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台湾政治の逆流(2)

2005年5月10日  田中 宇

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【この記事は「台湾政治の逆流」の続きです】

 中国で「反分裂国家法」を制定すべく全人代(議会)が開幕する前日、今年3月4日に中国政府の要人たちが集まって政治協商会議が開かれた。

 翌日からの全人代では、それまで政府のトップにいた江沢民が、中国の三大要職(共産党総書記、国家主席、中央軍事委員長)のうち、彼が最後まですわっていた軍事委員長の座を降りることが決まっていた。この日の会議は、いよいよ中国の全権が胡錦涛に集中する新時代の幕開けを期する集まりだった。

 この会議で胡錦涛は、台湾問題に関する方針提案を行った。(1)「一つの中国」の原則を守る(2)平和的な台中統一に努力する(3)(国民党など)台湾の人々(が島内の独立運動を止めてくれること)に希望を託す(4)台湾独立運動に反対し続ける、という4カ条の提案(胡4点)は、箇条書き的には先代の江沢民の方針とあまり変わらないものだった。(関連記事

 だが、そのあと胡錦涛政権がこの方針に従って行った台湾側に対する具体的な呼びかけは、従来よりも「台湾側と直接交渉する」ということに踏み込んでいた。(関連記事

 胡錦涛は「一つの中国の原則を承認する台湾の組織や人物なら、誰でも中国訪問を歓迎する」という呼びかけを行った。これまで中国側は、陳水扁は「隠れ独立派」なので歓迎しないという方針をとっていたが、新しい方針は、陳水扁でも「一つの中国」の原則に立つ限り歓迎する、ということである。

▼台湾は生け簀に入れられた魚

 ここでいう「一つの中国」とは、台中間で1992年に合意したとされる「中国は一つだが、その内容については台中双方が勝手に定義してかまわない」(一中各表)という原則で、中国側は「中華人民共和国」を、台湾側は「中華民国」を唯一の中国であると主張できるというものだ。対立点を棚上げしつつ、できる部分から台中関係を緊密化し、やがて中国が先進国になって台湾を統一しやすくなるまで現状維持を続けようとするのが「胡4点」の意図であると考えられる。

 胡錦涛の台湾政策は「中国は一つだと言う人なら誰でも歓迎」という「胡4点」の懐柔策と、「台湾が独立の方に進みすぎたら軍事侵攻も辞さない」とする「反国家分裂法」の強硬策という、硬軟両面の方針が一体となっている。台湾側は「反分裂国家法」によって独立国になる道が閉ざされている半面、「胡4点」では「中華民国」として現状を維持する自由が確保されている。

 胡錦涛は、台湾という魚を、湾の中の養殖場に閉じ込めて生かしておきたい方針であると感じられる。魚が海に逃げていかないよう「反分裂国家法」という「仕切り」を作る一方、魚が最小限泳いで生きていける生け簀的な政治空間を「一中各表」の枠組みとして与えている。中国側が、民主化の面や国内安定の面からみて無理なく台湾を併合できる日がくるまで、台湾を生け捕りにしておこうとする戦略である。

 以前なら、アメリカという助っ人が、海の向こうからやってきて生け簀の仕切りを外してくれたかもしれないが、現在のアメリカは、台湾が海に逃げ出す(独立する)ことに反対を表明し「一つの中国」を肯定したうえで「胡錦涛と陳水扁は直接話し合いをすべきだ」と主張している。つまり、アメリカは台湾に「生け簀の中で生きろ」と言っている。(関連記事

▼台湾政界のジョーカー宋楚瑜

 3月4日、生け簀に向かって胡錦涛がまいた「中国は一つだと言う人なら誰でも歓迎」という「まき餌」に食いつき、その後相次いで中国を訪問したのが「一つの中国」「中華民国」を支持し続けてきた国民党と親民党だった。

 国民党と親民党は台湾の2大野党で、両党を合わせる(青色連合)と、民進党と台湾団結連盟の与党(緑色連合)よりも議会(立法院)の議席が多くなる。この状態は、昨年12月の議会選挙でも崩れず、選挙のあとでいよいよ両党は合併すると思われていたが、意外なことに親民党の党首宋楚瑜は国民党を裏切り、与党民進党に接近した。(関連記事

 宋楚瑜は、台湾政界における「ジョーカー」である。彼の親民党はしだいに小さな勢力になっているものの、彼自身はかなりの策士で、誰にも本心を明かさないまま意外な行動を重ね、その結果、思いがけない成果を生み出している。

 彼の親民党が大方の予測通り、国民党と合体していたら、台湾政界は、独立派の陳水扁が政権を握り、統一派の青色連合は議会を握りつつも陳水扁の政策の立法化を阻止し続けることしかできず、拮抗状態の中で何も変わらない状態になっていた可能性が大きい。

