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米歳出一律削減の危険

2013年2月28日   田中 宇

 米国は3月1日、連邦政府の全分野における一律的な歳出削減を開始する。米政府の財政赤字は2001年の911以後、テロ戦争を口実にしたブッシュ政権の財政の大盤振る舞いによって増え続け、08年のリーマン危機後に公的資金で景気テコ入れ策をやったため、赤字増に拍車がかかった。当時、オバマ大統領と米議会は赤字削減の必要性で合意したものの、どの分野の歳出を削るかで対立を解消できないまま交渉期限の11年夏がすぎ、11年8月にS&Pが米国債を格下げした。 (米財政赤字の何が問題か

 米2大政党は財政再建議論を仕切り直すことにしたが、民主党は防衛費削減に積極的で社会保障費削減に反対、共和党は逆に社会保障費削減に積極的で防衛費削減に反対で、2大政党間の対立が解けないまま議論が平行線をたどりそうだった。そこで両党は、12年末(昨年末)までに議論に結論を出せない場合、罰則として13年(今年)1月に全分野の一律削減策(財政の崖)を自動的に発動し、10年間で1・2兆ドルを強制的に歳出削減する条項を制定したうえで緊縮議論を開始した。(当時、罰則条項を発案した大統領府の予算担当者だったジャック・ルーは、近く財務長官に就任する) (What Is Sequestration and What Does It Mean for Me?

 結局、その後も2大政党は財政議論で対立を解消できず、平行線のままだった。一律削減の自動的な開始を目前にした昨年末、米議会は、一律削減策の発動を2カ月延期する法律を可決し、削減の開始を3月1日に延期して議論を継続することにした。しかし、その後も議論は進展せず、削減発動の再延期も決めず、3月1日に予定通り初年度分として850億ドルの一律削減策が発動されることになった。 (◆終わらない米国の財政騒動

 米国には「これまで何回も一律削減が発動されると言われ、そのたびに土壇場で発動が延期されてきた。今回もまた延期だろう」と高をくくった見方がある。だが今回は土壇場になっても何の回避策も出てこない。削減は発動されると有力議員が言っている。今回は発動が決定的だ。 (Sequestration Cuts Draw Yawns From Americans As March 1 Looms

 歳出一律削減の罰則を定めた11年の米財政管理法は、米連邦政府のすべての事業、すべての分野について、例外なく一律に支出を削減することを命じている。米国の行政は、連邦政府が運営している部門、連邦政府から渡された資金で地方政府(州や市など)が運営している部門、地方政府が独自に運営している部門が混在しており、今回は連邦政府の歳出削減だ。部門ごとに財政状況が異なるので、一律削減の影響がどこにどんな風に出るか、全体像がつかみにくい。 (California braces for impending cuts from federal sequestration

 公務員の解雇や一時帰休、ゴミ回収頻度の低下、空港の荷物検査の行列の長さの倍増、失業手当の減額などが予想されると報じられている。連邦政府からもらう資金に頼る傾向が強いワシントンDCやハワイ、アラスカは、一律削減の悪影響が大きく、州独自の歳入が多いニューヨークやミネソタは悪影響が小さいと言われている。 (Washington nerves jangle at sequestration

 米国では貧富格差が拡大し続け、中産階級が失業して貧困層に没落する流れだが、一般に、貧しい人々ほど公的資金による扶助に頼って生活する度合いが増す。歳出削減は、貧困層にとって最も厳しい悪影響をもたらす。今後貧困層が増える一方で、歳出削減で公的扶助が減っていくと、貧困層の不満が拡大し、銃器を使った犯罪や反政府決起などが広がるかもしれない。オバマ政権は数カ月前から銃規制強化に熱心だが、それは歳出削減に象徴される財政難による状況悪化を先取りする意味があったのかもしれない。 (Sequestration threatens local airports, public schools

