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イスラエルの清算

2004年1月13日   田中 宇

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 イスラエルのシャロン政権が、パレスチナ問題の「清算」を急いで始めている。

 イスラエルは1967年の第三次中東戦争に勝ったことで、それまでヨルダンが占領していたヨルダン川西岸地域と、エジプトが占領していたガザ地区を自国の占領下に置き、その後一貫してそれらの占領地に住むパレスチナ人を抑圧し、弱体化して追い出すことによって占領地をイスラエル人の土地に変えようとする目的で、占領地内部に無数の「入植地」を作り、占領地内のイスラエル人の人口を増やしてきた。

 だが、昨年7月から急ピッチで進んでいる「隔離壁」(防御壁)の建設と、昨年12月18日にシャロン首相が占領地から一方的に撤退する方向性を打ち出したことで、イスラエルは30年間続けてきた入植地の拡大政策を転換した。これまでに占領地に建設した入植地を公式にイスラエル側に領土として取り込むかたちで、パレスチナ人地域を取り囲む総延長600キロ以上の隔離壁を作り、隔離壁の向こう側(東側)に残ったパレスチナ人地域からイスラエル軍が撤退し、パレスチナ人国家が作られることを承認するというのが新しい戦略である。

 イスラエルは、占領地で入植地を拡大する「攻め」の方向から、すでに作った入植地を隔離壁によって「守る」方向に戦略転換したわけで、隔離壁の建設は、これまでの拡大政策を「清算」し、作戦の「成果」を固定化する方策だと思われる。

▼入植地拡大の歴史

 1920年代にオスマン帝国を滅ぼして中東一帯を支配したイギリスは、パレスチナ地域に関し、アラブ人(パレスチナ人)とユダヤ人の両方に国家建設を認める約束をしていた。それは1947年の国連決議として成文化され、西岸とガザはパレスチナ人国家に属することがうたわれていた。だが1948年にイギリスの統治が終わるとともに起きた第一次中東戦争(イスラエル独立戦争)の結果、西岸はヨルダンが占領し、ガザをエジプトが占領し、残りのパレスチナにはユダヤ人の国イスラエルが建国された。

 イスラエル側の主張によると、その後1967年の第三次中東戦争でイスラエルが西岸とガザを奪うまで、ヨルダン占領下の西岸でも、エジプト占領下のガザでも「パレスチナ国家」を建設する動きはなく、アラブ人は結局パレスチナ国家を設立する意志がなかったことが明らかだという。そのためイスラエルは、1947年の国連決議は無効になっているとして、イスラエルは西岸とガザを自国領として編入する権限があると主張している。(関連記事

 冷戦後の1993年には欧米の仲裁により、西岸とガザにパレスチナ国家を建設することを目指す「オスロ合意」(暫定自治協定)がイスラエルとパレスチナ側で締結された。合意の中でイスラエルは、西岸とガザでの入植を凍結し、入植地を撤退させていくことを約束した。だがその後、イスラエル国内では、合意締結を推進した中道派のラビン首相が95年に暗殺され、右派のネタニヤフ政権ができる中、パレスチナ国家の建設を危険視する世論が醸成された。

 その一方で、オスロ合意で禁止された入植地の拡大が続けられ、西岸の入植地の総人口は1993年からの10年間で2倍になり、西岸の総人口の1割を占める24万人になった(ガザの入植者は7千人)。(関連記事

 これと前後して米クリントン政権内でもタカ派の力が強くなり、アメリカはしだいにイスラエルの合意破りを黙認するようになった。ネタニヤフ政権の成立時に「過去との決別」という提案書などを作って政策立案したイスラエル系アメリカ人の集団「ネオコン」が、アメリカの外交政策を決定する「奥の院」といわれる「外交評議会」などで活発にタカ派的な政策案を出すようになり、次のブッシュ政権では政権中枢に入った。

