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アメリカの戦略としてのフセイン拘束

2003年12月16日   田中 宇

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 12月14日夜、サダム・フセインの捕獲が報じられたとき、まず私が思ったのは、この出来事が「ジェームス・ベーカーのヨーロッパ訪問」と関係しているのではないか、ということだった。

 ジェームス・ベーカーはパパブッシュの政権で国務長官と財務長官を歴任した側近中の側近で、ブッシュ家から大きな信頼を置かれている「大番頭」である。2000年の大統領選挙でブッシュとゴアの得票数が互角になり、フロリダ州の開票作業をめぐって事態が紛糾したとき、共和党の代表としてフロリダに乗り込んで民主党側と交渉し、ブッシュを勝利に導いたのはベーカーだった。(関連記事

 ベーカーは12月15日からフランス、ロシア、ドイツ、イギリスなどを回り、各国首脳と会談している。各会談のテーマは「各国がイラクに対してこれまでに貸し付けた資金を債権放棄してもらうこと」だとされている。だが、これは表向きの議題でしかないという見方が出ている。

 債権放棄の問題はベーカーのような古株の大物政治家が扱うテーマではなく、比較的若手の現職の政府幹部でも扱える技術的な問題であり、単にイラク人の新政権が樹立されるときに、新政権が「フセイン時代の債務は破棄させていただきます」と宣言し、その後は債権国側と個別に交渉すればすむ話だ、という指摘もある。

 ブッシュ大統領は、ベーカーを高位の大統領特使に任命しており、ベーカーは閣僚級以上の人物が使うホワイトハウスの政府専用機でワシントンを飛び立っている。ベーカーは債務問題よりも大きな、隠された本命の任務を持って訪欧した可能性がある。本命の課題とは「アメリカがイラクの泥沼から抜け出るために必要な国際協調体制を取り戻すため、独仏やロシアなどがアメリカに協力してくれる条件を探ること」ではないか、という指摘がアメリカのコラムニストから出ている。

 ベーカーは、アメリカの単独覇権を嫌い、EUやロシア、中国など他の大国とのバランス関係で世界を動かしていく「国際主義」を好む「中道派」である。米単独でイラク侵攻する可能性が強まった昨年8月、ベーカーはパパブッシュと一緒に単独侵攻に反対を表明している。(関連記事

 結局、政権内では単独侵攻を主張するタカ派やネオコンの影響力が強いまま、ブッシュ大統領はそれに引きずられて単独侵攻に踏み切った。ところがそれがうまく行かずに泥沼化し、ブッシュは一度は忠告を無視したベーカーに解決策を頼み、ベーカーは中道派的な国際協調関係を再構築するために訪欧することになったのだろう。すでに11月中旬の段階で「アメリカは泥沼状態から抜け出すため、イラク駐留軍を国際的な連合軍体制に移行することに了承した」とEU側がイギリスの新聞に明らかにしており、交渉はすでに始まっていることがうかがえる。

 ベーカーはヨーロッパのあとアラブ諸国も回ることになっている。EU、ロシア、アラブ諸国などがアメリカを支持してイラクに人員を派遣し、復興支援の国際体制ができれば、より多くのイラク人がそれに賛同し、攻撃を仕掛けてくる反米ゲリラ勢力はイラク人の支持を失うだろう、という戦略だと思われる。

▼ベーカー訪欧を妨害するネオコン

 ベーカーの訪欧に対しては、ネオコンが邪魔をする姿勢を見せている。ウォルフォウィッツ国防副長官はベーカー訪欧の数日前「イラク復興の仕事はドイツやフランス、ロシアには与えない」という趣旨の発表を行った。これは独仏やロシアを怒らせ、ベーカーの交渉を破綻させようとする行為だったとみられている。(関連記事

 実際には、独仏やロシアはイラク復興事業の元請けを受注することはできないが、元請け企業からの下請けなら受注できる。また独仏などの企業でアメリカに子会社を持っているところは、子会社を通じた元請け受注も可能で、元請けを制限されても独仏企業にとってほとんど実害はない。しかも国防総省はすでに3週間ほど前にこのことを発表しており、ウォルフォウィッツの発言は、政治的意図だけのものだった可能性が大きい。(関連記事

