台湾の選挙と独立2004年12月27日 田中 宇12月11日、台湾で議会(立法院)選挙が行われた。民主進歩党(民進党)と台湾団結連盟(李登輝前総統の党)との与党連合(緑色連合)は議席をほとんど伸ばせず、国民党・親民党・新党の野党連合(青色連合)が過半数を占めていた選挙前の状態が、選挙後も続くことになった。 (与党連合は、台湾独立派が主力を占めており、民進党の党旗は「緑の島」の異名を持つ台湾島が緑色で描かれている。そのため与党連合は「緑色連合」と呼ばれる。野党連合は、国民党とそこから分裂してできた親民党と新党の連合体であるため、青色の国民党の党旗の色をとって「青色連合」と呼ばれている) ▼奇妙な陳水扁の選挙戦略 選挙前の予測では、与党の緑色連合が躍進して過半数を取るだろうと考えられていただけに、この選挙結果は民進党の陳水扁政権にとって敗北だったが、この選挙に対する緑色連合の戦略は、どうみても奇妙なものだった。(関連記事) 台湾の人々の多くは、中国との統一には反対だが、同時に、中国とは別の国になる「台湾独立」の動きに対しても、中国からの武力攻撃を招きかねない危険な方向性であると考えている。民進党は以前は台湾独立を方針として掲げていたが、1995年と98年の立法院選挙で国民党に負けた後、国民に敬遠される台湾独立の方針を大きく掲げることをやめた。その表向きの理由は「台湾はもはや事実上独立しているので、改めて独立を希求する必要はない」というものだった。 ところが今回、緑色連合は、台湾独立を希求する方向性の方針を再び掲げて選挙戦にのぞんだ。選挙で勝ったら、台湾を中国とは別の存在であると定義した新憲法を作るための国民投票を実施するとか、海外にある公館や国有企業の名前に「中華」「中国」といった名称を使うことをやめて代わりに「台湾」という国号を使うとかいった方針である。これは、民進党がこれまでの敗北経験から学んだ「独立の方針を掲げると選挙に負ける」という教訓に反していた。 台湾の立法院はこれまで、野党3党の青色連合が過半数を占めていた。緑色連合は、陳水扁が総統(大統領)になって行政府を手中におさめながらも、議会の過半数を野党に握られているため、法案を作っても議会を通らず、やりたい政策がやれなかった。 たとえば、陳水扁はアメリカに対して巨額の武器購入を約束し、中国の脅威に対抗するとともにアメリカの軍事産業を喜ばせ、台米関係を強固なものにすることを目指したが、武器購入決議案は、青色連合によって何回も否決され続けた。 緑色連合がこの状態から抜け出すには、立法院選挙で勝って過半数を取る必要があった。しかし、陳水扁と李登輝は、過去の教訓に従わずに独立の方針を掲げた結果、国民に敬遠され、青色連合が過半数を占める状態を打破できなかった。政府は民進党、議会は国民党という、身動きのとれない状態が今後も続くことになった。(関連記事) ▼台湾意識の高揚が追い風になるはずが・・・ 選挙前、緑色連合が議席を大幅に増やし、青色連合はその分負けるという予測は、当事者の政治家たちも確信していたことだった。選挙期間中に民進党は台湾全島の各選挙区で候補者を増やしている。自分たちに入れてくれそうな有権者が意外と多そうだと思われたのである。半面、国民党や親民党は、各選挙区での候補者を減らすとともに、支持者に対し、必ず投票に行くように再三呼びかけるなど、危機感を持って選挙戦を展開した。 台湾の議会選挙は中選挙区制で、各選挙区は複数の定数になっており、一つの選挙区で同じ党(もしくは緑や青の連合体)から複数の候補者が立っている。各党は、なるべく多くの候補者を勝たせるため、支持者に対して「誰々に入れなさい」と指示を出す「配票」と呼ばれる行動を行う。これにより、自党の候補者の一部の人気者だけが大量に得票し、残りの候補者が落選してしまう状況を避け、人気者の票の一部が同じ党の他の候補者に回るようにして、なるべく多くの候補を当選させようとする。(関連記事) 今回の台湾選挙では、緑色連合の配票は余裕をもって行われたのに対し、青色連合の配票は厳しく、自分の支持者の一部を他人に持って行かれ、危機感を持った候補者が多かった。たとえば私が何回か話を聞いたことがある桃園県選出の国民党の朱鳳芝議員(女性)は、事前調査による人気が高かったため、かなりの票を他の候補に取られ、投票日の2日前に「これでは勝てません」と、党本部の担当者に向かって泣いて訴える姿が報道された。このような青色連合の危機感から、緑色連合の勝利は間違いないと思われた。