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TPPは米覇権の縮小策

2015年11月9日   田中 宇

 11月5日、TPP(アジア太平洋自由貿易協定)に調印した米日など12カ国が、これまで秘密にしていたTPPの条文を全面公開した。TPPの条文はこれまで、ウィキリークスが交渉中の条文の一部を暴露したものの、全文は各政府が機密文書扱いしたまま交渉が行われ、各国の議会もかやの外におかれるという、非民主的な状況下で調印まで進んだ。TPPは、対米従属維持のため是が非でも合意にこぎつけたい日本の主導で10月5日に調印され、その後12カ国の議会での批准の過程に入ったが、条文は調印後も5年間、機密扱いが続くことになっていた。各国の議会は条文を見ないまま批准するかどうかを決めねばならないという、馬鹿げた状況下で事態が進みそうだった。今回、突然に全文が公開されたことで、状況が変わった。 (Text of the Trans-Pacific Partnership) (TPP Full Text | United States Trade Representative

 5年間機密扱いされるはずのTPP全文が、なぜ突然公開されることになったか、どの国も説明していない。12カ国すべての政府が同時に全文を公表したのでなく、最初にニュージーランド(NZ)政府がインターネット上で公表した。NZ政府は「12カ国を代表して発表した」ことになっているが、NZの公表の後、米国など他の国々が公表した流れから考えて、条文を機密扱いしたまま議会の批准審議を進めるという馬鹿げた状況に耐えきれなくなったNZ政府が、米国の反対を押し切って公開に踏み切ったのかもしれない。NZの政府や政界は以前から、TPPが国益になるか懐疑的だった。NZの公表後、日本政府も、概要と別添・付属書のみについて日本語訳を発表した。 (TPP requires major sales effort to gain acceptance) (日本政府発表のTPP全章概要) (TPP協定全文を公表

 発表されたTPPの条文は30章、英語版で6千ページ、付属文書も入れると1万8千ページもあり、分析するのに何週間もかかる。たとえば自動車の関税については、日本から米国への完成車の輸出関税が、現行の2・5%からゼロに下げることになっているが、最初の20年間は現行のまま、その後の10年間が2・25%で、ゼロになるのは30年後という遠い先の話になっている。日本から米国に輸出するトラックの関税も、現行の25%がゼロになるのは30年後だ。 (Breaking down 5 big sections of the TPP

 米国の自動車関税は、日米間の対立点の一つだったが、日本側が米国の大統領選挙前に何とか結実させたいとの思いから、ほとんど全面降伏といえる大譲歩をして、10月の調印にこぎつけたことがうかがえる。調印が来年にずれ込んでいたら、米議会での批准の審議が来春以降の大統領選挙の期間と重なってしまい、特に米民主党が人気取りのため反対論を強め、批准が否決される可能性が高まっていた。8月の「マウイの崩壊」(8月上旬のハワイのマウイ島でのTPP交渉の失敗)など、今夏の状況を見て、英エコノミスト誌などが「オバマ政権下でのTPP実現の可能性はなくなった」と予測していた。自動車関税をめぐる日米の対立を見ただけでも、これは無理だと当時は思われたのだろう。日本が全面譲歩して今年中の調印に持ち込むとは予測できなかったのだろう。 (TPP, RIP?) (The Economist: The TPP is dead) (After The 'Maui Meltdown', TPP Has Missed A Key Deadline That Probably Means It's Doomed Whatever Is Now Agreed

 TPPの条文から何が読み解けるか、今後多くの分析者や市民運動家がネット上で文書を公開するだろうから、中身の分析はそれが出てくるまで待つことにして、今回は、TPPが持つ地政学、覇権的な意味について考える。私が気になったのは、TPPに含まれない地域についてだ。TPPに含まれない地域を列挙すると、中国、ロシア、旧ソ連(中央アジア、コーカサス)、南アジア(印パアフガン)、中東、アフリカ、中南米の一部、東南アジアの一部、朝鮮半島である。欧州(EU)はTPPと同じ概念で作られたTTIP(米欧自由貿易協定)を米国と交渉中なので「域外」でない。

 これらのTPP域外について考えてみると、いずれもBRICSの影響圏だ。ロシアと旧ソ連はロシアの影響圏、東南アジアと朝鮮半島は中国の影響圏だ。中東は、露軍のシリア進出以来、急速にロシア(露イラン)の影響圏になっている。アフリカには南アフリカがあるし、中国の経済影響力も増大している。中南米はブラジルが主導国の一つになって地域統合の試みが続いている。 (中国とアフリカ) (南米のアメリカ離れ

