍が有事に立ち寄れる基地だけを日本に残し、在日米軍は段階的に撤退すべきだ。在韓米軍も撤退すべきだ。日本も韓国も、第二次大戦直後にはアメリカが守ってやる必要があったが、今は自分で自分を守れる豊かな国になっている。アメリカは、日韓など世界中の同盟国を守ってやると約束してしまっているため、世界中で戦争に巻き込まれている」 「アメリカは、日本がスムーズに(通常軍を持った)ふつうの国になれるよう、協力すべきだ。アメリカには、日本に核兵器を持たせたら危険だという人もいるが、パキスタンや中国などという日本より信頼できない国でも核兵器を持っている(のだから、日本が核兵器を持ってもかまわない)」 バンドウは、この論文を書いた1週間後の12月21日には、前週の主張をさらに展開した「アジアでのアメリカの核の傘を閉じよう」(Close America's Asian N-umbrella)と題する論文を発表している。 2本目の論文は「アメリカが日本に対し、今後もアメリカの核の傘の下に入れてやると表明したのは間違いだ。アメリカがこんな表明をしている限り、北朝鮮は、敵はアメリカだと考えて核開発を放棄しなくなる。アメリカが日本に核の傘を保障しなければ、中国は、北朝鮮の核武装に呼応して日本が核武装しかねないとあせるので、中国に北朝鮮の核開発を抑制させる効果をもたらす。アメリカは、日本、韓国、台湾が核兵器を開発するのを容認すべきだ」といった主張を展開している。 ▼イラクの泥沼化で復活する孤立主義 アメリカでの政治議論には「アメリカは全世界のことに介入した方がよい。世界支配はエネルギーや各種産業の利権に結びつき、アメリカに儲けを与える。アメリカの良い民主主義を世界に広めるという理想も実現できる」と考える「国際主義」と、反対に「アメリカは世界のことにできるだけ介入しない方がよい。世界支配は軍事負担が大きすぎ、アメリカを疲弊させる」と考える「孤立主義」という2つの流れがある。バンドウは孤立主義の流れをくむ主張をしている。 「孤立主義」という名称が悪い響きを持っていることが象徴しているように、孤立主義は、第2次大戦前から、国際主義に負け続けてきた。特に911以降、イスラエル系の国際主義者(ネオコン)がブッシュ政権を席巻して「テロ戦争」「中東民主化」といった国際主義の戦略を押し進め、孤立主義は完全に終わったかに見えた。日本に対米従属をやめさせようとする今回のバンドウの論文も、孤立主義者のたわごとと思われているのか、日本ではほとんど反応がなく、見落とされている。 しかし今、イラクが泥沼化し、ネオコン戦略の失敗が決定的になりつつある中で、バンドウのような孤立主義の考え方は、アメリカで急速に説得力を増している。ブッシュ政権がバンドウの主張を拒否しても、事態はアメリカの衰退と退却という、孤立主義の態勢へと自然に動き出そうとしている。アメリカで今後、日米関係についてバンドウと似たような指摘をする論客が増える可能性は十分にある。 ▼アメリカにとって意味が薄れる日米同盟 アメリカの孤立主義者では、パット・ブキャナンも、アメリカは世界から段階的に撤退すべきだと提唱している。彼は昨年末に発表した論文で「アメリカはイラクで負けつつある。米軍のうち、空軍と海軍はまだ強いが、陸軍と海兵隊という地上軍はすでにボロボロで、世界を守れなくなっている。アメリカは、世界を守るという帝国的な指命を頑固に維持して破綻するより、アメリカの国益に関係ない部分から、外国に対する安全保障の約束を破棄して整理した方がよい。アメリカは、外国どうしの対立に介入する必要はない」と書いている。 ブッシュ大統領は、この期に及んでまだタカ派戦略を貫徹しており、イラクから米軍を撤退させるのではなく増派を予定している。優秀な軍人だったパウエル前国務長官すら、年末に「アメリカはイラクで負けつつある。軍の増派は逆効果である」と、ブキャナンと似たような主張をしている。(関連記事) バンドウも、12月末には「イラクから撤退すべきだ」という論文を書いている。 従来のアメリカは、理想主義のタカ派が失敗すると、現実主義の中道派が出てきて態勢を立て直して国力の浪費を少なくするというバランスがあり、それがアメリカの政治の強さだった。しかし今のブッシュ政権は、失敗が確定しているタカ派の戦略を頑固に踏襲し、超党派の「イラク研究グループ」(ベーカー委員会)などの中道派が建て直しを画策しても、ブッシュは無視している。(関連記事) このままだとアメリカは国力を浪費し尽くし、世界に対する関与を続けたくても続けられなくなる。アメリカは安全を保障してやる同盟国の数を減らさざるを得ず、整理される同盟国として、自力で防衛できる経済力を持つ日本が俎上にのぼることになる。すでに、日本と同格の対米従属国だったドイツは、独自の防衛や外交の戦略を持ち、アメリカから乳離れして、EUの中心として機能している。 