アジアのことをアジアに任せる2006年10月31日 田中 宇アメリカのライス国務長官が10月19日から22日にかけて日本、韓国、中国、ロシアを歴訪した。歴訪の目的の一つは、核実験実施を宣言した北朝鮮に対する制裁について各国と話し合うことだったが、目的はそれだけではなかった。ライスは「北朝鮮問題に関する6カ国協議の参加国をベースにした、東アジアの多国間の集団安全保障機構を作るべきだ」と各国の首脳に説いて回った。ライスの歴訪は「アジア版NATO」の設立を関係国に呼びかける旅でもあった。 ライスは北京で、アメリカの記者団に「東アジア諸国が、地域の安全保障を脅かす諸事態について皆で話し合う組織すら持っていないことは良くない。北朝鮮の核実験で、この欠陥が明白になった」という主旨の発言を発している。ライスは、6カ国協議の枠組みを地域安保機構に格上げしていき、北朝鮮も核廃絶と引き替えにこの安保機構に加盟できるようにして、オーストラリア、フィリピンなど東南アジア方面の国々も参加させる構想を明らかにした。(関連記事) 北朝鮮の核実験後、アメリカがアジア版NATOを作りたいと考えていることは、すでに以前の記事の末尾に書いたが、この構想を改めてライスが公式に東アジア諸国に提案して回ったことは、アメリカの対アジア戦略の大転換を意味している。 第二次大戦後、アメリカのアジア戦略は一貫して、日米、米韓、米台、米中など、アメリカと各国の2国間関係のみを重視する「ハブ&スポーク戦略」だった。この戦略は、アジア諸国に横のつながりを強化させず、バラバラでアメリカに頼らざるを得ない状況を永続化するものだった。ライスが、地域の集団安保機構をアジア諸国に説いて回ったことは、アメリカが従来のハブ&スポーク戦略を捨て、逆にアジアに団結を求め始めたことを意味している。 アメリカの方向転換は、イラクやアフガニスタンの泥沼化、イランとの対立の行き詰まりなど、ブッシュ政権の強硬戦略が失敗した結果、アメリカは東アジアのことに関与する余裕を失っていることに起因している。 ▼繰り返されていた予行演習 アジア版NATOを作ろうとするアメリカの動きは、かなり前からあった。北朝鮮が核廃棄したら6カ国協議を地域安保機構として恒久化したいという構想は、協議開始直後の2003年からアメリカで出されていた。03年11月のAPEC会議(アジア太平洋諸国の経済サミット)では、皆が経済やビジネスだけの話をしたいと思っているのを無視して、ブッシュ大統領がテロ対策など安全保障問題を話したがったので、他の参加者のひんしゅくを買った。 今年7月にはASEAN地域フォーラムの場を借りて、ライスが日米中露韓豪加などアジア太平洋の10カ国で安全保障の会議を主催した。米政府によると、これはアジア版NATOの予行演習だった。 さらにアメリカは今年9月、国連総会の場も利用して、日米中露韓豪加比、ニュージーランド、インドネシアの10カ国に呼びかけて「拡大6カ国協議」と称する、北朝鮮問題を中心としたアジアの安保問題を話し合う会議を開いた。アメリカは北朝鮮問題にかこつけて集団安保会議を開こうとしたのだったが、中国とロシアは、これがアジア版NATOにつながるものだと感づき、アメリカの思惑に乗りたくないので欠席した。(関連記事) 本家のNATOは、アメリカとヨーロッパが結束してロシアに対抗し、ロシア周辺の東欧やコーカサス、トルコなどの反ロシア的な行動を煽っている。このためロシアは、アジア版NATOも、アメリカが日本や東南アジアなどの力を借りて自分たちを封じ込めるためのものではないかと懸念し、中国に呼びかけて一緒に欠席した。 (アメリカの脅威に対する警戒は、中国よりロシアの方が強く感じている。ロシアは東欧諸国がアメリカのミサイル防衛システムを導入することに強く反対しているが、中国は日本がミサイル防衛システムを入れることに明確な反対をしていない) ▼「強いられた対米従属」の永続を夢見る アメリカが、以前からアジア諸国に集団安保機構を持たせたがっていたということは、多くの日本人が抱いている「アメリカは永久に日本や韓国を支配したいのだ」という「強いられた対米従属」の図式が、すでに数年前から失われつつあることを意味している。