 これらの国々の中には、米韓FTAを締結した韓国のように、米国が個別に自由貿易協定を結んだ国もある。しかし、米国が韓国をTPPに入れず、TPPの交渉より前に個別にFTAを結んだのは、いずれ北朝鮮の核問題が解決して南北が和解し、在韓米軍が撤収して韓国が中国の傘下に入る色彩を強めたら、いつでもFTAを破棄して米国の影響圏から切り離せるようにしておくためとも考えられる。米国は第二次大戦後、朝鮮戦争が始まるまで、朝鮮半島を自国の影響圏の外と考えていた。朝鮮戦争が正式に終われば、韓国は中国の側に入る傾向を強める。 (アジアのことをアジアに任せる) (朝鮮再戦争の瀬戸際) (貿易協定で日韓を蹂躙する米国

 米国が、BRICSとその影響圏をのぞく地域でTPPの交渉を進めていった時期は、08年のリーマン危機後、中国などBRICSが米国から自立した国際影響力を増大させ、BRICSがIMFと世界銀行の米国中心の経済覇権体制から自立した国際金融機関(BRICS開発銀行、AIIBなど)を創設し、覇権の多極化が顕在化した時期と重なっている。TPPは、BRICSが米国覇権から自立し、世界の覇権構造が多極化した後を見据えて、米国がきたるべき多極型体制の世界における自国の影響圏(地域覇権領域)を定めるために作っていると考えられる。 (覇権体制になるBRICS) (日本から中国に交代するアジアの盟主

 このことは、TPPとWTOを比べてみると、より明確になる。WTOや、その前身のGATT(1947-1994年)は、世界のすべての国々の参加を前提としており、交渉の主導役は米国だ。WTOやGATTは、第二次大戦後にできた米国の単独覇権体制下における世界の自由貿易体制を創設するための国際機関だった。TPPとTTIPは、WTOの最新局面であるドーハラウンドが07年ごろに頓挫した「しかばね」の上に作られている。米国は、単独覇権体制に基づくWTOを推進する気がなく、代わりにそれより小さな、BRICS+米欧(もしくはBRICS+米国+欧州)という多極型体制を前提に、BRICSをのぞく米国の地域覇権地域を対象としたTPPとTTIPを積極推進している。米国自身が、自国の覇権縮小と世界の多極化を前提に未来を考えている。 (世界貿易体制の失効) (WTOの希望とTPPの絶望

 ここで「米国は多極型世界を推進(容認)してTPPやTTIPを作っているのでなく、中露を外してTPPなどを作ることで、中露を潰すための新冷戦体制を構築しており、いずれ中露が潰されて米国の単独覇権体制がよみがえるはずだ」という反論が出てくるかもしれない。たしかにGATTは冷戦時代の「西側」諸国のみが対象だった。冷戦体制が崩れた後の1994年、東側諸国を取り込むために、西側のみのGATTが、全世界対象(米単独覇権体制)のWTOに変身した。いま米国がWTOを見捨てて、再び西側のみのTPP+TTIPに戻ることは、「新しい東側」ともいうべきBRICSと対峙する流れとしてとらえられないこともない。 (General Agreement on Tariffs and Trade - Wikipedia

 だが、冷戦後の25年間で、新しい東側は、資本主義を前提とした高度成長の経済システムをすっかり習得した。いまや世界経済を牽引しているのは西側(先進国)でなく東側(BRICS)だ。冷戦時代の旧東側は、結果的に西側より成長できない社会主義の経済システムを持ち、西側が高度成長したのに対し、東側は低成長や停滞をしていた。しかも中国とソ連は1960年代から対立し、東側陣営の内部が結束していなかった。冷戦は、西側が勝ち組で東側が負け組であることが、途中から明白だった。

 対照的に、今の新しい東側は、冷戦後の25年の習得期間を経て、製造業における世界の牽引役となり、人民元やBRICS開発銀行など、ドルやブレトンウッズ体制(IMF世銀)に代わる決済や通貨運営の機能も持ち始めている。金融の技術は西側の方が上手だが、製造業が盛りを過ぎてしまった西側は、金融技術を使って富を増やすことしか成長の源泉がない。西側は、金融技術を多用しすぎてバブルを膨張させてしまい、08年のリーマン危機を引き起こし、その後もさらに金融バブルを膨張させるQE(中央銀行の通貨大発行)などによってしか経済成長できず、今後いずれリーマン危機をしのぐ巨大なバブル崩壊の再発が不可避だ。今後「新冷戦」になったとしても、それは西側が金融バブル崩壊して負ける可能性が大きい。 (経済覇権としての中国

