短かった日中対話の春2005年5月24日 田中 宇5月23日、小泉首相と会談する予定だった訪日中の中国の呉儀副首相が、首相会談の直前に日程を切り上げて日本を去ってしまった事件が起きた。これにより、4月23日のジャカルタでの小泉首相と胡錦涛主席の会談に始まり、戦略対話で進められた日中関係修復の機運は、わずか1カ月で終わりになりそうである。 ジャカルタでの会談は、中国で4月上旬に始まった反日デモが中国各地に広がり、中国政府の手に負えなくなりかけていた時期に行われている。中国のデモは、当初は反日が主たる主張だったのだが、4月下旬に入り、教科書問題や首相の靖国参拝問題などで、日本に対して厳しい姿勢をとらない中国政府の方に、デモ参加者の矛先が向きそうになっていた。 1989年の天安門事件のときもそうだったのだが、中国で大衆を巻き込んだ政治運動が起きると、その混乱を使い、中国共産党の上層部で権力闘争を行おうとする勢力が出てくるときが往々にしてある。 4月16日、日本から町村外相が中国を訪問してくる前日、中国全土の各都市で反日デモが激化したとき、北京の中央政府は、全国の行政責任者に対し、デモを抑制させるよう再三にわたって指示を出した。ところが、他の都市の指導者たちがデモを抑制する中で、上海市政府だけは、デモを黙認する態度をとった。上海ではこの日、数万人規模のデモが発生し、日本領事館に対する投石がさかんに行われた。(関連記事) その後4月25日には、上海市の共産党委員会の機関紙である解放日報が「反日デモは謀略であるので、厳しく処罰すべきだ」と主張する社説(425論文)を掲載したが、これは天安門事件が起きる直前の1989年4月26日に、北京の人民日報が掲載した「民主化運動は謀略で、動乱なので厳しく処すべきだ」と主張する社説(426論文)と論旨が似ていると指摘されている。(関連記事) 人民日報の426論文は「動乱」のレッテルを貼ることで、民主化運動の参加者を逆に激怒させ、大衆のデモを共産党最上層部の権力闘争に発展させるきっかけを作った。同じ意味で、解放日報の425論文も、反日デモを中共中央の権力闘争に発展させようとする意図が秘められていたのではないか、という憶測を呼んでいる。(関連記事) 今の中国共産党は、胡錦涛主席の権力が確立して間もない時期だ。前任の江沢民前主席が率いる「上海派」の中には、胡錦涛の一派に権力を委譲することに抵抗している人々がいるはずで、彼らが反日デモを使って胡錦涛体制を崩そうと動こうとしたとしても不思議はない。 だが、ジャカルタで開かれたアジア・アフリカ会議に出席した小泉首相が4月22日、村山首相談話を引用するかたちで日本の過去に対する反省を表明する演説を行い、翌4月23日には、小泉首相がジャカルタの胡錦涛主席の宿泊先を訪ねる形式で日中首脳会談が開かれ、日中が対話を強化することで合意した。この成果をばねに、胡錦涛政権は反日デモを抑制する力をつけ、上海派の策動にもかかわらず、反日運動は下火となった。 ▼ブッシュが小泉に電話して胡錦涛を救った? 4月23日の日中首脳のジャカルタ会談は、共産党上層部で窮地に陥りそうになっていた胡錦涛を助ける働きをしたが、小泉首相の中国に対する以前から冷淡な対応を見ると、なぜジャカルタで胡錦涛を助ける気になったのか、疑問が湧く。 中国では日本製品の不買運動が始まっており、日本の財界から小泉首相に対し、反日デモを沈静化するために努力してほしいと強い要請があり、それに小泉が応えたのだという推測もできる。しかし、日本の財界は以前から、小泉首相が靖国神社参拝などを通じて中国を挑発していることに対し、中国での企業活動がやりにくくなると不満をもらしており、小泉首相の方はこれを無視するかたちで挑発策を拡大してきた経緯がある。 小泉首相の中国に対する挑発政策は、日本がアメリカと軍事的な一体感を強める動きと表裏一体となっており、日本の軍事外交戦略の一部である。子分たちに金を分配せねばならなかった以前の自民党の派閥の領袖たちとは異なり、小泉首相のような一匹狼型の政治家は、企業献金を重視する必要が少ないので、財界からの要請を気にせず、日本の国家戦略を貫く道を選ぶはずである。 そもそも、おそらく小泉首相にとっては、胡錦涛政権が崩壊した方が、好都合なはずである。中国が政治的に不安定になって台湾海峡の危機が高まり、アメリカの企業も中国で儲けることをあきらめ、アメリカで反中国と日本重視の傾向が強まるからである。 