アメリカ中東支配の終わり2006年10月21日 田中 宇アメリカの外交政策決定の「奥の院」である「外交問題評議会」(CFR)が「中東におけるアメリカの時代が終わった」と宣言した。10月16日のFT紙に載った、CFRのリチャード・ハース会長が書いた論文が、その宣言である。(関連記事) 論文は、アメリカはイラク占領の失敗と、パレスチナ和平の失敗、穏健な親米アラブ諸国がイスラム過激派を抑えることに失敗したことによって、中東でのアメリカの影響力が減退したと書いている。今後も、アメリカが中東で最大の影響力を持つことは変わらないものの、アメリカの減退と入れ替わりにEUやロシア、中国などからの影響が強まりそうだと予測している。 「中東混乱期の夜明け」(A troubling Middle East era dawns)と題するこの論文は「中東を民主的で発展する平和な地域にするという目標は、今後も実現することはないだろう。むしろ中東は今後何十年間も混乱し続け、世界に害悪を与え続けるだろう」と暗い予測を展開し、原油価格の高止まり、イスラム過激派の増加、シーア派とスンニ派のイスラム教徒どうしの殺し合いの拡大、イランの強大化なども予測している。 ▼ペルシャ湾岸諸国がドル離れ? 中東におけるアメリカの覇権の「終わりの始まり」を象徴する話は、ほかにもある。サウジアラビア、クウェート、バーレーン、カタール、アラブ首長国連邦、オマーンで構成するペルシャ湾岸諸国(GCC)が「ドル離れ」の方向性を検討している。GCCの6カ国の通貨はこれまで、すべてドルと一定比率の為替を維持する「ドルペッグ」の制度下にあったが、今後2010年までに6カ国の通貨を統合し、2015年にはドルペッグを外すかもしれないという構想が出ている。11月4日に6カ国の中央銀行総裁が会議を開き、この件を正式に検討する。(関連記事) 「ガルフニュース」によると、中東の金融専門家は「この問題は、単に湾岸諸国の経済の問題ではなく、ドルが世界の備蓄通貨である状態が失われていくという、全世界にとって非常に大きな問題を提起しているのではないか」と述べている。ペルシャ湾岸諸国の政府は慎重なので、すぐにドル離れを実施することはなく、まず各国の通貨の価値がすべてドルにペッグされて一律であることを生かして通貨統合を実施し、その上で世界の様子を見ながらドルから少しずつ離れて行くのではないかと分析している。(関連記事) 通貨統合で創設される湾岸共通通貨(湾岸ディナール)がドルペッグをやめることは、中東で勢力を拡大している反米的なイスラム主義者にとっても、イスラム諸国がアメリカに頼る度合いを低下させているということで、好感を持たれると予測されている。湾岸ディナールのドル離れが成功したら、通貨をドルにペッグさせている他のイスラム諸国は、イスラム的に正しい行いをしようと、ペッグ先をドルから湾岸ディナールに変えるかもしれない。 ペルシャ湾岸の経済は石油によって支えられているが、石油価格は投機筋の売買によって予測困難なおかしな動きをすることがよくある。湾岸ディナールがドルペッグをやめ、市場原理に委ねて変動相場制に移行した場合、共通通貨には石油価格のおかしな相場の動きに感染し、湾岸諸国の中央銀行が制御しきれない乱高下を繰り返すのではないかと、同記事では懸念されている。 しかしその一方で、もし湾岸ディナールがペッグをやめてドルから切り離された通貨になった場合、これまでドル建てで資産運用していたGCC諸国の巨額な「オイルマネー」は、ドル離れが顕著になるだろう。石油の国際取引も、ドルではなく湾岸ディナールで行われる比率が高まる。その分、ドルの基軸性や備蓄通貨としての意味が失われ、ドルは売られて権威を失墜させる傾向が強まる。 ▼ドル凋落とアメリカの政治覇権は別物か? この記事では「たとえドルが世界の基軸通貨でなくなっても、それはアメリカの外交上の覇権の終わりを意味しない。アメリカは経済的に凋落しても、政治的には世界から超大国と見られ続けて、アメリカ自身も超大国として振る舞い続けるだろうから、国際政治的にアメリカが凋落することはない」という分析も紹介している。(関連記事) だが私が見るところ、アメリカの凋落は、経済面と国際政治面の両方で並行して起きている。CFRが「中東でアメリカの時代が終わった」と宣言しているのは、その象徴である。 湾岸諸国では従来、外貨備蓄はほとんどドル建てだったが、アラブ首長国連邦が今年、備蓄の1割をユーロと金に転換していく方針を発表している。(関連記事) 世界的には先日、ロシアの中央銀行が、外貨準備の中のドルの比率を下げて円の比率を上げると発表している。(関連記事) ブッシュ政権になってからの双子の赤字の急拡大を受け、ドルはいずれ世界の基軸通貨としての地位を失うだろうという予測は、イラク侵攻が挙行された直後ぐらいから、欧米マスコミにも出てくるようになった。世界の金融当局者たちの意識の中で、潜在的なドル離れが進んでいることは間違いない。(関連記事) ▼通貨の多極化 ドルが基軸通貨でなくなったら、世界の通貨制度はどうなるのか。その将来像は、すでにIMFによって描かれている。「通貨の多極化」である。IMFは今年7月、世界の通貨制度をドルの一極支配から多極体制へと軟着陸させることを目指し、アメリカ、EU、中国、日本、サウジアラビアの5カ国で調査委員会(サーベイランス委員会)を作ることにした。基軸通貨を持つアメリカとEU以外の3国は、豊富な外貨準備を持っている。これらの金持ち国に、ドルではなく独自通貨(地域通貨)の保有へとゆっくり転換させることで、通貨の多極化を進めようとしている。(関連記事その1、その2) この動きと関連して、アジアでは「アジア共通通貨」の構想があるが、ほとんど進んでいない。最近の安倍首相の訪中まで、日本と中国は敵対的で、共通通貨の話をするどころではなかった。最初の構想以後、IMFの新委員会の動きは全く報じられておらず、機能していないようだ。(関連記事) だが、このほど出てきた、サウジアラビアを含むペルシャ湾岸諸国が共通通貨を作るという構想は、IMFの通貨多極化構想に沿ったものである。同時に、安倍訪中によって日中関係も正常化に向かいそうで、通貨多極化構想が進む前提が整ってきた感がある。 アメリカはダウ平均株価が史上最高値を更新し、石油価格の安定によってインフレ懸念も低下し、今年は財政赤字も減って、好調であるかのように見える。しかし、来年から再び財政赤字の増加、米国内の住宅バブルの崩壊による景気の減速もしくは不況突入、数年後にはメディケア(管制健康保険)や公務員年金など財政赤字の要因がさらに増えることが確実であるなど、米経済の先行きはかなり暗い。双子の赤字がさらに増えれば、ドルの覇権は揺らぎ、通貨の多極化の必要性が高まる。 (ダウは最高値を更新したが、ダウ平均株価を構成する30社の株式のうち、21社は下落傾向にあり、今年に入っても20%以上の下落を続けている。今年、顕著な最高値となったのは3社だけだ。ごく一部の企業の株高が、全体の株高であるかのようなイメージを世界に与える詐欺的な仕掛けになっている)(関連記事) アメリカの世界覇権は、経済・軍事・外交というあらゆる面で失墜しつつある。アメリカの一極覇権体制から、多極化された世界に転換していけるかどうかが、今後も人類が幸せに生きていけるかどうかの要点となっている。 田中宇の国際ニュース解説・メインページへ |