(関連記事) 緑色が有利で青色が不利であると皆が思った背景には、台湾社会で「台湾意識」が高揚している状況があった。「台湾人」のアイデンティティを「中国人」とは別のものとして考える傾向が、台湾の人々の間で強まっていると指摘されている。 たとえば台湾の学校における歴史の教科書は、これまで近代の国内史について、孫文が国民党と中華民国を大陸で作ったが、共産党との内戦の結果、それが台湾に移ってきた、という国民党を中心とする歴史を教えていたが、中国からの独立を目指す民進党の政権が何年も続いた結果、最近では、明と清の時代に福建省などから台湾島に人々が入植し、その後日本による統治を経て、第二次大戦後に国民党政権が大陸から移転してきたという台湾中心の歴史を教えるようになっている。台湾で教えられている国内史は「国民党史」から「台湾島史」へと切り替わりつつある。 数年前までは「台湾史=国民党史」であることに多くの人が違和感を感じなかったが、民進党の政権が続き、国民党が野党である時代が続くにつれ、人々の歴史観が変わってきた。今年11月には陳水扁総統が、国民党からの反発を受けつつも、孫文と戦前の国民党の歴史を国内史として扱うことをやめ、外国史の一部として扱うという方針を発表した。(関連記事) ▼台湾独立につながらない台湾人意識 台湾の人々の約8割は、16−19世紀に福建省などから移住してきた農民の子孫、残りの約15%は国民党とともに大陸全土から台湾に移住してきた人々(外省人)で、これらの合計(人口の98%)は漢民族であり、人種的、言語的に「中国人」と同じである(残りの2%はもっと古い時代にフィリピンなどから移住してきたマレー・ポリネシア系の先住民)。 だが、台湾は日清戦争で1895年に日本に割譲されて以来、1945−49年に政権の主体が日本から国民党に切り替わった時代を経て現在に至るまで、中国大陸とは全く異なる歴史を経験している。その間に台湾人は中国人とは異なる「国民性」を持つようになっている、という考え方が、最近の「台湾人意識」の高揚の基盤となっている。 この「台湾人意識」の高揚を追い風として、緑色連合に対する人気が高まり、陳水扁は強気の選挙戦略を展開した。だが、投票が終わってふたを開けてみると、台湾人意識の高揚は、緑色連合に対する支持につながっていなかった。 その理由はどうも、台湾の人々は「台湾人意識」を強めつつも、実際に台湾が中国からの独立を宣言してしまうことは、中国による侵攻を招きかねず危険なので敬遠する、という意識があるためらしかった。 理想的には「台湾独立」だが、現実的には「現状維持」であるという、理想と現実を区別して考える現実主義的な意識が台湾の人々の中にあり、そのため緑色連合の支持者のかなりの部分が「台湾独立」を声高に掲げすぎる陳水扁と李登輝のやり方を敬遠し、投票を棄権した。選挙の投票率は59%で、今年3月の総統選挙の80%という高さに比べるとかなり低い投票率となった(前回2001年の立法院選挙の投票率は66%)。(関連記事) 棄権した人が多かった緑色連合の支持者に比べ、国民党の支持者は必死の党本部から必ず投票せよと動員をかけられて従った。その結果、緑色連合の中でも特に李登輝の台湾団結連盟に対する得票が落ち、その半面、国民党が意外に健闘する結果となった。 前出の、投票日2日前に泣いて危機感を表明した国民党の朱鳳芝議員は、前回当選時より5千票多い約5万票を獲得し、堂々の6回連続当選を果たした。対抗馬の民進党候補は、前回当選時より2万5千票も少ない約3万票しか取れず、落選した。(関連記事) 投票日前日に台湾団結連盟が行った集会では、主催者側は2万人の参加を予定していたのに実際は2千人しか参加しなかったことなど、後から考えれば緑色連合の不振が事前に感じられていた面もある。 ▼経済的には台中は相思相愛 理想は中国からの「独立」だが現実は「現状維持」が良いと台湾の人々が考えるもう一つの理由と思われるものは「経済」である。台湾と中国の経済は、すでに分かちがたく結びついている。台湾の金持ちや中産階級の多くは、中国に進出する台湾企業などに対して投資を行っている。中国で働く台湾人も増えている。だから台湾人の多くは、中国の経済発展が続くことを願っている。 中国の都会を歩くと、台湾からの経済的な影響がかなり強いことが感じられる。たとえば中国の各都市には「新華書店」という本屋がある。これは改革開放前からある政府系の書店で、かつてはいかにも社会主義という質素な作りの本がずらりと並んでいた。