世界を変える米財政危機2013年3月7日 田中 宇3月1日、オバマ大統領が、米政府財政の一律削減策に署名し、米政府財政の強制的な削減が始まった。米政府は、初年度分として今年9月末の会計年度末までに850億ドルを削減する。軍事費が7・8%減、その他の歳出(固定的でない自由裁量費)が5%減になる見通しだ。 (Obama warns of lengthy fiscal crisis) オバマはこの日「政府財政の再建までには、まだ時間がかかる」「米国民の全員がすぐに財政緊縮の痛みを感じるわけでないが、痛みはいずれ顕在化し、特に中産階級の生活に大きな打撃を与える」といった趣旨の演説を行った。オバマが中産階級の打撃に言及したのは中産階級を軽視する共和党を非難する意図だろうが、08年のリーマンショック以来ひどくなっている米国の中産階級の崩壊を公式に認知する発言として注目される。 (A Storm Is Coming: Obama Formerly Orders `Deeply Destructive' Cuts) すでに今年1月、米国民の所得総額は「財政の崖」にともなう減税措置の終了などによって、前月比3・6%減(5055億ドル減)と、20年ぶりの減少幅を記録している。米国民の所得は毎年、ボーナス月の12月に増えて翌1月に減る傾向にあるが、今年は特にその傾向が大きい。 (Americans see biggest monthly income drop in 20 years) マスコミで流布する「米経済はゆるやかに回復している」という説明と裏腹に、米経済全体の7割を占める米国民の消費を支えてきた中産階級が、消費できない貧困層に転落している。米経済は長期的に、回復とは逆の悪化の道をたどっている。始まったばかりの財政一律削減の悪影響はまだ少ないが、悪影響は今後長く続き、しだいに深刻になる。FT紙もそのように指摘している。 (Chances of sequester quick fix run out) このように米経済の実体が長期悪化の傾向なのに、経済の長期傾向を示すはずの株式市場は堅調だ。米国のダウ平均株価が史上最高値を更新した。株価やマスコミ報道といった表向きと実体が正反対なのが、日本のアベノミクスを含む、最近の世界経済によくある現象だ。米国覇権が崩壊する転換期を迎え、覇権装置の一つであるマスコミが描くイメージが実体から離れている。この事態は今後しばらく続きそうだ。 報道は全体として頓珍漢だが、個別の報道を子細に見ていくと、表の騒ぎと対照的な実体が垣間見える。米連銀のバーナンキ議長は「金利上昇を容認するのが早すぎると悪影響が大きすぎる。(金利上昇を抑止する)量的緩和策の継続が必要だ」と、米国債の金利上昇(国債価値の下落)を懸念している。米国の大企業の社債が、下落しそうな兆候を見せているとも指摘されている。米国のWSJやNYタイムスなどより、英国のFTの方が、別の世界をかいま見せる示唆的な「行間」の幅が広い(日本の新聞は「行間」の示唆がゼロ)。 (Bernanke warns against raising rates early) (Warning signs for US corporate bonds) 米国債からジャンク債までが連鎖する債券金融システムが崩れると、米国の大手銀行が軒並み経営危機になる。世界のデリバティブ残高の95%を、JPモルガン、バンカメ、シティ、ゴールドマンサックスの米国の大手4行で持っている。リーマン危機後、債券とデリバティブの市場は、米連銀の量的緩和(QE)などのテコ入れ策で、何とか延命している。 (Chris Whalen & Barry Ritholtz: 'The Derivatives Timebomb') その延命の間にも、大手銀行が扱う金額は肥大化し、18年前に米国のGDPの16%だった米国の6大銀行の資金総額は、今や米GDPの65%になった。伝統的に、破綻した金融機関を救うのは政府の役目だが、こんな巨額なシステムが崩壊したら、米政府でも救済しきれない。