世界を変える米財政危機(2)2013年3月9日 田中 宇この記事は「世界を変える米財政危機」の続きです。 3月5日、米国の首都ワシントンDCで、米政界で最大級の政治圧力を持つロビー団体、米イスラエル公共問題委員会(AIPAC)の年次総会が開かれた。イスラエル右派の組織AIPACは、米議会のすべての議員のイスラエルや中東に関する投票行動を監視し、イスラエルに批判的な議員を次の選挙で確実に落選させ、米政界に巨大な影響力を持っている。AIPACの強さゆえ、米政界はイスラエルに牛耳られている。AIPACは強すぎる。それなのに、今年の年次総会で検討された主題の一つは「どうやって米政界への影響力をもっと強めるか」だった。 (Pro-Israeli lobby losing grip on Washington?) AIPACは米国の防衛産業と組み、米政府が、イラク戦争やテロ戦争に代表される中東への軍事関与を拡大し続けるべく、圧力をかけてきた。米国が中東にはまり込んでいる限り、AIPACが動かす米国の中東政策はイスラエルに好都合な内容で、イスラエルは米国の軍事力と覇権に守られている。 (ユダヤロビーの敗北) しかし、911後急拡大した米国の財政赤字を抑える必要から、一昨年以来、米政界で財政緊縮議論が強まった。防衛産業とつながりが深い共和党が軍事費の削減を拒否し、福祉の削減を拒否する民主党との議論がまとまらず、結局、3月1日から罰則的・強制的な歳出の一律削減が始まる事態となった。 (米歳出一律削減の危険) 国民の生活に必要な米国内の行政支出が強制的に削られる事態に直面し、米政界では、国内事情を優先し、外国に対する公金での経済支援を減額せざるを得ないという議論が強まっている。イスラエルは、米国から毎年300億ドルの支援を、主に軍事部門で受けている。この支援は、減額される可能性がある。AIPACは、米政界への影響力をもっと強めることで、イスラエルへの支援を聖域化し、減額を防ごうとしている。 (Steinitz: Israel is worried by US sequester) (AIPAC Lobbyists to Congress: Despite Sequester, Don't Touch Israel Aid) AIPACは、自分たちが米政界を牛耳っていることを米国のマスコミや市民運動などが指摘するたびに「ユダヤ人差別だ」とレッテルを貼って黙らせ、批判の拡大を防いできた。しかし今回は「米国民の生活より(パレスチナ人を抑圧する)イスラエルへの軍事支援を優先するのはおかしい」と批判する市民団体が増え、年次総会を非難する政治行動も行われた。無敵だったAIPACが、かなり揺らいでいる。 (A call to end $30 billion in US military aid to Israel) (AIPAC head: isolationism `extremely dangerous' for Israel) イスラエルに対する経済援助が実際に減額されるかどうか未定だが、米政府はすでにペルシャ湾に常駐する米空母をこれまでの2隻から1隻の態勢に減らし、空母トルーマンを米東海岸の母港に戻した。米空母の退却にあわせるかのように、イランはパキスタン国境近くに新たな海軍基地を設けると発表した。この新基地のパキスタン側には、中国の公的企業が管理するグワダル港があり、実質的な中国海軍の拠点になっていると指摘されている。 (Iran to establish naval base near Gwadar) (Chinese Company Will Run Strategic Pakistani Port) 米国が空母を減らして引っ込むほど、イランや中国が台頭する事態になっている。AIPACは、ペルシャ湾の米空母削減に対し「イランを活気づけるものだ」と反対しているが、軍事費削減の大きな流れに抗しきれない。AIPACの政治力がいくら強くても、足りなくなっている。 (Jewish leader raps US for taking aircraft carrier out of Gulf) AIPAC年次総会に際してイスラエルのハアレツ紙は、イスラム世界を御することに失敗した米国が、イスラエルや中東に対する関心を失いかけていると指摘している。 (America's interest in Israel and the Middle East is waning) 米議会は、イスラエルが敵視するイランへの制裁を強めるとともに、イスラエルがイランに戦争を仕掛けた場合に米国が協力することを法制化しようとしている。米議会は以前から、AIPACからの圧力に応えるかたちでイラン敵視策を強化し、イランが核兵器開発している確たる証拠がないのに、イランが核兵器開発していると決めつけて制裁してきた。この点で、米議会はイスラエルの言いなりだ。イランとイスラエルの戦争に米国が巻き込まれて参戦すれば、米政府の財政難で窮する軍産複合体も復活できる。 (Why we must resist Netanyahu and the hawks' reckless push for war on Iran) しかし実のところ、イスラエル政府は、すでにイランと戦争したがっていない。イラク侵攻のころまで、イスラエルは、脅威となるイラクとイランの両方を米国が軍事的に潰してくれることを画策していたが、イラク占領の失敗でそれが難しくなった。周囲をハマス、ヒズボラなど親イランの武装勢力に囲まれているイスラエルは、イランと戦争したら自国の破壊を免れない。ネタニヤフ政権は、米国とイスラエルの右派に同調し、イランとの戦争も辞さずという姿勢をとり続けているが、その一方で、中東全体の緊張緩和に必要なパレスチナ和平を何とか進めようとして、中道左派政党と連立政権を組もうとしている。 (Israel's Livni joins coalition, to head peace process) ネタニヤフ首相は、右派の協力がないと政権を維持できないので、右派に迎合してパレスチナ和平交渉に消極的なふりをしている。実際は、和平交渉の仲裁役となりそうなヨルダンのアブドラ国王のもとを、この半年間に2回も秘密裏に訪れ、和平交渉の準備をしている。イスラエルが国家存続していくには、パレスチナ和平を進めてアラブ諸国との敵対を解き、最終的にイランとの敵対も解く必要がある。 (Report: Netanyahu secretly visited Jordan to discuss peace with Palestinians) イスラエルの権力者が、好戦的で和平を拒否する右派陣営内にすわりつつも、米イスラエルの右派が進める好戦的な戦略がイスラエルを国家破壊に追い込みかねないことを察知し、入植地の撤退やパレスチナ国家の建設などの安定化策を進めようとしたのは、ネタニヤフが最初でない。2004−5年ごろにシャロン元首相が同様のことをやっていたが、06年に脳卒中で倒れて植物人間になった(右派に何か盛られた?)。シャロンは、倒れる直前、重要な入植地を除く西岸の3分の2から撤退し、残りをパレスチナ国家として成立させる策を進めていたことが、関係者の証言で最近明らかになった。 (`Sharon was about to leave two-thirds of the West Bank') (イスラエルの清算) シャロンが自分の後継者として育てたのが、諜報機関の出身で今は中道リベラル政党「ハトアヌ」の党首をしているツィピィ・リブニだ。彼女は、オルメルト政権の外相だった06年に、米ブッシュ政権がけしかけてイスラエルにやらせたレバノンのヒズボラとの戦争で、イスラエルが国家破壊の際に追い込まれた時、戦争を停戦に持ち込んで国を救った。リブニは外交・諜報力や交渉能力が高いが、選挙に弱く、一度も政権をとれていない。今回、ネタニヤフはリブニを連立政権に招き入れ、パレスチナ和平担当をさせようとしている。 (As long as Netanyahu is Israel's PM, Livni will have to deal with the Palestinians his way) (ヒズボラの勝利) 米国が軍事費を減らし、中東への関心を希薄化する中で、イスラエルは、イランと戦争して自国とイスラム世界の対立を激化するのでなく、逆に、イスラム世界との対立を緩和したい。