中東大戦争は回避されるか2007年3月8日 田中 宇すでに5年も前の話になるが、アメリカのブッシュ大統領は2002年1月の年頭教書演説で、イラク、イラン、北朝鮮の3カ国を「悪の枢軸」として名指しした。これは事実上、米軍がこの3カ国に武力侵攻し、政権転覆して民主化するという表明だった。その後、この宣言に沿うかたちで03年3月のイラク侵攻が挙行され、フセイン政権は倒され、イラクは「民主化」の過程に入った(結果は大失敗)。 イラク侵攻後、ブッシュ政権は「悪の枢軸」の残る2カ国であるイランと北朝鮮に対し、正反対の戦略を展開した。イランに対しては、威嚇を強めた。イランが核兵器を完成させるには全力で取り組んでもまだ10年ぐらいかかるにもかかわらず、米政府は、イランがもうすぐ核兵器保有国になってしまうかのような主張をおこない、この濡れ衣を開戦事由としてイランを武力攻撃する構えをとった。(関連記事) その一方でブッシュ政権は、北朝鮮に対しては、中国を中心とする6カ国協議という外交の場での問題解決に努めた。北朝鮮がミサイル試射や地下核実験(と称する爆発)をおこなって核兵器開発を進めたにもかかわらず、アメリカは北朝鮮を武力攻撃する方に転換することはなく、逆に、中国の外交手腕に任せる傾向を強めた。(関連記事) 今年1月には、米政府のヒル代表が北朝鮮側と交渉し、その成果をもとに2月中旬、中国が6カ国協議を主導して合意を成立させた。アメリカは、自国が努力して2国間交渉で北朝鮮との話をまとめたのに、それをわざわざ多国間交渉の6カ国協議に持ち込み、中国の手柄にしてやっている。6カ国協議の合意は、金正日政権の温存、東アジアの調整役(覇権国)としての中国の台頭、在韓米軍の撤退、南北朝鮮の和解とアメリカの影響力の低下という、アメリカにとって自滅的・撤退的な方向性を持っている。ブッシュ政権の真の目的は世界の多極化ではないかと私が考えるゆえんである。(関連記事) 2月の6カ国協議の合意後、アメリカやロシア、イランなどの政府関係者や分析者らの間では「アメリカは、北朝鮮と和解できるのなら、イランとも和解できるはずだ」という期待が強まった。(関連記事その1、その2) しかし従来の経緯を見ると、アメリカはイランと北朝鮮に対して正反対の戦略を採っている。そのことから考えて、アメリカが北朝鮮に対しておこなったような譲歩や外交的解決を、イランに対してもおこなうとは私には思えなかった。 アメリカは、北朝鮮との交渉を進めていた今年1ー2月にも、イランに対しては、イラン沖に2隻の空母を派遣したり、イラクに在留しているイランの外交官らをあいまいな容疑で逮捕したり、イラン政府がイラクの反米ゲリラに武器を支援していることを証明しようと信憑性の低い理由をいくつも発表したりして、今にも戦争を仕掛けそうだった。(関連記事) 2月21日には、イランにウラン濃縮をやめるよう求める昨年末の国連安保理の決議に対するイランからの回答期限が、イランが未回答のまま過ぎた(イラン政府は、安保理への回答としてではないが、ウラン濃縮はやめないと表明し続けていた)。外交の時期は終わり、いよいよ戦争が始まるのではないかという観が強まった。(関連記事) ▼突然の劇的な転換 ところがその後、事態は、微妙だが決定的な変化を見せ始めた。その皮切りは2月28日、ブッシュ政権が、3月10日にイラク政府の主催でバグダッドで開かれるイラク再建に関する国際会議に、イランとシリアと並んでアメリカの代表も参加すると発表したことである。(関連記事) 米政界内では昨年以来「イランやシリアに対する敵視をやめて話し合い、イラクの再建に協力してもらうべきだ」という意見が強くなっていたが、ブッシュ政権は敵視をやめず、話し合いを拒否していた。それが突然、話し合いをする方向に転換したのである。イギリスの新聞は「劇的な転換」(Dramatic Shift)という見出しでこれを報じている。(関連記事) ブッシュ大統領は3月6日の演説で「バグダッドの会議にイランとシリアを出席させるのは、両国がイラクの復興にどの程度真剣に協力する気があるのかを調べる大事なテストである」と述べている。「テスト」とは強気の発言だが、その裏に見えるのは、イラクへの米軍増派が成功しておらず、以前は拒否していたイランやシリアの協力を必要としているブッシュの困窮である。(関連記事) ブッシュ政権の広報官は「会議には同席しても、直接イランやシリアとは話し合うわけではない」「従来通り、直接の話し合いは、イランがウラン濃縮をやめ、シリアがヒズボラ支援をやめない限りおこなわない」と表明したが、敵視の減退であることは間違いない。