日本では、政府だけでなく、反政府の左翼も、打破すべきものとして「強いられた対米従属」の構図を必要としている。それが、アメリカの微妙だが重要な変化に日本人が気づかない原因かもしれない。(関連記事) 以前の記事にも書いたが、北朝鮮の核実験を機に、アメリカがはっきりとアジア諸国に集団安保機構を作らせたいと言い始めたことと、北朝鮮の核実験直前に安倍首相が中国と韓国を訪問したことは、たぶん関係がある。 アメリカが日中韓に集団安保機構を作らせようといくら望んでも、小泉政権時代のように、首相の靖国神社参拝などによって日本と中韓の関係が悪化したままでは、何も進まない。アメリカが本気でアジアに集団安保機構を作らせようと思ったら、その前に日本と中韓との関係を改善させねばならない。日本の首相交代と北の核実験が重なったこの10月は、日中韓の関係を改善させる好機だった。 アメリカが、アジア諸国に集団安保機構という横のつながりを作らせることは、世界を多極化する動きの一部であり、アジアのことはアジアに任せるという戦略である。 本家のNATOは従来、アメリカがヨーロッパを対米従属させておく支配機構だった。その意味では、アジア版NATOは、アメリカのアジア支配を維持するための機構であると言える。しかし、アジア諸国にはこれまで軍事に関して横のつながりが全くなかったことを考えれば、アジア版NATOはアジアを一体化させ、アメリカから乳離れさせる方向になる。アメリカが支配を薄め、アジアに少しずつ自律性を持たせる戦略であると読める。 本家NATOの内部では最近、ドイツ政府が戦後最大の軍事戦略の改定を行い、積極的な海外派兵ができるようにした。横のつながりではアジアよりずっと進んでいるヨーロッパは、アメリカと協調しつつも、しだいに対米従属を離れる方向に動いている。(関連記事) ▼手綱を中国にわたす アジアのことをアジアに任せる戦略は、ブッシュ政権の北朝鮮政策にも表れている。前任のクリントン政権は、1994年に北朝鮮と「枠組み合意」を結び、北朝鮮が核兵器開発を止める代わりに、アメリカは毎年50万トンの石油を北朝鮮に無償供給するとともに、将来のエネルギー源として軽水炉を作ってやることにしていた。 しかしブッシュ政権は、北朝鮮がこっそり核開発を続けていたことを理由に、枠組み合意を破棄し、軽水炉の建設を止め、石油の供給も止めた。その後、北朝鮮が必要とする石油は、アメリカに代わって中国が無償提供するようになり、現在に至っている。 ブッシュ政権は「約束を守らない北朝鮮に石油をやるのはカネの無駄だ」と言って石油の供与を止めたが、これはカネの問題よりもっと重要な問題を含んでいた。北朝鮮は毎年数十万トンの石油が得られなければ、国が立ちゆかないので、石油をくれる相手に対しては言うことを聞く。つまり石油供与は、北朝鮮を制御できる数少ない「手綱」である。 この手綱の価値を考えれば、巨額の軍事予算を毎年計上している米政府にとって、数十万トンの石油の代金など大したものではない。そのカネを惜しみ、中国に石油供給をやらせるようにしたため、北朝鮮を制御できる手綱は、アメリカから中国に移ってしまった。アメリカは、北朝鮮に対する覇権を中国に委譲したことになる。 石油供給役がアメリカから中国に移った後、中国は一度、数日間、言うことを聞かない北朝鮮に対して石油供給を減らしている。その効果もあり、金正日は中国の言うことにだけは敬意を払っている。 石油供給が北朝鮮に対する手綱であることは、素人にも分かる自明の理である。ブッシュ政権が石油供給をやめて中国にやらせたのは、ケチだったからとか金正日が嫌いだからとか無能だったからとかではなく、最初から北朝鮮の問題は中国にやらせたかったから、アジアのことはアジアに任せたかったからだと感じられる。 実は、アメリカはその気になれば、今からでも手綱を取り戻すことができる。北朝鮮は、アメリカが不可侵条約を結んでくれるなら核廃棄したいと表明している。