中国政府が「デモが起きた責任は、歴史問題などで中国人の感情を傷つけた日本政府にある」と日本側を批判したのに対し、日本側は当初、北京のデモ隊が日本大使館などの施設を壊したことに対し、中国政府がおわびと弁償をせよと求めるなど、強気の姿勢だった。 それなのに、小泉はその後一転して、ジャカルタで中国共産党内部での胡錦涛主席の立場を強化することになる反省演説を行い、自分から会いに行く形で日中首脳会談を行い、胡錦涛主席から提案された日中の戦略対話を開始することにも同意している。 私の推測は、小泉はアメリカのブッシュ大統領に頼まれて、ジャカルタで胡錦涛政権を支援する動きをしたのではないか、というものだ。中東の問題に忙殺されているブッシュ政権は、アジアを手のかからない地域にしたいと考えているふしがある。北朝鮮の核兵器問題を解決することを中国に主導させ、台湾海峡の問題も、台中が直接話し合って解決することが望ましいと表明している。 いずれの案件も、中国の政権が安定していることが必須である。反日デモが中共内部の権力争いに展開し、胡錦涛政権が弱体化もしくは崩壊すると、朝鮮半島や台湾海峡が不安定になる。アメリカはそれによる軍事的、財政的な負担増に耐えられない。ブッシュ政権にとっては、反日デモの結果、胡錦涛政権が不安定になるのは困るので、小泉に中国との対話を要請したのではないかというのが、現時点での私の推測である(小泉の対中政策に注文をつけられるのは、ブッシュ大統領ぐらいしかいない)。 ▼ジャカルタ会談で一気に氷解するかに見えたが・・・ 背景はどうあれ、4月23日のジャカルタでの日中首脳会談は、それまでの冷えていた日中関係を一気に氷解させることになった。首脳会談では、歴史認識や東シナ海油田など、日中間で対立している問題を解決するための政府間対話を行うことで合意した。 この後、5月6日には首相補佐官の山崎拓氏が中国を訪問し、首脳会談で合意した関係改善について具体策を中国側と話し合った。同時期には京都で日中外相会談が開かれるなど、日中関係は対話重視の方向に転じた。 日本側はまた、中国の温家宝首相を愛知万博に招待するというかたちで、日中間の対話を促進しようとした。温家宝は中国の指導者の中でも、あまり日本を批判しない人である。中国側は、日本側の真意に疑問を持ったのか、温家宝首相ではなく呉儀副首相を訪日させることにした。 北京では5月13日に日中の事務次官が会い、貿易問題や知的所有権問題、東シナ海石油ガス田問題、戦時中に日本が中国に残していった化学兵器の処理問題、対中ODA問題など、日中間で懸案となっている幅広い問題を話し合い、会議を毎月開いて、早ければ今年の夏には日中で合意文をまとめることを決めた。(関連記事) またこれとは別に、日中韓3カ国の専門家を集め、歴史についての研究を進めて3カ国共通の歴史を策定することも、3カ国の外相会談で決められた。日中間では、それまでの関係の悪さとは全く異質な、全速力の対話が始まった。(関連記事) 小泉首相は、山崎拓氏を北京に派遣したのと同時期に、自民党の武部幹事長と公明党の冬柴幹事長という連立与党の代表を韓国に派遣し、盧武鉉大統領と面会させている。小泉政権はそれまで、中国に対する関係悪化作戦と同様のことを、韓国に対しても行ってきたが、それも対中関係と同様、好転させる方向に動き出したように見えた。 (韓国の盧武鉉政権は、中国との連携を深めてアメリカと疎遠になっており、中国と同様、日本に対話を呼びかてきた。これに対して小泉政権は、島根県議会が「竹島の日」を制定するのを黙認することで、韓国においてナショナリズム発揚に使われてきた竹島の領有権問題に火をつけ、日韓関係を悪化させる戦略をとっていた)(関連記事) ▼呉儀帰国の真意は戦略対話の打ち切り? ところが、4月23日のジャカルタ会談で始まった日中の対話促進の動きは、ちょうど1カ月後の5月23日、訪日していた中国の呉儀副首相が、小泉首相に会う直前に予定を変更して帰国したことで、急にしぼんでしまった。 呉儀副首相は、本国で急な公務が入ったと言って突然帰国したが、北京には戻らず東京から大連に飛び、1泊した後、翌24日には、以前からの予定だった次の訪問先であるモンゴルの首都ウランバートルに到着している。急な公務ではなく、小泉首相に会うことを忌避するため急きょ日本を去ったことは、ほぼ間違いない。(関連記事) この事件の後、日本側は「突然の帰国は失礼だ」と猛烈に中国を批判している。