イスラエルとアラブの接近2006年10月10日 田中 宇学問の発展は、物事についての考察を、根本的なところまで掘り下げ、それまでの通説に疑問を持つところから始まる。学問を発展させられる人の多くは、ラディカル(根本的なところから考える人)である。 社会の中で、根本的に考える傾向が強いのは、その社会に満足している人ではなく、社会から外されている人、差別されている人の方である。世界の中で近代の学問の多くを生み出したのはヨーロッパであり、欧州人の中でも、フロイトやマルクスなど、近代の学問の発展に大きく寄与したのはユダヤ人だった。ユダヤ人は教育熱心だが、キリスト教社会で阻害されていたため、物事について深く考える傾向がある。 ユダヤ人がラディカルに考える傾向があることは、ロシア革命やその後の左翼運動の中にユダヤ人が多かったことにもつながっている。私は以前、イスラエルを取材したときにも、ユダヤ人のラディカルさに感心した。(関連記事) 最近、私がユダヤ人のラディカルさを感じたのは、8月29日のヘラルドトリビューン紙に載った、イスラエルの元軍人が書いた記事を読んだ時である。その記事は「これまでのイスラエルは、欧米文明の一員としてのアイデンティティを持ち、アラブ的なものを排除してきたが、今後はそれではいけない。これからのイスラエルは、アラブの一員としてやっていくべきだ」と主張していた。(関連記事) この記事は「イスラエルが欧州文明の一部だという認識は(欧州からの移民でエリート層の)アシュケナジの影響でしかない」「アラブ主義とシオニズムは矛盾しない」「アラブ諸国にはイスラム教徒以外の人々が何百万人もいる。以前は、ユダヤ人もその一つとしてアラブで活躍していた。われわれがアラブ化すれば、アラブ人は再び受け入れてくれるはずだ」「役所や企業の文書は、ヘブライ語とアラビア語の両方で作ることを義務づけるべきだ」「ヘブライ語は、100年前まで、儀式の時にしか使われていなかった(ので、ヘブライ語だけを重視する必要などない)」といった、これまでのイスラエルを全否定するような、過激な指摘に満ちている。 ▼アメリカに意地悪されてアラブ接近を模索 この記事の主張は、何の背景もなしに出てきたのではない。イスラエルは、今年7−8月にレバノンで行ったヒズボラとの戦争で、世界から非難される戦争犯罪行為を数多く行った上、ヒズボラを壊滅させるどころか政治的に強化してしまう大失敗をした。しかも、対イラン戦争の前哨戦として、イスラエルをそそのかしてこの戦争をやらせたブッシュ政権は、武器支援はしたものの、自らレバノン南部に軍を出してイスラエルを守ることはやらなかった。(関連記事) イスラエル中枢が「もう停戦したい」と考え始めると、ブッシュ政権が「イスラエルは好きなだけ時間を使ってテロ組織ヒズボラを壊滅させるのが良い」と表明するという意地悪ぶりで、イスラエルははしごを外された形となった。(関連記事) この自滅的なレバノン戦争の後、イスラエルとアメリカのユダヤ人社会では、アメリカとイスラエルの強硬派連合(アメリカのネオコン・タカ派と、イスラエルのリクード右派)に対して「彼らは、イスラエルを守るといって、実はイスラエルを潰そうとしているのではないか」という警戒感が強まった。 そして同時に「イスラム側をやっつけてイスラエルの領土や影響圏を拡大する」という従来のイスラエルの戦略そのものに間違いがあるのではないかという根本的な考え直しが、イスラエルとアメリカのユダヤ人の中で強まった。「イスラエルのアラブ化」の提案も、そうした根本的な新考察の一つである。 今年7−8月のレバノン戦争が持つ「自滅性」は、アメリカのイラク戦争と良く似ている。いずれの戦争も、強硬派連合が誘発したものであり、そこには「自滅戦略」と考えたくなるほどの一貫性が感じられる。 強硬派は、ユダヤ人の中の少数派でしかない。ユダヤ人の多くは、イスラエルが安全で発展する国になってほしいと考えている。彼らは、和平がイスラエルの安全と発展に結びつくなら、イスラエル労働党などの和平派を支持するが、イスラエル側の和平姿勢に対してアラブ側がテロや過激なイスラム主義で応えるのなら、強硬姿勢の方がイスラエルの安全に結びつくと考え、リクードなどの強硬派を支持する。イスラエルでは1990年代後半以来、アラブ側からのテロが増え、911以降、世界的にイスラム教徒のテロが問題にされたため、ユダヤ人の中では強硬派支持が強くなっていた。 しかし最近では、ブッシュ政権が強硬な姿勢をとればとるほど、イスラム世界は激昂し、ヨーロッパなどの人々も反米になり「アメリカが破壊的な強硬姿勢を変えないのは、ブッシュ政権の中枢に親イスラエルの勢力がいるからだ」と考える人も増えている。