日本の官僚支配と沖縄米軍2009年11月15日 田中 宇
この記事は「沖縄から覚醒する日本」の続きです。 前回、沖縄のことを書いた後、状況をもう少し知るために沖縄に行って来た。11月8日に沖縄県宜野湾市で開かれた「辺野古への新基地建設と県内移設に反対する県民集会」に参加した。翌日は、米軍施設の建設を止める運動が根強く続いている現場である名護市の辺野古(へのこ)と、東村(ひがしそん)の高江に行った。11月8日の県民集会は、米軍海兵隊の普天間基地(普天間飛行場)の移設問題に絡むものだった。今回は、私の沖縄訪問について書こうと思っていたが、いろいろ調べていくと、私個人の経験談を書く前に、書くべき巨視的なことがたくさんあることに気づいた。今回は、普天間基地の問題を中心に、日米同盟の本質について、自分なりに考えたことを書く。 すべての飛行場には、離着陸する飛行機が墜落しても周辺住民を死傷させずにすむよう、滑走路の前後に、畑や山林、空き地、水面など、人が住まない地域(クリアゾーン、利用禁止区域)を帯状に用意する必要がある。しかし、普天間基地の周辺は、クリアゾーンがほとんど作れておらず、ゾーン内に住宅密集地や小学校が含まれている。基地の周辺は、びっしりと住宅街になっている(私は原付を借りて基地の外を一周した)。 (宜野湾市上空写真×普天間飛行場マスタープラン図) (米軍機の場周経路・侵入経路(宜野湾市ホームページ)) 普天間飛行場は、1945年4月に沖縄本島に上陸した米軍が、日本本土決戦に備え、戦火で焼け野原になった宜野湾市中心部の台地に急いで滑走路を作ったのが発祥だ。日本の降伏後、普天間は戦後5年間、使われない米軍基地として放置され、1950年の朝鮮戦争とともに再び米軍が使い始めた。この5年間に、もともと基地内の土地に住んでいた市民が、戦火を逃れた避難先や収容所から戻ってきたが、自宅の土地は米軍に強制的に借り上げられていたので、代わりに基地の周辺に密集して住むようになった。 (普天間飛行場の概要) 普天間の北方には、米空軍の嘉手納基地がある。こちらは米軍が沖縄上陸時から、ずっと途切れなく飛行場として使い続けたため、避難していた地元住民が戻ってきたとき、飛行場の後背地を弾薬庫用地などとして広大に強制借り上げしてクリアゾーンを作った。しかも、嘉手納は滑走路の前面が海である。だが普天間は、米軍が基地として使わず放置していた間に地域住民が戻って家を建てたため、クリアゾーンがほとんどないままとなった。嘉手納と異なり、普天間の滑走路は海と平行している。米軍も、普天間は非常に危険な飛行場だと間接的に認めている。 (普天間飛行場の事故危険性ゾーン資料) 日米両政府は、1971年の沖縄返還直前、駆け込み的に日本本土の米軍海兵隊のほとんどを沖縄に移動させる戦略をとったが、この時から普天間飛行場は本格的に海兵隊の基地になった。日本本土では、ベトナム反戦運動の影響で各地の米軍基地で海兵隊など戦闘要員の駐留に反対が強まったので、日本政府は、沖縄が米軍の占領下にある間に、本土の海兵隊を沖縄に移駐してもらい、本土復帰時に「沖縄は米軍基地の島」という既成事実ができているように仕組んだ。 日本本土から沖縄に結集した海兵隊が普天間を拠点とした理由は、敵地への上陸・急襲作戦を任務とする海兵隊がヘリコプターを多用するので、クリアゾーンが欠如した普天間飛行場の使い道として、飛行機ばかりの空軍より海兵隊の方が良いという考えだったのだろう。しかし海兵隊も飛行機(固定翼機)は使う上、普天間は嘉手納を補助する役割も担ったため、飛行機の発着が多く、危険が残った。海兵隊を他の基地に移設し、普天間を閉鎖して土地を住民側に返還した方がよいという認識は、70年代から日米両政府にあった。 ▼在日米軍を「買収」している日本政府 米軍は、各基地の施設や設備についての計画を、数年ごとに「マスタープラン」としてまとめている。普天間基地については1980年と92年にマスタープランが作られた。これらは非公開文書だったが、92年計画を宜野湾市が入手し、公開した。その序文には「92年計画は80年計画を踏襲したものだが、それらとは別に85年にもマスタープランの草案が作られており、85年計画は草案が作成されたが採用されなかった」という趣旨が書いてある。 (MCAS FUTENMA, MASTER PLAN, June 1992) これについて、沖縄の基地問題の専門家の間では「85年のマスタープラン草案は、普天間基地を閉鎖・返還する方向での施設計画だったのではないか」と推測されている。85年ごろ、海兵隊の司令官が地元の人々を招いて開いた宴会での挨拶で、普天間が危険な基地であることを認める異例の発言をしたことがあったという。 当時の時代背景を見ると、米国のレーガン政権は82年にソ連と戦略兵器削減交渉を開始し、86年にはレーガンとゴルバチョフがレイキャビクで会談し、冷戦終結に向けた話し合いが始まった。85年の段階で、米軍が冷戦終結を見越して、沖縄の基地を縮小する構想を持ち始め、一番危険な普天間基地の閉鎖・返還を考えたとしても不思議ではない。むしろ当然の話である。 85年に米軍が普天間基地を閉鎖返還する計画を持っていたとしたら、なぜ91年の計画では再び恒久駐留の方針に戻ってしまったのかが疑問として残る。この疑問に対する私の答えは「思いやり予算」である。 日米地位協定を根拠に、日本政府が米軍駐留費の一部を負担する「思いやり予算」は70年代に、基地で働く日本人の福利厚生や給料の一部を日本政府が出すことから始まったが、90年代に入って日本政府は負担を急増させ、米軍施設の光熱費や、施設の移転にかかる費用まで日本が負担するようになった。思いやり予算は、冷戦終結前後の10年間で4倍になり、年間約2500億円前後にまで増えた(95年以降は微減傾向)。 (思いやり予算 ウィキペディア) 米軍は、80年代に冷戦終結を見越して日本から撤退していく方向を模索したが、それを見た日本政府が「駐留費を負担してあげるから日本にいてください」と頼んだ疑いが濃い。日本は、米軍を「買収」して駐留を続けてもらっている観がある。 思いやり予算を出す前から、日本政府は、米軍基地用地の地代(賃料)や基地周辺住民への対策費も出しており、思いやり予算と合わせた総額は、85年に年間約3000億円だったのが95年には6000億円強へと倍増している(その後は微増傾向)。全部で4万人強の在日米軍は、一人当たり年間1000万円以上のお金を、日本政府からもらっている。こんなに金をくれるのだから、当然、米軍は喜んで日本に駐留し続ける。米軍が「次はもっと日本から金をふんだくってやろう」と思って高く吹っかける傾向になるのも自然な流れだ。 (在日米軍関係経費の推移) 05年の米国防総省の発表によると、日本政府は、在日米軍の駐留経費の75%(44億ドル)を負担している。世界規模で見ると、米軍が米国外での駐留で必要とする総額は年に約160億ドルといわれるが、そのうち米国自身が出すのは半分以下で、駐留先の地元国が85億ドルを負担している。44億ドルを出している日本は、全世界の地元国の負担の半分を一国だけで出している。日本は、米軍の米国外での駐留費総額の4分の1を出している。日本だけが突出して米軍に金を出しているのだから、日本政府がその気になれば激減できるはずだ。日本政府が米軍を買収している構図は、ここからもうかがえる。 (“思いやり予算”日本突出 負担率、世界の50%超 2005年12月8日) ▼海兵隊は米本土駐留が最適なのに 普天間基地を拠点とする米軍の海兵隊は「第3海兵遠征軍」である。米軍海兵隊は3つの遠征軍で構成され、第1と第2は米本土に本拠地がある。第3遠征軍は米国外に本拠地を持つ唯一の遠征軍であり、1988年に正式に沖縄(うるま市のキャンプ・コートニー)に司令部が置かれた。すでに書いたように、日本駐留の海兵隊は沖縄返還直前(71年)から沖縄にいたが、正式に沖縄駐留となったのは88年である。この88年の正式化も、日本政府からの駐留費負担を急増してもらうことになったため、米側が形式を整えたのだろう。 (III Marine Expeditionary Force From Wikipedia) 海兵隊は、戦争が起こりそうな地域での恒久駐留が必要な軍隊ではない。軍人の生活上の利便性を考えれば、米本土に置くのが最良である。