 そうではなくて、宋楚瑜が国民党と合併せずに陳水扁の民進党と組み直したことにより、アメリカから「台湾独立はやめなさい」と批判され、できることなら台独を捨てて方針転換したいと考えていた陳水扁は、独立から統一の方向に転換することが可能になった。(関連記事

 そして、宋楚瑜に捨てられ、国民党の党首を辞める日も近くなった連戦は「こうなったら、やりたいことをやってから引退しよう」と考え、国民党の党首として60年ぶりに大陸を訪問し、4月30日に胡錦涛と歴史的な会談を実現するに至った。宋楚瑜の謀略は陳水扁と連戦を動かし、台湾は反中国から親中国の方向に劇的に転換した。(関連記事

▼地味な連戦、最後の一発逆転

 意表を突く宋楚瑜とは対照的に、連戦は地味に一本気な政治家である。連戦は1994年、李登輝政権下で首相(行政院長)だったころから「経済を中心に台中間を緊密にしていくべきだ」と主張し続けてきた。1996年には「台湾を、中国市場に精通した勢力として、アジア太平洋における一つの経済センターにする」という国家構想を打ち出した。ところがちょうど同時期に、政権内の上司(総統)だった李登輝は、台湾を中国から離れて独立させる方向に戦略転換し、中国と関係を緊密にする連戦の構想は潰された。

 連戦は2000年の総統選挙に出馬したが、上司で味方だったはずの李登輝は、連戦の対抗馬の陳水扁を隠然と支援して勝たせ、連戦に屈辱を与えた。その後、連戦は野党になった国民党の党首を続け、宋楚瑜の親民党と合体して民進党に対抗できるかと思いきや、宋楚瑜にもてあそばれ続け、今年に入って宋楚瑜はついに連戦を裏切って陳水扁に接近していった。連戦連敗の連戦は、今年7月に予定されている党大会でさびしく引退するとみられていた。(関連記事

 ところが、3月4日の「胡4点」は、そんな連戦に最終回一発逆転のチャンスを与えた。「一つの中国」の原則に立ち、経済関係から先に中国と緊密化していく道は、10年以上前から連戦が考えていたことである。中国側との思惑が一致した連戦は、3月下旬に副党首の江丙坤を先鋒隊として中国に派遣し、自らは5月14日の台湾における国民大会代表選挙の後に訪中する予定を立てた。(関連記事

 ここで再び宋楚瑜がジョーカー的に動き、自分の方が連戦よりも先に訪中しようとする動きを見せた。いつものように、宋楚瑜の本心は不明だが、統一推進派の宋楚瑜は、連戦に訪中を前倒しさせ、台中関係の緊密化の速度を早めようとしたのかもしれない。

 宋楚瑜に先を越されたくない連戦は、予定を前倒しして4月末に訪中し、4月30日に北京で胡錦涛と会談した。国民党と共産党のトップが60年ぶりに会うという、歴史的な出来事を実現させた。「連胡会談」は、台中の共同市場を設立する構想や、台中の軍事衝突を避けるためのホットラインを設けるべきだという話で合意した。(関連記事

▼投石の旅、搭橋の旅

 連戦は訪中を急いだが、拙速ではなくバランスがとれていた。事前にアメリカ政府の台湾駐在代表(ダグラス・パール)に会い、訪中について話を通しておいた。ブッシュ政権は、台中の交流は望ましいという姿勢を示した。(関連記事

 また連戦は訪中前にシンガポールに飛び、以前から台中間を橋渡ししようとしてきた同国の権力者、李光耀(リー・クアンユー)前首相に会い、話を通した。シンガポール政府は、連戦を国家元首クラスの国賓として歓迎した。(関連記事

「野党が勝手に敵である中国と話をつけようとすることは、国家に対する重大な犯罪である」と主張し、訪中を非難していた民進党の陳水扁政権に対しては、連戦は「私は、陳水扁総統がいずれ中国を訪問するときのための露払いに行くのです」と表明し、自らの訪中を「投石の旅」と名づけた。(関連記事

(「投石」とは「投石問路」の略で、石を投げて反応を見ることで、前方に対して探りを入れるという意味。同様に、連戦の後に訪中した宋楚瑜は、自らの訪中を「搭橋(橋渡し)の旅」と名づけた。陳水扁と胡錦涛の橋渡しを行うという意味だろう)(関連記事