 旧冷戦では中ソが対立していたが、新冷戦では中露が強く結束している。米国はここ数年、わざわざ中露を結束させた後になって中露への敵視を強め、米国に敵視されるほど中露が結束する構図になっている。しかも、米欧日とも、経済成長の大きな部分を、中国との関係に依存している。今夏以降の中国経済の減速が、日本や米国の景気を悪化し、米連銀はドル健全化のための利上げができなくなっている。旧冷戦では東西が経済関係を断絶できたが、今後の新冷戦では、日中、米中など東西間の経済関係の断絶が不可能だ。中国が米国債を売り放ったら米国は財政破綻(金利高騰)する。これでは「冷戦」にならない。米国が、西側を率いて無理して中国(BRICS)との経済関係を断絶して新冷戦を起こしたら、長期的に見て、負けるのは西側の方だ。 (習近平の覇権戦略

 米日は、中国を敵視する傾向が強いが、欧州は、むしろ中国との関係を強化している。EUは、米国との新貿易協定の中身にも不満足で、TTIPは締結されない可能性が増している。TPPとTTIPには、米国の多国籍企業が日本や欧州など加盟諸国の政策を気に入らない場合、米国の息がかかった不透明な法廷に事案を持ち込み、政策を無効にできる「投資保護」のISDS条項がついている。TPPやTTIPに加盟すると、国権を米国企業に剥奪されてしまう。敗戦以降70年、ずっと国権を米国にあげてしまっている日本は、TPPに加盟しても大して何も変わらないが、欧州はそうでない。 (大企業覇権としてのTPP

 欧米間のTTIPが締結されない場合、欧州は、米国の新冷戦に参加せず、独自の地域覇権として、BRICSと敵対でなく協調する道を歩むだろう。そうなると、米国と欧州の同盟関係が終わり、世界はBRICS+欧州+米国になる。BRICSの各国間はゆるやかなつながりで、欧州とBRICS各国も同様に緩やかなつながりになるだろうから、世界の多極化に拍車がかかる。米国は、欧州を傘下に入れられず、欧州がBRICSの側に入ってしまう場合、ますます新冷戦を起こしにくくなる。米国が、中露など他の「極」との対立をあきらめて協調に転じると、多極化が完成する。

 旧ソ連はロシア主導、東南アジアや朝鮮半島は中国主導の方向性が見えており、中東も急速に米国から離れている。だが、アフリカや中南米は、地域内のまとまりが比較的弱く、極となる国(南アやブラジル)の主導性もあまり強くない。地域での自立が進まない場合、中南米に対する米国の覇権や、アフリカに対する米欧の覇権が残ることになる。このあたりは流動的だ。

 TPPに話を戻す。上記のように米国の単独覇権体制が崩れ、世界が多極化していった後も、米国が自国の覇権地域(影響圏内)として残すつもりの国々、もしくは米国の地域覇権体制の中に残りたいと思う国々が、TPPの加盟諸国になる。しかし、TPP加盟国の多くも、世界が多極型に転換した後、ずっと米国の影響圏内に居続けるとは限らない。米国、カナダ、メキシコという北米の3カ国は、TPPの前身であるNAFTAの時代から、米国と国家統合を進める道を歩んでおり、今後も米国圏(北米圏)から出ないだろう。だが他の国々は、米国圏(TPP)への帰属と、他の極への帰属との間で揺れる、両義的な状態だ。 (多極化とTPP

 TPP加盟国のうち、南米のペルーとチリは、ブラジルなどを中心とする南米圏が結束を強めると、そちらの一員になる傾向が強まる。南米諸国のうち、ブラジル、アルゼンチン、ベネズエラ、ボリビアは対米自立(反米)の傾向が強く、ペルーとチリ、コロンビアは対米従属(親米)の傾向が強い。

 豪州とNZは、もともと英国の影響圏(英連邦)だったが、英連邦は戦後、長く続いた米単独覇権体制下で雲散霧消し、今後世界が多極化しても英連邦はたぶん復活しない。豪NZは、米国圏に残る道と、東南アジアととともに中国圏に入る道の間をいったり来たりしている。東南アジアでは、米国の世界支配にとって太平洋とインド洋をつなぐ戦略拠点であるシンガポールが、TPPへの加盟を早くから決めており、それに引きずられて隣接国のマレーシアとブルネイがTPPに入り、ベトナムも中国に対抗する意味でTPPに入った。対照的に、タイは中国との結びつきを重視し、TPPに入っていない。フィリピンもどっちつかずな態度をとっている。 (Thailand's tough choice: TPP or RCEP

 米日は、タイやフィリピンにTPPに入るよう勧めている。中国は、東南アジアをTPPという米国圏に奪われることをおそれ、中国+ASEAN+日韓豪NZ印でRCEP(東アジア地域包括的経済連携)の自由貿易圏を今年中に創設すべく、交渉を急いでいる。日豪NZと、ASEANのうち4カ国(シンガポール、マレーシア、ブルネイ、ベトナム)は、TPPとRCEPの両方に入っている。 (TPPより日中韓FTA) (TPP deal pressures RCEP trade talks in Busan, China keen for progress