60−70年代のベトナム戦争、91年の湾岸戦争、03年のイラク侵攻のように、米国の方から戦争を仕掛ける場合には、米軍は何カ月も前から準備できるので、海兵隊を米本土から前線に送り出す時間は十分にある。 50年の朝鮮戦争のように他国から同盟国が侵略された場合は、まずはその国の軍隊が応戦し、米軍は空軍戦闘機で援護し、その間に海兵隊を前線に空輸し、敵国によって占領されている地域に反攻的な急襲をかける。日本が他国から地上軍で侵攻された場合は、まず自衛隊が応戦する。そのために、北海道や九州に陸上自衛隊が常駐している。そもそも、米国は世界中に諜報網を張りめぐらせているので、同盟国が攻撃される数カ月前に予兆を察知できる。米国は、ある日突然侵攻される状況になり得ない(わざと気づかないふりをして敵方の侵攻を誘発することは度々あるが)。 このように考えると、海兵隊は日本国内に常駐する必要は全くない。特に、冷戦後はそうである。だから、沖縄の海兵隊は80年代に米本土に撤退を開始し、普天間基地を日本側に返還するつもりだったのだろう。それを日本が引き留め、駐留費を出して買収し、沖縄に駐留し続けてもらっている。海兵隊は、日本に金を出してもらえて、米国にいるよりも安上がりなので、沖縄にいるだけだ。 「地政学上の理由から、基地は沖縄になければならない」と「解説」する人がよくいるが、間違いである。米軍の現在の技術力からすれば、中国を仮想敵とみなす場合でも、沖縄に必要なのは、有事の際に使える港と滑走路だけであり、軍隊が常駐している必要はない(実際、米軍は冷戦後、沖縄本島より下地島の空港を有事利用したがった)。米国はここ数年、中国を戦略的パートナーとみなす傾向を強め、日本以上に中国を重視している。日本も、中国との東アジア共同体を作る方向に進んでいる。もはや中国は日米の敵ではない。これは地政学的な大転換であるが、米軍の沖縄駐留は必須だという人ほど、この地政学的な変動を全くふまえずに(意識的に無視して)語っている。茶番である。 (アメリカのアジア支配と沖縄) ▼米軍買収策第2弾としてのSACO 世界各国の政府の中には、米軍の駐留費を負担するどころか、逆に米軍から空港使用料を徴集している国もある。以前に沖縄選出の議員が国会で質問した、中央アジアのキルギスタン政府が同国駐留米軍基地の「空港使用料」を引き上げた話が象徴的だ。対照的に日本は、米軍に対して巨額の金を払って、わざわざ日本に駐留してもらっている。キルギス政府は「米軍を駐留させてやっている」という態度だが、日本は「米軍に駐留していただいている」という態度である。 (米軍基地使用料に関する質問主意書 照屋寛徳) 世界の中にはフィリピンのように、議会の決議で駐留米軍に出ていってもらったところがいくつもある。フィリピンは日本より米国への依存が強いにもかかわらず、米軍を基地から追い出した。しかも、米軍を追い出した後も、米国とフィリピンの関係は大して悪くなっていない。普天間の基地問題を解決するには、第3海兵遠征軍を日本国外(米本土)に移すよう、日本の国会で決議すれば良いだけである。フィリピンの前例を考えれば、海兵隊に出ていってもらっても、日米関係はさほど悪化しない。 日本政府の「思いやり予算」の額は95年ごろから横ばいとなったが、それに代わって日本から米軍への出費として増加したのが、95年に日米両政府で作ったSACO(沖縄に関する特別行動委員会)の関係予算である。日本政府はSACO事業に対し、1996年から昨年までの12年間に約3000億円を支出した。これも日本政府が米軍を引き留めておくための「買収工作」の一環に見える。 (在日米軍関係経費の推移) SACOは、名目上は、米軍駐留にともなう沖縄県民の負担(騒音、墜落事故、訓練場からの実弾飛来など)を減らすために、日本政府が資金を出して米軍施設の移転を行い、普天間基地などを日本側に返還する計画である。しかし、米軍から見るとこの事業は、最新鋭の施設を新たに日本政府に作ってもらう代わりに、要らなくなった施設を日本側に返還するという、利得の多い事業である。日本政府は「基地を返還し、普天間の住民の心配を解消する」という、世論に受けの良い部分だけを強調し、実は日本の税金で米軍の施設や装備を強化してやる事業だという点をうまく隠蔽し、SACO事業に予算をつけることに成功した。 (SACO関連費は防衛費と別枠 首相が示唆 1996年12月12日) 日本政府は、辺野古沿岸(海兵隊の訓練施設などがある名護市のキャンプ・シュワブの周辺海岸ないし沖合)を埋め立てて、最新鋭の設備と、離着陸に制限のない状態を備えた新たな海上飛行場を建設し、海兵隊は普天間から辺野古に移り、米軍は普天間を日本側に返還する予定だった。辺野古移設の建設に関わる工事は沖縄の建設業界に発注され、日本政府はこの土建行政によって沖縄県民の不満を解消するつもりだったのだろう。しかし、この事業は県民の強い反対を受け、辺野古の埋め立てはできなくなっている。与党民主党は05年の沖縄ビジョンで「普天間基地の辺野古沖移転は、事実上頓挫している」と書いた。 (民主党沖縄ビジョン) ▼グアム移転費負担が最新の買収策 日本政府による「米軍買収工作」のもう一つは「グアム移転」である。「米軍再編」の一環として、沖縄に約2万人いる海兵隊のうち8千人を米国領のグアム島に移転してもらい、その費用を日本が出す計画で、総額7000億円を予算と融資で出す予定だ。米軍再編とは、技術革新によって米軍の飛行機の航続距離が伸びた結果、海兵隊や空軍が、前線に近い沖縄ではなく米本土に近いグアム島やハワイにいても十分に力を発揮できるようになったことに象徴される、技術革新に伴う米軍の合理化、効率化、省力化の推進策である。2000年ごろから実施している。 (こんなにある米軍再編関連経費負担の問題) 米軍は、再編によって以前より安上がりに運営できるようになる。だから、海兵隊が沖縄からグアムに移転するのに日本の金は必要ない。グアムの基地に新設備を作るのに建設費がかかっても、それはその後の米軍効率化によるコスト減によって相殺される。しかし、日本政府はお金を出したがっている。 重要なのは、米海兵隊のすべてが沖縄からグアムに移転するのではなく、一部がグアムに移るものの、残りの米軍は今後も沖縄に駐留し続ける点だ。米軍は、効率化を進めたいので早く沖縄からグアムに引っ込みたい。しかし日本政府は、今後もできるだけ長く米軍に日本(沖縄)に駐留し続けてほしいので、金を出して米国を買収し、沖縄からグアムへの移転をゆっくりやってもらっている。 米軍再編は軍のハイテク化をともなうので、米国の防衛産業には利益になる。防衛産業の代理人だった米国のラムズフェルド前国防長官は米軍再編の推進に熱心だった。彼は普天間基地も、代わりの辺野古基地も要らないと思っていたようで、2003年の沖縄訪問時に「辺野古(移設案)はもう死んでいる」と述べた。彼は「辺野古の海は美しい」とも言い、反対派の理論に依拠して辺野古移設案を潰し、引き留める日本政府を振り切ろうとした。しかしその後、日本政府による米軍再編への資金提供の追加買収作戦が効いたのか、ラムズフェルドは黙り、辺野古移設案は復活した。 冷戦から10年経った01年に911事件が起こり、米国は長いテロ戦争に入り、単独覇権主義を掲げた。イラクが米軍侵攻で政権転覆され「次は北朝鮮への先制攻撃だ」とか「いずれ中国やロシアも米軍の先制攻撃で政権転覆される」と、日本の外務省は予測していた(私は外務省OBからそう聞いた)。日本政府が米軍を買収して日本に駐留し続けてもらったので、日本はテロ戦争の中で「勝ち組」に入れると、外務省は思っていたのだろう。 しかし、実は外務省は不勉強で、ブッシュ政権の隠れ多極主義的なやり方に気づいていなかった(上層部は気づいていたかもしれないが、官僚組織が硬直化し、戦略転換できなかった)。イラクもアフガンも占領が失敗し、テロ戦争という言葉は使われなくなり、米政府は中国やロシアに対して融和策をとらざるを得なくなり、国際社会では中国が大きく台頭した。日本の対米従属は間抜けな戦略と化した。 ▼米国の威を借りて自民党を恫喝した官僚 私が見るところ、日本政府が米軍を買収してまで駐留し続けてほしいと思ったのは、日本の防衛という戦略的な理由からではない(急襲部隊である海兵隊は日本の防衛に役立っていない)。米国から意地悪されるのが怖かったからでもない(フィリピンの例を見よ)。 日本政府が米軍を買収していた理由は、実は、日米関係に関わる話ですらなくて、日本国内の政治関係に基づく話である。