米議会は以前から、金融危機時の公的負担をいくらかでも減らそうと、米大手銀行を小規模な銀行群に解体しようと何度も試み、金融界の横やりですべて失敗している。最近も、大手銀行を解体すべきだという意志一致が、米議会の二大政党間でなされている。米国は、実体経済だけでなく、金融界も悪化傾向だ。 (Bipartisan Consensus Formed: We Must Break Up the Giant Banks) 世界各国の中央銀行は金地金を買い増しているが、その一方で、金相場の上昇を容認するとドルの崩壊感が強まってしまう。米財政の一律削減が不可避になった2月19日、ニューヨークの金先物市場(Comex)で、通常の1年分に相当する金額の金先物の売りが1日で出され、金相場を引き下げた。誰が仕掛けているのかわからないが、異様な事態となっている。 (Central Bankers Are Gaming Gold) 3大格付け機関の一つフィッチは2月末「米政府が赤字を減らせないままだと米国債がトリプルAを失う」と警告した。他の格付け機関も似たような姿勢だ。これら最近の出来事を簡単に見ていくだけでも、表向きの株高と対照的に、米国の金融財政が悪化しているのが感じられる。今後は、そこにさらに米財政の一律削減による悪影響が加わる。 (US risks losing `AAA' debt rating: Fitch) ▼米軍のアジア重視策と矛盾する事態 米国の財政は、弱い部分から崩壊感を強めている。一昨年ぐらいから財政破綻の危機が指摘され続けていたミシガン州デトロイト市は、米政府の一律削減策を受けて緊急事態を宣言し、裁判所に財政破綻を申請するか、ミシガン州がデトロイト市を解散し、州財政に組み込んで地域社会を維持するか、決めていくことにした。デトロイト市は消滅するかもしれない。 (Fiscal emergency declared in Detroit) デトロイト周辺には自動車産業が結集するが、米政府がGM国有化などの支援策をやってもデトロイトは復活しなかった。オバマ政権が、日本やアジア諸国とのTPPの交渉で、自動車産業を聖域扱いせねばならない一因がここにある。リーマンショック後の政府財政を使った経済テコ入れ策の3分の1は、デトロイトをはじめとする米国の州や市町村への財政支援金に回されていた。今回の緊縮策で、米国の地方政府は、連邦政府からの支援金を失い、特に困窮を強めそうだ。 国家は、その輪郭部分である辺境地域を大事にする。日本で北海道や沖縄県が、中央政府からの財政支援(交付金)に頼って経済を回す傾向が強いのと同様、米国でも、アラスカ、ハワイ、グアム、その他の太平洋島嶼地域など、米本土から離れた辺境地域ほど、経済的に連邦政府からの財政支援に頼る傾向が強い。本土に比べ、雇用のより大きな部分が、米軍をはじめとする公務員によって占められている。 フィリピンとニューギニアの間にある、西太平洋のパラオ共和国は、戦前の日本の信託統治領から戦後、米国の信託統治領になり、冷戦後の1994年に独立したが、その後もパラオは国軍を持たず、軍事権(安全保障)を米国にゆだね、その見返りに米政府から財政援助を受けている。米軍は現在、パラオに実戦部隊を置いていないが、有事になったらすぐ使える施設をパラオに保持している。 (Compact of Free Association From Wikipedia) 米国からパラオへの財政支援は、2009年まで15年間の協定で縛られていたが、米共和党が財政緊縮を理由に反対したため協定が延長されず、代わりに米政府が単年度ごとに支援金1310万ドルを出している。今回の米政府の一律財政削減で、この支援金が削減対象になり、今年度分としてまだ支出されていない650万ドルが宙に浮いている。 (Sequestration in Paradise) 人口2万人、政府予算が600万ドルのパラオにとって、米国がくれるお金はとても大きい。パラオでは「米国が金をくれないなら中国と組むか」といった話まで出ている。パラオは台湾(中華民国)と国交を持ち、中国(中共)と国交がない。中国は、パラオを自国側に寝返らせようと、以前から資金援助攻勢をかけている。