(関連記事) 2月23日、米本土からペルシャ湾に派遣された米軍の2隻目の空母が、目的地のペルシャ湾近海に到着した。だが、空母の司令官は2月27日に「任務の中心はアフガニスタンだ」と発表し、従来報じられていたようなイランへの威嚇が主たる任務ではないことを強調した。(関連記事) 加えてブッシュ政権は、戦火を逃れて隣国シリアで難民生活をしているイラク人が100万人近くまで増え、シリア側が困っていることに対応するため、米政府の難民担当の代表をシリアに派遣し、シリア政府と話し合うことを計画していると、3月1日に明らかにした。(関連記事) これらの動きを見ると、アメリカにとってイランやシリアは、戦争を仕掛ける相手から、イラク占領の窮状に協力してもらう相手に変化しつつあるように見える。だが、その一方でブッシュ政権は、つい一週間前の2月23日には、シリアとの和解交渉に踏み切ろうとするイスラエルに対し、たとえ予備的な接触であってもシリアとは接触するなと厳命したと報じられている。(関連記事) イスラエルにとって、シリアを敵から味方に転じさせることができれば、自国の北隣のレバノン南部で軍備を再増強している武装勢力「ヒズボラ」を弱体化させることができる。ヒズボラは、イランからシリアを経由して武器支援を受けているが、イスラエルとシリアが和解すれば、この支援ルートが断絶できる。しかし、アメリカは以前から一貫してイスラエルに「ヒズボラを支援しているシリアとは交渉するな」と接触を禁じている。そしてその一方で、アメリカ自身はイラクの問題でシリアと接触し始めている。 ▼米軍は意図的にイラク侵攻前の状況を再現している? イスラエル側はアメリカの対応に不満があるはずだが、その一方でイスラエルでは「イランはイスラエル単独で戦うには強すぎる相手なので、アメリカが戦わないなら、戦争しない方が良い」と考える傾向が強まっていると報じられている。昨年まで、イスラエルがイランの原発を空爆することを皮切りにアメリカをイランと戦争させようとして、何度も訪米して扇動的な演説を繰り返していたイスラエル右派の政治家ベンヤミン・ネタニヤフも、今では軍事攻撃ではなく、欧米にイランを経済制裁させようとする方針に転換したという。(関連記事) 同様に、好戦派だったアメリカのネオコンも最近、米軍によるイラン攻撃はまだ先の話だろうと述べたり、軍事侵攻よりイラン国内の反政府諸派をテコ入れして政権転覆する方が良いと表明したりしている。イラク侵攻前にネオコンが見せた「何が何でもイラクに侵攻するんだ」という強硬姿勢とは大違いである(外国勢力が支援するほど、イランの反政府諸派は国内で信用されなくなるので、政権転覆は無理だろう)。(関連記事その1、その2) その一方で、イランの側も、アハマディネジャド大統領は「ウラン濃縮はもう止められない」「5万基の遠心分離器を設置して全力でウラン濃縮を続ける」などと表明して強硬姿勢を崩さない。だが実際には、遠心分離器はまだ600基しか持っておらず、IAEAの査察も受け続けている。濃縮の度合いも4%台までで、核兵器に必要な高濃度(20%以上)にはしていない。(関連記事その1、その2) 国連制裁を回避するため、イランは遠心分離器を止めたという指摘もある。アハマディネジャドは、経済政策の失敗でイラン国内での人気が落ちており、人気を維持するために好戦的なことを言い続けているが、実際にはイランはアメリカの好戦派に攻撃の口実を与えないよう、慎重な行動をとっている。ロシアや中国などは、国際社会はイランに対してあまり強硬な姿勢をとる必要はないと考える態度をとり始めている。(関連記事) もう一つ気になる動きは、アメリカの国防総省が、2月中旬の会議で、03年のイラク侵攻前の状況が繰り返されていると人々に思わせるようなやり方で、イランの脅威を強調したり、戦争準備を進めたりする作戦について、話し合ったという情報である。(関連記事) アメリカでは「ブッシュ政権のやり方がイラク侵攻前とそっくりだ」という理由で「イランへの侵攻が近い」という分析が多く出されており、私も以前そのように書いたが、国防総省は、まさに人々にそのように分析させることを目的とした作戦を展開していることになる。(関連記事) ▼イランとサウジアラビアの接近 ブッシュ政権が、イランやシリアに対してことさら敵対的な態度をとったり、逆に最近、両国を国際会議に招待するなどの融和的な態度を急にとり始めたのは「いい子にしていたら許してやる」「さもなくばイラクみたいになる」という「アメとムチ」の戦略なのだという説もある。イランに核開発を廃棄させ、シリアにはヒズボラ支援をやめさせるための戦略なのだという。