日本の官僚機構が、日本を支配するための戦略として「日本は対米従属を続けねばならない」と人々に思わせ、そのための象徴として、日本国内(沖縄)に米軍基地が必要だったのである。 対米従属による日本の国家戦略が形成されたのは、朝鮮戦争後である。1953年の朝鮮戦争停戦後、55年に保守合同で、米国の冷戦体制への協力を党是とした自民党が結成された。経済的には、日本企業が米国から技術を供与されて工業製品を製造し、その輸出先として米国市場が用意されるという経済的な対米従属構造が作られた。財界も対米従属を歓迎した。日本の官僚機構は、これらの日本の対米従属戦略を運営する事務方として機能した。 この政財官の対米従属構造が壊れかけたのが70年代で、多極主義のニクソン政権が中国との関係改善を模索し、日本では自民党の田中角栄首相がニクソンの意を受けて日中友好に乗り出した。その後の米政界は、多極派と冷戦派(米英中心主義)との暗闘となり、外務省など日本の官僚機構は、日本の対米従属戦略を維持するため冷戦派の片棒を担ぎ、米国の冷戦派が用意したロッキード事件を拡大し、田中角栄を政治的に殺した。 田中角栄の追放後、自民党は対米従属の冷戦党に戻ったが、外務省など官僚機構は「対米従属をやめようと思うと、角さんみたいに米国に潰されますよ」と言って自民党の政治家を恫喝できるようになった。官僚機構は、日本に対米従属の形をとらせている限り、自民党を恫喝して日本を支配し続けられるようになり、外務省などは対米従属を続けることが最重要課題(省益)となった。 日本において「米国をどう見るか」という分析権限は外務省が握っている。日本の大学の国際政治の学者には、外務省の息がかかった人物が配置される傾向だ。外務省の解説どおりに記事を書かない記者は外されていく。外務省傘下の人々は「米国は怖い。米国に逆らったら日本はまた破滅だ」「対米従属を続ける限り、日本は安泰だ」「日本独力では、中国や北朝鮮の脅威に対応できない」などという歪曲分析を日本人に信じさせた。米国が日本に対して何を望んでいるかは、すべて外務省を通じて日本側に伝えられ「通訳」をつとめる外務省は、自分たちに都合のいい米国像を日本人に見せることで、日本の国家戦略を操作した。「虎の威を借る狐」の戦略である。 80年代以降、隠れ多極主義的な傾向を持つ米国側が、日米経済摩擦を引き起こし、日本の製造業を代表して米国と戦わざるを得なくなった通産省(経産省)や、農産物輸入の圧力をかけられて迷惑した農水省などは、日本が対米従属戦略をとり続けることに疑問を呈するようになった。だが外務省は大蔵省(財務省)を巻き込んで、方針転換を許さず、冷戦後も時代遅れの対米従属戦略にしがみつき、巨額の思いやり予算で米軍を買収して日本駐留を続けさせ、自民党を恫喝し続け、官僚支配を維持した。 官僚機構は、ブリーフィングや情報リークによってマスコミ報道を動かし、国民の善悪観を操作するプロパガンダ機能を握っている。冷戦が終わり、米国のテロ戦争も破綻して、明らかに日本の対米従属が日本の国益に合っていない状態になっているにもかかわらず、日本のマスコミは対米従属をやめたら日本が破滅するかのような価値観で貫かれ、日本人の多くがその非現実的な価値観に染まってしまっている。 今や日本の財界にとっても、米国市場より中国市場の方が大事であり、対米従属は経済的にも過去の遺物だ。だがこの点も、日本のマスコミではあまり議論検討されていない。外務省などによる価値観操作をともなった対米従属戦略は成功裏に続いている。 ニクソンは沖縄を日本に返還し、日本の自立をうながしたが、日本の官僚機構は逆に、これを米軍基地の存続のために使った。米軍基地の存在は日本人の反米感情が高めかねないので、日本の中でも本土(やまと)と異なる文化を持つ沖縄に、復帰直前のタイミングで米軍の戦闘要員を移転してもらい、基地を本土から遠ざけ、本土の日本人に対米従属を意識させないようにした。「基地は沖縄だけの問題だ」という固定観念が作られた。 ▼官僚支配を終わらせる日米関係の改定 8月末の総選挙で、日本の政権が自民党から民主党に代わった。