アメリカが世界の覇権国だった従来は、中国の台頭を抑止するために、日本の地理的存在が、アメリカにとって重要だった。しかし、今後アメリカが覇権を整理縮小する場合、当然に中国の台頭は容認されるだろうから、日本の存在意義も低下する。覇権縮小後のアメリカが、自国の影響圏として太平洋を含めたいと思うかどうかによって、アメリカから見た日本の意味は変わってくる。アメリカは、太平洋を自国の影響圏として維持したいと思うなら、日米同盟を必要とし続けるが、太平洋の向こう側のことには関与しないという戦略を採った場合、日米同盟は不必要になる。 ▼核武装論議の言えない背景としてのアメリカの衰退 アメリカが日本の安全を守ってくれなくなることは、日本にとって大きな危機であるが、日本人の多くは、その危機が到来する可能性が高まっていることに、まだ気づいていない。だが、日本の政界には、気づいていると思われる人もいる。日本の政界で最初にアメリカの衰退を前提とした議論を呼びかけたのは、中曽根康弘元首相である。 彼は昨年9月5日の記者会見で「米国の態度が必ずしも今まで通り続くか予断を許さない。核兵器問題も研究しておく必要がある」と述べた。この発言が出たのは北朝鮮の核実験(10月初旬)より前で、唐突な印象を与える発言だった。世の中では「右派の中曽根が日本の再軍国主義化を煽った」と見られたが、私は中曽根氏がアメリカの衰退を気にしているに違いないと思い「多極化と日本」という記事を書いた。 その後、北朝鮮の核実験を経て、外相の麻生太郎、政調会長の中川昭一といった、自民党の主な政治家から「日本が核武装すべきかどうかについて議論すべきだ」という発言が相次いで出た。彼らの主張に共通しているのは「議論すべきだ」と言いつつ、その一方で「私自身は、アメリカの核の傘がある限り、日本は独自核を持たず、核の傘の下にいた方がよいと思っている」とも言っていることである。 この論は、よく考えると奇妙である。アメリカの核の傘が今後も末永く存在するとしたら、日本はその下にいた方が良いのだから、独自核の議論をする必要はない。本当は、自民党の人々は、アメリカの核の傘が失われる懸念があるので、その場合に備えて議論すべきだ、と言いたいのではないか。 アメリカの抑止力に頼っている日本の政治家としては「もうすぐアメリカが衰退するかもしれない」と発言することは、自国を危機にさらすので、できない。だから、はっきり理由を言えないのだけれど、核武装議論に象徴される、日本独自の防衛力の保持についての議論を始めた方がよい、というのが中曽根、麻生、中川らの発言の真意だと思える。 興味深いのは、中川昭一が昨年12月17日に演説で「アメリカが長崎に原爆を落としたのは犯罪だ」と述べたことである。世の中では、中川がなぜこんなアメリカが怒りそうな発言をしたのか、不可解に思う分析者が多い。だが、アメリカが衰退して日本に核の傘を供与できなくなるかもれしない状況下で、中川が「核武装議論をすべき」と提唱していることを踏まえると、中川の発言は意味深長である。(関連記事) 発言の含みの一つは、日本人の中にある反米感情を扇動して、対米従属できなくなった後に対する備えを始めているのではないかということ。もう一つは、核武装の議論をすべきだと言ったが、核武装すべきだとは思っていないという自説を分かってもらうためのパフォーマンス。もう一つは、日本の核武装に対するアメリカの反応を見るための観測気球としての発言という意味である。 中川は一昨年、経産大臣だったときに、東シナ海油田の開発を強く進め、中国との対立を扇動する戦略を推進していた。中国を仮想敵国にして日米同盟を強化する戦略だった。しかし今、彼はアメリカに頼らない日本の核兵器を持つかどうかの議論を盛んにしたり、アメリカを非難する発言を放ったりしている。日本の中枢は、一昨年までは対米従属を強化していたが、昨年後半から、もうアメリカに頼ることができなくなりそうだと気づき、方向転換を始めたのだろう。 ▼ドル下落が誘発する日中再接近 アメリカの衰退への対策が必要になるのは、軍事・安保の分野だけではない。ドルが大幅下落して基軸通貨として使えなくなることへの対策も必要になる。欧州方面ではユーロを使えばすむ。アラブのペルシャ湾岸諸国でも独自の共通通貨を創設する動きがある。問題は、日本や中国を中心とする東アジアである。(関連記事) 東アジアには数年前から「アジア共通通貨」「アジア通貨バスケット」の構想があるが、小泉前首相の靖国神社参拝などによって、アジア経済の中心に位置する日本と中国の仲が非常に悪くなり、全く進んでいない。その間にも、アメリカの貿易赤字や財政赤字は急増し続け、ドルは潜在的に危険な状況に陥りつつある。最近の記事に書いたように、早く日本と中国の仲直りを進めて、アジア共通通貨の制度を整えないと、アジア全体がドル崩壊に巻き込まれる。 すでにアメリカから安倍首相に「靖国参拝するな」と圧力がかかっている。