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台湾政治の逆流

2005年5月7日   田中 宇

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 台湾では1990年代初め、李登輝前総統が国民党の「大陸反攻」の建前を捨て、政治の台湾化を開始して以来「台湾は中国の一部なのか、それとも中国とは別の存在なのか」という、台湾のアイデンティティをめぐる政治論争がずっと続いてきた。

 興味深いのは、この政争そのものが、見る人に「台湾は中国の一部だ」と感じさせてしまうことである。台湾の政治が持っているダイナミズムは、まさに三国志から文化大革命に至る伝統的な中国政治のダイナミズムとまったく同じ本質を持っている。

 混乱期の中国の政界(宮廷内や共産党内)では、誰が敵で誰が味方か分からない謀略の世界が繰り広げられる。政治家が画策することは、往々にして表面的に見える目的と真の目的が正反対だったりする。これは李登輝総統が2000年の台湾総統選挙で、自分が党首をしていた国民党を応援するふりをしながら、実は野党民進党の陳水扁を勝たせようと画策していたことと共通している。

 日本では、李登輝という政治家は「武士道」とか「精神的には日本人」といった形容詞で語られることが多いが、私が見るところ、これは李登輝が日本人を自らの台湾独立運動に引きつけるために採っている戦略であると感じられる。李登輝自身の政治手法を見ると、謀略が下手な「日本人」とは正反対であり、むしろ彼の出自である「客家」(「東洋のユダヤ人」と称される中国の少数民族集団)の政治手法が息づいていると感じられる。

(李登輝氏は、あまり謀略を行わない潔癖な日本人や日本社会を愛しているのかもしれないが、そのことと、彼自身が台湾で展開してきた政治戦略の複雑さとは、分けて考えた方が良い)

▼台湾で発揮される中国政治

 最近の台湾情勢を見ると、その中国的な政治のダイナミズムがますます輝いていると感じられる。反中国派(独立派)から親中国派(統一派)まで、李登輝(台湾団結連盟)、陳水扁(民進党)、連戦(国民党)、宋楚瑜(親民党)と色分けされた指導者たちが、互いに同盟したり裏切ったりしながら政治の綱引きを展開している。

 加えて、国民党や民進党では、馬英九や謝長廷といった次期指導者の候補らが、現職と微妙に違う政策を示唆したりして、政局に厚みが加わっている。そこに影響を及ぼすべく、江沢民から胡錦涛に変わって柔軟なイメージを醸し出す中国が、軍事の脅しと経済の甘言を発している。

 大陸では1949年以来、共産党の一党独裁が続いており「政界」は北京の要人たちが集まる中南海の密室内に限定され、その内部で何が語られているか、部外者にはほとんど秘密にされている。国政の現場が中南海の壁の外にまで拡大されるのは、文革や天安門事件など、要人どうしの対立が密室内で決着せず、大衆を巻き込んだ紛争になるときのみである。

(論争や謀略を好み、政治的に絶倫である中国人にとっては、共産党独裁は望ましい制度かもしれない。下手に政治を大衆化・民主化すれば、地域ごとに政治家が分裂割拠して対立し、中国は内紛で弱体化しかねない。だからアメリカや日本では、中国に自滅してほしいと思う人は「中国は民主化すべきだ」と主張する)

 政治のダイナミズムが中南海に封じ込められている中国とは異なり、台湾では1990年代から選挙が何回も行われ、政治が高度に民主化・大衆化している。このため、中国の伝統的な政治ダイナミズムは、今や中国ではなく台湾で噴出している。

▼アメリカの方針転換と台湾政治の激動

 台湾政治が激動期に入ったのは、昨年末からのことである。この時期、昨年10月にアメリカのパウエル前国務長官が、それまでの台中問題に対するアメリカの戦略的曖昧政策をやめて、台中が平和に統一することを望む政策に転換すると表明し、その後昨年12月の台湾の議会(立法院)選挙で、勝てると思っていた民進党が勝利を逸してしまった。(関連記事その1その2

 1990年代から昨年末までの台湾では「台湾は中国とは別の存在である」という意識がしだいに強まっているというのが大方の見方だった。一時は台湾社会を二分していた「外省人」「本省人」(国民党の台湾移転以後に台湾に来た勢力と、それ以前から台湾にいた勢力)という対立を超越した「台湾人」意識が出てきて、かつては外省人の党だった国民党も、もっと台湾的な党へと変身することを模索していた。

 陳水扁政権は、国際社会における中国の覇権が拡大することへの対策として、実質的に台湾が中国から独立している状態を維持する「現状維持」から脱し、住民投票で独立への方向性を決定したり、国名を「中華民国」から「台湾」に変更しようとするなど、独立の傾向を強めようとした。

 ところが、これまで台湾の後ろ盾となってきたアメリカが、昨年「アジアのことはアジアに任せる」という態度を強め、台湾に対しても独立傾向を批判するとともに、中国との統一を隠然と勧告し始めた。そして、こうした新しい事態の中、独立傾向を強めるための最後のチャンスだった昨年12月の議会選挙で、民進党が議会の過半数を制することに失敗した結果、台湾の政局は流動的な時期に突入した。

