他の記事を読む

北朝鮮6カ国合意と拉致問題

2007年2月16日  田中 宇

 記事の無料メール配信

 2月13日、北朝鮮の核問題をめぐる北京での6カ国協議が、共同声明を発表する成果を残し、終了した。共同声明では、初期段階として、北朝鮮が寧辺の核施設を60日以内に停止・封印する見返りに原油5万トンを受け取り、その次の段階として、北朝鮮がすべての核施設を破棄する見返りに原油95万トンを受け取ることを柱としている。(関連記事

 この取り決めは、核兵器を作ることができる北朝鮮の核施設については、すべて破棄することを定めている。だが、北朝鮮がすでに完成させて保有している核兵器については、破棄することを求めていない。「すべての核計画の完全な申告の提出」という形で、5カ国(米中露日韓)の側に情報公開するよう定めているだけだ。今回の合意では、北朝鮮は、核弾頭を何発持っているか、核弾頭の材料となるプルトニウムなどをどれくらい持っているかを5カ国に伝えるが、それらを破棄する義務はない。(関連記事

 加えて、取り決めの発表後、北朝鮮の国営通信社が「寧辺の核施設を一時停止しただけで100万トンの重油を受け取れる」と解釈できる記事を流したため、北朝鮮は核施設の廃棄すらやる気がないのではないか、6カ国協議はまた失敗するのではないか、という憶測が広がっている。

 こうした混乱は、アメリカが描いている北朝鮮問題の解決方法の全体像が見えていないことに由来している。最初に全体像を描いたアメリカをはじめとする6カ国協議の参加国は、どこも全体像をはっきり発表していないので、表層的な記事だけを読んでも、全体像は見えない。核施設を閉鎖・破棄する見返りに重油を供給するという「序の口」にあたる部分しか見えてこない。

▼核廃棄は自己申告制

 私が見るところ、アメリカが描いている北朝鮮問題の解決方法とは(1)アメリカが北朝鮮への敵視をやめて和平条約を締結する見返りに、北朝鮮は自己申告をもとに核兵器を廃棄する(2)米朝関係と南北関係が好転した後は在韓米軍は撤退し、6カ国協議は東アジアの多国間安全保障の枠組みとして永続する(3)北朝鮮が自己申告でウソをついて核兵器を隠匿した上、将来使おうとした場合は、中国が北を制裁する、というものである。(関連記事

 こうした大きな枠組みの輪郭は、2005年9月の前々回の6カ国協議で取り決められた共同声明(北京宣言)に描かれている。今回の6カ国協議の合意は、北京宣言の内容を具体化するためのものだと、合意が決まる前から、アメリカや韓国の代表が発言していた。(関連記事

 たしかに、今回の共同声明には、大きな枠組みを具体化するための方策がいくつか盛り込まれている。日本の外務省が作った共同声明の概要の1の「(4)米朝」の「完全な外交関係を目指すための協議を開始する。(テロ支援国家指定を解除する作業開始)」は、米朝の和平条約締結に向けた話し合いのことである。核廃棄の後で和平条約ではなく、核廃棄と和平条約の話し合いを同時に進めるのがポイントだ。(アメリカでは、これは北朝鮮に甘すぎるとブッシュ政権が批判されている)(関連記事

「2.作業部会の設置」の中の「5)北東アジアの平和及び安全のメカニズム」は、6カ国協議を東アジアの多国間安保協定に昇格する作業である。また「4.六者閣僚会議」として「初期段階の措置が実施された後、六者閣僚会議(外相を想定)を開催する」と定めているが、ここで想定されている6カ国外相会談が、東アジアの新たな集団安保体制の始まりとなりそうである。