それなのに米議会は、イスラエルにイランに戦争を仕掛けることをけしかける方向の新法を作ろうとしている。これは見方を変えると、AIPACなどイスラエル系勢力に圧力をかけられる米議会が、圧力に応じるふりをして、逆に、イスラエルを窮地に追い込んでいることになる。 (Senators Push Resolution Committing US to Aid Israel in Attack on Iran) (反イスラエルの本性をあらわすアメリカ) 米政界が、イスラエルの傀儡っぽくイランに核兵器開発の濡れ衣をかけて制裁するほど、イランは中露など非米・反米諸国から支持されて強くなり、イスラエルにとってより大きな脅威となっている。 (AIPAC and Congress Sustain Iranian Nuclear Program) (イラン危機が多極化を加速する) 2月末、中央アジアのカザフスタンの主要都市アルマトイで、イラン核問題に関する諸大国(米英仏露中独。P5+1)とイランとの交渉が行われ、米国主導の諸大国の側が異例の大譲歩をした。イランはNPTに加盟し、必要な核査察も受けているので、ウランの濃縮や原子炉の稼働といった核の平和利用を進める権利がある。だがこれまで米国は、曖昧な根拠で「イランは核兵器を開発している」と主張し、イランの基本的な核の平和利用権を認めず、経済制裁を解除する条件として、核の平和利用の大半を破棄することを求めていた。当然ながら、イランは拒否し続け、交渉は進まなかった。 (What went right at Almaty) だが2月末のアルマトイでの交渉で、米国側は、初めてイランの核の平和利用権をほぼ全面的に認める譲歩を行った。交渉には、米国のケリー新国務長官が急遽参加し、他国の関係者を驚かせた。アルマトイでの米国のイランに対する譲歩は、外交によって世界を安定化し、米軍が世界展開を続ける必要性を低めようとする2期目のオバマ政権の世界戦略に基づくものであると感じられる。 (News from Kyrzakhstan) イラン核問題は今後、3月中旬のイスタンブールでの実務者会議を経て、4月上旬に再びアルマトイで本交渉を開き、2月末の米側の譲歩を受けた問題解決への具体的な道筋を決める予定だ。それまでに米側がイランの飲めない新たな条件を出せば、交渉は再び頓挫するが、それがなければ、イラン核問題は数年ぶりに解決に向かう。 (`West changed literature in Iran N-talks') 米国は、イランに対する核の濡れ衣を解き始めている。イランが制裁を解除され、国際的に「悪い国」から「良い国」に戻ると、イランとエジプトの国交再開、イランとイラクの「双子のシーア派国家」の結束強化と台頭、バーレーンの政権転覆とサウジアラビアの不安定化、ヒズボラのレバノン与党化、シリアのアサド政権再強化など、中東で米国覇権の衰退が一気に進む。 (米覇権衰退を見据える中東) (自立的な新秩序に向かう中東) (イスラム化と3極化が進む中東政治) 上海協力機構はイランの正式加盟を受け入れ、NATO撤退後のアフガニスタンの再建が、イランやパキスタン、インドを加盟させた上海機構の主導で行われる。中東だけでなく、西アジア全域の覇権構造の転換が始まる。これが、米国の軍事費や国際援助費の歳出削減と同期して進む点も重要だ。今年か来年に、米連銀の量的緩和策で積み上がった金融バブルの再崩壊が起きる可能性もあり、米国の覇権が崩れ、多極化が進む流れだ。 (立ち上がる上海協力機構) (ユーラシアの逆転) このような中、イスラエルは、イランを敵視し、パレスチナ国家創設を拒否する姿勢から脱せないでいる。このまま米国がイランを許してイランが台頭し、中東での米国の影響力が低下すると、イスラエルは孤立し、国家的に危険な状態になる。先日のAIPAC年次総会では、イスラエルのバラク国防相が、それに対処する戦略を披露している。バラクは「パレスチナ人と交渉し、交渉が進展しないならイスラエルが一方的に(西岸入植地の撤退と隔離策によって)パレスチナ国家を作ることが必要だ」と述べたほか「早くパレスチナ問題を解決してアラブ諸国と和解し、中東諸国間の集団安全保障体制を構築する必要がある」と主張した。 (Barak at AIPAC calls for regional approach to Iran) イスラエルが「中東諸国間の集団安全保障体制」を言い出すのは画期的だ。イスラエルは従来、覇権国である米国を牛耳ってイスラエル好みの中東戦略をやらせることを、無敵の安全保障戦略として持っていた。フセインのイラクのようにイスラエルに脅威を与える他の中東諸国を、米国に潰させるのが、イスラエルの安全保障戦略だった。イスラエルが他の中東諸国と直接に集団安全保障について交渉する必要など全くなかった。 (ネオコンと多極化の本質) しかし今、米国は中東での影響力を失うことを容認し、イラクからもアフガンからも撤退し、イラン敵視を解こうとしている。イスラエルは今後、米国に頼れなくなり、独力でイスラム諸国と対峙するか、直接交渉によって集団安保体制を構築していくしかない。AIPACでのバラクの提案は、悲壮なものだ。バラクは、米国の覇権が残っているうちに、米国からアラブ諸国にイスラエルと和解するよう圧力をかけさせることを提案している。その際に必須条件となるのが、パレスチナ国家がイスラエルから分離して創設されていることだ。だからバラクもネタニヤフも、パレスチナ和平が重要だと言っている。 (多極化に呼応するイスラエルのガス外交) 実は「地域諸国間の集団安全保障体制」は、遠い国の話でなく、わが日本が、米国の覇権が減退して対米従属ができなくった後に入らねばならない国際体制でもある。かつてブッシュ政権は、北朝鮮6カ国協議が進展し、米朝や南北(韓国と北朝鮮)、日朝が和解し、在韓(在日も?)米軍が撤退したら、その後の北東アジアの安全保障体制を、米国中心(日韓の対米従属)+冷戦型(米朝、米中、米露、南北、日朝、日中、日露の対立)という従来型から、6カ国協議の6カ国(日米中露韓朝)が対等に参加する東アジア地域の集団安保体制へと転換し、6カ国協議を集団安保組織に移行させる構想を持っていた。 (日米安保から北東アジア安保へ) 北朝鮮の核実験と、韓国(李明博前政権)の対米従属への固執、中国の消極姿勢などによって、6カ国協議はここ数年進まず、東アジアの安保体制の転換も起きていない。だが今後、米国が金融バブルを払拭して蘇生し、覇権が減退から再生に戻らない限り、いずれかの時点で、米国の覇権衰退とともに東アジアの集団安保体制への移行ぶ不可避となる。イスラエルと日本は、置かれている立場が似ている。(最悪の場合、イスラエルが国家消滅なのに対し、日本は貧困化と鎖国ぐらいですむという違いはある) (The Geopolitics of Oil and Natural Gas: Russia is Back to Stay in the Middle East) ロシアが、米国が減退した穴を埋めて影響力を行使しようと、ちゃっかり出てくるところも、日本とイスラエルをめぐる状況として似ている。イスラエルが開発している海底ガス田について、ロシアのガスプロムが、開発に協力することを提案してきている。ロシア軍は、米国の影響力低下に合わせ、西地中海に10隻からなる艦隊を常駐することも決めている。 (Moscow casts wide net in Mediterranean) (Russia Plans to Keep 10 Warships in Mediterranean) 米国の覇権減退に際し、日本は尖閣諸島の国有化によって中国との敵対を煽り、日米と中国の対立構造を強化することで、日本の対米従属の国是をできるだけ長く維持しようとしている。同様に、米議会がイスラエルにイランとの戦争をけしかけるような法案を検討しているのは、米イスラエルとイランとの対立構造を維持することで、米国が中東から出ていかないようにする戦略である。これらはいずれも、日中戦争から米中戦争に、イスラエル・イラン戦争から米イラン戦争(中東大戦争)に発展するかもしれない危険性を持っている。世界は、多極化によって安定化していく可能性と、多極化の過程で大きな戦争が起きてしまう可能性の両方を抱えている。
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