ブッシュ政権は「イスラエルは一番大切な同盟国です」と表明しているが、こうした発言はイスラエルを強化するどころか逆に、世界の人々の反イスラエル感情を微妙に煽っている。勘の良いユダヤ人が「イスラエルは、ブッシュ政権から距離を置き、早くアラブと和解する努力をした方が良い」と考えるのは当然である。 ▼サウジとイスラエルの接触 このような背景のもと、9月になって、イスラエルとアラブの接近を思わせるニュースが、いくつも入ってきた。その一つは9月中旬に、イスラエルのオルメルト首相と、サウジアラビアの主要な王族が秘密裏に会い、中東和平の可能性について話し合ったことだ。(関連記事) 表向き、イスラエルもサウジも会合について否定しているが、オルメルトはこの件について記者から尋ねられ「大々的に報じるようなことは何もないよ」と、秘密会合が開かれたこと自体は否定せず、その一方で「サウジ国王は素晴らしい人物だ」と賛美したりした。マスコミに把握されている限りでは、イスラエルとサウジの高官どうしの直接交渉は、史上初めてである。(関連記事その1、その2) (ハアレツ紙の記事によると、オルメルトが会った相手は、サウジの駐米大使を長年つとめたバンダル王子だった。バンダルはサウジ王室内でイスラエルとのパイプが最も深い人で、6年前に米のクリントン大統領、イスラエルのバラク首相、パレスチナのアラファト議長の3者間の和平交渉を取り持ったのもバンダル王子だったという)(関連記事) サウジアラビアは2002年に「イスラエルが占領地から撤退し、パレスチナ国家の建設に協力したら、アラブ諸国は集団でイスラエルと国交を正常化する」という内容のパレスチナ和平提案(アブドラ提案)を行っている。当時のイスラエルのシャロン首相は、すでにアメリカの隠された悪意に気づいていて「アラブ側との交渉は。タカ派が牛耳るブッシュ政権から阻止されて成功しない」と考えたらしく、提案には乗らず、代わりに一方的にガザと西岸からイスラエルの軍と入植者を撤退させる政策を先に開始した。(関連記事) 昨年末にシャロンが倒れた後、撤退戦略はオルメルトに受け継がれたが、イスラエルを弱めてしまった7−8月のレバノン戦争後、占領地からの撤退は危険だと考える世論がイスラエルで強くなり、撤退は棚上げされた。だが、このままではパレスチナ問題に対する現実的な戦略が欠如している。そのためオルメルトは、アラブ側と交渉する戦略を新たに採用し「イスラエルが弱くなった今こそ、アブドラ提案を実現できる機会だ」と考えるサウジ側と会談した。 オルメルトとサウジ王室の会合と並行するように、9月22日には、国連総会出席のためにニューヨーク滞在中だったサウジのファイサル外相(王子)が、「名誉毀損防止協会」(ADL)のアブラハム・フォックスマン理事長ら、アメリカのユダヤ人社会で指導的な立場にある5人の有力者と会い、中東和平の進め方について話し合った。(関連記事) サウジ側と米ユダヤ人社会の代表団は、これまでも毎年会合を開いてきたが、昨年の会合ではサウジ側がイスラエルを批判して険悪な雰囲気だったのに対し、今年の会合は友好的な雰囲気の中で行われたという。 ▼接近にはパレスチナ問題の解決が不可欠 サウジとイスラエルには「共通の敵」がいる。中東の反米イスラム主義の流れに乗って台頭しつつあるアハマディネジャド大統領のイランである。アハマディネジャドは、イスラエルがパレスチナ人を虐待していることに対する中東の人々の反発を利用し、声高にイスラエルを非難することで、中東の世論から支持されている。反米イスラム主義のイランの台頭は、親米のサウジ政府にとって都合が悪い。これは、エジプトやヨルダン、クウェートなどの親米アラブ諸国の全体に言える。 サウジなど親米アラブ諸国の政府が、中東の人々の支持を再獲得し、イランをしのぐ勢力に戻る方法として、イスラエルと組んで、パレスチナ問題を解決するというやり方がある。 イランの好戦的な方法だと、イスラム世界はイスラエルと戦争になり、最終的にイスラム側が勝ったとしても、そこに至るまでには無数の市民が死ぬことになる。だがもし、サウジなどアラブ諸国とイスラエルが、アブドラ提案などに沿って話し合い、パレスチナ国家の建設に成功し、中東和平を実現できるなら、イランよりサウジの戦略の方が良いと、世界の多くの人が考えるはずである。サウジ政府が、イスラエルとの交渉でパレスチナ問題を最重視するのは、それが自分たちの政権を維持できるかどうかを決めるテーマでもあるからだ。 10月初め、米ライス国務長官がサウジアラビア、エジプト、イスラエル、パレスチナなどを訪問したが、この歴訪で各国と話し合われた主なテーマは「イラン」と「パレスチナ」だった。