中国は、米朝関係の改善が、朝鮮半島を安定させる最善策だと思っており、ブッシュ大統領が「中国に任せず、北朝鮮と直接交渉したい」と言えば、喜んで賛成するはずだ。 アメリカ政界でも、共和・民主両党の国際協調派の有力議員らは、口々に「ブッシュは北朝鮮と直接交渉すべきだ。北朝鮮の本格的核保有を防ぐには、それしかない」と、ホワイトハウスに要請している。 アメリカが直接交渉しても、金正日はこっそり何発か核を残そうとするだろうが「北朝鮮の核施設をすべて空爆で破壊する」というのは現実的でない以上、最善策は交渉である。しかし現実には、ブッシュ政権はますます中国に交渉を任せる方向に動いている。しかもアメリカは、アジアに安保機構を作らせ、アジアに関与する度合いをますます減らそうとしている。 ▼ようやく能動的になった中国 2003年以来、アメリカから朝鮮半島に対する手綱(覇権)を押しつけられている中国は、当初はこの覇権の移譲には消極的だった。アメリカが罠を仕掛けようとしていると懸念したからである。北朝鮮は、02年にアメリカから先制攻撃対象の「悪の枢軸」として「死刑宣告」されていた。いずれアメリカは、中国をも「北朝鮮の味方」として攻撃したいので、口実作りに6カ国協議を中国に主導させたがったのではないか、と中国は恐れた。03年から、アメリカは中国に頼んで6カ国協議を北京で主催させたが、中国は当初、会場を貸しているだけの存在として振る舞っていた。(関連記事) しかしアメリカは、その後中国が、ロシアとの関係を強化し、中央アジアや中東、アフリカ、中南米などに影響力を拡大しても、それを阻止しようとする動きをほとんど見せず、容認した。アメリカが最終的に中国を潰そうとしているのなら、このような容認をするはずがない。その間にも北朝鮮をめぐる交渉は、アメリカは中国に任せたいが中国は消極的という主導者不在の状況が続き、北朝鮮はどんどん大胆な強硬姿勢を採り、ついには核実験まで実施した。 中国は、北の核実験を機に、このまま待っていてもアメリカは北朝鮮を挑発するばかりで問題解決に乗り出すことはないと判断したようだ。中国側は核実験の後、北朝鮮の組織が中国の銀行に持っている預金口座への振り込みに対する違法送金の監視を厳しくしたり、香港に停泊中の北朝鮮籍の船舶を整備不良を理由に抑留したりしている。(関連記事) これらは、北朝鮮を「危険な国」と見なして制裁するという、アメリカが作った「テロ戦争」の枠組みに基づいた取り締まりではない。中国や香港の、金融や港湾利用などに関する一般の法律に照らして違法性があるということで取り締まっている。これは、アメリカのいかがわしい「テロ戦争」には乗らないという中国の意志表示だろう。 こうした動きは、中国がこれまでよりも自主的、能動的に北朝鮮に対する手綱を持つようになったことを表している。アジアのことはアジアに任せるというアメリカの戦略は、北朝鮮の核実験を機に、中国の能動的な覇権活動、安倍訪中による日中敵対の終息などが引き起こされたことで、ようやく実を結び始めている。 国連安保理では、常任理事国である中国とロシアが結束を強めているのに加え、韓国の潘基文外相が事務総長に就任する。国連はすでに、中国、ロシア、韓国という、東アジアの「非米同盟」の3カ国によって牛耳られ始めている。アメリカは、彼らの協力を得なければ国際社会を動かせなくなっている。 このほか、アジアの自律にかかわる話としては、アジア開発銀行の「アジア通貨バスケット」に象徴される、国際通貨体制をドル単独覇権から多極化へとソフトランディングさせるためのアジアの通貨統合の構想もある。今春以来、IMFは通貨の多極化を進めようとしており、これを受けてペルシャ湾岸諸国は通貨統合の構想を最近打ち出したが、対照的に、東アジアは全く進んでいない。この件も、今後、何か機会をとらえて、日本や中国をその気にさせようとする画策がそのうち出てくるのではないかと私は予測している。(関連記事その1、その2)
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