 米司法省は、すぐにでもテロをやりそうな者がいたら逮捕せず射殺してかまわないとする政策を持っているが、この条項の「すぐにでも」を構成する要件を従来より緩和する新たな運用規則を決めた。不満を持つ米国民が増えそうなので、反抗的な米国民を射殺できる態勢を作りたい感じだ。この件が当局自らの発表でなく、メディアへのリークによって暴露された点も重要だ。 (Leaked Justice Department Memo Reveals Legal Case for Targeted Killings of US Citizens

 一律削減は、米経済の成長を0・4−0・6%減速させると予測されている。成長鈍化は、株価など金融市場に悪影響を与えるはずだが、米国の株価は年初来、上昇傾向を続けている。これを見て「一律削減は米経済にほとんど悪影響を及ぼさない」といった分析が出回っている。 (Markets Shrug Off Sequestration

 しかし、リーマン危機後の米金融市場を上向かせている最大の要因は、米連銀が量的緩和策で意図的に金あまり状態を作り出し、資金が株や債券に流れ込むよう仕向けている錬金術的な策だ。実体経済の動きは、金融市場にあまり影響を与えなくなっている。リーマン危機後、米国の実体経済は、政府の景気テコ入れ策(歳出増)に支えられてきた。歳出一律削減は米国民の消費を減退させ、米経済の大事な支えを減らす。一律削減は、米経済を悪化させる。しかし、それは株価に反映されず、金融マスコミは「一律削減の米経済への影響は軽微」「米経済は引き続き回復基調」と報じ続けるだろう。

▼軍事費削減がもたらす米国の戦略転換

 政治面で、一律削減の影響が最も出そうなのは、軍事費(防衛費)の策減だ。一律削減策は、軍事費が半分、他の分野(主に社会保障費)が残りの半分となっており、軍事費は10年で6千億ドル削られる(共和党が軍事費減に反対し、民主党が社会保障費減に反対するので、両者半額ずつの喧嘩両成敗的な罰則の一律削減になっている)。国防総省は人件費を削るため、制服組以外の80万人の文民職員に対し、毎週1日ずつ無給の自宅待機をとらせる制度を5カ月間続けることを決めている。 (800,000 Pentagon staff face unpaid leave

 国防総省を動かす軍産複合体にとって重要なのは、職員の給与よりも軍事産業に対する発注だが、その分野の削減も大きい。一律削減を前に、今年1月の防衛機器の発注額は、前年同月の70%減と急減している。米国の軍事費は911以降急増しており、一律削減で支出を減らしても、軍事費が6年前の07年の水準に戻るにすぎない。だから大したことないと言われているが、発注額7割減の状況を見ると、軍事産業に対する悪影響が意外に大きいともいえる。 (US spending cut fears hit aircraft orders

 米政界では1950年代から軍産複合体の力が強く、これまで多くの政権が軍事費削減をめざしたが成功せず、逆に冷戦やテロ戦争のように、世界的な対立を煽って軍事費を急増させる計略が連発されてきた。米国の議員らの間では「軍事費を削るには、弊害を承知で、自動発動される一律削減に頼るしかなかった」という見方が強い。 (What Congress Could - But Won't - Do on Sequestration

 米国では今後、軍事費の削減だけでなく、軍事費削減を理由とした、世界からの軍事的・政治的な撤退が強まりそうだ。国際問題を軍事でなく外交で解決すべきだと主張し、オバマから次期次期国防長官に指名されたチャック・ヘーゲル元上院議員が、2月27日に米上院でようやく人事承認された。軍産複合体やイスラエル右派系の議員らがヘーゲルの国防長官就任に強く反対したが、就任を阻止できなかった。この件と、3月1日からの軍事費を含む一律削減策を合わせて考えると、今後米国が進みそうな方向が見えてくる。 (U.S. Senate confirms Chuck Hagel as defense secretary

 2月27日、中央アジアのカザフスタンで開かれていた米英仏中露独(P5+1)とイランとの核問題協議で、米国側は、これまで「フォルド核施設を破棄し、濃縮したウランを引き渡せば、経済制裁を解いてやる」と言って、イラン側から拒否されていた状態から譲歩し「フォルド核施設を破棄しなくても、施設内のウラン濃縮工程を停止すれば、経済制裁を解いてやる。濃縮したウランもイラン側が持っていて良い」という、かなり甘い新条件を出した。 (World powers present Iran with new proposal that would ease sanctions without closing Fordo

