日本:脱亜入欧から親米入亜へ2005年10月4日 田中 宇この記事は「不利になる日本外交」の続きです。 アメリカは、日本から東南アジアを経て中央アジアに至る三日月型の地域に米軍基地を点々と設けることで「中国包囲網」を作っているとされる。沖縄の米軍基地は、その東の端である一方、西の端は、中央アジアのウズベキスタンにあるハナバード基地(Karshi-Khanabad)である。同基地は、911事件の直後、アメリカがアフガニスタンを侵攻するにあたり、ウズベキスタン政府から借り上げた空港である。 最近、ウズベキスタン政府はアメリカに対し、ハナバード基地から出ていってくれと言い出した。表向きの理由は「アフガニスタンの戦争が一段落したので、基地の必要性が低下したはずだ」というものだが、実際の理由は、5月にウズベキスタンのアンディジャンという町で暴動が起き、ウズベク政府軍が暴徒に対して発砲した事件に対し、アメリカが「ウズベク政府は市民の民主化要求を弾圧した」と非難しているためである。(関連記事) ウズベクのカリモフ大統領がアメリカの内政干渉に怒っているのに乗じて中国とロシアが接近し、ウズベクの石油を中国とロシアが買ってあげるから、米軍基地を追い出してはどうか、と持ち掛けた。カリモフはこの取引に乗り、アメリカに基地の返還を求めた。アメリカはカリモフと交渉したが、アメリカがアンディジャンの発砲事件を人権侵害と批判する姿勢を崩さないため決裂した。米軍は今年末までにハナバード基地を撤退することになり「中国包囲網」の西の端が破れることになった。(関連記事) こうした表面的な経緯からは「民主化を重視するアメリカ」と「人権弾圧をする独裁者カリモフ」の対立に「自らも独裁で反米の中国とロシア」が介入して漁夫の利を得たように見える。しかし、アンディジャンの発砲事件を詳細に見ると、実は人権侵害や民主化などとは関係ない事件であることが分かる。 アンディジャン州には昨年までオビドフ知事(Kobiljon Obidov)という長期政権の知事がいたが、経済開放政策の中でこの知事の体制がしだいに腐敗し、一昨年には真冬に市民に暖房用のエネルギー供給ができなくなったり、乗り合いタクシー会社を儲けさすために市内バス路線が廃止されたりして、市民の反知事デモが起きた。このため中央政府の肝いりで昨年、オビドフ知事が解任されて別の新知事と交代し、オビドフと結託していた地元財界人たちも逮捕されたが、この過程でオビドフ系の勢力と、新知事系の勢力の対立が激化し、今年5月にオビドフ系財界人23人に対する裁判が開かれたとき暴動に発展し、中央政府が介入して発砲事件起きた。(関連記事) ウズベク政府は「財界人23人はイスラム原理主義のテロ組織に属している」と主張し、アンディジャンの事件を「テロ戦争」の一環に位置づけようとした。これは誇張であると欧米に批判されたが、実は「事件は、民主化を要求する一般市民に政府軍が発砲した弾圧事件である」とする欧米の主張も、それに劣らずひどい誇張である。ウクライナやグルジアのように、欧米が言いがかりをつけて親ロシア政権を転覆し、親欧米政権と交代させるという「民主化」作戦が、ウズベキスタンでも起こりかけたのであり、カリモフ大統領が怒るのは当然だった。(関連記事) ▼ネオコンもブッシュ批判 濡れ衣を着せて政権を転覆させるアメリカのやり方は、イラクで行われ、今またイランやベラルーシなどでも行われかけているが、逆効果が大きく、失敗続きの状態になっている。「世界民主化作戦」を最初に発案し、これをブッシュ政権の主要な戦略に仕立てた張本人である米政界のネオコン勢力も「ブッシュ政権の失敗はひどすぎる」と言い出した。ネオコンの牙城であるアメリカン・エンタープライズ研究所の若手ネオコンであるマイケル・ルービンがブッシュ政権を批判した記事(Who killed the Bush doctrine?)がその一つだ。(関連記事) この記事によると、リビアのカダフィ政権が昨年3月、民主活動家のファティ・エルジャーミ(Fathi el-Jahmi)を釈放したとき、ブッシュ大統領は「これはアメリカの世界民主化戦略の成果だ」という主旨の演説を行った。