 訪中前には「連戦は国民党党首として、共産党との党どうしの和解文書に署名し、1940年代から続いている国共内戦を終わらせる宣言を行うのではないか」という「第3次国共合作説」も流れた。しかし連戦は、陳水扁政権に配慮し、台中間の国家関係に影響をおよぼす党間文書を作ることを避けた。(関連記事

(国共合作とは、中国を占領する欧米列強や日本と戦うため、国民党と共産党が対立をやめて協力関係を結んだことで、1924年の1回目はソ連が中国共産党に命じて行われ、1937年の2回目は日中戦争の開始後に行われたが、日本が敗退した後、再び国共は内戦になった)

 バランスをとった訪中を行い、胡錦涛との歴史的会談をも実現させた連戦に対する党内外からの人気は高まり、国民党に対する支持率は訪中後に10ポイント上がり、7月の党大会で引退せず続投してくれと連戦に求めるいう意見も党内から続出する事態となった。連戦の訪中は、台独支持の高まりで死にかけていた統一派を思いがけず復活させることになった。(関連記事

 台湾の民意の中心は「現状維持重視」であるが、どうやって現状を守るのが良いかという点で揺れ動いている。これまでは「中国に強引に統一されるとひどいことになる。独立を唱え続けることこそが現状維持である」という台独派が強かったが、連戦の訪中とともに「中国はそれほど強引ではない。中国市場こそが台湾の生きる道だ。生け簀は意外と心地よい。独立など唱えず、中国と交渉しつつ現状を維持する方が良い」という統一派が強くなった。

▼揺れ戻しで陳水扁の再転向

 連戦が胡錦涛と会った直後「連戦と宋楚瑜の露払いを経て、早ければ年内にも陳水扁自身が訪中し、胡錦涛と歴史的な和解をするのではないか」といった予測も流れた。ところが、その後また揺れ返しが起きた。

 連戦の訪中によって、民進党に対する支持率が急速に落ちたことは前回の記事の末尾に書いたが、これに対して民進党内では「陳水扁が選挙公約である台湾独立の目標を捨て、連戦や宋楚瑜の訪中に乗って中国にすり寄る態度を見せたことが、党の支持者を失望させている」と、人気凋落を理由に陳水扁を非難する台独派主導の動きが広がった。(関連記事

 連戦訪中とほぼ同時期に、陳水扁は南太平洋諸国を外遊していた。南太平洋には、数少ない台湾の友好国がいくつかあり、そこを歴訪することは台湾の指導者にとって必要はことではある。しかしこの時期、陳水扁があえて外遊したのは、ほかの理由があった。連戦の訪中に対し、民進党内でどんな意見が支配的になるか、見極めがつくまで国外に出ていた方が、自分に火の粉がかかりにくいという判断だった。(関連記事

 陳水扁は、連戦や江丙坤らの訪中に対し、最初は「利敵行為だ」と批判していたが、アメリカが訪中を歓迎する姿勢を示唆し、連戦が自分の露払いになってくれると宣言するや、訪中は悪いことではないという態度に転向した。(関連記事

 陳水扁としては、連戦訪中を機に、中国との交渉に希望を持つ人が増え、民進党内で台独派が少数派になっていくのなら、自分の態度を変えずにすむが、そうではなくて台独派の優勢が続き、自分に対する批判が強まった場合、再び態度を変える必要があった。そして現実は後者の方になった。

 このため、陳水扁は南太平洋諸国の外遊から帰国した翌日の5月8日、党内の国会議員や地方議員らを集めて会議を開き、連戦らの訪中を強く非難する演説を行った。陳水扁は、再転向したのだった。(関連記事

 民進党の支持層の中には、台湾南部の農家が多いが、彼らの中には、自分たちが作った野菜や果物などの農産物を中国市場に輸出したいと考えている人も多い。中国政府は、こうした台湾農民の歓心を買おうと最近、台湾の農産物の輸入に許可を出し、中国のスーパーマーケットなどには台湾産の果物などが並ぶようになっている。(関連記事

 こうした動きを制したい陳水扁は「中国側は、最初は良い条件で誘ってくるが、誘いに乗って中国に進出した人が安住した後になって断れない要求を出し、自分たちの言いなりにさせてしまう。中国はこの方法で、多くの台湾商人に圧力をかけている。甘言に乗ると、台湾の農民も、農奴にされてしまうだろう」と述べたりした。(関連記事

▼中国側でも「一中各表」の限界が露呈

 中国側にも亀裂が入った。5月5日から訪中した宋楚瑜が「一中各表」の原則に沿って「中華民国」という言葉を盛り込んだ挨拶を行ったところ、共産党内部から、この発言を許した党中央に対して批判が集まり、中国側から要請を受けた宋楚瑜は、次からの挨拶では「中華民国」を使わないようにした。(関連記事