(関連記事) しかし、この「アメとムチ」戦略は、成功していないどころか、逆効果である。アメリカが「アメ」を与えている間に、イランは「ムチ」を拒絶できる強い影響力を獲得しつつある。アメリカがイランを威嚇するほど、反米的な発言を得意とするアハマディネジャド大統領は、経済政策の失敗での不人気を帳消しにして、国内での人気を復活させられる。 アメリカがイラン敵視を減退させるのを待っていたかのように、イランのアハマディネジャド大統領は3月4日、初めてサウジアラビアを訪問した。サウジは親米国なので、アメリカがイランを敵視している限り、サウジがアハマディネジャドを自国に招待するのは難しい。しかし、アメリカがイラク再建のためにイランに協力を求めたとなれば、話は変わる。 両国はトップ会談で、スンニ派とシーア派を内戦に陥らせてイスラム世界の分裂させようとする「敵」の策動を、互いに協力して阻止することで合意したと発表した。イランはシーア派の最有力国、サウジはスンニ派の最有力国である。両国は「敵」が誰であるか発表していないが、スンニ派とシーア派の分断を最も強く望んでいるのは、イスラエルと、アメリカの親イスラエル勢力である。(関連記事) アメリカがイラク占領に失敗して中東から撤退せざるを得なくなる懸念が強まり始めた昨年以来、イスラエルは、サウジなど親米のスンニ派アラブ諸国を、イスラエルと和解するとともにイランとの対立を強める方向に動かそうと努力していた。これは、スンニ派とイスラエルの連合勢力が、シーア派のイランと対決する状況を作り、アメリカ撤退後の中東を、イスラエルが存続可能な状態に変えるためだった。だが、イランとサウジの接近により、このイスラエルの戦略は破綻する可能性が強まっている。(関連記事その1、その2) サウジ王家の内部では、対米従属派のバンダル王子らはイラン敵視を強めてイスラエルと和解する方向を模索したが、非米派のトルキー王子らは、逆にイランと接近してイスラエルを潰す方向の方が良いと考えている。サウジ王家の中枢の情勢は、ほとんど外部に漏れないので確たることは分からないが、アハマディネジャドがサウジを訪問したことは、トルキーの非米派が勝っていることを感じさせる。(関連記事) ▼隠然と反イスラエルに転じるサウジ サウジアラビアは、パレスチナ問題においても、イスラエルを追い込む微妙な動きをしている。パレスチナ政界では、反米反イスラエル色の強いイスラム主義のハマスと、親米色の強い旧左翼系のファタハの対立が続いており、しだいにハマスの方が強くなっていた。サウジ王家は2月上旬、ハマスとファタハの代表をメッカに呼んで対話させ、両勢力が連立してパレスチナ新政府を作る方向で一定の合意を「メッカ合意」として得た。(関連記事) 以前から、サウジやエジプトなど親米のアラブ諸国は、イスラエルがパレスチナ人の国家建設に協力してパレスチナ問題が解決されたら、イスラエルと和解しても良いと主張していた。サウジは、イスラエルがパレスチナ側と交渉しやすいよう、ハマスとファタハに合意を結ばせたというのが、建前的な流れである。しかし、ハマスは合意後もイスラエルへの敵視をほとんど緩めておらず、メッカ合意は反イスラエル的なハマスに正当性を与えるだけの結果になっている。(関連記事) イランは以前からハマスを支援しており、ハマスはガザ・エジプト国境にトンネルを掘って武器をガザに運び込み、きたるべきイスラエルとの戦闘の準備をしている。メッカ合意後、ロシアやEUも、ハマスを認知する方向に動いている。サウジによる合意仲介は、イスラエルとの和解への努力のように見せて、実はハマスを強化し、イスラエルを追い詰めている。サウジは、イスラエルに協力するふりをして、実はイランに協力している。 同様の動きは、レバノンでも起きている。レバノンでは、親イラン・反イスラエルのヒズボラと、親米のシニオラ政権が対立しており、サウジが両者を仲裁しているが、その結果はヒズボラに政治的な正当性を与えている。パレスチナとレバノンの展開を見ると、イスラエルとアラブが連合してイランに対抗するはずが、アラブとイランが連合して反イスラエル勢力を強化する動きへに変化してしまっている。 イランとサウジだけでなく、ロシアも、アメリカの態度の緩和を見るや、シリアに対戦車砲、地対空砲などの武器を売り込み始めた。ロシアがシリアに売った武器は、ヒズボラにも流れると考えられる。今年の夏には、昨夏に起きたようなヒズボラとイスラエルとの戦争が再発しそうだが、その際にイスラエル軍は、昨年よりさらに強いヒズボラと対峙しなければならなくなる。