民主党政権は、鳩山首相がオバマ大統領の来日に際して何度も「日米同盟は日本にとって最重要」と繰り返し、黒幕の小沢一郎は、元大蔵省次官の斎藤次郎を日本郵政の社長に据え、財務省人脈を重用している。これらのことからは、民主党政権も自民党と同様に、対米従属と官僚支配の構図を変えるつもりがないかのように見える。 しかし、これらはおそらく上っ面の化粧である。鳩山が「日米同盟重視」をことさら繰り返すのは、対米従属プロパガンダ機構と化しているマスコミからの攻撃を抑えるためだろう。小沢が財務省人脈を重用するのは、官僚機構の資金関係の諸権限を財務省に集中させ、小沢自身が財務省上層部を握ることで、小沢がかねてからやりたかったことをやるための布石だろう。 小沢は何をしたいのか。私が見るところでは、恩師だった田中角栄を殺した官僚支配に対する仇討ちとしての、官僚機構からの権力剥奪である。個人的な恨みもあるだろうが、それよりも、官僚機構が田中角栄を殺して自民党を恫喝し、対米従属戦略を通じた官僚支配を確立した構造を解体し、日本を官僚主導から政治主導に戻そうとしているのだと考えられる。官僚は選挙で選ばれていないが、政治家は選挙で選ばれるので、官僚支配を破壊して日本を政治主導に戻すことは、日本の民主主義を取り戻すことでもある。 鳩山政権が掲げているのは「対等な日米関係」「(日中を主軸とする)東アジア共同体」「普天間基地問題は沖縄県民の意志を尊重して決める(すでに県民の総意は県外国外移転で固まっている)」「日米地位協定も見直す」「日本への米軍の核兵器持ち込みについて調査して発表する」「官僚支配を終わらせる」などだ。これら全体を見ると、鳩山政権は対米従属(日本が米国より弱い立場にある日米関係)をやめようとしている観が強い。対米従属の象徴は、不平等な地位協定を含む日米安保条約である。鳩山は、日米安保体制を壊そうとしているという指摘が、すでに米国側から出ている。 (A good time to remember the ANZUS alliance's fate) 日本が対米従属をやめて、日米安保体制も事実上破棄すると、米国の威を借りて日本を支配していた官僚機構の権力が失われてしまう。だから、外務省などはプロパガンダ機能を全開し、マスコミは「オバマは素晴らしいが鳩山はダメだ」といった論調を展開し、鳩山政権を引きずり下ろそうとしている。 これに対する鳩山政権の対抗策は「基地は要らない」とはっきり言い始めた沖縄県民の盛り上がりが本土に飛び火するのを待つことだ。だから鳩山は「普天間問題の解決には時間がかかる」と言いつつ、のらりくらりしている。これは、単なる私の推測ではない。東京の民主党本部が、沖縄県民に立ち上がってほしいと思っているというメッセージが沖縄の側に伝えられてきたという話を、私は今回の沖縄で聞いた。 (沖縄から覚醒する日本) 普天間問題が解決しないまま時間がたつほど、この問題は「沖縄の問題」から「日本の問題」へと発展し、本土を巻き込んだ議論になる。マスコミも官僚の傀儡から脱しうる。マスコミは、時間稼ぎをする鳩山を非難しているが、これはマスコミが官僚傘下にあることを示す好例だ。本来は「良い機会だからじっくり在日米軍のことを議論しよう」という論調がマスコミに広がっても不思議ではないが、そんなことにならないのは、マスコミがプロパガンダマシンと化しているからだ。のらりくらりと揺れる鳩山政権は支持率が下がるだろうが、自民党はひどく壊滅してしばらく復活しそうもないので、支持率が下がっても政権の再交代にはならない。 鳩山政権の思惑どおり、普天間の移設問題の議論はまだまだ続くだろう。そのうちに、日米関係そのものが再検討されていくことになりうる。米オバマ政権は隠れ多極主義なので、日本の自立とアジア協調策を歓迎している。日本が不平等な日米同盟を解消できれば、従来より対等な日米の協調関係が結べるだろう(縛りのある「同盟」にはならない)。来年にかけてドルの崩壊感が強まりそうなので、政治と経済の両面で、日本の国家戦略が問い直されていきそうだ。日本の国内情勢を分析することが、国際情勢分析の大事な一つの柱になってきた。
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