アメリカは、日中が再接近してアジア通貨を早く作ることを求めていることがうかがえる。日本にとっては、対米従属が続けられなくなったら、中国と敵対していることも危険になる。日本は、経済、安保の両面で、中国に再接近する必要が強まっている。 しかしその一方で、この数年間、中国を仮想敵にするために国民の中国嫌いを扇動してきた日本政府が、急に中国に接近することは、世論の反発を招くので危険である。上手に方向転換しないと、安倍政権は崩壊する。最近の、本筋と関係ないスキャンダルの相次ぐ発生も気になる。プロパガンダ発生装置として生き残りを画策してきた一部の週刊誌は、すでに安倍を、中国に乗せられた売国奴として非難する記事を出す傾向を強めている。 そんな中で最近、安倍首相の親中国への転換を支援しそうな勢力がマスコミ界から出てきた。読売新聞の渡辺恒雄会長である。 ▼親中国に転換した安倍を支援する読売 渡辺会長は12月下旬の英FT紙に載ったインタビュー記事で「日本と中国は、これ以上仲違いを続けるわけにはいかない」「現実的に考えて、日本はアメリカに頼るより、中国に頼った方が良い。そんなことは間抜けな首相でも分かるはずだ」などと述べる一方で「(以前は右派だった)安倍さんは、首相になってから穏健になった。彼はもはや小泉の哲学から脱している」「彼は首相の任期中、靖国参拝しないだろう」などという趣旨の発言を展開し、反中国から親中国に転換する安倍を擁護した。 渡辺は「東京裁判はゆがんでいた。日本の戦争についてきちんと判断できる独自の調査が必要だ」という主旨の発言も行い、読売新聞は一昨年から、社内で60年前の日本の戦争について再発掘する取材を行って発表したとFTに述べた。 また渡辺は「アメリカはイラクで疲弊しすぎて、北朝鮮に対して有効な策がとれなくなっている。だから日本は、アジアの諸国と建設的な関係を持たねばならない」とも述べている。渡辺は、アメリカの論客と同様、アメリカが衰退して世界が多極化しつつあることに気づいている。読売新聞は元旦の社説でも、従来どおりの日米同盟の強化を主張する一方で、中国と対話して戦略的な協調関係を構築することを提案している。(関連記事その1、その2) 読売新聞はここ数年、小泉政権の宣伝戦略に乗って、親米反中国的な扇動が目立った。しかし今、親米反中国から、親米親中国への転換が見て取れる。渡辺と中曽根は以前から親密な仲だったので、中曽根が渡辺に、親中国に転換する安倍政権を支えてほしいという要請があったのかもしれない。中曽根、中川、渡辺の動きに共通しているのは、少し前まで日米関係の強化を第一に考えていた右派の人々が、アメリカと距離を置く言動に転換していることである。 私はこれを、日本が世界の多極化に対応し始めたのだと見ている。日本では、反米の左派より先に、親米の右派が、アメリカの衰退に対応し始めたということでもある。 ▼まとめ アメリカが日本を核の傘の下に入れてくれなくなること、つまりアメリカが日本を守れなくなるという状態は、今はまだ起きていない。だが今後、アメリカが中東での戦争をイランに拡大し、中東の大戦争の中で軍事力と外交力を低下させた場合、アメリカは余裕がなくなり、国力を温存するためにできる限り海外から軍事力を撤退しようとする可能性が大きくなる。日本は独力で自国を守ってくれと言われる傾向が強まる。(関連記事) だから、今のうちから「日本は核武装すべきか」という議論が必要になる。以前の記事に書いたように、核抑止力が効果を持つのは、数発撃ち込まれてもまだ戦争を続けられる中国やアメリカなどの国土の広い国であり、国土が狭く人口が密集している日本は、核抑止力が低い。 イスラエルやパキスタン、北朝鮮といった、敵がはっきりしている追い詰められた国々も「潰される前にやり返す」という報復手段として核兵器を持つことで、抑止力になっている。対照的に、今の日本は、はっきりした敵がおらず、追い詰められてもいない。 北朝鮮が日本を追い詰めていると思う日本人が多いが、これは、アメリカが抑止力を提供してくれなくなった後に備えて防衛力の拡大を必要としている日本政府が仮想敵を作るために扇動したプロパガンダを信じている結果でしかない。実際には、追い詰められているのは北朝鮮の方であり、北朝鮮はアメリカからの政権転覆の脅しに呼応して好戦的になっている。アメリカが北朝鮮を脅すのをやめれば、日朝関係の緊張も低下する。 このように考えると、日本が核武装する必要性はあまり高くない。しかし、アメリカが撤退した後の世界の状況を今から予測することは難しい。今は敵がいなくても、今後は、北朝鮮、中国、ロシアなどの国が、アメリカという後ろ盾を失った日本に対して威嚇を強めるかもしれない。核武装するかどうかは、アメリカの衰退の成り行きと合わせて、考えていくべきだろう。
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