 EUやアラブが、アメリカが陥っているイラクでの泥沼に手を差し伸べてくるとしたら、その見返りとしてまずアメリカに求められそうなのは「パレスチナ問題の解決」である。パレスチナ問題が解決されないと、イラクやその他のアラブ人の反米感情がおさまりにくい。EUやアラブは、アメリカがイスラエルに圧力をかけてシャロン政権を譲歩させ、パレスチナ国家を実現するなら、イラクの問題に協力しよう、と要求している可能性が大きい。だが、これはイスラエルを強く支持するネオコンにとって許しがたい譲歩である。

(すでにシャロン首相はパレスチナ問題で譲歩すると言い出している。シャロンは機を見るに敏な人なので、ベーカー訪欧の前にもう隠密に米とEUなどの間で交渉が進んでいることが、このことからも感じられる。イスラエル側の譲歩は、一時的なポーズにすぎないかもしれないが)(関連記事

 ベーカーの交渉が成功すれば、パウエル国務長官やライス大統領補佐官など、政権内の中道派がイラク復興を取り仕切ることになり、ラムズフェルド国防長官らタカ派とネオコンは権限を奪われることになる。ブッシュ政権はすでに1カ月以上前に「イラク復興の担当は国防総省からライス大統領補佐官に変更された」と発表したのだが、その後も国防総省はイラク復興の権限を手放さず、CPAのブレマー長官はライスではなくラムズフェルドに支持を仰ぎ続けてきた。こうした政権内の混乱した状況は、ベーカーの登場とともに終わり、タカ派やネオコンは一掃されるだろう、などという気の早い予測も米メディア界に出てきている。

 半面、ベーカーもけっこう汚い人だという指摘も出ている。ベーカーは本業が弁護士で、サウジアラビアの王室など石油利権とつながりが深い。1200億ドルのイラクの債務のうち270億ドルはサウジ王室が債権者で、ベーカーは独仏には債権放棄させる一方でサウジの債権だけは守るのではないかとか、イラクの石油利権が目当てではないか、などと批判されている。とはいえ、これも反中道派系のコラムニストなどからの政治的な揶揄なのかもしれないと考えれば、批判記事を一読したときに感じる「ベーカーは汚い」という印象とは違う意味を持ってくる。

▼サダムの居場所はずっと前から分かっていた?

 このような中道派の巻き返しが始まった矢先に、サダム・フセインが捕まった。サダムの拘束により、イラクが安定化することへの現実味が高まり、EUやアラブ諸国がベーカー提案に乗ってイラク復興に協力する可能性も高まる、と考えられる。

 もし12月13日にサダムの居場所が判明し、翌14日に拘束したといった状況だとしたら、拘束と訪欧は偶然に時期が一致したに過ぎない。だがそうではなくて、米軍はかなり前からサダムの居場所を知っており、機会を見て拘束した可能性がある。

 サダムの居場所を米軍に教えたのは、サダムの第2夫人であるサミラ・シャーバンダルだったとレバノン当局筋が明らかにしている。サミラ夫人は今年5月にイラクから出国し、今はレバノンの首都ベイルートに住んでいる。彼女は先週イギリスの新聞タイムスのインタビューに答え、サダムからは毎週電話があり、電話をかけられない状況のときは人づてに手紙を送ってくる、と発言していた。

 そもそもサミラ夫人をイラクから出国させ、ロンドンを経由してベイルートに住むことにOKしたのはイギリス当局だったという指摘があり、サダム側と英米との交渉の結果、夫人がベイルートに住んでいるのだと考えられる。当然、サダムとの電話のことは米英も知っていたはずだ。そもそも開戦後のイラクは電話網が破壊され、海外にかけられるのは衛星携帯電話しかない。米軍ならその傍受は簡単である。