(関連記事) ▼ブッシュはイランにも「北朝鮮方式」? このような全体像を見ると、ブッシュ政権は、イランをさんざん脅しておいて、追い込まれたイラン側がアメリカに立ち向かう姿勢を鮮明にして一触即発の状態になった後、突然譲歩し、イランがその空白を埋めて強くなることを許している。これは、ブッシュ政権が北朝鮮に対して行ったことと似ている。 ブッシュ政権は、北朝鮮が強硬姿勢を強めるたびに譲歩し、今では北朝鮮は核保有国のままアメリカと国交正常化できそうになっている。すでに北朝鮮は中国傘下の国として、外交的に日本より強い立場にあり、3月7日からハノイで行われた拉致問題の日朝交渉でも、日本側を馬鹿にするような戦術をとっている。 ブッシュ政権は世界中で、反米勢力を力づけるような「失策」を繰り返してきた。ロシアに対しては、プーチンが石油・ガス産業の国有化を進めて権力を強化することを黙認し、プーチンが十分に強くなってから反ロシア的なキャンペーンを展開し、ロシアで反米親プーチンの世論が強くなる結果を生んでいる。ブッシュ政権は、ベネズエラのチャベス大統領に対しても、ほとんど同じ展開をやってきた。中東では、イランのアハマディネジャドのほか、イラクのサドル派、パレスチナのハマス、レバノンのヒズボラ、アフガニスタンのタリバンなどが、ブッシュ政権の「失策」によって強化されている。(関連記事)(関連記事) 私は以前から、これらの「失策」は、本当は失策ではなくて故意に行われた戦略ではないかと考えている。ブッシュ政権は、自国を戦略的に自滅させ、世界を多極化しつつあるのではないかと考えている。 ブッシュ政権が、北朝鮮やロシアなどに対して行った戦略と同じ「反米勢力強化策」をイランに対しても採っているのなら、アメリカはイランに対する戦争をやるふりをぎりぎりまで行っているだけで、実際の戦争は回避されるかもしれない。 しかしこの場合でも、他の火種であるレバノンで今年の夏にイスラエルとヒズボラとの戦争が再発したら、戦火はシリアとイスラエルの戦争、そしてイランとイスラエルの戦争へと拡大する懸念は残っている。イスラエルとイランが戦争になったら、アメリカは参戦せざるを得なくなる。 ▼まだあり得るシオニストの反撃 中東でこれから戦争が全く起きなかった場合でも、アメリカはしだいにイラクから撤兵し、中東での影響力を後退させるだろうから、イスラエルはしだいに窮地に陥る。アラブ諸国は、アメリカの中東撤退後を見越して、イスラエルに対し、2002年にサウジアラビアが提案した総合和平案に同意するよう求めている。(関連記事その1、その2) この和平案は、イスラエルに対し、パレスチナ占領地から撤退するとともに、かつてイスラエル領内にあたる地域に住んでいて追い出されたパレスチナ難民が元いた場所に帰還できるようにすること(難民帰還権)を求めている。難民帰還権が施行された場合、イスラエルは国内に多くのパレスチナ人(アラブ人)を抱え「ユダヤ人の国家」という国是が崩れてしまう。 現在すでに、イスラエル国民の2割近くがアラブ系であり、彼らは出生率がユダヤ系より高い。イスラエルは、これまで事実上、国内のアラブ系の権利を制限してきた(建前はアラビア語も公用語)。だが、中東からアメリカが撤退し、代わりにイスラエルがEUとの関係を強化せざるを得なくなると、EUは他国の人権問題に敏感だから、アラブ系国民の権利向上をイスラエルに要求してくるだろう。いずれ、アラブ系の政党が強い力を持つかもしれない。このことも、イスラエルを「ユダヤ人国家」ではなくしてしまう方向に働く。 強硬派のシオニストのイスラエル人にとって「ユダヤ人だけのための国家」でないイスラエルは、意味がない。イスラエルをアラブ人に奪われることは、命を懸けて防がねばならないことである。シオニストは、在米政治団体を通じてアメリカの政界に強い力を持っているので、アメリカが世界の覇権を握っている間に、できる限りのことをして、ユダヤ人国家としてのイスラエルの存続を可能にしようとするだろう。アメリカの覇権は失われつつあるので、シオニスト急いでいるはずだ。それを考えると、シオニストがこのまま戦争を誘発せずに、アラブ諸国やイランの台頭を容認するとは考えにくい。 また、パキスタンの諜報機関のハミド・グル元長官によると、先日パキスタンを訪問したチェイニー副大統領は、ムシャラフ大統領に、アメリカがイランと戦争することになったら、米軍をパキスタンからイランに侵攻させてほしいと頼んだという。これらのことを考えると、中東大戦争の問題は、まだ決着がついたとは私には思えない。(関連記事)
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