 入植地の多くは、丘陵地帯である西岸の丘の上にあり、周辺のパレスチナ人の町村を見下ろせる戦略的な要衝に作られた。最初は右派イデオロギーの強い数家族がテントや移動式の仮設住宅を作って無許可で住み始め、周辺のパレスチナ人住民が彼らを威嚇して撤退させようとすると、イスラエル軍が「国民の安全確保」を名目として駐屯し始め、そのうちアメリカの親イスラエル団体からの寄付などによって立派な恒久住宅が建てられ、イスラエル本体とつなぐ立派な舗装道路が作られる。

 イスラエルは狭いので、西岸の多くの地域からエルサレムまで自家用車で通勤でき、西岸の北側の地域ならテルアビブやハイファといった他の大都市にも1時間ほどで通勤できる。このため、右派イデオロギーを持たない一般のイスラエル人が、非常に安い住宅にひかれて入植地に引っ越してくるようになり、入植地の人口が増えた。入植地を撤去せよという国際的な圧力がかけられてイスラエル政府がそれに応じたとしても、居住者からの抵抗が大きくなり、撤去は非常に難しくなっている。

 入植者の「安全確保」のため、イスラエル軍は西岸の道路の各所に検問所を設け、パレスチナ人の町村を有刺鉄線で取り囲み、イスラエル人の移動は自由だが、パレスチナ人の移動の自由を制限した。その分、パレスチナ人は生活が困難になり、経済も疲弊して、いずれ他のアラブ諸国や海外に移住していくだろう、というのがイスラエルの戦略の一つだった。これに対してパレスチナ人は、子供をたくさん産んで人口の急増を実現し、イスラエルによる「民族浄化」を防いだ。

▼非難の強さを見て隔離壁のルートを決める

 パレスチナ人は人口的な消滅は防いだものの、領土的には、すでに櫛の歯のように何本もの帯状のイスラエル入植地が西岸地域を分断するかたちで完成しており、今後パレスチナ国家が成立したとしても、かつてアパルトヘイト時代に南アフリカの黒人たちが押し込められていた居住区や「ホームランド」のように、発展の可能性が少ない「収容所」のような国しか作れないのではないかと懸念されている。イスラエルとしては、パレスチナが貧しいままの方がイスラエルにとって脅威にならないという作戦だと思われる。

 イスラエルが昨年夏から建設を開始した「隔離壁」は、櫛の歯のように西岸に食い込んでいる各入植地と、その東側に広がるパレスチナ人の町村との間に建てられ、北から南にギザギザに進行している。イスラエル本体とパレスチナ占領地の間の線を「グリーンライン」といい、国連決議やオスロ合意では、イスラエルがこのラインより東側に領土を拡張することを禁じられたが、入植地はすべてグリーンラインの東側にあり、隔離壁もグリーンラインの東側を通っている。

 隔離壁は、入植地が比較的少ない西岸の北側から南下するように建設が始まり、カルキリヤというグリーンライン沿いのパレスチナ側の町を包囲するあたりまで完成している。すでに完成した部分の隔離壁は、グリーンラインから大きく逸脱している部分が2カ所ほどで、この先の工区に比べると土地侵害が少ない。(とはいえ、すでに1万5千人のパレスチナ人の家が、壁のイスラエル側に置かれてしまった)(関連記事

 今のところこの部分の土地侵害をめぐって国際的な非難が起きている。イスラエル側は今後、完成した部分に対する国際的な非難の強さを見ながら、入植地がたくさんあるため隔離壁がグリーンラインよりずっと東側をギザギザに進むことになりそうな、この先の地域の壁のルート設定を確定していくつもりなのだと思われる。アメリカを筆頭とした国際的な反対が強ければ壁はグリーンラインに近づき、弱ければその分だけ大胆にパレスチナ側の土地が奪われることになる。

 イスラエルの隔離壁建設は、国連でも非難決議が出され、国際司法裁判所にもアラブ諸国が訴えている。これらの動きがどうなるかによって、壁のルートが微妙に変わってくるかもしれない。(関連記事