しかし最近では、この書店に並んでいる多くの本の装丁は、まるで台湾の本のようなおしゃれなデザインである。本の中身は中国のものであり、活字も台湾とは異なる簡体字であるが、本の装丁、デザインが台湾風である。これはおそらく、中国の出版社が、台湾のデザインを優れたものとして学び取った結果である。 同様に、中国の大都市に林立するようになった高層マンションの多くも、台北あたりのマンションと似た外観のものが多い。ファーストフードのレストランの多くも、サービスのやり方や雰囲気が台湾のものとそっくりだ。最近は中国でも比較的おいしいケーキなどのお菓子が登場しているが、これらの多くも台湾のノウハウで作られている。台湾のお菓子の多くは、もともと日本のノウハウで作られたものなので、上海などの都会を訪れる日本人は「中国のケーキの味は日本に似ている」と思うことになる(社会主義風の質素な味のお菓子もまだ多いが)。 これらのことからは、中国の経済発展にとって台湾の技術や資本が不可欠であることが感じられる。台湾人は(中には損する人もいるが)全体として中国で儲けている一方で、中国経済の方でも台湾の人材と資金を必要としている。このような状態なので、台湾人の中には、中国との経済関係が疎遠になることを望んでいない人が多いと思われる。 ▼政治的には中国と切り離されていたい台湾 中国は7年前にイギリスから香港を返還してもらったが、その後の香港は、以前の記事「中国による隠然とした香港支配」で見たように、共産党による支配体制が敷かれている。中国政府は香港に続いて台湾にもこの「一国二制度」のやり方を適用したいと考えているが、すでに自由選挙の民主主義を何回も味わっている台湾人の多くは、台湾が香港のようになることを望んでいない。 中国は現在、自由選挙による民主主義がほとんど行われていないが、社会的にはかなり安定している。そのため中国の知識人と話すと「中国では民主主義がなくてもみんな満足している。台湾にも現在のような民主主義は必要ないのではないか」といった意見を聞くことになる。 だが、これは中国人が民主主義を味わっていないことに起因する「未経験者」の発言である。民主主義というものは一度味わうと、失ってもいいとは誰も考えなくなる傾向がある(プーチン大統領の独裁強化を国民の多くが支持している最近のロシアのような例外もあるが)。台湾人は1950−80年代に国民党の独裁支配を受けているだけに、もう政治独裁はご免だと思っている。 (日本では、中国の地方都市で暴動などがあるたびに「中国は不安定だ」と主張する分析が出るが、その多くは中国脅威論に基づいた希望的観測であると私には感じられる。現在の中国を全体として見ると、かなり安定した社会である) 台湾の人々は、政治的には中国から切り離されていたいが、経済的には切り離されたくない。こうした微妙なバランスが「現状維持」を希望する事情となっている。今回の台湾選挙では、善戦した青色連合の中でも、中国と交渉して平和統一に向かうべきだと考える傾向が強い親民党が議席を減らしており、中国との政治交渉に期待する台湾人が減っていることがうかがえる。 ▼反中国から親中国・台湾独立阻止に転換したアメリカ 陳水扁や李登輝が台湾独立を前面に押し出さず、従来のように「現状維持」を掲げて選挙に臨んでいたら、緑色連合は議会の過半数を取っていたかもしれない。緑色連合がそのような戦略を採らなかったことには、アメリカの台湾政策の変化が関係していると思われる。 以前の記事「台湾を見捨てるアメリカ」に書いたように、アメリカは最近、台湾に対して「独立するな」と圧力をかける傾向が強くなっている。1980年代後半から強まり続けている台湾の独立傾向に対し、アメリカは従来は静観の姿勢をとってきたが、昨年あたりからしだいに独立傾向を阻止するようになった。 上層部に親中国派(経済重視派)と反中国派(軍事重視派)の対立を抱えるアメリカの中国台湾に対する政策は、強硬策と寛容策の間で揺れてきた。クリントン政権時代の末期には、アメリカは親中国の方に傾いたが、2001年にブッシュ政権になると「台湾の防衛を全力で助ける」とブッシュが発言し、2002年春には台湾の国防大臣が初めてアメリカを公式訪問し、180億ドルの武器をアメリカから買うことになった。 米軍は2001年秋のアフガン戦争を機に中国の西にある中央アジア諸国にいくつも米軍基地を新設し、同時に中国の東にあるフィリピンには、100人程度しかいないイスラム過激派「アブサヤフ」の掃討のためと称して数千人の米軍兵士が送り込まれた。アメリカは東西から中国包囲網を強化しているように見えた。 