 北朝鮮側の、6カ国協議に対する目標は「アメリカの脅威を取り去ること」である。アメリカが北朝鮮を侵略しないと約束すれば、金正日政権は生き延びられる。経済は中国を見習って「社会主義市場経済」にする方向にあり、北朝鮮はすでに資本主義経済として何とか回り始めている。アメリカが北朝鮮と和平条約を結んで不可侵を約束し、中露日韓という周辺諸国も、新たな東アジア集団安保体制によって北朝鮮と安定的な関係を持つなら、北朝鮮はもう核兵器を使う必要はない。核は隠し持つかもしれないが、使う必要はなくなる。

以前の記事に書いたように、兵器は隠せるのだから、そもそも外部勢力による完全な核廃棄は不可能で、現実的には自己申告に頼るしかない)

▼中国は北朝鮮を制御できるか

 もう一つ今後の問題として、中国がどのくらい北朝鮮を制御できるのか、ということがある。私は、これは懸念する必要はないと考えている。

 先日、日本のある中国専門家に興味深い話を聞いた。北朝鮮は1990年代中ごろに大規模な飢餓が発生したが、それはよく言われているようなソ連崩壊の結果ではなく、中国が北朝鮮への経済支援を止めた結果だという。(以下の分析は、中国専門家に聞いた話と、私自身の米中・米朝関係の考察を混合したもの)

 1980年代に経済自由化を開始したトウ小平は、経済が疲弊している北朝鮮にも自由化をやるように勧めたが、北朝鮮側はこれを拒否し、金正日は83年に「中国は社会主義を捨てた」と非難した。北朝鮮を見限った中国は、1988年のソウルオリンピックを機に韓国との関係を強化し、1992年に中韓は国交を正常化した。それと同時に、中国は北朝鮮とのバーター貿易(物々交換)を廃止し、市場価格での金銭決済に替えた。

 それまでの中朝のバーター貿易は、北朝鮮が大幅に得をする換算になっており、中国から北朝鮮への経済支援となっていた。北朝鮮は、バーター貿易の打ち切りに抗議し、以後8年間、中朝間の国交は事実上、断絶状態だった。中国から北朝鮮へは、ときどき形式的に地位の低い外交団が訪問していたため、日本や欧米は中朝間の断絶にほとんど気づかなかった。この後、支援を切られた北朝鮮では食うに困り、95年ごろから餓死者が出た。

 困った北朝鮮は、核兵器開発によってアメリカにたかる新戦略を開始し、1993年にNPT(核拡散防止条約)からの脱退を宣言し、94年にアメリカからの重油供給を受ける米朝枠組み合意を締結した。しかしアメリカでは98年ごろから「ならずもの国家」の名指しなど、外交政策のネオコン化・強硬化が始まり、これを受けて北朝鮮も98年にミサイル(テポドン)を試射するなど、米朝関係が悪化する兆しが見えだした。

 この状況下で、98年にクリントン大統領が日本に立ち寄らずに中国を訪問した後あたりから、再び中国が北朝鮮の世話をするようになった。99年から2000年にかけて、中朝の高官の相互訪問が再開された。01年からの米ブッシュ政権が、北朝鮮を敵視して枠組み合意を破棄して重油提供を止めた後は、中国が北朝鮮に重油を提供するようになった。中国は03年からは、アメリカに頼まれる形で、6カ国協議の主催国となった。

 このような中朝と米朝の関係史を見ると、北朝鮮を制御する役は、アメリカより中国の方が適している。最近のアメリカは、核兵器ばかりを重視・危険視する外交戦略だが、中国はもっと現実的である。中国は、1992年からの7年間、世界に分からないように北朝鮮を経済制裁していたことに象徴されるように、息の長い隠然とした外交を展開する。北朝鮮にとっては、アメリカより中国の方がこわい相手だ。その意味で、中国主導の6カ国協議は良い形である。

▼満州事変的な遺骨問題

 今回の6カ国合意に対し、わが日本の政府は、合意には総論的には参加したものの、拉致問題が解決されていないことを理由に、合意具体化のための原油提供は行わないと表明した。