(宋楚瑜は、陝西省の黄帝陵と南京市の中山陵を相次いで訪問し、いずれも中国の中央テレビによって中国全土に実況中継された。黄帝陵訪問時には、読み上げた祭文の中の年号を示す箇所に、西暦と並んで「中華民国94年」という表現があった。翌日の中山陵では、事前に台中のマスコミに配布された祭文には、前日と同様に「中華民国」の表記があったが、実際に読み上げられたときには、中華民国のところをすっ飛ばし、西暦のみだった。台湾のマスコミがすっ飛ばしに気づき、問題にした。この日、宋楚瑜は責任を逃れるためか、自分ではなく代理の親民党幹部に祭文を読ませた)(関連記事

 中国側は、建前では「一中各表」をうたってきたが、実際に国内で宋楚瑜が「中華民国」と発言し始めると、それに対して国内で起きた反発に耐えられず、宋楚瑜に頼んで急遽、発言をやめてもらわざるを得なくなった。

 これを見て台独派は「中国は言論弾圧をした」と騒ぎ、陳水扁は「そもそも、中華民国の存在と、一つの中国の原則は矛盾している。宋楚瑜が中華民国という言葉を使うとき、それは自動的に、中国には中華民国と中華人民共和国という2つの国があるという意味になる」と批判した。(関連記事

 訪中の容認から非難に転じた陳水扁政権と、中華民国という言葉に対する容認から制止に転じた胡錦涛政権。いずれも内部からの反発の結果、台中の友好ムードは、短期間のうちに冷めてしまった。

▼台独に本格的に戻れない陳水扁

 とはいうものの、これで台中緊密化は終わりかというと、そうでもなさそうだ。陳水扁が台独側に再転向したことについて、連戦の国民党や中国側は「陳水扁の再転向は、5月14日に予定されている台湾の国民大会代表選挙を乗り切るため、一時的に党内を結束させる必要があったからで、選挙が終わって一段落したら、再び中国と交渉しようという態度に戻るだろう」と予測している。(関連記事その1その2

 私には、国民党と中国側の予測は妥当だと感じられる。それは、アメリカが台中双方に対して「交渉せよ」と求めているためである。連戦の訪中が終わった5月5日、ブッシュ大統領は胡錦涛国家主席に電話し、野党の連戦や宋楚瑜だけと会うのではなく、政権を担当している陳水扁と話をせよと求めた。(関連記事

 アメリカは以前から「一つの中国」の原則を承認しており、ブッシュが胡錦涛に「陳水扁と会え」と求めたことは、胡錦涛に一つの中国の原則を掲げつつ陳水扁を説得して交渉することを求めていることになる。(関連記事

 今後、胡錦涛が誘い続けても陳水扁が乗ってこない場合、悪いのは台独にこだわって交渉しない陳水扁の方だということになりかねない。すでにアメリカの後ろ盾が失われている以上、陳水扁は、政治的なポーズを越えて本格的に台独の方向に戻れない状況になっている。

▼台湾問題をめぐる中国人と日本人の誤解

 最近、日本の政治家などが台湾を訪れ、日本が台湾に接近しているように見受けられる動きがある。台湾が日本の傘下に入って中国と対峙するかもしれないと指摘されている。特に、中国の知識人には、そのように考えたがる傾向があるようで、中国で書かれた分析には「日本は台湾を再び支配したがっている」といった見方がよく出てくる。

 私から見ると、日本の政界が台湾に接近したがる動きの背景には、日米同盟を強化するためには中国を敵としてはっきり想定する必要があり、そのためには日米同盟を日米台3カ国の同盟に発展させるのが良いという考え方があると思われる。日本は、戦前のような台湾支配を復活させたいのではなく、アメリカとの関係強化のために台湾問題を使おうとしている。

 戦後の日本の外交政策は、世界一強いアメリカと良い関係を結ぶことがすべてである。アメリカに敵視されかねない「戦前の台湾支配の復活」など、日本の当局者は望んでいない。中国の知識人の多くは、戦後日本の本質を誤解している。

 しかも、中国を日米共通の敵にしたいという日本側の作戦は、実際のアメリカの対中政策を見誤った末の産物であり、成功しそうもない。アメリカは、中国を仮想敵として設定する方向に動いていない。台湾問題にしても、北朝鮮問題にしてもすべて、アメリカはなるべく口を出さず、中国に交渉を主導させて解決したいという意志を表明する方向に動いている。

 日本人の誤読が起きる背景には、前回の記事に書いたとおり、アメリカの対中政策は本質が見えにくいことがある。日本人はアメリカを誤読し、中国人は日本を誤読していると感じられる。



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