だがその後、ブッシュ政権の対中政策は、2003年春のイラク侵攻の前後から、敵視政策をやめて寛容政策へと転換し始めた。北朝鮮をめぐる6カ国協議は、中国に下請けするという名目で主導権がアメリカから中国に移り、北朝鮮の問題が解決されるとしたら、その後の朝鮮半島に最も大きな影響を持つ大国は、アメリカではなく中国になる方向性が強くなった。 2003年6月にフランスで開かれた先進国の首脳会議(G8)では、中国から胡錦涛国家主席が招待され、中国が先進国の仲間入りする日がいずれ来ることを思わせた。胡錦涛と会談したブッシュは、台湾の独立を許さない態度を明らかにした。ドルの下落傾向が止まらないため、中国人民元を切り上げさせようとする圧力も、欧米日から中国に対して強まったが、これも長期的に見ると、アメリカが弱くなる分、中国が強くなることを意味している。 こうした流れの中で、今年11月にはパウエル国務長官が北京で「台中はいずれ統一すべきだ」「台湾は主権国家ではない」と発言し、台湾の選挙が終わった後の12月20日には、アーミテージ国務副長官が「中国が台湾を侵攻しても、アメリカは台湾に派兵する義務はない」「台湾の存在は、米中関係にとって地雷原(のように危険なもの)になりつつある」と発言した。(関連記事) アメリカの台湾関係法では、アメリカが台湾に武器を売ることを定めているだけで、派兵については書いておらず、アーミテージ発言は従来のアメリカの立場を大きく逸脱するものではない。だが、法律的ではなく政治的には、アメリカが中国に対して寛容になり、台湾に対して厳しくなっていることを示す象徴的な発言となっている。 ▼憲法改定で「一つの中国」を葬り去ろうとしたが・・・ アメリカ以外にも、オーストラリアやシンガポールといったアメリカの同盟国が最近、台湾を見捨てて中国に接近する態度をとっている。最近、南太平洋のバヌアツ共和国で、台湾から資金援助を約束されたボオール首相と、中国から資金援助を受けてきた他の政治家たちが対立する事件があったが、このときオーストラリアは中国側を支援してバヌアツに内政干渉した。その結果、ボオール首相は辞任し、台湾との関係は断絶され、中国から追加の資金援助が入って終わっている。(関連記事) 今年8月に台湾を訪問したシンガポールの新首相も、中国から非難された結果、中国にすり寄って台湾を批判する言動に転じた。東南アジア諸国は全体として親中国の方向に傾いている。 対米従属の国是に基づき、反中国意識が高まる日本の言論界では「アメリカは、オーストラリア、東南アジア、台湾、日本とつながる中国包囲網を強化していくだろう」という分析をよく聞くが、オーストラリアやシンガポールの態度を見ると、その見方は間違いであり、希望的観測であると感じられる。ブッシュのアメリカは、2001−02年には中国を敵視して包囲網を強化するように見えたが、その後は方向を逆転し、親中国に傾いている。 このようにアメリカが中国に寛容に、台湾に厳しく接するようになるとともに、中国が外交的、経済的に勃興している現状では、台湾独立を希求する陳水扁・李登輝らの緑色連合は、なるべく早く台湾を独立状態に持って行かねばならないと考えて当然だ。 そのための作戦の一つが、今回の選挙戦で緑色連合が掲げた新憲法の制定だった。国民党が全中国を統治していた時代に作られた中華民国の憲法を廃止し、新たに台湾の憲法を作ることは、台湾側が法律面で「一つの中国」を葬り去ることを意味しており、新憲法が制定されれば、中国が主張する「一つの中国」は建前としても現実に合わないものになり、他の国々が中国に「台湾との統一はあきらめた方が良いですよ」と言い出す可能性が増える。(関連記事) 2008年の北京オリンピックなどを経て、2015年ぐらいになると、世界における中国の大国としての地位が確立し、それだけ台湾の独立は難しくなり、欧米諸国から台湾への「独立を捨てよ」という圧力も強くなると予想される。だから、緑色連合にとっては、憲法改定を急がねばならない。 「新憲法の制定」を争点にした今回に選挙で緑色連合が勝って議会の過半数を取っていたら、陳水扁や李登輝は「台湾の国民は今回の選挙を通じて新憲法の制定に賛成した」と言えることになり、台湾憲法の制定にはずみがつけられる。そう考えて、緑色連合は、無理をしても憲法問題を選挙の争点に選んだのだろう。だが、この作戦は成功しなかった。
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