サウジやエジプトという親米アラブ諸国とイスラエルが、イランと対立する同盟として関係を強化するためにパレスチナ問題を解決しようとしているのが、今の中東外交の流れである。(関連記事) ▼交渉相手作りとしてのパレスチナ連立政権構想 パレスチナ問題を解決するには、イスラエルとパレスチナが交渉し、パレスチナ国家の建設とイスラエルによる承認、イスラエルの軍と入植者の占領地からの撤退などについて決めねばならない。だが、今のパレスチナ側は、今年1月の選挙で政権をとったイスラム主義組織のハマスと、それまで政権に座にあった世俗系(元左翼)のファタハ(アッバス議長ら)が対立している。政権党のハマスは反米でイスラエル敵視の傾向が強い。ファタハは比較的親米でイスラエルとの敵対関係もハマスより少ないが、選挙に負けてしまっている。 イスラエルがレバノンでの戦争に勝てずに停戦に持ち込まざるを得なくなった後の8月中旬、イスラエルとアラブ諸国は、ハマスとファタハを和解させて連立政権を作らせ、ハマスに反米・反イスラエル傾向を薄めさせることで、イスラエルの交渉相手となるパレスチナ側を確立しようとした。8月13日、アッバス議長は、連立政権構想を発表した。(関連記事) 9月に入ると「10日以内に連立政権を作る」という宣言がアッバスの側近からなされた。水面下の交渉が活発化した。(関連記事) イスラエル側も、オルメルト首相が「アッバスが連立政権作りに成功したら、アッバスと会う」と表明した。イギリスからはブレア首相がパレスチナを訪問し、ファタハとハマスを仲介しようとした(ハマスから拒否された)。(関連記事その1、その2) しかし、パレスチナ側で連立政権作りの交渉が始まると同時に、和平より戦争を好むイスラエルとパレスチナ双方の強硬派がいっせいに、事態が和平の方向に進むことを阻止しようとする動きを活発化させた。 イスラエル政府内では、右派の牙城の一つである住宅省が、占領地内の入植地の拡大を禁じているオルメルト首相の許可を得ないまま、入植地の690戸の住宅建設のための入札を行い、右派は、イスラエル政府が入植地を拡大しているかのような印象を世界に与えることに成功した。(関連記事) パレスチナ側では、エジプトからガザへの武器搬入が活発化している。レバノンからヒズボラの戦争専門家がエジプト経由でガザに入っているという報道も流れた。右派が強いイスラエル軍はガザに戦車を入れ、ハマスを威嚇し続けた。(関連記事その1、その2) ▼ごまかしの連立政権樹立は通らず 9月11日、ファタハのアッバス議長とハマスのハニヤ首相が会談し、連立政権を樹立することで合意した。翌日、隣国ヨルダンからアブドラ国王自らがパレスチナを訪れ、連立政権の樹立を祝福するメッセージを発した。(関連記事) ところがよく見ると、この連立政権は、イスラエルと交渉する相手として機能しないことになっていた。ハマスのハニヤ首相は「イスラエルとの交渉はPLO(ファタハ)が行うものであり、連立政権はイスラエルとは交渉しない」と表明した。つまりハマスとしては、あくまでもイスラエルを国家として認めることを拒否しており、ファタハが参加している限り、連立政権がイスラエルの交渉相手になることはない、という宣言だった。イスラエルは、この状態でパレスチナ側と交渉することは拒否すると表明した。(関連記事) アメリカも、パレスチナの連立政権を承認することには消極的だった。アッバス議長は9月下旬にニューヨークの国連総会に出席し、その後ブッシュ大統領と会談したが、アメリカの態度は好転しなかった。国連総会でアラブ諸国は、パレスチナ問題を国連に持ち込んで特別の会議を開くことを提案したが、アメリカの反対によって話は流れた。(関連記事その1、その2) その後、アッバスはハマスとの交渉をやり直し、ハマスがイスラエル国家を承認するよう迫った。だが、パレスチナの世論はすでに極度に反米・反イスラエルに傾いていた。7−8月のレバノンでの戦争でヒズボラがイスラエルに「勝利」したこともあって、パレスチナの世論は好戦的になっており、ハマスにとって今さらイスラエルを承認することは支持者を裏切ることにしかならず、譲歩できる問題ではなかった。ファタハとハマスの再度の交渉は失敗に終わった。(関連記事) ハマスは「イスラエルを承認しなければならないのなら、連立政権には参加しない」と発表した。一方、イスラエル側ではオルメルト首相が「ハマスがイスラエルを承認しない限り、アッバスとは会わず、和平交渉はしない」と表明した。(関連記事その1、その2) オルメルトとサウジ王室の秘密の会合が持たれた9月中旬は、ちょうどハマスとファタハの話し合いが難航していた時期だった。