その2週間後、リビア政府はエルジャーミを再び逮捕したが、そのときはブッシュ政権は何のコメントもせず、すでに承認した欧米企業の対リビア投資をストップする措置もとらなかった。 ネオコンは、親アラブのアメリカの石油産業と、その代理人であるライス国務長官が、ブッシュの世界民主化戦略を壊している、と批判する傾向がある。これは、以前からの米中枢における「イスラエル(ネオコン、ユダヤロビー)」対「アラブ(石油産業)」の対立を引きずっているが、同時にこうした対立が次々とブッシュの世界民主化作戦を壊滅させていく過程を見ると、この対立より一つ上の次元で、故意にアメリカの世界戦略を壊滅させている多極主義の動きがあるのではないかとも感じられる。 ▼そろそろ2本立て戦略に移行すべき日本 外務省など日本政府系の人々と話すと、アメリカの外交があまりに稚拙な失敗を繰り返していることは、皆さん把握している。しかし、多くの人は「現状は一時的なもので、いずれアメリカ政府は方向転換し、いずれ再び世界を指導する戦略(国際協調を重視する欧米中心主義)に戻る」と予測している。 アメリカは意図的に失敗して世界を多極化したいのではないかという私の推論は、とんでもない話として受け取られる。日本の政策決定にかかわる人々の中で、アメリカが失敗を重ねているのは意図的な行為ではないかと考えている人はいそうもない。 しかし、アメリカの新戦略の最初の成功例になるはずだったイラクは大失敗の泥沼と化し、新戦略は成功しないことが明らかになってから、すでに1年以上が過ぎている。方向転換するつもりなら、もうとっくにしていなければならないはずだが、ブッシュ政権は全く方針を変えていない。しかも、次期大統領を狙う民主党のヒラリー・クリントンなども、ブッシュに負けないタカ派的な外交政策を掲げている。(関連記事) 外務省などで主流の「アメリカは、いずれまともな状態に戻る。反米諸国は潰される。もう少し辛抱すれば、日本は対米従属を続けていて良かったと思える状況になる」という考え方は、しだいに希望的観測の度合いを増している。現実的に考えるなら、そろそろアメリカがまともな状態に戻らず自滅していく場合を想定した日本の戦略を準備し、アメリカがまともな状態に戻る場合と、戻らなかった場合の両方を想定した、2本立ての戦略に移行すべき時期である。 しかしそもそも、日本が戦後ずっと対米従属一本槍の国策を続けたのは、第二次大戦に突入する過程で外交的にアメリカに引っかかった結果、追い詰められて開戦し、惨敗した教訓から、独自の外交戦略を持たず、日本よりずっと外交戦略が巧妙で世界最強のアメリカにくっついていった方が賢明だと考えたからである。そのため日本では、下手にアメリカからの自立を模索すると、反撃されていつの間にか再び世界の悪者にされ、後悔する結果になるかもしれないので、やらない方がよいとする考えが強い。 このような日本人の心理を考えると、アメリカの覇権力が低下した場合の戦略を準備するにしても、それは従来のアメリカ重視や親米の態勢をできる限り維持したままで行う必要がある。 ▼対米関係を強化するために米抜きの共同体に入る アメリカ重視を維持しつつ対米従属から脱するなどということは、矛盾しているように見えるが、実はそうではないということを、最近ある中国人が書いた論文から教えられた。それは、イギリスの「王立国際問題研究所」(Royal Institute of International Affairs)の上席研究員であるルー・イーイー(Yiyi Lu、漢字名不明)という中国人が書いた「アジアへの架け橋」(A bridge to Asia)という論文である。 この論文は、次のような主旨だ。アジア諸国は相互の不信感が強く、欧米のNATOのような多国間の安全保障体制がないことを考えると、日本政府がアメリカとの同盟関係を重視するのは理にかなっているし賢明だ。しかし、アメリカが今後もずっと日本を重要な同盟国と考えてくれるとは限らない。日本人が、どうしたらアメリカを引きつけておけるかを考える場合、参考になるのはイギリスの戦略である。 