小泉首相に会う直前に突然帰ったら日本側が激怒することは中国側も予想していただろうから、これは胡錦涛政権が、ジャカルタ会談後に始まっていた日中対話には期待が持てないという結論を下し、しばらくは日本と交渉できなくても仕方がないと腹をくくった可能性が高い。 呉儀の訪日自体が日中戦略対話の一環であり、呉儀は帰国直前まで「ジャカルタ会談の共通認識をもとに、日中が具体的な話し合いを進めるべきだ」と述べていた。 中国政府は、呉儀副首相の訪日の前後に小泉首相が、靖国参拝について、日中関係を悪くする方向の発言をさかんに行ったことを、会談キャンセルの翌日に批判している。このため、小泉が呉儀訪日の前日に「参拝は外国が介入すべきことではない」と国会で答弁したことがキャンセルの原因だったと報じられている。 だが、同時期に小泉は靖国参拝を「私的なもの」とする答弁も初めて発している。これまで中国に対して強硬だった小泉が、急に態度を変えることは体面上できないので、発言を微妙に変化させていたことが感じられる。このことは中国政府も見ていたはずだ。 会談キャンセルの真意は、小泉の個別の発言が問題なのではなく、小泉政権が成り行き上、中国との戦略対話をすることになったものの、できればやりたくないと思っていることに中国側が気づき、これでは続けても意味がないので、対話を打ち切りにすることにしたのだと思われる。(まだ昨日の出来事なので、今後1-2か月の成り行きを見ないときちんと判断できない。新たな動きがあれば、改めて分析する) 中国政府が重視しているのは首相の靖国参拝そのものではなく、日中関係を改善し、日中を東アジア共同体の中枢に据えることである。中国が首相の靖国参拝を問題にするのは、それが中国の共同体構想を断るために使われているからである。形式上、戦略対話が開始されても、小泉はブッシュ大統領の口添えがあるので嫌々やっているのだとしたら、中国にとっては続ける意味がない。 ▼日中関係は、独仏や独露の関係と似ている もともと中国が日本に対話を呼びかけてきたのは、911事件の後、アメリカが単独覇権主義を掲げたままイラクの泥沼にはまり込み、中東以外の地域の問題にアメリカが関与したがらなくなる傾向が強まり、世界が多極化する傾向が強まる中で、中国が日本を誘ってアジアの中心として機能し、日中両国でアジアを安定化する機能を果たそうと考えたからである。 政治面では、ASEAN+3(日中韓)を、アジアの広域的な安全保障のための機関として機能させる計画で、今年12月にASEAN+3にインドやオーストラリア、ニューランドなども加わってクアラルンプールで開く予定の「アジアサミット」を、アジア統合の始まりを宣言する場として機能させる構想が動き出していた。 胡錦涛政権としては、今年12月までに日本との間で戦略的な対話のできる関係を構築し、アジアサミットでは、日中がアジアの安定のための中心的な存在になれるようにしたかったのだろう。だからジャカルタの日中首脳会談で、胡錦涛は小泉に対し「急いで戦略対話を始めよう」と持ちかけたのだろう。 日中関係がアジアの国際関係の主軸であるという考え方は、ドイツとフランスの関係がヨーロッパの統合に不可欠だったことと共通している。ヨーロッパでは、第2次大戦後、独仏が戦略的な対話を深め、冷戦の終結とともにEU統合が始まり、それから15年たって独仏は、国際社会の中でアメリカに対して自由にものが言える強い立場を持った覇権的な存在として台頭してきている。 さらに、第2次大戦終結から60周年に当たる今年は、5月初めのナチスドイツの降伏記念日を期して、モスクワで「戦勝60周年」の行事が開かれ、世界各国から首脳たちが集まった。この行事の中心的な意味は、かつて戦争をしたドイツとロシアが60年後に仲直りし、EUとロシアが協調関係に入ることを宣言したことにある。ドイツは敗戦から60年たち、フランスとロシアというかつての敵国と協調関係を再構築し、世界の中で発言力を急増させることに成功している。 ドイツはモスクワで戦勝記念行事が開かれたのと同時期に、首都ベルリンにホロコースト記念館を開設している。イスラエルとの外交関係も緊密化させた。(関連記事) こうしたドイツの動きの背景には、ドイツの再台頭に際してロシアやその他の国々が「再び覇権を握った後、過去のナチス政権の行為を正当化したり、周辺国を支配したりする傾向を強めることはやめてほしい」と望んだことがある。