(最初の5万トン分は韓国が全量提供し、次の95万トン分の資金は韓国・中国・アメリカで均等負担すると報じられている。ロシアは、過去の対北朝鮮債権の帳消しというかたちで協力する)

 日本政府の戦略は、表向き、日本は経済支援に参加しないという抗議の姿勢を見せることで、北朝鮮に拉致問題への「誠実な態度」をとらせようとしている。しかし、日本政府が満足を表明するような態度を、北朝鮮がとる可能性は、今後もほとんどゼロである。日本政府も、それを認識しているはずだ。

 北朝鮮は、日本が対米従属の国だと見抜いている。北朝鮮に不可侵を約束しつつあるアメリカの意向に逆らって、日本が北朝鮮に戦争を仕掛けることはないことを、北朝鮮は知っている。覇権を衰退しつつあるアメリカは、遅かれ早かれ、韓国から撤退する。北朝鮮の立場はしだいに有利になっており、今後さらに有利になりそうだ。北朝鮮は、日本に対して譲歩する必要を全く感じていない。無視するか馬鹿にしてもかまわないと思っている。しかも北朝鮮側は、拉致問題に関しては、名簿も遺骨も日本に渡し、すでに誠意ある態度はすべてとったと主張している。

 日本政府は2004年末に、北朝鮮側から渡された横田めぐみさんのものとされる遺骨をDNA鑑定した結果、別人の遺骨であると発表し、北朝鮮はウソをついていると非難した。だが、一度埋葬された遺骨は、土の中のさまざまな微生物などのDNAを吸収してしまっており、そもそも誰の遺骨かをDNA鑑定で決定することは不可能だと、鑑定を担当した帝京大学の講師自身が、イギリスの科学雑誌「ネイチャー」の取材に答えて述べている。(関連記事

 ネイチャー誌は05年2月3日に「DNA is burning issue as Japan and Korea clash over kidnaps」と題する記事を出し、日本政府はこの記事を不正確だと批判した。それに対してネイチャーはその後の社説で、日本政府の態度を非難し返している。ネイチャー誌と北朝鮮の側から見ると、遺骨鑑定結果は日本政府の意図的な歪曲であり、ちょうど日本政府の行為は「満州事変」で、ネイチャーの記事は「リットン調査団」になっている。

 遺骨問題以来、北朝鮮は「誠意がないのは日本の方だ」「拉致問題は解決ずみだ」と主張し続けている。その後、6カ国協議で北朝鮮が優位になる中で、拉致問題を北朝鮮側の譲歩によって解決することは不可能になっている。

▼日米同盟を維持するための拉致問題

 以前の記事に書いたように、米朝と南北の関係好転は、朝鮮戦争の終結、在韓米軍の撤退、そしておそらく在日米軍の撤退へとつながる。その間に東アジアでは、6カ国協議を発展させて多国間の安保体制が組まれ、アメリカの力が弱まる代わりに中国を中心とした「アメリカ以後」の体制になる。

 日本は、6カ国協議で定められた解決手法に積極的に協力するほど、在日米軍の撤退や日米安保の無効化を早めることになる。日本が6カ国協議に積極的になることは、アメリカ抜きのアジア作りに対してやる気を見せたことになり、アメリカは安心して早く在日米軍を撤退させる。

 日本政府は、戦後日本の最大の国是である日米同盟に基づく対米従属体制を1日でも長く維持したい。日本では、空想的な昔の左翼以外、自国がアメリカに頼れなくなって自立する状況について、考えている人がいない。アメリカに頼れなくなることは、不安が一杯の悪夢だと、漠然と思われている。傲慢な中国人の前で日本人が土下座するイメージぐらいしかない。そう考えると、日本政府が6カ国協議の合意に消極的なのは当然である。日本は、6カ国の合意はアメリカが決めたことだから反対できず、やむを得ず賛成の態度をとったが、本当は賛成すらしたくないはずだ。