冷戦後の欧州で、アメリカの覇権に対峙するかのようなEUが作られ、イギリスがそれに加盟したとき「イギリスは、アメリカとの同盟関係が最重要なはずなのに、なぜEUに入るのか」と尋ねられたブレア首相は「イギリスがEUに入って主要国になれば、アメリカがEUを動かそうとしたときに、イギリスに頼むのがよいという話になる(アメリカはイギリスを軽視できなくなる)。EUに入れば、英米間の同盟関係も強化されることになる」と答えた。 東アジアでは今、日本や中国、韓国、東南アジア諸国が「東アジア共同体」(East Asian Community)を作る構想が進み、今年末にクアラルンプールで初の首脳会議(東アジサミット)が開かれるが、そこにアメリカは招待されていない。アメリカが参加しないので、対米関係を重視する日本は、東アジア共同体に対して消極的になっている。 しかし、EUに入ったイギリスの戦略を日本に当てはめるなら、日本は東アジア共同体に対して積極的になるべきである。アジアにもアメリカ抜きの共同体が作られるとしたら、日本がそこに入って主導権を握ることで、アメリカにとって無視できない存在になれるからだ。日本は、東アジア共同体に積極参加することで、アメリカとの同盟関係も強化できるのである。 日本が東アジア共同体に積極参加することは、中国も歓迎だ。中国のある高官は最近「中国と日本が一緒に東アジア共同体の運営で協力していけば、日中の2国間のわだかまりを、多国間の枠組みの中で解決していくことができる」と述べている。日本が東アジア共同体に積極参加すれば、日米関係も日中関係も良くなるのである。(論文主旨ここまで) ▼アングロサクソンと中国人の理論力 日本では「中国などアジア諸国と戦略関係を作り、対米従属一本槍をやめて自立した外交をやるべきだ」と主張すると「アメリカから敵視されてもかまわないのか」と反論される。「絶対服従」か「一戦交える覚悟で自立」かという二極論で、間がない。これは「無条件降伏」以来の、いさぎよいかもしれないが頭を使わない日本の外交論の特徴である。そこには、上記の論文のような発想を思いつく余地がない。 「親米を貫くために、アメリカをのけ者にする多国間共同体に参加する」という、白を黒と言いくるめる戦略的詭弁は「資本主義化」を「社会主義市場経済」と呼んだトウ小平の理論や、実は存在しないイラクの大量破壊兵器をあることにしたアメリカの詭弁、中東の二枚舌外交に象徴されるイギリスの外交政策など、中国人とアングロサクソンという、世界の有力な理論家民族の合作という感じがする。 上記の論文の発表者が属している「王立国際問題研究所」は、イギリスの世界支配の戦略を練り続けてきた場所である。チャタム伯爵という人の屋敷だった建物に本拠地を構えたので「チャタムハウス」(Chatham House)という通称で呼ばれるこの研究所は、1919年に第一次世界大戦を終わらせるパリ講和条約が開かれたときに、設立が決まった。 公式なパリ講和条約の会議とは別に、米英仏など代表団の一部がパリのホテルで会合を持ち、各国に国際問題の研究機関を作り、それらが相互を連携させて研究機関のネットワークを作ることを決めた。各国に作る国際問題の研究機関は、各国政府が外交政策を決める際に影響力を及ぼすような有力なものにして、研究機関のネットワークが世界を動かし、国際協調体制の要になることを目指した。(関連記事) この合意に基づき、イギリスに作られたのがチャタムハウスであり、アメリカに作られたのが外交問題評議会(CFR、1921年設立)だった。2つの研究所は、米英の世界戦略を仕切る存在になり、CFRが発行母体となっている隔月刊の外交論文集「フォーリン・アフェアーズ」は「今後のアメリカの外交政策が読み取れる」と言われている。チャタムハウスは、今でこそCFRほど有名ではないが、欧州の経済政治統合を目指して第二次大戦中から動き出し、今のEU統合の布石を作ったことなどで知られている。(関連記事) そうした観点でこの論文を見ると、一人の研究者の個人的な見解を越え、英米の戦略決定者の中に、中国と日本を中心としたアメリカ抜きの東アジア共同体の設立を作り、いずれアジアをEUのように統合した存在にしよう、と考えている人がいるのではないかと思われてくる。 ▼アメリカは東アジア共同体に反対していない 日本が東アジア共同体に積極参加することは、東南アジアや韓国など、中国以外のアジアの国々も望むところである。それらの国々は、中国だけがアジアの中心として強大化し、周辺国への介入を強めることを恐れている。中国自身は「平和な大国化」「中国は覇を唱えない」などと言っているが、その一方で軍事力の急拡大を図っており、周辺国の心配は消えていない。 アジア諸国は、日本が中国と仲良くしつつ牽制してくれればありがたいと思っている。軍事的にも、アジアで中国より強い国は日本しかない(今のところ、日本の自衛隊は中国軍よりはるかに大きな戦力を持っていると中国側が分析している)。(関連記事) 日本では、外務省から評論家まで「アメリカは、自国が外されている東アジア共同体の設立には反対で、いつか潰してやろうと思っている」と考える人ばかりだが、私が感じていることは違う。アメリカの上層部には、自国を外してアジアが統合しようとすることを、ひそかに歓迎している勢力があると感じられる。 たとえば、アメリカの保守系シンクタンク「ヘリテージ財団」の上級研究員は今年8月、アメリカ抜きの東アジア共同体の設立をとりあえず容認すべきだと主張する論文を発表した。アメリカ自身は参加しなくてもオーストラリアや日本といった同盟国が参加するので、中国などが反米的な動きをしても止めてくれる、共同体に参加する諸国は台湾が侵攻されるのに反対だから、その分中国は抑制されることになる、といったことが主張の根拠である。 アメリカは軍事力より外交力(ソフトパワー)を重視すべきだと言い続けてきたハーバード大学のジョセフ・ナイも今年5月、東アジアサミットにアメリカが関与・出席しないことについて「アメリカがいない方が、アジア諸国自身がアジア地域の問題解決に努力することを促進できる」として評価している。(関連記事) 今年12月の東アジアサミットは、ASEAN(東南アジア諸国連合)の提唱で開かれるもので、アメリカを招待しないと決めたのも今夏のASEANの会議だ。東南アジア諸国は昔から、アメリカ、中国、インド、日本などの大国間のバランスをとった外交を展開しており、いずれかの大国が強く反対することを無理に実現する勢力ではない。内々にアメリカに話を通した上でなければ、アメリカ抜きのサミットを企画することはないと思われる。 ▼多極化時代に適した「脱米入亜」「親米入亜」 米英の新聞記事を裏読みしていくと、中国やインドの台頭やアジア統合などの動きは、欧米を世界の中心にした産業革命から200年が過ぎた今、世界の中心が欧米からアジアへと移っていく過程に入っていることを示唆する記事によく出会う。日本はすでに先進国であり、これまでの欧米中心の世界体制の中で豊かになった国なので、欧米中心の体制が失われることは、日本の衰退につながりかねないという不安を持つ人もいるかもしれない。 だが、中国が勃興したら日本は必ず衰退するとか、アメリカがアジアから撤退したら日本も終わりだと考える必要はない。日本は明治維新後、アジアを率いて欧米と対決しても勝てないから、アジアを無視して欧米の仲間入りをする「脱亜入欧」の方針を採った。日本は、第二次大戦前に短期間、アジアを率いるふりをしたが、その結果みじめな敗戦をしたので、戦後は一貫して欧米の仲間であり続けようとして、アジア外交はすべてアメリカに追随する方針で行われた。 しかし、欧米の方で世界を多極化してアジアを中心の一つに格上げしようとする動きがあるなら、日本がアジアを軽視し続ける必要はない。100年前に欧米が隆々とする一方で清朝中国が衰退して敗北し続けた時代には「脱亜入欧」が適していたように、アメリカが自滅して中国が勃興する傾向が続くなら、今後の時代には「脱米入亜」が適している。 まだアメリカは復活する可能性があるし、いきなり「脱米」を宣言するとアメリカの反撃が怖いので、チャタムハウスのルー研究員の提案に沿って、しばらくは「親米入亜」を掲げておけばよい。 田中宇の国際ニュース解説・メインページへ |