(アメリカが中国に対してどんな政策を採っているのか、中国はアメリカの敵なのか味方なのか、というのは議論が尽きないテーマである。アメリカは軍事的には、沖縄から中央アジアまでの中国包囲網を敷いているように見えるが、その一方でアメリカは、中国をG7やWTOなどの「国際社会」に引き入れる関与政策も展開し、北朝鮮をめぐる危機の解決を中国に任せ、朝鮮半島に対する中国の影響力拡大を容認している)(関連記事

(この矛盾した中国政策は、米政府の中枢における対立の結果としての妥協の産物なのか、もしくは外部に本当の政策を知らせないために故意に複雑にしているのか、真意は不明だが、最近のアメリカは、今年末にマレーシアで開かれる予定の「アジアサミット」【ASEAN+日中韓+豪印などが集まる「アジア共同体」の設立につながる動きになりそうな会議】に参加しないなど「アジアのことはアジアに任せる」傾向を強めている。その流れで見ると、中国敵視はアメリカの中心的な政策ではないと感じられる)(関連記事

▼陳水扁も台湾独立に見切りをつけたかった?

 アメリカから独立傾向を制止され、それを「民主主義の力」で振り切ろうとした議会選挙で勝てなかった民進党の陳水扁政権は、昨年末の時点でかなり窮していたはずである。そこに目をつけ、陳水扁を「反中国」から「親中国」に転換させてしまおうと動いたのが、台湾の第3政党である親民党党首の宋楚瑜だった。宋楚瑜は今年1−2月に陳水扁と話を進め、2月25日に、議会政治で親民党が民進党に協力することを引き替えに、民進党に中国との関係改善を約束させた。(関連記事

 台湾で「扁宋十点」(陳水扁・宋楚瑜の10カ条)と呼ばれるこの合意は、一般には、陳水扁が議会を制するために「やむなく採った選択」であると解釈されているが、その後の陳水扁は、自分の顧問団の中の台湾独立派に辞任を余儀なくさせたり、中国を訪問して胡錦涛と会談することに関心を示したりしている。(関連記事

 その様子からは、本当は陳水扁自身が「台湾独立」に見切りをつけ、世界的な覇権を拡大しつつある中国との交渉をできるだけ有利に進めることが台湾の生きる道であると考える戦略に転換したのではないかと疑われる。「やむなく採った戦略」のふりをしたのは、自陣営(民進党と台湾団結連盟。緑色連合)にまだ多い台湾独立派の怒りを鎮めるためだったと思われる。

「扁宋十点」の後、台湾政府は中国側との関係改善を進め、台中間の航空直行便の常態化や、台中で相互に新聞記者の駐在を認可すること、台湾の農産物を中国に売れるようにすることなどが議題にされた。ところが、その動きを阻止するかのように中国側から出てきたのが、3月14日に中国の全人代(議会)で制定された「反分裂国家法」だった。(関連記事

 この法律の主眼は「台湾が独立を宣言した場合、中国は(軍事侵攻など)平和的でない方法を採ることができる」ということである。中国は軍事侵攻を合法化したとして、台湾だけでなく欧米や日本からも批判された。

 EU(独仏)はそれまで、アメリカの反対を押し切って、1989年の天安門事件後に禁止していた中国に対する武器輸出を解禁しようと動いていた(これは独仏と中国との「非米同盟」の強化を意味する)。だが、中国が反分裂国家法の制定に踏み切ったのを機に、解禁への反対がEU内で高まり、解禁は延期された。(関連記事

▼消極的な反対しかしなかった陳水扁

 反分裂国家法の制定によって、台湾の世論は反中国の傾向を増すのではないか、陳水扁もその民意に乗って再び独立の方向に戻るのではないか、と一時は予測されたが、その読みは間違っていた。アメリカの後ろ盾が失われている以上、もはや台湾の指導者たちには、独立の方向に戻ることが選択肢として残されていなかった。(関連記事

 反国家分裂法の制定から2週間後の3月26日、この制定に反対する100万人規模の巨大なデモ行進が台湾全土で展開され、台湾の人々の民意を見せつけた。ところが、このデモには陳水扁も参加したものの、彼は演説をしなかった。

 以前なら、この手の政治集会では、陳水扁は壇上に上がって中国を批判する演説を行ったであろうが、3月26日に彼はそれをやらず「一般の参加者」として、皆と同じ風船を持って街頭を行進しただけだった。民進党の他の指導者も同様の行動をした。(関連記事

 この日、100万人のデモ行進にぶつける形で、陳水扁にとっては100万人の民意に劣らず重要な一つのメッセージが発せられている。それは、石油化学製品や液晶パネルなどを製造する大手メーカー「奇美グループ」の創業者で、長らく民進党に献金を重ね、陳水扁の政策顧問も務め、台独派と目されてきた実業家の許文龍が突然、民進党の台湾独立の方針を批判するとともに、中国が好む「一つの中国」と反国家分裂法の制定を支持する声明文を発表したことである。(関連記事