隔離壁の地図(その1)(その2)完成した分のみ

▼一方的撤退の意味

 このように防御壁の建設は、イスラエルの領土的野心に基づいた「悪行」であるが、その半面、なぜ今の時期にイスラエルがこれまでの入植地拡大戦略を打ち切って防御壁の建設と占領地からの軍事撤退という「清算」を行う必要があるのかということを考えていくと、違った面も見えてくる。

 過去10年近く、イスラエル政府は「占領地から撤退するにはパレスチナ自治政府(PA)との交渉妥結が必要だが、PAがテロを取り締まるまでは交渉できず、撤退も不可能だ」という主張を繰り返し、交渉を先延ばしにしてきた(入植地を拡大しパレスチナ側を弱体化させる時間稼ぎだった)。だが、シャロン首相は12月18日の演説以来「アメリカが仲介するロードマップに基づくパレスチナ側との交渉がうまくいかないと判断されたら、占領地から一方的に撤退する」と言い続けている。もはやロードマップがうまく進展する可能性は低いから、イスラエルが一方的な撤退を始めるのは時間の問題だと思われる。

 もう、イスラエルは十分に入植地を拡大できたので、そろそろ撤退してもいいということなのか。多分そうではない。シャロンの撤退計画には、ガザのほとんどの入植地を放棄することが含まれている。西岸では、できる限り多くの入植地を取り込める隔離壁を作るが、ガザでは単に入植地が放棄されて終わる。これはどうみても入植作戦の「完成」ではなく、作戦の「終了」もしくは「放棄」である。ガザは海に面した平坦な長方形の地域で、海側に、人口は少ないが広大な入植地が広がっている。

 イスラエル側はすでにガザとの境界線に、三方から取り囲む防御壁を完成させており、さらに海側の入植地を放棄することで、イスラエルはガザとの関係を絶つことができる。シャロンは、パレスチナ側との関係断絶がやりたいのだろう。そう見ると、ガザにこれまで入植地を作っていたのは、イスラエル側がガザ地区でのパレスチナ人の行動を制限する(入植地によってガザ地区を分断する)ことが目的で、恒久的にガザの一部をイスラエル本体に併合することが目的ではなかった(もしくは途中で目的を変更した)のだと思われる。

 また、入植者の勢力(与党リクードの宗教右派)は、シャロンの撤退決定に対して猛反対しており、リクードの右派は、シャロンが党中央の決定なしに勝手に動けないように党規約を改定しようと動いている。隔離壁が建設されると、いくつかの入植地は放棄せざるを得ないので、その点でリクード右派は反対している。それに対してシャロン側は、リクード内の右派を切り捨てて党外に追放し、代わりに中道系の労働党と連立を組み直して政権を維持し、壁の建設と占領地からの撤退を挙行しようとしている。

 シャロンは1970年代からずっと入植運動を推進し続けており、入植者たちから「入植運動の父」と称賛されてきた。シャロンは「子供たち」である入植者たちを切り捨てても、入植運動を終わりにして「清算」する必要があるのだということになる。シャロン自身「入植運動は、以前は必要だったが、今やそうではない」と発言している。

 リクードを嫌う人々の中には「シャロンは欧米の圧力をかわすため演技をしているだけだ」という見方がある。だが演技なら、わざわざ「一方的な撤退」を打ち出す必要などない。今までどおり「パレスチナ人がテロを止めたらぜひ交渉したい」と言い続けていれば良いだけだ。(関連記事

 また、以前の記事「イスラエルは大丈夫か」に書いたように、イスラエルは「いずれパレスチナ人に人口で抜かれる」という問題を抱えており、これを解決するためにシャロンは隔離政策に転じた、という見方もできる。だが、この人口問題は10年以上前から指摘されており、そもそも労働党が1993年にオスロ合意を締結したときに、その理由としてすでに人口問題が掲げられていた。オスロ合意を壊したリクードが、10年後の今になって急に人口問題に対して不安になったというのは理に合わない。人口問題は、人々を納得させるために引っぱり出された「当て馬」的な説明であると思われる。