米政府が財政再建を理由にパラオへの援助金を削ると、米国の「アジア重視策」(中国包囲網)に悪影響が出かねない。 パラオやグアム、ハワイなど米国傘下の西太平洋に展開する米軍は、軍事費だけでなく、それ以外のすそ野的な費用を必要としている。米政府が島々のインフラ整備や行政費の一部負担、基地や役所における島民の雇用確保など、経済面で島民の生活を米政府が保障する見返りに、米軍の存在が支持されている。米政府の歳出一律削減によって「中国包囲網」として米軍が展開する西太平洋の島々の経済が打撃を受け、包囲網が脆弱になる。米国の財政緊縮は、オバマのアジア重視策と矛盾する事態になっている。 ▼米軍縮小で世界は安定化する 支出削減を迫られている米国防総省は、米国内の米軍基地の閉鎖・縮小を進めようとしている。BRAC(Base Realignment and Closure)と呼ばれるこの事業は、05年から11年まで続いた前回の基地見直し事業の継続で、国防総省は昨年もBRACの継続を提案したが、総選挙の年だということで二大政党とも猛反対し、延期されていた。陸軍と海兵隊の総兵力数を17年までに10万人削減する案も出ている。 (Pentagon plans to ask for base closures) 米軍は、アフガニスタンから総撤退する予定であるほか、欧州からも1万人の兵力を撤退する。米当局はパキスタンに内政干渉しすぎて怒らせてしまい、アフガンからの最も安上がりな撤退路であるパキスタン経由が使いにくくなり、財政難なのに撤退経費が高騰するという、ベトナム的な事態になっている。 (Army: Cost of Afghan Exit to Grow Sharply) (Thousands of soldiers to leave Europe) 米国では、軍産複合体の息がかかったマスコミや政治家らが「軍事費の削減は国家安全を損ない、とても危険だ」と主張し、削減阻止を試みている。しかし、米国の同盟国である欧州を見ると、EU諸国は軍事費をどんどん減らし、問題なくやっている。米国はNATOとしてEU諸国にGDP比2%の額の年次軍事費の維持を求めているが、それを守っているのは英国とギリシャだけで、しかもギリシャはトルコとの対立があるので軍事費を減らせない特殊事情だ。スペインやイタリアの軍事費は、GDP比1%以下だ。ベルギーの軍事費の85%は人件費で、防衛より失業対策の意味が大きい。「欧州は軍のない大陸になった」と、米国で評されている。 (The Continent without a Military Doug Bandow) 米英マスコミは「欧州は、米国の軍事力に頼っているので、自国の軍事費を減らしている。米国が軍事費を減らしたら、欧州は困窮する」「欧州は、リビア、シリア、マリといった欧州の近傍で次々に起きる軍事的事態に対し、米国に依存せず対処できない」「米国が軍事費を減らす中で、EUは軍事費を増やさねばならない」などと書いている。 (Disarmed Europe will face the world alone) しかし実際のところ、リビアもシリアもマリも、米国が911以来のテロ戦争の中で、イスラム世界の反米感情を意図して過剰に煽った結果、起きている。今後もし中東やアフリカで米国の影響力が完全に失われ(NATOも機能しなくなり)、欧州が独自に対応せねばならなくなったら、欧州は米国流の軍事依存をやめて、イスラム世界に譲歩しつつ外交で解決する策に転じ、それなりの成果を得るだろう。 EUは、そうした方向性を感じているからこそ、平然と軍事費を削り、アフガン撤退後のNATOの実質解体に備え、EUの軍事統合と外交統合を平行して進め、軍事を外交の傘下に入れようとしている。米国の歳出削減は、この方向性を加速させるだろう。米国が軍事費を減らし、軍事的に世界から撤退していくと、長期的に見て、イスラム世界の反米感情が薄れ、むしろ世界の安定化に貢献する。そもそも、冷戦もテロ戦争も、軍産複合体が利権拡大のために脅威を意図的に拡大した部分が大きい。
田中宇の国際ニュース解説・メインページへ |