 日本は「漢字圏」であり、明治維新まで、最も関係が深い外国は中国と朝鮮だった。その後、欧米が世界を席巻する一方、中国はアヘン戦争(1840年)から改革開放(1978年)まで衰退・混乱していた。この百年あまり、日本やアジアの多くの国々にとって、中国は頼れる大国でなかった。日本は敗戦まで、米欧に追いつく経済発展をして東アジアの多くを影響圏として持つ世界の「極」の一つになったが、敗戦した第二次大戦後は、一転して国権の多くを米国にあずける対米従属国を続けている。

 これまで何度か書いているように、日本の対米従属は、官僚機構が隠然独裁体制を維持するために必須となっている。だから日本は、中国が台頭し、東アジアを影響圏として持つ世界の極の一つになっても、中国の影響圏に入ることを強く拒み、縮小する米国圏の中に残ることを必至で模索し、決裂しそうなTPPの交渉のまとめ役になり、10月のTPP調印までこぎつけた。 (日本の官僚支配と沖縄米軍

 しかし中国は、日本にとって最大級の貿易相手国だ。13年年以来、統計上の最大の相手国が中国から米国に交代したが、これは是が非でも最大の貿易相手国を中国でなく米国にすることで、日本の対米従属を正当化しようとする官僚機構の数字操作の疑いがある(近年の日本での「ハロウィン」の人気の扇動も同様)。中国の経済成長が鈍化しても、世界の製造業の中心が中国であることは、今後も変わりそうもない。だから日本政府は、喧伝されるTPPだけでなく、同時に中国中心のRCEPにも加盟せざるを得ず、それを国内でできるだけ報道されないようにしている。 (東アジア共同体と中国覇権

 日本自身が世界の極の一つになる(戻る)ことは、敗戦後、不可能になっている。1970年代、米国のニクソン政権が中国との友好関係の復活と、日本からの軍事撤退の方向を決めたとき、日本が中国と連携を強めて(独仏のEUのようなやり方で)世界の極に戻る機会がわずかにあったが、日本政府は対米従属の恒久化したがる選択肢を選び、在日米軍の撤退をできるだけ食い止めて今に至っている。 (世界多極化:ニクソン戦略の完成) (日本をだしに中国の台頭を誘発する

 官僚機構が日本の権力を持っている限り、日本は対米従属を続け、米国との関係やTPPのプラス面が粉飾的、過剰に喧伝され、中国との関係やRCEPは、マイナス面が過剰に喧伝されるか無視され続ける。宣伝だけでなく、貿易や投資など実体経済の面でも、日本政府が日本企業に対し、米国との関係を増やして中国との関係を減らすよう誘導していくかもしれない。 (安倍訪米とTPP

 しかし、米国経済は衰退している。金融バブルの再崩壊がいずれ起こり、長期的に衰退はもっとひどくなる。自国が衰退しても独裁維持のため対米従属を続けたい日本の官僚機構は、米経済がさらに悪化してTPPに入っている利得が減っても、TPPをやめないだろう。TPPはISDSなど、国権を大企業(米国企業)に剥奪される条項が含まれる「不平等条約」だが、日本はすでに国権を全面的に米国に移譲する傀儡国家なので、TPPに入ることによる新たな被害が少ない。 (US growth slows despite spending spree

 日本以外の諸国は、国権をもっと大事にしている。だから、米経済が衰退すると、国権剥奪の不平等条約であるTPPに加盟し続けることの不利益が大きくなる。いずれ起きるバブル再崩壊で米国経済がさらに悪化すると、日本以外の加盟国の間で、TPPからの脱退を模索する動きが強まるだろう。すでに豪州やカナダ、TPPは国益にならないと指摘する声があがっている。 (Australia 'could be sued for billions' by foreign companies under TPP) (Jim Balsillie fears TPP could cost Canada billions and become worst-ever policy move) (TPP is too flawed for a simple `yes' vote

 TPPはまだ各国の議会で批准されていない。今後、もしかするといくつかの加盟国の議会が批准を否決するかもしれない。TPPは12の調印国のすべての議会が批准しなくても、総人口(約8億人)の85%を占める6カ国以上が批准すれば発効することになっている。たとえばカナダと豪州(2国で5千万人強)が批准しなくても発効するが、米国(3億人)が批准しないと発効しない。米国では、ヒラリーら民主党の大統領候補3人は、いずれもTPPに反対を表明している。日本の国会はろくに議論せずTPPを批准するだろうが、他の国々、特に米国での今後の議論が注目される。



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