サウジ王室はハマスやファタハに支援金を出しており、圧力をかけられる存在である。だが、秘密会合の後も、事態は好転しなかった。 ▼支持者にデモをさせて政権転覆を画策 次に起きた動きは、パレスチナ内部、特にガザで、ファタハの支持者が与党のハマスを批判するデモを行い、政権転覆を図るという画策だった。ハマスは米政府からテロ組織とみなされており、ハマスのハニヤ政権は3月に就任して以来、欧米からの援助資金の多くを止められており、パレスチナでは公務員に対する給料支払いが滞る事態になっている。イスラエルから封鎖されているため産業がほとんどないパレスチナでは、公務員が最大の雇用先である。 この状況を利用してファタハは9月末から、教師や警察官をしている支持者たちに、給料の払えないハマス政権を非難するストライキやデモ、集会を、ガザで行わせた。ファタハ系警察官のデモ行進は過激化し、ハマス系の民兵や警察官からの反撃を受けて、ガザは内戦的な様相を帯び始めた。(ガザではハマスが強く、西岸ではファタハが比較的強い)(関連記事) ハマス側は「これは、イスラエルやアメリカが、ハマスの政権を転覆しようとアバスにやらせたクーデターである」と表明した。事態の流れから見ると、この指摘は当を得ている。ハマスは明言しなかったが、ハマスによるクーデターまがいの行為に対しては、イスラエルとアメリカだけでなく、エジプトやサウジなど親米アラブ諸国も事前に了承していた可能性がある。(関連記事その1、その2) このガザ暴動の後、パレスチナ情勢は、ハマスとファタハの内戦に向けて一触即発の状態にある。すでに内戦が始まっていると指摘するパレスチナ高官もいる。敵対が激しくなる中で、10月5日にアバスは、ハマスとの交渉は失敗したと宣言した。(関連記事その1、その2) その後、ファタハと親米アラブ諸国は、大統領であるアバスが、ハマスが過半数を占める議会を解散する宣言を行い、それを受けてパレスチナ領内で出直し選挙を行うという案をやろうとした。出直し選挙をやれば、欧米からの経済制裁を招いているハマスが負け、こんどはファタハが勝つかもしれないという読みからだった。しかしハマスは、解散させられたら内戦に突入することになると言って抵抗している。(関連記事) ▼再び近づく戦争 パレスチナ側で騒動が続く中、イスラエルの右派は、将来のパレスチナ国家となるべき占領地の中で、着々と入植地を拡大している。オルメルト政権は入植地の拡大を禁じているが、政府内ではその方針が無視され、入植地の拡大が右派系の役人によって進められている。(関連記事) イスラエル軍内の右派は、レバノンでの戦争の時にやれなかったシリアとの戦争を画策しているふしがあり、シリアのアサド大統領は「いつイスラエル軍が攻めてきてもおかしくない状態だ」と発言した。(関連記事) レバノンでの戦争の停戦後に盛り上がったイスラエルとアラブとの接近や、パレスチナ問題をこの機に解決しようという気運は、ハマスとファタハの内戦という、以前より悪い状況をもたらしており、失敗してしまっている。そして、和平が遠のく一方で、イスラエルとアラブの両方で好戦派が盛り返し、レバノン停戦によって阻止された、戦争のシリアやイランへの拡大が、再び模索され始めている。(関連記事) ▼イスラエルとアラブの結束は世界最強なのに イスラエルと親米アラブ諸国の接近は、1950年代以来、何回か試みられてきた。冷戦下の1960年代には、左翼のエジプトやシリア、イラクと対抗するため、イスラエル、サウジ、ヨルダン、イランが結束するという構想もあった。冷戦後の経済自由化の流れの中では、パレスチナ和平をやって中東全域を経済成長できる地域にしようというオスロ合意の構想もあった。しかし、これらは全て失敗している。今回の試みもまた、失敗に終わろうとしている。 もしイスラエルとアラブ諸国が本当に結束できたら、世界的に強大な力を持った勢力になりうる。アラブは石油を持っており、サウジは国際石油価格を動かせる。イスラエルは、情勢分析や盗聴、謀略などの諜報力と、欧米政府への影響力行使(政治的脅し)のノウハウと人脈を持っている。これらが結合すれば、欧米をしのぐ覇権的な勢力になりうる。 しかし現実には、イスラエルとアラブは、結束できていない。アメリカは、イスラエルとアラブとの結束をひそかに阻止しているふしさえある。ライス国務長官は頻繁に中東を回っているものの、和平進展に貢献することを何もやっていない。イスラエルは、イランやシリアと戦争させられかけており、潜在的に滅亡の危機が忍び寄っている。(関連記事)
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