 サダムにはもう一人サジダ・ハイララという第1夫人がいる。大規模な戦闘が終わった後の5月、サジダ夫人ら何人かのフセイン一族がイラク北部のモスルの有力者の家にかくまわれている、とクルド人の諜報機関が察知して米軍に伝えた。だが、イスラエルの新聞「ハアレツ」によると、米軍は何の動きも起こさなかったという。このことからも、米軍はサダムを急いで捕まえるつもりがなかったのではないか、と考えることができる。(その後、サジダ夫人とサダムとの息子であるウダイとクサイはモスルで射殺された)

 米軍がサダム捕獲に消極的なのを見て、イラク人の間では「ブッシュは自分の選挙のために役立つように、サダムを捕まえるタイミングを考えているのだろう」という噂が立っていたという話も聞いた。これらのことから、確定的ではないものの、米軍はサダムの動向をかなり前から知っていた可能性がある。そして、なぜサダムを捕まえる日が12月14日になったかということを考えると、ベーカー訪欧との関係が気になってくる。

 ベーカーの交渉が成功し、独仏やロシアがイラク復興に協力するようになれば、日本の自衛隊派遣もやりやすくなる。今後、欧米間の協調体制が整っていく流れと、日本の自衛隊派遣の流れが合致していくとしたら、自衛隊派遣は対米従属の色彩が弱まり、小泉首相ら派遣推進派にとって有利な展開となる。

▼むしろ激化しそうなゲリラ攻撃

 とはいうものの、仮にベーカーの交渉が成功したとしても、今後のイラクが安定するかといえば、そうでもない。米側ではブッシュ大統領やサンチェス司令官らが異口同音に「これからイラク側の攻撃が激しくなるかもしれない」と言っている。イラク人ゲリラ組織は最近、外国人ジャーナリストの取材に応じるようになってきているが、彼らの多くが、サダムと自分たちのゲリラ組織は関係ないと言っている。サダムとは関係がないことを証明するために、ゲリラ側は今後、米軍への攻撃を激化させるだろうという予測もある。

 サダムがいなくなったことで、イラク人がどのような反応を見せるかということについては、硬軟両方の見方がある。一つは「アメリカを批判しすぎて米軍が出ていったらフセイン政権が復活してしまうので、それを恐れてこれまでイラク人、特にシーア派とクルド人は反米感情を抑えていた」という見方に基づき「フセイン政権が復活する可能性が消えた今後は、人々は気兼ねなく米軍に出ていってくれと要求し始めるだろう」という予測である。

 そしてもう一つは「これまでサダム側からの報復が怖くて米軍に雇用されたり協力したりすることに消極的だった人が多い」という点に注目し「今後は気兼ねなく米軍に協力したり雇ってもらおうとする親米派が増えるだろう」という見方である。

 また、これまで誤射や間違った情報に基づく攻撃が多く士気が落ちていた米軍だが、サダムを捕まえることができたという自信をバネに、今後は兵士たちの士気が上がるだろう、という予測がある。だがその半面、米軍は誰がゲリラ勢力なのかという諜報能力が弱いことを懸念し、米軍がこれから本格的に展開することを予定している「鉄槌作戦」(Operation Iron Hammer)がイラク人に対する無差別攻撃になり、無実の市民がたくさん死に、泥沼化が進むだろうという予測もある。

 もし今後イラク復興の主導権がタカ派から中道派に移れば、イラク人をわざと怒らせるような鉄槌作戦は中止されるかもしれない。しかしその反対に、ベーカーによる交渉が失敗すれば、タカ派がイラクを統治する現状が続くことになる。ホワイトハウスは今年7月にもベーカーを起用してイラク復興を中道派中心の態勢に移行させようと試みているが、政権内や議会に強いタカ派の反対によって潰されている。(関連記事

(中道派に主導権を持たせることがブッシュ自身の希望なら、タカ派がそれに反対しても大統領の権限で黙らせることができるはずだが、そのような展開になっていないことは、何か強く出られない理由があるのかもしれない)



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