▼米中枢の戦いとイスラエル

 シャロンが作戦を転換せざるを得ないのは、911以来のアメリカ中枢の勢力争いが「中道派」の勝利でかたがつき、中東を中心に世界各地で危機回避の方向で事態が急進展していることと関係があるように思える。リビアやイランが大量破壊兵器を放棄すると言い出しているし、インド・パキスタンの話し合いも再開されている。シリアも大量破壊兵器の放棄を視野に入れ始め、トルコとの歴史的な和解を行っている。

 こうした中、イスラエルも、リビアとの和解交渉を進めていることが判明したし、シリアのアサド大統領が最近提案してきた和解交渉にも応じる構えを表明している。イスラエルはリビアに対し、昨年夏にすでに秘密交渉を持ちかけていたことが分かっている。つまりイスラエルは、アメリカのブッシュ政権がイラク戦争の泥沼にはまり、米政権内でタカ派やネオコンが力を失ったように見え始めたころから、時を同じくして隔離壁の建設や、リビアとの秘密交渉を開始している。

 リビアとイランが核兵器の開発を破棄しつつあるので、イスラエルに対しても、こっそり所持している核兵器を廃棄せよという国際的な圧力も高まっている。イスラエルが核兵器を持っていることは、ほぼ間違いない。イスラエル政府は、核兵器ではなく、化学兵器の廃絶ならやっても良いとして、矛先が自国の核兵器に向かわないように仕組んでいる。(関連記事

 もう一つ気になるのが、以前の記事「アメリカの戦略としてのフセイン拘束」でも紹介した、ジェームス・ベーカー元国務長官がブッシュの外交特使になったこととの関係である。1989−92年にパパブッシュ政権で国務長官をしていたベーカーは、冷戦の終結とともに、タカ派(冷戦を推進していた軍産複合体とネオコンなどイスラエル系の勢力の連合体)を弱体化させるべく、入植地問題などをめぐってイスラエルを批判し、イスラエルとは犬猿の仲になった。(この関係悪化を嫌気し、アメリカのイスラエル系ロビー団体がパパブッシュの再選を阻んだといわれている)(関連記事

 不思議なのは、今年またアメリカで大統領選挙があり、そこでブッシュは何としても再選されたいと思っているにもかかわらず、米政界に対して強い影響力を持っているイスラエル右派が忌み嫌うベーカーを、ブッシュが外交特使に任命し、国連やEUを取り込んだ新しいイラク再建の枠組みをベーカーに作らせようとした点である。イスラエル側は、ベーカーはイラク問題の解決を口実にパレスチナ問題にも口を出し、イスラエルを弱体化させようと謀るだろうと考えている。「イスラエルに嫌われると選挙に負ける」という従来のアメリカ政界の常識に基づけば、ブッシュが選挙前の微妙な時期にベーカーを起用したのは自殺行為とも思える。

 だが、もし911後のアメリカの権力抗争が「中道派勝利」でかたがついているとすれば、話は変わってくる。イスラエルが弱体化したから、ブッシュはベーカーを起用し、シャロンは急いで戦略を転換したのではないか、という仮説である。リビアから北朝鮮までの各紛争地域の動向からは、中道派の優位が感じられる。ブッシュ政権はシャロンに対し「2004年中ごろまでにパレスチナ国家が建国できるようにせよ」と要求しているという。(関連記事

 イスラエル政界でも、タカ派(入植推進派)が切り捨てられそうになっている。シャロンはリクードの右派を切り捨てようとしているが、リクード右派は、イデオロギー重視、好戦的、ダーティな作戦を好むといった点で、まさにアメリカのネオコンと同じである。リクード右派が勃興したのはネタニヤフ政権の時で、同政権はネオコンが作った政策にのっとって動いたことを考えると、リクード右派のアメリカでの別働隊がネオコンだったと思える。このところ、右派はリクード内で「過激派」「裏社会とつながっている」などと批判されており、ラビンに対してやったようにシャロンも暗殺するといったような過激な作戦をとらない限り、リクードから排除される可能性が高くなっている。(関連記事



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