 イラン核問題はこれまで紆余曲折あったので、今回も甘い新提案が出たからといって問題が解決していくとは限らない。だが今回、これまで考えられなかった展開であるのは確かだ。今回の展開を見て、イランの台頭を誰よりも脅威と考えているイスラエル政府が「イラン問題を解決するのは、もはや軍事しかない(制裁や外交でのイラン潰しが期待できない)」と言い出している点も、問題が外交交渉で解決するのでないかと感じさせる。もし今後イラン問題が解決していくとしたら、米国の軍事費削減、ヘーゲルの国防長官就任、アフガニスタン(イランの隣国)からの米欧軍の撤退などと合わせ、軍事重視が退潮し、外交重視に世界が転換していきそうな流れである。 (Netanyahu after Kazakhstan nuclear talks: Only military sanctions will stop Iran

 韓国では、北朝鮮と敵対でなく交渉していきたい朴槿恵が大統領に就任した。米国側は「朴槿恵が北朝鮮を封じ込めたいなら米国はそれを支持するし、北朝鮮と交渉したいなら米国も一緒に交渉する」という姿勢だと、米国の北朝鮮政策立案に関与してきた元高官のビクトル・チャが発言している。朴槿恵は、封じ込めでなく交渉の北朝鮮政策をやりたいと選挙期間中から言っている。米国はそれに反対しないということだ。ここでも米国が、軍事から外交主導に転換している観がある。 (South Korea's 1st female president takes office, but few other women in administration so far

 朴槿恵は、韓国の通商政策を担当する役所を、約10年ぶりに、外務省から通産省に戻した。韓国で、外務省は対米従属色が強く、米国の言いなりで米韓FTAを進めたが、通産省は自国産業を保護する姿勢が強く、米国の言いなりを嫌う。米韓FTAは今後、うまくいかなくなるだろう。朴槿恵は、それを承知で通商担当を通産省に戻したのだろうから、対米従属を嫌っていることになる。WSJ紙が朴槿恵を非難している。朴槿恵は、韓国を対米従属から離脱させ、中国など東アジア共同体を重視するつもりだろう。 (Seoul's Bureaucracies Have Consequences

 韓国と北朝鮮、米国と北朝鮮が対話を開始したら中国が6カ国協議を再開するのが、一昨年から米中が決めていたシナリオだ。米国が外交上で中国に頼る傾向も強まりそうだ。北朝鮮は、このような展開をすでに察知し、自国の立場を先取りして強化するために核実験を挙行したのだろう。北朝鮮問題も紆余曲折あったので、一筋縄で解決しないだろうが、敵対から和解に動きそうな兆候があるのは確かだ。 (UN bid to probe N Korea worries Seoul

 米国が、軍事費削減や、世界に対する支配的な関与の減少に動いていくとしたら、米国は在日米軍を重視せず撤退方向に動いていくだろう。世界のことを米国でなく各地の地元の国々が決定するのが、米国のめざす着地点になる。この方向性は、日米同盟だけを重視する対米従属の姿勢をとり続けている日本の方向性と正反対だ。 (Who Has Abe's Back?

 先日の安倍首相の米国訪問で、日本側は、安倍とオバマの間でいかに話が合致したか、意気投合したかを強調する報道が出回っているが、米国側では、オバマが、安倍に晩餐会でなく昼食会しかもてなさず、尖閣問題で日本の肩を持つ表明も回避したことが指摘されている。オバマは、世界のことをできるだけ世界に任せて自国の負担を減らしたいのに、日本は、できるだけ米国の傘下にいようとすり寄り、米国から乳離れした「大人の国」になることを拒否している。オバマが安倍を歓迎しきれなかったとしたら、その理由は日本の対米従属にある。私は、早く自分の国が幼稚な姿勢を卒業し、すてきな大人の国になってほしいと切に思う。 (Shenzo Abe Does D.C.



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