 許文龍は1991年から大陸での化学品の生産を開始しており、台湾の実業家の中でも早くから中国に進出していた。このため、台独派だったはずの許文龍の突然の変節に対しては「中国当局に脅され、大陸での資産を守るため、自分の意に反する声明の発表に追い込まれたのではないか」といった見方が、台独派の中から出された。

▼相次ぐ財界人の離反

 だがその後、それまで民進党を支持していた他の台湾人実業家たちの中から、陳水扁政権に対して「台独の方針を捨てるべきだ」という主張や請願が相次いで出されるに至り、どうやら許文龍の主張は脅迫の結果ではなく、むしろ逆に、台湾実業界の意外に多くが民進党に台独方針を捨てさせたがっていることが分かってきた。

 許文龍が声明文を出してから5日後の3月31日には、陳水扁の政策顧問だった実業家の中からもう一人、宏碁(エイサー)グループの前会長である施振榮が、自分は台独派ではなく中立派であり、今後は陳水扁に頼まれても政策顧問はやらないと発表した。(関連記事

 興味深いのは、この発表に対する陳水扁政権の対応である。施振榮の辞意表明から3日後、陳水扁政権は突然、施振榮を経済大臣に任命したいと言い出した。この人事構想は民進党内でも突然の話だったようで、党内から人事の意図をめぐる疑問が噴出した。そのとき経済大臣を努めていた何美ゲツ(王へんに月)は当惑しつつ「私の能力不足で大臣の交代が必要だというのなら、喜んで従います」と発言したりした。(関連記事

 どうやら施振榮にまで離反されると困る陳水扁政権は、施振榮にこれまでよりも重要なポストを与えることで離反を防ごうとしたらしい。施振榮はこの提案に乗らなかったらしく、この人事案はその後すぐに消えていった。

 3月28日には、力霸グループ、神通グループ、遠東グループなど、財界の主要企業の経営者たちが、謝長廷首相と懇談した際、経済分野を中心に中国との関係を改善してほしい、民進党は台独にこだわるのをやめて、大陸に対する投資規制を緩和してほしい、と求めている。(関連記事

▼報われなかった台湾財界人の独立支持

 こうした一連の台湾財界人の「反乱」の背景には、台独にこだわる民進党政権が、台湾企業の大陸への投資を規制してきた経緯がある。たとえば今回の反乱の先陣を切った許文龍の奇美グループは、中国で液晶パネルの生産を行っているが、技術的に進んだ分野の製造に関しては、台湾政府が大陸への技術輸出を禁止している。

 台湾企業の中には、政府の方針を無視し、第三国に作った子会社を経由して自由に大陸進出し、利益を出している会社がたくさんある。民進党を支持してきた財界人は、大陸進出の制限に従った結果、利益を得る機会を逸している。

 台独派が頼みの綱とするアメリカの単独覇権主義が成功し、中国が潰され、アメリカ経済が隆々と発展するのなら、財界人たちも台独を支持した甲斐があるが、現状は逆で、アメリカは中国にどんどん譲歩している。財界人としては、むしろ中国の市場と覇権の拡大に乗って、自分たちの企業を拡大したいところだろう。

 しかも台湾では、たとえば石油化学製造についても大陸での工場建設が規制されているが、その一方で欧米企業は同種の工場をどんどん中国に作っている。主要な台湾メーカーである台湾プラスチックなどがエチレン・クラッカーの製造工場を中国に作れないでいる間に、イギリスのBPや、アメリカのエクソンモービルといった欧米の石油会社が、次々に同種の工場を作ってしまった。(関連記事

 許文龍が台独批判の文書が本人の真意に基づくものかどうか台湾で議論になったとき、台湾プラスチックの創業者である王永慶は「これは彼の本心からの言葉である」と指摘した。王永慶は、許文龍と同じ気持ちだったのではないかと推測できる。台湾財界人が台独派から統一派に転換したのは、イデオロギーに基づくものではなく、資本の理論に基づくものだった。(関連記事

▼急速に落ちる民進党への支持

 台湾の株価は、中国が台湾に危険を及ぼすかどうかということに敏感であるといわれるが、中国が反分裂国家法を制定した際、株価は予想に反してあまり下落しなかった。このことからは「台湾独立より中国との接近の方が、危険が少ない。儲かる」という見方が、一部の大金持ちの財界人だけのものではなく、株を売買している多数の台湾の小金持ち(中産階級)にも共有されていることが感じられる。(関連記事

 ただ、民進党の支持者の中には、台湾独立を掲げる党だから支持してきたという人も多い。そうした人々にとっては、陳水扁が、宋楚瑜や連戦に引っ張られて台独を捨てようとしていることが、大きな失望感となっている。(関連記事

 そのことは、世論調査における民進党への支持率の急速な下落として表れている。4月28日前後に行われた世論調査では、民進党の支持率は、それ以前の36・5%から、28・6%へと落ち、5月4日前後の調査ではさらに23・6%に急落している。この間、国民党への支持率は26−29%で比較的安定しており、民進党は国民党に抜かれてしまった。(関連記事

【続く】



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