ドイツ国内ではネオナチの動きがさかんになっており、ホロコースト記念館にもさっそくナチスのカギ十字の落書きが行われたが、ドイツ政府としては「過去に対する反省」を堅持することで周辺国と折り合いをつけ、再び世界の覇権国になることに成功しつつある。(関連記事) ▼過去への反省と引き換えに再台頭を支持する 昨年11月、チリのサンチャゴでのAPEC会議の場を利用して日中首脳会談が行われたが、その際、胡錦涛は小泉に対し「来年は第2次大戦が終わって60周年なので、これを期に来年の1年間をかけて日中関係を大きく好転させましょう」と提案した。これは、ドイツとロシアが進めていた動きにならい、日中が戦略的に提携し、アジア地域を安定させるための中心的な2国間関係にしようという提案だった。(関連記事) 中国だけでなく、韓国の盧武鉉大統領も、日本と周辺国が関係を強化してアジアの統合が進むことを目指している。両国とも、アメリカのアジア支配には陰りや無理が出てきており、アメリカに頼らず、アジア諸国が独自の安全保障体制を組み、アジアの問題をアジア自身で解決する新しい国際秩序を模索している。イラク戦争後にアメリカがおかしくなるにつれ、ASEANやインド、最近ではオーストラリアまでが、この動きに乗ってきている。 こうした動きには、アメリカの中枢からも賛意が表明されている。たとえばアメリカの外交戦略の策定に長く関与してきたハーバード大学のジョセフ・ナイは最近発表した論文で、12月のアジアサミットにアメリカが関与・出席しないことについて、アメリカの戦略を実現するための良い方法だと評価している。(同時にナイは、日本が台湾問題に首を突っ込むことに警戒感を表明している) 中国や韓国は、日本も誘った上で、アジア統合を進めようとしている。そしてその際にはドイツと同様、日本が「過去に対する反省」を堅持することと引き換えに、日本が再びアジアの覇権国になることを支持しようと考えている。 ▼日本の覇権についての中国の誤解 ところが問題は、日本はドイツと異なり、第2次大戦後、再び自前の覇権国になろうとする意志を捨て去り、今後は永久にアメリカの傘下で生きていこうと考えていることにある。ドイツは再び覇権を獲得しようと動いた結果、過去を反省するそぶりを見せ続けることが国際社会から求められている条件だと分かり、そのように行動したが、日本はもう覇権を求めていないので、その手の国際社会の暗黙のルールに対しても鈍感で、改めて過去を反省するそぶりにも積極的でない。 そのため日本人の多くは、外務官僚から私の親族に至るまで「戦後60年もたって、もうアジアの人々も、日本が再び侵略戦争をやりそうもないと十分感じているはずなのに、中国や韓国は、靖国神社に行くなとか歴史を歪曲しているとか、いまだにいちゃもんをつけてくる。中国や韓国には悪意がある」と考えてしまう。 中国や韓国は「日本は再び覇権をとりたいだろうから、ドイツ式に、日本政府が過去の反省を堅持することを条件にしよう」と考えている。「アジア共同体」の中国語訳を「東亜共栄圏」にしている新聞社もある。ところが、日本の側は「もう永久にアメリカの傘下で生きていくのだから覇権など要らない。大東亜共栄圏にも関心はない。過去の反省も、もう60年やったのだから、このぐらいでいいはずだ」と考えている。 日本政府にとっては、アメリカとの関係が最重要であり、アメリカの世界支配が永久に続くことが望ましい。アメリカの支配力が弱まると、その傘下にある日本の力も相対的に弱くなってしまう。中国や韓国からの「アメリカに頼らないアジア共同体を作りましょう」という誘いに乗ることなど、とんでもない話である。小泉首相が靖国神社に参拝するのは、中韓からの誘いを断るための方策である。 日本政府が国連安保理の常任理事国になりたがっているのも、アメリカの覇権力を支援するためであり、ドイツのように独自の覇権国になるのが目的ではない。 小泉首相は、5月のモスクワでの戦勝記念日の行事に参加したが、一時はプーチン大統領からの招待を断っている。ブッシュやブレアなど皆がモスクワに集まるので、最終的には行くことにした経緯がある。これも、独自の覇権を求めない以上、ロシアとの関係を良くする必要もない、という考え方であろう。(小泉は一時期、アメリカの中国包囲網を補強しようとロシアに接近したが、プーチンに足元を見られ、成果は上がらなかった) 【続く】
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