 冷戦後、北朝鮮が起こす問題は、東アジアの最大の不安定要因だった。クリントン政権までは、この問題をアメリカだけで解決しようとしていたが、ブッシュ政権は、中国を中心とする東アジア諸国が解決し、アメリカはそれに協力するという多極化戦略に転換した。この転換を受けた日本政府の対応が「拉致問題が解決されない限り、北朝鮮とは交渉不能」という状況を演出することだった。

 小泉前首相は「自分が平壌に乗り込んで金正日と直談判して解決する」という野心的な別の戦略も持ち、拉致問題を使って交渉不能状態を演出する戦略と併用していたが、2回の小泉訪朝の後、直談判の戦略は後退した。安倍政権では、安倍首相自身が拉致問題を使って人気を獲得した政治家であるだけに、日本の北朝鮮への対応は、拉致問題を使った戦略に集中している。今回の6カ国協議の最中に、NHKテレビが盛んに拉致問題の集会などをやたらと大きく報道していたのは、安倍政権の戦略を象徴している。

▼外交防波堤

 日本は、冷戦時代から、対米従属の国是を絶対視し、この国是を壊しかねないロシアなど他国との関係改善を実現させない「外交防波堤」的な諸問題を用意していた。ソ連との間には北方領土問題が、解決不能なものとして永続的に存在している。中国が「日中でアジアを安定させましょう」と非米同盟的な誘いをしてくると、日本の首相が靖国神社に参拝したり、尖閣諸島問題が急に再燃したりする。韓国の大統領が「日中の架け橋になる」と張り切ると、日本側は竹島問題を再燃させる。拉致問題、北方領土、靖国問題、尖閣問題、竹島問題は、いずれも日本にとって対米従属を維持するための外交防波堤である。日本政府にとって、これらの問題を何としても解決しないように微調整し、アメリカ以外の国からの誘いを断る防波堤として残すことが、国是の一部になっている。

 しかし今、日本の対米従属の国是は、アメリカの側から壊され始めている。6カ国協議のアメリカの積極性を見ていると、できるだけ早く東アジアを中国中心の非米的な地域にしたいと考えていることがうかがえる。日本がいくら外交防波堤を維持しても、防波堤の内部にいるはずのアメリカが、日本を含む東アジアから立ち去ろうとしているのだから、日本の国是は内部崩壊である。

 日本が拉致問題を理由に6カ国合意に対して消極的な態度をとり続けていると、アメリカ以後の非米的な東アジアの新体制の中での日本の地位は弱くなる。日本は本来、技術力や経済力などでかなりの国力を持っているのに、今の日本政府のやり方は、それを生かせないようにしてしまい、必要以上に日本を弱めている。もったいないことをしている。

 日本政府は、アメリカ内部の方向転換を期待しているのかもしれない。アメリカの中枢で「隠れ多極主義者」が弱くなり「米英中心主義者」が再び強くなれば、アメリカが応援する先は、中国から日本に戻ってくる可能性もある。6カ国協議のこれまでの流れを見ると、05年9月に国務省のヒル次官補が北京宣言をまとめた直後、財務省が北への金融制裁を発表してヒルの成果を破壊したように、多極主義的な6カ国協議を成功させたい勢力と、失敗させたい勢力がいることが分かる。

 しかし、私が見るところ、隠れ多極主義者は負けそうもない。米中枢では暗闘が続いているが、チェイニー副大統領ら隠れ多極主義者は非常に強く、彼らが企図したとおりに、アメリカは自滅し、世界は多極化しつつある。イランとの中東大戦争が始まれば、事態は不可逆的に進展するだろう。前回の記事でチェイニーが法廷尋問されそうだと書いたが、その直後に尋問の予定はキャンセルされてしまった。日本政府が期待するような、米英中心主義者の復活の可能性は低い。多極化が不可逆的に進んでしまうと、たとえブッシュの次の大統領が頑張っても、元には戻らない。(関連記事



●関連記事



田中宇の国際ニュース解説・メインページへ